『アイヒマンを追え! ナチスが最も畏れた男』に学ぶ、戦争下ドイツでのセクシュアリティ

2017.04.18
洋画

腐女子目線で映画をフィーチャーしてみる。

阿刀ゼルダ

ホロコーストの被害者はユダヤ人だけではない

戦争の世紀と言われる20世紀の中でも、最悪の狂気に数えられる、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺(いわゆるホロコースト)。
全世界に衝撃を与えた事件だけに、戦後70年以上経った今も、ホロコースト関連映画は続々と公開されています。

しかし、これだけ大量虐殺が史実として知れ渡った今も、その対象にユダヤ人だけでなく政治犯・聖書研究者(エホバの証人)・ジプシー……そして同性愛者もターゲットに含まれていたことは、必ずしも知られていないのではないでしょうか。(注1)

今回は、今年1月に日本でも公開され話題を呼んだ映画『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』を通して、ホロコースト被害者としてのホモセクシュアルの戦後を考えてみたいと思います。(以下にはこの映画のネタバレを含むことを予めご了承ください。)

『アイヒマンを追え!』は2人のゲイが主人公

アイヒマン
(C)2015 zero one film / TERZ Film

『アイヒマンを追え!』は、ユダヤ人であるフリッツ・バウアー(首席検事)が、戦後15年もの間戦争責任を逃れて国外潜伏していた元ナチ親衛隊員のアドルフ・アイヒマン(ユダヤ人大量虐殺のキーパーソン)を執念で追いつめる過程を中心に描いた物語。

ちなみにバウアーは1963年に行われたアウシュビッツ裁判でも活躍した人物で、『顔のないヒトラーたち』(2014年)にも登場しています。

『アイヒマンを追え!』では、実在の人物・バウアーに加え、架空の人物である若手検事・アンガーマンが、バウアーの友人として登場します。
バウアーとアンガーマンには検事という職業以外にも共通点が一つ……それは、ともにゲイであるということ。

ナチの戦犯を追跡する内容の映画で、なぜ主人公とその友人のセクシュアリティをあえて強調する必要があるのか?と、不思議に思った人もいるかもしれません。

しかし、実はそこにもこの映画の中心的なテーマが秘められているのです。

戦後も同性愛者を苦しめ続けた刑法175条

この映画の提起する問題をしっかりと受け止めるには、まずはかつてドイツに存在した法律・刑法175条について知る必要がありそうです。

刑法175条。いわゆる「ソドミー法」。
「ソドミー法」とは、平たく言えば男性同士の性行為を犯罪とする法律の総称です。
ドイツでは19世紀の帝政時代からソドミー法たる刑法175条が存在したものの、第一次大戦後の一時期は名目化していたようで、ベルリンは当時世界でも有数のLGBT天国だったとか。

ところが、ナチが独裁政権と化したのち一転して取り締まりが強化され、ゲイは強制収容所送りの対象に。想像を絶する過酷な処遇の中で命を落とす人が大半だったと言います。

強制収容所

同性愛者にとってのさらなる悲劇は、第二次世界大戦後も刑法175条は廃止されず、同性愛行為は犯罪とみなされ続けたこと。
強制収容所に送られた同性愛者の1人として、当時の体験を記した『ピンク・トライアングルの男たち』(ドイツでの発行は1972年)の著者は、戦後、強制収容所で味わった苦痛に対して国に補償を求めたにも拘わらず、同性愛者は犯罪者だからという理由で補償を受けられなかったことを明かしています。(注2)

そもそも、この著者のように自らの収容所での体験を公表した同性愛者自体、彼以前にはいないとか……収容所生活を生き延びたわずかな人々も、社会の偏見と差別を恐れて一切を口にすることなく生涯を終えたということでしょうか。
あまりの理不尽さに言葉を失います。

バウアーに戦後は訪れない

こうした背景も踏まえて『アイヒマンを追え!』をながめると、この作品になぜ「もう1人のゲイ」アンガーマンが登場するのか?がクリアに見えてきます。

西ドイツでは、戦後もナチの元幹部が公然と政府の要職に就いており、バウアーのアイヒマン追跡は、権力を武器に戦争犯罪の追求を阻止しようとするナチ残党との戦いでした。

ユダヤ人である以前に正義の人だったバウアーは、その逆風の中で見事に戦い抜いた……しかし、彼には国家がかたくなに認めようとしない同性愛者であるというもう一つの戦いが生涯続いた、ということを、アンガーマンというバウアーの分身を通じて、本作は訴えかけているのです。

60年代の西ドイツを舞台にした『アイヒマンを追え!』は、バウアーとアンガーマン、2人のゲイにとって苦い結末に。
終戦後15年以上が経過していながら、彼らに真の戦後は訪れないまま、物語は幕を閉じます。
西ドイツで成人の同性愛行為に対する刑罰が廃止されたのは、1969年。バウアーの死の翌年のことでした。

 

(注1)参考文献によれば、当時強制収容所に存在した識別章の種類は、少なくとも、ユダヤ人 ・非社会分子・政治囚・聖書研究者(エホバの証人)・刑事囚・亡命者・同性愛者・ジプシーに分かれており、これらの人々が強制収容の対象だったと考えられます。

(注2)一定の被害を受けた人々に限り、’80年代に少額の倍賞金が支払われたようです。

参考文献:ハインツ・ヘーガー著『ピンク・トライアングルの男たち』/(株)パンドラ、(株)現代書館

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