『岸辺の旅』黒沢清映画も!凄腕映画宣伝プロデューサーに学ぶ好きを仕事にする方法

2015.10.01
映画祭・イベント

映画好きなサラリーマン。

柏木雄介

岸辺の旅

今年の第68回カンヌ国際映画祭にて「ある視点」部門で日本人初の“監督賞”受賞した深津絵里、浅野忠信主演映画『岸辺の旅』が10月1日(木)より公開されます。監督は『CURE』『回路』『アカルイミライ』など国際的にも名高い黒沢清監督。

特に日本でも評判が高かった『アカルイミライ』は、オダギリジョーの映画初主演作であり浅野忠信だけでなく、加瀬亮や松山ケンイチなど今では主役級の俳優が出ていることも驚きの映画です。そしてこちらの映画のPRを担当しヒットの一助をなした方が映画宣伝プロデューサーの野下はるみさん。

先日都内にて、スパイラル企画制作による『スクリーンに映画がかかるまで』というトークイベントが講演されました。内容は『ブラック・スワン』『英国王のスピーチ』など数々のアカデミー賞の主要賞に絡んだ映画のPRの手法についてから映画の仕事に就き始めた頃の話まで。

野下さんは、海外でも通用する日本映画を作り出したいという自身の想いから黒沢清監督と『アカルイミライ』をプロデュースしました。当時俳優の仕事から遠ざかっていた藤竜也さん。そんな藤さんをいまだ世界において名だたる人気があるという理由で熱い想いでキャステイングし、国際的にも見事ヒットさせたことを一端に業界内で多くの方に信頼されている凄腕プロデューサー。

今回はこちらの講演会に参加して聞いてきた、確実に結果を残すプロデューサーの仕事に対する向き合い方、そして”好きなことを仕事をする方法”についてご紹介します。

好きな仕事をすることの心構えとは何か?

好きなことを仕事にしたいと考えたとき、皆さんはどういうことを考え、何を実践するでしょうか。映画が好きな方は映画に関わる仕事に携わりたいと感じるかと思います。

しかし、誰もが好きなことを仕事にできるわけではありません。野下さんも当時好きな映画に携わる仕事をしたいと思うようになったとき、”閉鎖的”な日本の映画業界の壁にぶつかり就職活動をし始めた5年間は思うように中に入れなかったとのこと。知り合いなどつながりがないと仕事ができない。けれどもそもそもその接点が閉ざされているというジレンマを抱えていたようです。

好きな仕事をするためにどうしたらいいか?ということを野下さんは以下のように答えてくれました。

・お金をもらえなくとも、”自分ならどうするか”を考え続ける!
・入ってくる”収入”を安定させる!
・やりたいことに日付をつけ、周りに”話す”!
・自分も”相手”の時間も大切にする!
・自分の信念と違う時は、はっきり”断る”!

お金をもらえなくとも、”自分ならどうするか”を考え続ける!

スパイラルスコレー1

出典:https://www.facebook.com/SpiralSchole/posts/539782889520155

野下さんは映画の仕事に携わることができなかった5年間、公開されている映画に対して「自分ならチラシをこう作る、こういうコピーにする、邦題はこうだとか、”自分ならこうする”ということを「”ひとり”映画業界」さながら一から考えることに費やしていたそうです。

その結果、『スラムドッグ$ミリオネア』『ブラック・スワン』『英国王のスピーチ』『her/世界でひとつの彼女』など錚々たる映画のPRに携わることができ、その上これらの映画を日本でヒットさせ、自分が仕事をしたいと思う監督の映画をほぼ全て携ることができたとお話されました。

たとえ仕事としてでなくとも、”自分ならどうするか”を考えやり続けた試行錯誤こそが今の自分の糧になっていたのだと思います。

入ってくる”収入”を安定させる!

