日本版と韓国版どっちが好み?日韓リメイク映画10本

映画マニアと呼ばないで

夏りょうこ

4月5日に公開される韓国映画『Be With You 〜いま、会いにゆきます』(18)は、中村獅童と竹内結子のW主演で大ヒットした『いま、会いにゆきます』(04)のリメイク版。そして、橋本愛主演映画「リトル・フォレスト」(14・15)の韓国リメイク版『リトル・フォレスト 春夏秋冬』の公開も控えており、最近ますます日本映画の韓国へのリメイクが増えているようだ。

また、その逆として韓国映画が日本映画にリメイクされたケースも多く、両国の映画業界が刺激しあい、映画が文化交流の1つとして大きな役割を果たしていることは間違いないだろう。

そこで今回は、日本映画を韓国映画に、また韓国映画を日本映画にリメイクした作品を10本ご紹介しよう。

日本→韓国

日本版『ゴールデンスランバー』(2010)

ゴールデンスランバー

人気作家伊坂幸太郎のベストセラー小説が原作。パレード中の首相を暗殺したとして無実の罪を着せられた宅配ドライバーが、スリリングな逃避行を繰り広げる。

1人の平凡な市民が、わけもわからぬうちに巨大な陰謀に巻き込まれてしまう恐怖。なぜ彼がハメられたのか。なぜ彼でなければならなかったのか。その謎が明らかになった時、この災難は他人事ではないと知る。孤立無援と思われた彼を助けたのは、大学時代の仲間たち。そんな甘酸っぱい匂いのする青春映画だともいえよう。

→韓国版『ゴールデンスランバー』(2017)

ゴールデン

日本版を気に入った人気俳優カン・ドンウォンが自らリメイクを提案し、主演を務めたという話題作。主人公が昔バンドで1990年代のK-POPを歌っていたという設定により、実際1990年代に人気のあった歌手の歌が起用されている。

主人公がソウルの街を駆け回って下水道にも逃げ込むわ、車が回転したり大爆破するわの大がかりなエンタテインメント。ゆるい雰囲気の日本版に比べると緊張感があり、黒幕のことがはっきり描かれているあたりは、国民性の違いだろう。結末も異なるので、日本版を観た後でも十分楽しめる作品である。

日本版『鍵泥棒のメソッド』(2012)

鍵泥棒

成功率100%を誇る伝説の殺し屋が、銭湯で石けんを踏んで転倒し、記憶喪失になってしまうが、たまたまそこに居合わせた若者が彼と自分のロッカーの鍵をすり替える。

生きるのがつらくて追い詰められていた主人公が、ひょんなことから別人になるチャンスをつかむ。しかしそれが殺し屋だったとは、日本が舞台だと無理のある荒唐無稽さではあるが、それはそれで両者のギャップを楽しめるだろう。几帳面できれい好きな殺し屋と、だらしのないダメな若者。殺し屋のラブロマンスがこそばゆい。

→韓国版『LUCK-KEY/ラッキー』(2016)

ラッキー

日本版で殺し屋を演じたのは香川照之だったが、韓国版では味わいのある顔つきの脇役俳優が演じ、記憶を失くした彼がマジメに自分探しをしている姿を見ているだけでも、自然に笑いが起きる。

コメディ色が強く、登場人物たちの感情描写も豊か。記憶がなくても殺し屋なだけについ相手を倒してしまうシーンなど、キレのよい体の動きに見入ってしまう。同じゴリラ顔でもこちらはオランウータン系ゆえ、深刻な香川照之に比べると愛嬌あり。日本版では堺雅人が主役のようだったが、やはり殺し屋が魅力的でなくては。

日本版『人狼 JIN-ROH』(1999)

人狼

第二次世界大戦後の日本がドイツに占領されていたとしたら? という可能性の戦後史として、反政府都市ゲリラと体制側が激しい戦闘を繰り広げる1950年代を描く。

カルト的人気を誇る押井守が原作を担当した「ケルベロス・サーガ」シリーズ第1作。実写のような繊細な映像が特徴で、60年代の安保闘争や赤軍などがイメージされている。ストーリーではゲリラ(アカ)=赤ずきん、首都警察(人狼)=オオカミに見立てて対比させているように、構図の説明にグリム童話「赤ずきん」を使っているのがわかりやすい。

