知れば知るほど解らなくなる映画の話(6)~ホラー映画と宮崎勤事件~

Why So Serious ?

侍功夫

どうも、侍功夫です。

ハリセンボン春菜の「マイケル・ムーアじゃねえわ!」でおなじみボウリング・フォー・コロンバイン。そのタイトルの意味を覚えているだろうか?

1999年、コロンバインで起こった銃乱射事件において、保守系メディアが「犯人の2人はマリリン・マンソンの音楽に影響されて犯行に及んだ。」と報じたことに対し「彼らは犯行直前までボウリングしてたけど、その影響は無いのか?」と、彼らの指摘をバカにしてあてこすったのがタイトルの『ボウリング・フォー・コロンバイン』である。

気に入らないものをスケープゴートにまつり上げてブッ叩く大手メディアのやり口はアメリカに限った話では無い。かつて、日本でも同じようなやり口で、しかも対象となった作品を「禁忌の作品」として潰してしまったことがある。

今回はそんな事件について書いてみようと思う。

ホラー黄金期

アメリカで13日の金曜日が公開された80年代初頭以降「安く作れて大きく儲かる」ホラー映画は大量生産され、日本にも数多く輸入された。
それまでの有名なホラー映画といえばエクソシスト』『オーメンやハマーホラーの様に陰気なオッサンが高笑いしたり苦悶したりと、よく言えば格式高い、悪く言えば若者にはとっつきの悪い古めかしさがあった。

対して。80年代ホラー映画の多くは胸をはだけたネエちゃんがモリで威勢よく串刺しになり、ナタで首をはねられる下衆で猥雑なアッパーさがあり、若者の心を容易く掴んだ。

さらに、アダルトビデオ台頭によるビデオ(カセットテープのな!)業界の好景気とソフト不足といった要因に加え、84年の初頭に公開された死霊のはらわたが決定打となりホラー映画は大ブームを迎える。

毎週の様に日本未公開のホラー映画のビデオがリリースされ、劇場公開映画にホラーが増え、デパートの催事場ではホラー映画特集としてプロップ(実際に撮影で使われた小道具)展示会が開かれ、ホラー映画専門雑誌が次々と創刊された。老舗映画雑誌「ロードショー」からホラー映画特集の別冊は最終的に5冊も刊行された。

hh1

hh2

※当時出版されたホラー雑誌やホラー特集誌。いずれも著者所有物。

トビー・フーパージョージ・A・ロメロダリオ・アルジェントら、ホラージャンルの監督はまだしも、トム・サビーニやディック・スミス、ロブ・ボッディンなど裏方である特殊メイクアップアーチストまでスターの様に扱われた。

今田勇子

1989年。宮崎勤が逮捕される。

前年の88年から続いた幼女連続誘拐殺人事件の犯人としてである。幼女を誘拐し性的虐待を行い、その様子をビデオ撮影し、最後には殺してしまう。しかも、遺族の元へ「今田勇子」を名乗った偽の告白文を添えて遺体を送りつけるという残忍極まりない犯行であった。

ワイドショーでは連日、朝から晩まで宮崎勤の事をくり返し放送していた。どんな車に乗り、何を食べ、どんな生活をしていたか。バカバカしい程些末な情報さえリポーターは深刻な顔で一大事の様に伝えた。ネタが無ければ憶測をさも事実の様に伝えもした。

報道の早い段階で、宮崎勤の部屋が放映された。父親が息子の無罪を信じ、やましい事など無い証明として公開したらしい。しかし、メディアはこれを逆手に取り恐ろしい印象付けのために利用してしまう。

公開された彼の部屋は床から天井までギッチリ積まれたマンガ本やビデオテープが四方の壁を埋め尽くし、中央に寝床とわずかな生活スペースがある、いわゆるオタク的な部屋だ。撮影を許されたカメラマンたちはその部屋にグラビア雑誌やアダルトコミックを自ら持ち込むと「宮崎勤の変態的オールレンジな性欲」という印象付けを行うのだ(今同じことをすればカメラマンは吊るし上げを食らうであろう)。加えてテレビではおどろおどろしい音楽と共に、その作られた部屋の様子を放映した。おそらく、それが作られた部屋だと承知した上で。

そのビデオテープの山の中に日本発オリジナル・ホラー作品ギニーピッグシリーズの1本があった。

ギニーピッグシリーズ

1985年。かねてからのホラー映画ブームに乗った形でオリジナルビデオ作品として1作目ギニーピッグ 悪魔の実験がリリースされる。映像表現的な演出を極力廃し、いわゆる「ファウンド・フッテージもの」の体裁を取り、ただひたすら女性が暴力を受け続ける様子を写し出し、あげく目玉に針を突き刺して作品は終わる。