 

野下さんが広報として、ウディ・アレンやデイヴィッド・リンチ監督の仕事場を訪ねたときの貴重なエピソードもお聞きしました。同監督は一般的な監督とは少し異なる気鋭の映画作家として有名ですが、そんな好きな映画を作っている監督たちに共通する特徴とは何でしょうか。

それは、大元(母体)が小さいことです。大元が小さいと、収入が低くとも出て行くお金は多くはありません。また出資者がいないことは人から指図されない、意見を言われないという利点もあり、自由に好きなものを作りたいと思う人にとって大元が小さいことは必要不可欠なことかもしれません。

テレビ局などが全面に出る現在の日本の「製作委員会方式」とは逆のシステムと言えます。

参照:映画『進撃の巨人』の過激表現から見る日本映画の行方

デヴィッド・リンチ監督は、監督業の他にオンラインで購入できる物販でも収入を得ているとのこと。コーヒー好きということで、オーガニックのコーヒーをプロデュースして販売しています。

参照:David Lynch Signature Cup Organic Coffee

事務所も小さくして固定費を最小限に抑え、スタッフも雇わずに学生と一緒に仕事を行うことで人件費を抑える。自分のペースを保つために経済的に自立することで、誰にも依存しない生き方を確立しています。資金面で自立しているからこそ、誰かに口を出されないで自分がやりたいことが実現されているのです。

ウディ・アレン監督も同じように最小限の範囲で自分のやりたいことを実現しています。自立しながらも、ハリウッドなどの大作に埋もれない素晴らしい映画の数々を生み出しています。

また監督は、アカデミー賞などの授賞式に出席しないことでも有名であり、ハリウッドとうまい距離感を出すという、異質感(インパクト)を出すことで自身をブランディングしています。

映画はもちろん作るだけで満足しているだけではなく、最終的に収益が出ないと続けることができません。入り口だけでなく、出口も含めて一貫性を持ったプロモーションができる人であることが、自由に好きな仕事をできる前提なのかもしれません。

このように彼らは、ただ好きなことを実現させるために支出を抑え採算を重視し、セルフプロモーションにも気にかける。そして過去の自分の作品を大事にしながらも、それまでの名声によらずに好きな映画を作っています。

野下さんが関わってきた監督のお話を聞き、大好きなことを仕事にしているひとには必要最小限の収入で暮らすというような共通点があることが分かりました。

やりたいことに日付をつけ、周りに”話す”!

スパイラルスコレー

野下さんは、講演の中でこれからの20年後の生き方も話してくれました。幼少の頃からやりたいことに期限をつけて実践してきたとのこと。

また、徹底した時短を意識した働き方も印象的でした。打ち合わせにも時間をかけない、メールも短文。夜8時以降の電話は取らないなど、集中して簡潔に仕事に取り組む姿勢が見られました。経済的に自立しているからということもあると思いますが、自分の信念と違う時は、はっきり”断る”ということの意味や人の時間を無駄にする人とは仕事をしないという言葉は耳が痛い想いでした。

自分がやりたいことを実現できている人は、実際にお会いしてみると非常に明るくてパワフル。だから話を聞いているこちらまで元気になってきます。

きっとそういう人だからこそ、また会いたいと感じさせその人の元にいろいろな方が集まり、結果的に自分がやりたいことが実現されるのではないでしょうか。その前向きさとパワフルな力強さこそが、自分が”好きな仕事をする”ことへの秘訣かもしれません。

スパイラルスコレー『スクリーンに映画がかかるまで』

スパイラルスコレー3

今回ご紹介した講座は、映画がスクリーンに上映されるまで、どれくらいの人が関わり、そこでどんな仕事をしているかを有識者を呼び講演するもの。

第1回はシネモンド代表、こども映画教室代表の土肥悦子さんによる「ユーロスペース時代の作品買付・宣伝の仕事」という〈映画をかう仕事〉映画買付の話。第2回は、実際に映画を作る過程の話で映画監督、諏訪敦彦さんの〈映画をつくる〉話。そして第3回目は、映画宣伝プロデューサー野下はるみさんによる〈映画をひろめる仕事〉。

スパイラルスコレーによる同イベントは、11月にも予定しているとのこと。映画に関係する裏話はもちろん、ここでしか聞けない仕事の話を聞いて学べて、それを多くの人と共有できる貴重な場として次回の開催も注目です。