→韓国版『人狼』(2018)

人狼2

2029年南北政府統一が宣言されたが、統一反対を掲げるテロ組織とそれを制圧する特機隊との間で激しい戦闘が続いているというストーリーが、韓国ならでは。つまり、根本的な時代設定が決定的に違うのである。

そのため、もしかするとあったかもしれないもう1つの1950年代を描いた日本版に比べ、こちらはかなり現実的な問題に切り込んでいるという緊張感あり。実写としてリメイクされているため、韓国人にとってはリアルなフィクションとして身に迫ってくるのではないだろうか。

日本版『容疑者Xの献身』(2008)

容疑者

隣人の女性に密かな恋心を寄せていた数学教師は、彼女が偶発的に殺人を犯してしまったことを知り、完璧なアリバイ工作を考える。

原作はベストセラー推理作家東野圭吾の小説で、天才物理学者と女性刑事のコンビが難事件を解決するテレビドラマの劇場版。人生に絶望し、冴えない日々を送っているくたびれた主人公を堤真一が演じ、地味でモテないダメな中年男性になり切ろうとしたが、やはりオーラは隠しきれず。そのため動機の説得力に乏しいのが残念だ。

→韓国版『容疑者X 天才数学者のアリバイ』(2012)

容疑者X

福山雅治の役を誰が演じるのかと思いきや、そもそもガリレオが登場せず。しかも柴咲コウに相当する相棒はいるが女性ではないので、美男美女のビミョーな距離感を楽しむ要素はゼロである。

しかし、その大胆なリメイクが功を奏しているのは確か。数学教師もイケてない風貌の俳優が演じ、冷静で論理的な頭脳の持ち主のはずが、彼女を助けたい一心で感情的に行動を起こしてしまう男の純愛が伝わるし、彼が守ろうとしたのが母と娘ではなく叔母と娘なのも、その方が韓国人にとって情を抱きやすいから。切なさ倍増のリメイク版。

日本版『フライ,ダディ,フライ』(2005)

フライ

理不尽な暴行を受けた娘のため、頼りない父親が強い高校生に特訓をしてもらって身体と精神を鍛え、加害者に戦いを挑む。

原作は金城一紀の小説。大切な娘のために一念発起し、強くなろうとがんばるお父さんの姿が感動を呼ぶ物語なのだが、いかんせん、ここでも父親役の堤真一が最初から体が締まっていて身体能力もありそう。無謀な挑戦をしているようには見えないのである。それに娘が受ける暴力シーンが、少々不愉快。岡田准一のストイックさが清々しい。

→韓国版『フライ・ダディ』(2006)

フライダディ

ブヨブヨの体をした大人しそうな父親が、休職してまで特訓に集中し、苦難を乗り越えて見違えるように変身。そのビフォーアフターこそが、この物語のカタルシスであろう。父親役の俳優が撮影中にダイエットをし、本当に肉体改造を行っただけのことはあるインパクトが気持ちいい。

また、日本版では師匠となる高校生が在日韓国人であったが、韓国版ではその設定が使えないので、その部分が大きく違う。彼のトラウマはストーリーの要。人はなぜ強くなろうとするのか。彼の痛みにどれだけ共感できるか。そこは日本版の方が身に迫るものがあるだろう。

韓国→日本 

韓国版『殺人の告白』(2012)

殺人の

連続殺人事件の時効成立後、ある男性が自らの罪をマスコミに公表し、暴露本を出版して世間の注目を浴びる。

『殺人の追憶』(03)のモチーフにもなった「華城連続殺人事件」という実在する未解決事件にインスピレーションを受けた作品。突然自分が犯人であることを告白した男と、犯人を執拗に追っていた刑事、そして犠牲者の遺族たちとの葛藤を描いたサスペンスだ。