続く2作目ギニーピッグ2 血肉の華(85)ではホラー漫画家の日野日出志を監督に向かえ「送られてきたビデオテープの再現」という体裁の作品になっている。白塗りで戦国甲冑を身に着けた狂人が縛り付けた女性を細切れに切っていく…… だけ。だが、その生々しい“解体”の出来栄えは本作を見たチャーリー・シーンが「スナッフ・ビデオ(実際の殺人をビデオに収めたもの)だ!」と警察に通報したほどだ。

シリーズ3作目ギニーピッグ3 戦慄! 死なない男(86)監督はナント「孤独のグルメ」原作者の久住昌之。とある男が自殺を決行するものの、いくら何をしても死なない。というコメディ。最終的に首だけになった男の口から出る言葉とは「大腸とっても大丈夫!」……ダジャレ……

4作目ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん(86)は前作から引き継いだコメディ路線。主演のピーターを狂言回しにしたオムニバス形式のコメディ。出演には久本雅美、柴田理恵、吹越満、梅垣義明、林家正蔵(当時は林家こぶ平)……と、コメディ演劇団「ワハハ本舗」絶頂期の面子を勢ぞろいさせた、純然たるコメディ作になっている。

5作目ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚(88)では再び日野日出志を監督に、自身の代表作『蔵六の奇病』を翻案した切ない物語をグロテスクな病に冒される人魚を通じて紡いでいく。

6作目ザ・ギニーピッグ2 ノートルダムのアンドロイド(88)不治の病に冒された姉を救うために一線を越えてしまうサイエンティスト、というこちらもドラマチックな悲劇だ。

宮崎事件発生当時に発表されたのはこの6作品。宮崎勤の部屋にあったのは4作目。コメディ作『ピーターの悪魔の女医さん』であった。しかし、メディアはそれではつまらないとシリーズ随一の残虐性を魅せる2作目『血肉の華』があったと放映したのだ。

意図的なデマの流布だ。

このデマによりビデオの山はすなわちホラービデオの山とされ、強くヨコシマに印象づけられる。後に裁判で宮崎の残虐性を証明する証拠として「ホラー描写のあるビデオ:XXX本」などという資料まで作られてしまう。

ところがこれは検察側の片寄った表現だった。ごくごく普通のサスペンスドラマの殺害シーンを「ホラー描写」としていた。リストのチェックをした大塚英志によれば、ほとんどがその程度の物だったという。

バッシング

ある日、ラテ欄にあった「13日の金曜日」パート5だか6だかの深夜放送が急きょ無くなる。ザ・テレビジョンやTVブロスなどのテレビ情報雑誌で放映のアナウンスがあったホラー映画の放映も全部なくなった。昼の間にワイドショーで「ホラー映画を好んで見る奴は犯罪者」と放送した、その晩にホラーを放送するワケにはいかない、というマヌケな矛盾に気付いてしまったのだ。

さらに。規制はテレビに留まらなかった。レンタルビデオ屋のホラーコーナーがほとんど無くなってしまう。ホラー映画ブームでビデオラックを何台も占拠していたホラー映画ビデオが一夜で一気にほとんど無くなってしまったのだ。残ったのはシャイニング霊幻道士といった、言い訳の効きそうな作品やあたりさわりの無い作品ばかりだ。

それもこれも、原因はテレビメディアによる当てこすりのマヌケなデマである。

この「ホラー映画バッシング」の渦中の中心に祭り上げられた「ギニーピッグ」シリーズは事件を境にほとんどのレンタルビデオ屋から完全に姿を消し、今になってもDVD化されず、あげく海外のレーベルからリリースされてしまう。日本の法にのっとり合法的に作られた合法的な作品は、いいがかりのデマが原因で国内では見られないのだ。

しかも、このリリースによって海外マニアの目に留まるとたちまち人気を獲得し、オマージュ作アメリカン・ギニーピッグ』『アメリカンギニーピッグ ブラッドショック!!が製作され、こちらは日本で正式にリリースされているという本末転倒な事態になっている。

日本の大手テレビメディアは全くのデマを流布することで、真っ当な評価を受けるべき作品を握りつぶしてしまったのだ。しかも、そのやり口は今もなお、酒鬼薔薇事件を筆頭に若者による殺人事件を取り上げる際のフォーマットと呼べるほど常套手段になっている。

