デヴィッド・リンチは何故、甘美な悪夢を紡ぎ続けるのか?【フィルムメーカー列伝 第四回】

2017.06.29
映画

ヒットガールに蹴られたい

竹島ルイ

一大ブームを巻き起こしたテレビドラマ「ツイン・ピークス」から25年。その続編となる「ツイン・ピークス The Return」が5月21日より全米で放送され、日本でも7月22日からWOWOWで放送予定だ。

脚本・演出・プロデュースを務めるのは、『ブルーベルベット』や『マルホランド・ドライブ』で知られる“映画界最狂の変態監督”デヴィッド・リンチ。「ハウス・オブ・カード 野望の階段」のデヴィッド・フィンチャー、「ボードウォーク・エンパイア 欲望の街」のマーティン・スコセッシ、「ウォーキング・デッド」のフランク・ダラボンなど、今でこそ人気映画監督がテレビドラマを手がけることは多くなってきたが、「ツイン・ピークス」が放送開始された1990年当時はレアケース。現在のテレビドラマの潮流は、「ツイン・ピークス」が礎になったといえるだろう。

その一方で2006年の『インランド・エンパイア』以降、デヴィッド・リンチは10年以上劇場用作品から遠ざかっている。

インランドエンパイア

最近のインタビューによるとリンチは映画界からの引退をほのめかしているようだが、そもそも彼は“映画監督”という枠組みだけで語れるアーティストではない。

絵画、写真、立体作品、アニメーションなどあらゆる手法で独自の表現を追求し、2011年には自ら作曲・演奏・歌唱(!)を務めたソロ・アルバム「Crazy Clown Time」を発表。自らに巣食うオブセッションを、あらゆるメディアを横断して描くマルチクリエイターなのだ。

【フィルムメーカー列伝 第四回】は、甘美な悪夢を紡ぎ続けてきたカルト映画の帝王デヴィッド・リンチについて考察していこう。

25人中24人がリピーターになった長編デビュー作『イレイザーヘッド』

「天国では何もかも叶うわ。あなたも私も思い通りのもが手にいれられるの。」

異形のオタフク少女が、薄暗いステージ上でアッパラパーな唄を歌いながら、天井から落ちてくる精子を踏みつける…。自分で書いていても何のことやらサッパリだが、これぞカルトムービーの代名詞にして、リンチの長篇デビュー作『イレイザーヘッド』のワンシーンである。

イレイザーヘッド

舞台は、常に耳障りなノイズ音で満たされているフィラデルフィアの工業地帯。恋人から妊娠を告げられたヘンリーは結婚を決意して一緒に暮らし始めるが、その赤ん坊が世にも恐ろしいグロテスクな奇形児。夜泣きに耐えきれず恋人は家を出てってしまい、赤ん坊と残されたヘンリーは次第に精神に変調をきたし始める…というナイトメア全開のストーリーだ。いや、実際にはストーリーと呼べるような理路整然としたシロモノは存在せず、リンチの紡ぎ出す強烈なイメージの羅列といった方が正確かもしれない。

それもそのはず。フィラデルフィア、恋人の妊娠、結婚、子供などの『イレイザーヘッド』に登場するモチーフは、実は全てリンチ自身の実体験に基づくもの。新進気鋭のアウトサイダー系アーティストとして世に羽ばたこうとしていた彼にとって、予期せぬ妊娠&早すぎる結婚は、創作活動に支障をきたす悪夢以外の何物でもなかったのだ。ある意味でこの映画は、自分の偽らざる心境を真っ正直に映し出した“私小説的”な作品といえるだろう。

しかし、そんな“私小説的”ナイトメア映画『イレイザーヘッド』は、熱烈なファンから歓迎されることになる。町山智浩の著作「〈映画の見方〉がわかる本 80年代アメリカ映画カルトムービー篇」には、最初の深夜上映時観客は25人だったが、翌週の観客24人は全員リピーターだったという逸話が紹介されている。デヴィッド・リンチが紡いだ悪夢は、多くの中毒者を生み出したのだ。

光溢れる世界の裏側でダークサイドがうごめく『ブルーベルベット』

暴力とセックス、そして死の匂いに彩られた強烈な悪夢は、さらに中毒者を急増させることになる。『ブルーベルベット』は、特にリンチのナイトメアが炸裂した一編だろう。

ブルーベルベット

青い空、赤いチューリップ、白いフェンス、そしてロイ・オービンソンの歌う『Blue Velvet』の甘ったるいメロディー。とてつもなく牧歌的な風景で『ブルー・ベルベット』は幕を開ける。しかしそんな光溢れる世界の裏側にも、ダークサイドはうごめいているのだ。