目の前に犯人が登場したことによって巻き起こるスリリングな心理戦。憎悪。復讐。犯人を名乗る男が美貌の優男であるという意外性が事件の狂気をよりリアルにし、その一方で、カーチェイスなどの派手なアクションやコミカルなシーンもあったりして、陰鬱なテーマでありながらメリハリの効いたエンタテインメントとして楽しめる。

→日本版『22年目の告白 私が殺人犯です』(2017)

22年目

韓国版に比べると地味だが、それは犯人像や動機をじっくり丁寧に描いているから。犯人がわけもわからないただのシリアルキラーだと、日本人は納得できないのである。

犯人が時効までどこで何をしていたのか。それを知りたいのが人情というもの。韓国版のように遺族たちが一致団結して犯人に復讐しようとするという設定も、日本に置き換えると違和感があるのは、やはり国民性の違いだろう。

名乗りをあげた犯人は、果たして真犯人なのか。彼の目的は? そもそも日本では、これを自国で起きた実在の事件だと思って観ていないのだから、そこに温度差があるのは仕方なく、日本版では推理に重点が置かれているあたりも、日本人向けにうまくリメイクされているといえよう。

韓国版『怪しい彼女』(2014)

怪しい

ズケズケと物を言う70歳のおばあちゃんが、ある日青春写真館で写真を撮った帰り道に突然20歳に若返ってしまう。

青春をもう1度謳歌しようとする彼女の外見と中身のギャップが笑えるコメディで、このような若返り物語は特に珍しくもないはずなのに、なぜこんなに面白いのか。それは、ヒロイン役を演じたイモト似の女優がものすごく魅力的だから。その一言に尽きる。

ビミョーに曲がった背中とガニ股。言動はずうずうしく、何かと口うるさく説教をするが、人生の先輩として重みのあるアドバイスもする彼女を「母親みたい」「古風」と好意を寄せるイケメンも登場。大変な苦労をして子供を育ててきた彼女の過去には思わずホロリしたりして、荒唐無稽だが共感のできるストーリーである。

→日本版『あやしい彼女』(2016)

あやしい

韓国版の主人公には息子がいて、嫁にガミガミと小言を言うような関係だったが、日本版では息子ではなくシングルマザーの娘。なので、ぶつかる相手が実の娘になっているところがミソである。ちなみにベトナムとタイのリメイク版もあり

そして、見た目と外見に50年の差がある主人公を演じたのが、多部未華子。これが韓国版と比べるとわかりやすい可愛さで、キラキラしたオーラが目に染みるのである。それゆえ、若いのに年寄りじみた言動を連発し、何かと頑固で昔気質というギャップは、韓国版よりも大きい。

極端に若返ったことによる弾けぶり。彼女が青春を謳歌して幸せそうなのは、実際の人生ではそんな経験がなかったからだ。それは『ローマの休日』(54)のアン王女そのもの。だから彼女は、オードリー・ヘプバーンと同じ格好をしているのだろう。別れの切なさも似ている。

韓国版『サニー 永遠の仲間たち』(2011)

サニー

高校時代の親友とバッタリ再会した主人公は、彼女が余命2ヶ月で、かつての仲良しグループに会いたいと願っていることを知る。

現在と過去の彼女たちを交互に描き、青春の笑いと涙に胸がきゅんとなるやら、25年の間に失ったものの重みがホロ苦いやら。もちろん年を重ねたことで得たものもあるけれど、やはり二度と戻らないあの頃がまぶしい。

実は彼女たちの高校時代は、独裁政権に対して民主化を求める動きが活発になっていた1980年代。なので、実際に起きた暴動事件などの社会情勢が盛り込まれていることで、単なるノスタルジックな思い出話で終わらない深みがあり、今は幸せな主人公も大変な苦労をしていたという境遇にも、思わず共感を抱いてしまう。

→日本版『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(2018)

サニー2

韓国版を3回も観に行くほど気に入っていたという監督がリメイクしたのだから、ストーリー展開やセリフがほとんど同じなのも納得。

ただ、舞台を日本に変更しているので、彼女たちの高校時代に流れる音楽はさすがに違うし(なんと小室哲哉が音楽を担当)、日本ならではの時代の変化も、韓国版ほどの大きな転換はないにしても、こうして振り返れば懐かしさと甘酸っぱさがこみ上げてくる。