虐殺の論理

「ギニーピッグ」シリーズに対するデマ報道は、義憤にかられた人々に、その振り上げた拳へ、さしあたって手ごたえのある下ろし先を与えた。需要に対する供給という側面があったワケだ。このデマと全く同じ理由で流布されたデマが関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった差別意識を焚きつけた新聞報道である。

地震という誰かにあたるワケにはいかない天災によって家財や家族を失った、その行き場の無い感情にヘイト・クライムという、考えうる限り最低で最悪な“行き場”を与えたのだ。

日本のテレビメディアによる「ギニーピッグ」に対するデマは、誰かを殺すようなモノでは無かったが、その本質には良心の呵責なく罪の無い人を虐殺できる、“虐殺の論理”とでも言うべき醜さがある。

さて、この先かなり本気の提案をする。

それら、醜い“虐殺の論理”に絡め捕られないために、人々はもっとたくさんの映画を観るべきであろう。

多くの映画では、そういったデマの醜さや、デマに踊らされる人々の浅薄さを描いている。それらを数多く観れば、罪の無い人をさしたる理由もなく殺そうとは思わないだろうし、何の罪も無い作品を握りつぶしたりはしないだろう。

さしあたって、インド映画に触れてみるというのはどうだろうか?

と、いうところで今回はおしまい。

記事をシェア

公式アカウントをフォロー

  • RSS
  • Ricola
    4.0
    サイコスリラーの原点的作品であり、傑作。 少女ばかりを狙った連続殺人事件の犯人を捕まえるために、警察だけでなく犯罪者たちも奔走する。 口笛がこんな不気味に聞こえるなんて…。ゾワゾワする怖さがずっと感じながら観ていた。 また、犯人をじりじり追い詰めていく様子にハラハラする。 そしてタイトルでもある"M"。 この文字の現れる経緯とその瞬間にドキッとした。 ちょっと間延びするところがあるようにも感じたが、さほど気にならなかった。 そんなことよりも、ピーター・ローレの鬼気迫る演技に目が釘付けになってしまった。 ラストにかけて緊張感を帯びるこのスピード感と共に、一気に引き込まれた。 集団心理の恐ろしさを思い知る。本質を見失ってしまい暴走してしまう人々を目の当たりにした。
  • ナイトメアシンジ
    3.8
    ホラーの王子様(ナイトメアリュウタ)の兄貴分で脚本家・演出家・演技トレーナー・映画評論者の4つの顔を持つナイトメアシンジです。 今日、ご紹介するのは、おすすめサスペンスホラー洋画 「M」です。 洋画「M」は、およそ80年前に作られたサスペンスホラー・ムービーです。 サイコ・スリラーの元祖とも言われるこの洋画「M」。 ご紹介しないわけにはいきません。 タイトルの”M”はドイツ語でMörder(殺人者)の頭文字を意味します。 洋画「M」は、当時一世を風靡した無声映画ではありません。トーキー映画です。 洋画「M」は無声映画からトーキー映画へ移る時代の”橋渡し映画”でもあります。(トーキーとは映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出た言葉。moving picture を movie と呼んだのに倣ったもの。サイレント映画(無声映画)の対義語) この洋画「M」は1920年代にドイツを震撼させた連続殺人鬼“デュッセルドルフの吸血鬼”ことペーター・キュルテンをモデルにしたと言われている作品です。 (後に、フリッツ・ヤングは否定) 【洋画「M」はおすすめ映画】 日本でも刑法39条が度々、論議されます。刑法39条には、『刑事責任能力のない人は処罰の対象外とする、または、処罰を軽減する』という記述があります。 処罰をするにあたり、違法な行為を行った者に対して責任を問うために、事理弁識能力(物事の善し悪しが判断できる能力)と行動抑制能力(自身の行動を律することができる能力)が必要とされているからです。 映画「M」では、そのことが大きなテーマになっています。 (80年前にすでに問題提議されていることに驚き) ですから、サイコ・スリラーの古典とも言えます。 映画「M」はサスペンス・ホラーの先駆的作品でもある 殺人の直接的シーンはありません。 (電線に絡まる風船や転がる毬で表現しています) 犯人逮捕に繋がる情報に1000万マルクの賞金が賭けられていることを記した電柱の張り紙に写る男の影の不気味さ。 (白黒ならではの戦慄シーン) BGMなし。 (緊迫感を煽る演出) ラスト なだれ込んで警官のシーンも間接的な映像で表現しています。 (民衆が両手を上げる。犯人の男の肩に置かれる手) 犯人が自分の背中の”M”という文字を鏡越しに見つけるシーンは名シーン。 (おすすめ) 犯人の口笛。 (耳に残る。重要な手ががりでもある。アイディアが秀逸) 【映画「M」の時代背景】 映画「M」が作られた1931年は、アジアに目を向けると、”満州事変”が起きた年でもありました。日本国内でも大手新聞社がこぞって、軍部の後押しをしました。 (プロパガンダ。今では考えられないですね。人々も洗脳されていきます) 気軽に”戦争反対!”などと言える雰囲気ではなくなりました。 (恐ろしいことです) 1931年は日本が”戦争への道筋を作った年”でもあります。ドイツでも世界大恐慌の後遺症から、一時なりを潜めていたナチスとヒットラーが息を吹き返そうとしていた時期。映画自体に不安と不気味さが漂うのは、あながち気のせいではないのかも。 犯人の男を演じたピター・ローレは、この映画「M」で有名になり、パリからロンドンへ移住。そして、ハリウッドに招かれ、数々の映画に出演しました。 (ピーター・ローレもユダヤ人) サスペンスホラー、サイコスリラー、シリアル・キラー、罪と罰様々なテーマを持ったこの映画「M」。 古典ではありますが一度御覧になってはいかがでしょう?おすすめです。 ”今宵も悪夢は世界のどこかで誰かが見る”  (ナイトメア・シンジ)  詳しいキャスト&あらすじは【ホラーの王子様】をご覧下さい👇  ⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇⬇   http://horror-prince.com/    
  • おけい
    4.5
    フリッツラング監督によるトーキー初作品。当時の妻、ハルボウが脚本を手がけたフリッツラングドイツ時代のサイコスリラーの大傑作。 面白かった!!おそらく10年以上も温めてた作品やっと鑑賞。温めてる作品多すぎて😅まだまだ観てない名作がたくさんあるんだなと皆様のレビューを拝見して改めて思う。そして温めてる作品を思い出させてくれて観るきっかけを作ってくれるフォロワーの皆様にも感謝です。 本作はとにかくピーターローレの狂気の怪演が凄い。そして殺人鬼を追い詰める人々の狂気も。噂や思い込みでいくらでも冤罪になりそうで怖いし現代の報道にも通じるものがありそうって思った。ゆらゆら揺れるタバコの煙、光と陰、ウィンドウ越しの姿とそれに映る人物描写、BGMの一切無い中でのあの口笛の使い方、どれも天才フリッツラングのセンスを感じる。
  • 3.8
    ピーターローレの顔がめちゃめちゃ良い
  • Qちゃん
    5.0
    フリッツ・ラング監督の大傑作サスペンス! 口笛とともに発生する少女連続殺人事件。 この事件、世間を震撼させて、警察側を躍起にさせるとともに、警官だらけになる街で「仕事」ができなくなる裏社会の悪人たちも「連続殺人犯を捕まえなければ、自分達も仕事ができない」といって、警察と悪人たちに追われることになる連続殺人犯。 この風景を丹念に描くことで、観る者のハラハラドキドキ感も盛り上がる。 この映画を観て、耳に残るのは「♪Holy of the Mountain King」の口笛メロディ。 (この曲のメロディは、ブラックモアズ・レインボーが演奏していたので知っているが、確か、古典音楽とCDライナーノーツに記載されていた記憶あり。) 群衆劇の中において、ピーター・ローレが、凄まじい演技を見せる。 少女に声をかけて殺してしまう殺人鬼は、口笛を吹く癖があり、それを聴いたことのある盲目の風船売り老人が「あっ、あの口笛だ。あの男が犯人だ!」と告げられた男が手に「M」(MurderのM)をチョークで書いて男の肩を叩き、男の肩には「M」文字。そして……。 殺人鬼を警察が追う一方、犯罪者たちも殺人鬼を追うという並行物語は、両者を万遍なく描きながら、そこに警察につかまった一人の男と警察側の駆け引きが上手く融合している。 本当に観ている間じゅう、「次はどうなるのか?」が気になる展開の素晴らしさはフリッツ・ラング監督ならでは…。 世間の人々が疑心暗鬼になって、子供に話しかける大人を犯人と思い込むのも怖かった…(^_^; 3年ぶりに観たが、初見よりも気分盛り上がる映画は素晴らしい。 サスペンス映画の大傑作!
「M」
のレビュー(880件)