この映画には、二人のファム・ファタールが登場する。光の象徴としてのサンディ(ローラ・ダーン)と、闇の象徴としてのドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)。サンディはその純真無垢さゆえに、今我々がいる場所が“平和と希望に満ちあふれた世界”であることを信じている。一方、クラブ歌手のドロシーは夫と子供を人質に取られ、ギャングのフランク(デニス・ホッパー)からモルモットとして虐げられている。異常者であるフランクは、呼吸マスクを装着して「ママ、ママ」と絶叫しながらドロシーを手篭めにするのだが、彼女もまた倒錯的世界に溺れていく。

主人公のジェフリー(カイル・マクラクラン)は、サンディからの真っ直ぐな愛を受け止めつつも、妖艶なドロシーに惹かれるようになる。光の世界よりも、闇の世界に甘美な果実を見出すのだ。もちろん鑑賞者である我々がより強烈に惹かれるのも、闇の世界! リンチが紡ぐ世界は、いつだって悪夢の方が香しい。

「光と闇は表裏一体である」という基本プロットは、後年「ツイン・ピークス」の「世界は陰陽の原理に支配されていて、ホワイト・ロッジなる光の世界と、ブラック・ロッジなる闇の世界とが対になって存在している」という世界観に受け継がれる。その後のリンチ作品全てに通底する世界認識といっていいだろう。

ツインピークス

ホワイト・ロッジ側から眺めた風景を描くストレイト・ストーリー

1999年に公開された『ストレイト・ストーリー』は、約10年間絶交状態にあった兄に会うためトラクターに乗りこみ、350マイルの距離を一人旅する73歳の老人の姿を描いたロードムービー。ニューヨーク・タイムズに掲載された実話が元になっている。

ストレイト・ストーリー

本作がリンチのフィルモグラフィーの中で異色作となったのは、明らかに世界を光=ホワイト・ロッジの側面から描いたからだろう。心に染み入るハートウォーミングなタッチは、これまでのリンチ作品にはなかったものだ。

だが映画を注意深く観てみると、壊れたトラクターを修理して法外な料金を請求する双子や、毎週クルマで通勤するたびに鹿と衝突するとわめき散らす中年女など、『ツイン・ピークス』の住民とタメ張れるぐらいに奇怪な人々が登場していることに気づく。「ロードムービーの感動作」と一般的な評価とは裏腹に、リンチはしっかりブラック・ロッジのテイストを忍ばせている。

「ホワイト・ロッジなる光の世界と、ブラック・ロッジなる闇の世界とが対になって存在している」という世界観は、実は本作でも健在。リンチは周到な手つきで、陰陽の両極からその不可思議さを暴きだしていくのだ。

「大きな魚をつかまえよう」…リンチの作劇術

1997年に発表した『ロスト・ハイウェイ』もまた、解釈不能のアッパラパー・ストーリーである。

サックスプレイヤーのフレッド(ビル・プルマン)の家のポストに、謎のビデオテープが投函される。映っているのは自宅の玄関前、自宅の居間、そして愛妻レネエ(パトリシア・アークエット)の死体。だが、彼には妻を殺害した記憶はない。必死に弁明を試みるが受け入れられず、妻殺しの罪で独房に入れられてしまう。ところが衆人環視のなかフレッドは煙のように姿を消し、代わりに自動車修理工のピートを名乗る若い男が独房に佇んでいた。果たしてこれはどういうことなのか?