野下さんが受賞告知を担当された黒沢清監督『岸辺の旅』も是非チェックしてみてください。

▼『岸辺の旅』予告編

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     シネスコ・サイズのフレーム内で、少女がピアノを弾いている。その様子を右側からカメラは据えるが、ピアノの先生の横顔は髪で隠れて見えない。その後、少女の母親からデザートでもてなされ、母親の一方的な会話にうなづく女性の表情をカメラが回り込んでフレームに収めることはない。その寂しそうな後ろ姿をじっと撮影した後で、相槌を打つヒロインの様子が一瞬だけ映る。これは『トウキョウソナタ』の導入分の演出とほぼ同様である。冒頭、小泉今日子の家事をする様子が後ろ姿で示され、彼女は雨が吹き込んだ窓を急いで閉め、濡れてしまった床を拭いている。その後どういうわけか彼女は雨風の強い窓をもう一度開けるが、その理由は一切明示されることがない。今作ではその後、スーパーの買い出しの場面へショットは移り、深津絵里は夫が好きだった白玉団子を作ろうと咄嗟に思いつく。彼女のいる部屋の空間は極端に暗い。団子作りに夢中になるヒロインはふと人の気配に気付き、真っ暗な後ろを振り向くと、男が静かに立っている。しかしながら微妙な光の方向性により、男の顔はある程度目視出来るものの、足があるのかどうかははっきりしない。そう思った矢先、木の床をブーツで歩く男の鈍い足音が一歩二歩と近付いてくるのである。このあまりにも厳格で的確な導入場面に一気に引き込まれる。黒沢映画における幽霊というものは、段々と生身の人間と遜色のない段階にまで入っている。  突然彼女の前に現れた夫・優介(浅野忠信)は誤って土足で侵入し、「俺、死んだよ」と実にあっけらかんと妻に話す。彼はここに戻ってくる旅の過酷さを淡々と妻に語りかける。その様子を妻もことさら驚いた様子を見せることもなく、一つの事実として咀嚼しているかに見える。この再会の場面だけで、2人の関係性がわかる見事な演出と、深津絵里と浅野忠信の静かに落ち着いた演技には舌を巻く。今作は一見ラブストーリーにもメロドラマにも見えるが、ロードムーヴィーとしての側面を持つ。夫は妻に「見せたい場所があるんだ」と言い、2人は東京を離れ、夫が死ぬ間際の3年間の足取りを歩きつつ、2人は次々に旅をしていく。最初はひとりで新聞配達をする孤独な老人の島影(小松政夫)。夫は彼が死んでいるのだと言う。皮肉にも彼の生の活気は、来るべき消滅の瞬間を想起させる。彼の消失のシーンの筆舌に尽くしがたい美しさには何度観ても涙腺が緩む。公園でワンカップ大関を飲んでいる酩酊した島影を、浅野忠信がおぶって家へ連れて帰る。家に着くと2人掛かりで階段を昇り、島影をベッドに寝かすと、後ろの壁の明かりがゆっくりと照らし始め、一面に花の切り絵の光景が拡がるのである。この最初から明るいわけではない空間の描写と演出の作家としての地に足の着いた成長ぶりには目を見張るものがある。まるでヒッチコックの『めまい』のような音楽が急に流れて来た時、黒沢は途方もない段階に足を踏み入れたのだと実感する。  今作において夫婦の発言の中に、「ここではないどこか」へ行こうという発言は遂に聞くことがない。むしろ深津絵里は浅野忠信に対し、「家へ帰ろうよ、一緒に帰ろうよ」とやんわりと帰還を促すのである。別れの季節は否応なく2人に訪れることを夫婦は知っている。夫は決して「あの世へ行こう」と妻を誘い込んだりはしない。深津絵里の今が一番幸せという言葉を夫は尊重し、今作では遂に夫の口から「ここではないどこか」へ行こうという言葉を聞くことはない。深津絵里のブラウスはモンペの中に入り、簡単に脱がすことは出来ない。そのブラウスのボタンを浅野忠信はゆっくりと一つ一つ外しながら、やがてゆっくりと彼女と肌を合わせる。よくよく考えれば幽霊とSEXが出来るのかとヒヤヒヤしたが、ここで夫婦は最後の愛を確かめ合うのである。たかが挿話の一つにしか過ぎないが、奥貫薫の夫のタカシへの思いはわからなくもない。ここで黒沢映画特有の森が唐突に姿を見せ、木々の緑が厳格な態度を見せる。靄に包まれた森の中の光景はおそらくCGで霧を足したのだと思うが、まるでこれまでのホラー映画における半透明カーテンのように、こちら側の世界に対し、あちら側の世界があることを否応なしに想起させ、生と死の葛藤が始まる。浅野忠信はあくまで浅野忠信としてただそこにいる。便宜上切り取られた映像は2組の夫婦のスペクタルを告げるが、その出来事がより一層、瑞希と優介の離別の瞬間を予感させるのである。今作と地続きにあるのが深田晃司『淵に立つ』とオリヴィエ・アサイヤスの『パーソナル・ショッパー』であることは云うまでもない。
「岸辺の旅」
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