ロストハイウェイ

さるインタビューによると、この映画のアイディアはO・J・シンプソン事件(有名な元プロフットボール選手が妻とその友人を殺害した容疑で逮捕されたものの、刑事裁判で無罪となった事件)から着想を得たらしい。

リンチは楽しげにゴルフに興じるO・J・シンプソンをテレビで観て、「妻を殺した男が、なぜこんなに楽しそうに振舞っているのか?」と疑問に思い、O・J・シンプソンになりきって瞑想を始めたのだという。その結果、「彼には愛する妻を殺せない。そこで別人格を生み出して彼女を殺害し、その記憶を抹消した」という結論に至ったという。

そう! デヴィッド・リンチの作劇の秘密は、実は40年以上続けているという瞑想にあったのだ。このあたりは、リンチ自身が語り下ろした書籍「大きな魚をつかまえよう―リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン」に詳しい。「良いアイディアを得るためには、心の内面深くにダイブする必要がある」という理論を、「大きな魚を捕まえるには、深い深い海の底まで潜る必要がある」という比喩で解説している。

大きな魚をつかまえよう

出典:「大きな魚をつかまえよう―リンチ流アート・ライフ∞瞑想レッスン」:デイヴィッド リンチ:本:Amazon.co.jp

デヴィッド・リンチ映画の醍醐味は、瞑想で得たアイディアを理屈としてストーリーに落とし込むのではなく、悪夢的な映像表現として昇華させていることにある。我々鑑賞者は、スクリーンを通して彼の脳内にダイレクト・プラグインする権利を得るのだ。これほどの至福があろうか!?

2018年には、デヴィッド・リンチ監督の創作の秘密に迫ったドキュメンタリー映画『デビッド・リンチ ジ・アート・ライフ(David Lynch: The Art Life)』が公開予定。「ツイン・ピークス The Return」を皮切りにして、リンチ・ファンにはたまらない日々が続きそうだ。

※フィルムメーカー列伝 バックナンバー
クリストファー・ノーラン作品は何故、常に賛否両論が渦巻くのか?【フィルムメーカー列伝 第一回】
クリント・イーストウッドは何故、ジャンルを越境するのか?【フィルムメーカー列伝 第二回】
デヴィッド・フィンチャーは何故、サスペンスを描かないのか?【フィルムメーカー列伝 第三回】

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    4.5
    こんなにも体力を使って観た映画は ありません。 …はぁ。 焼き付きます、色々。 それが映画。これが映画。
  • Yuiri
    3.5
    なんか観ちゃうんだわ。
  • LudovicoMed
    4.2
    人間が見る悪い夢をそのまま具現化し映像にして、極限まで日常を異様な感じで映し出した作品。 リンチのデビュー作であり、リンチ本人が、映画会社の人から口出しされず、自分のアート性とシナリオを存分に発揮できた、最高傑作と語っていた本作。 個人的には数少ない「トラウマ映画」の一つで、「悪夢」を視覚的にそのまんま見せられ、よくわからないブツ切り状態で目が覚めた感覚。 こんなに異様で、トリッピーな映画体験は、後にも先にも味わえないと思う。 全編通して、フィラデルフィアの鉱業音のインダストリアルノイズのクラクラするような不快感(褒めてます)。 登場人物全員ラリってるかのような、話の通じない感じ。 赤ちゃんの奇怪なビジュアルと顔面が膨れ上がった美女など、リンチワールド全開で恐ろしいもの観たさに、つい何度もリピートをしてしまう。 ロッキーホラーショーやエルトポと共に、映画にカルト的面白さを提示し、ジャンルを生み出した、まさにビザール怪作の代表格。 特に、メアリーの家での会食シーンは、ホントに恐ろしく、強烈。 突如奇声を上げるメアリー、フリーズする父親、チキンの気持ちの悪さ。 しかしこの場面含め、映画全体が主人公の主観になっているという部分。 リンチ映画では、毎回のあるあるだが、実際は、ごく普通の日常だけど、主人公の目から見たら、異様な世界に見え、赤ちゃんも奇形に見えたというだけ。 フィラデルフィアの環境や赤ちゃんを若くして授かるという設定は、リンチ自身の実体験であり、彼の持つ未来への不安が、この強烈な映画を生み出した。 モノクロというより、ほとんど黒のイメージの強い、銀残しのような印象の映像を駆使し、「夢」のはっきりとは見えない感を表現できてて素晴らしい。 ストーリーの支離滅裂な所も断片的にしか、思い出せない「夢」の感じや、唯一無二のシュールリアリズムを堪能できる。 妄想と幻覚と現実が入り混じった、リンチワールド全開で原点であり、ある意味集大成的な大傑作だと思う。 それにしても、赤ちゃんの正体、牛の胎児とかって噂されてるけど、実際何だったのか、めちゃくちゃ気になる。
  • 3.9
    話は意味不明ですよ
  • sumire
    -
    こえー もっかいちゃんとみる
「イレイザーヘッド」
のレビュー(4496件)