韓国版と比べると、全体的にPOPな雰囲気。彼女たちと世代が近ければ、胸にグッと迫ってくるものがあるだろう。彼女たちのその後に流れた月日は、長いのか短いのか。終わる人生と続く人生に想いを馳せる。

韓国版『超能力者』(2010)

モンスター

見つめるだけで人間を操ることのできる超能力者が、その力が及ばない青年と出会い、自分の正体を知る彼に敵対心を抱くようになる。

彼は特異な能力を持っているがゆえに、孤独でいびつな人生を歩んでいる。その力を知っているのは、彼を生んだ母親だけ。葛藤に苦しむ母親との複雑な関係がもう1つの軸となり、物語は二人の超能力者の対決へと突き進んでいく。

彼が能力を使ってやっていることは強盗なのだが、その本当の目的に胸を打たれる。カン・ドンウォンの暗くて大きな瞳にいかにも魔力がありそうで、この役にピッタリだ。二人の能力は、相反するがゆえに「盾」と「矛」という関係になってしまうが、「矛」の存在によって「盾」が目覚めるという構図が面白い。

→日本版『MONSTERZ モンスターズ』(2014)

モンスターズ

韓国版にはなかった重要な役目を女優に与えているせいか、この作品の方が人間ドラマとしての側面が強いサスペンスになっている。

超能力者という意味では同類なのに、方向性が全く違う精神世界にいる2人の男が命がけで戦う。監督は、その関係性に情念と色気を感じたらしい。韓国版と同じく壮絶なバトルが繰り広げられ、悪役側はなりふり構わず非人道的な攻撃を仕掛ける。

アッと驚くのが、ラストの決定的な違いだ。日本人にはこちらの方がウケがよいという判断なのだろうが、それにしても……漫画「AKIRA」が意味ありげな小道具として登場するのがわかりやすく、これも日本人にしかピンと来ないだろう。

韓国版『八月のクリスマス』(1998)

八月

自分の余命を知りながら淡々と写真館の仕事をしている主人公と、現像を頼みにやってきた女性との淡く切ない恋を描く。

韓国映画ブームの火付け役となった純愛ストーリー。じんわりと心に染み入る悲恋モノの名作である。「死」という暗くて重いテーマを扱いながら、抑制のある静かな透明感をたたえている作風が新鮮で、まだ若い主人公が微笑みながら「死」と向き合う姿が涙を誘う。

古い写真館には、人々の記憶や思い出が息づいているよう。事情を知らないヒロインが無邪気でイキイキしていて、そのまぶしい「生」にとまどう彼。お互いの気持ちは、言葉にしなくてもわかってしまうもの。哀しく温かい余韻が残る物語。

→日本版『8月のクリスマス』(2005)

8月

韓国版は、映画ファンなら誰でも知っている大ヒット作。そのリメイク版の主人公に、プロの俳優ではなく人気歌手の山崎まさよしを抜擢したことで話題となった。

いかにも誠実そうなルックスで、手垢のついていない自然な演技。確かに素人っぽい方が役には合っているが、裏を返せば、韓国版の主人公は当時バリバリの人気スターであったにもかかわらず、オーラ―のないごく普通の男をきっちり演じていたということである。すごいなあ。

彼女との関係は変更されているものの、数々のシーンが韓国版をそのままなぞっていて、いかにもリメイクという感じ。ただ決定的に違うのが最後の手紙の部分であり。肝心のところを説明しすぎて余韻が台無しなのが残念。

いかがでしたか?

作品の普遍性を大切にしつつ、観客が共感できるように舞台やキャラクター設定をいかにアレンジするか。それがリメイク成功の秘訣だという。

つまりリメイク作品には、そのお国柄がはっきりと盛り込まれているということ。その国のことを知りたければ、リメイク映画を見比べるべし。

オリジナル版から観るのかリメイク版から観るのかは悩ましい選択だが、それぞれの魅力があり、一粒で二度美味しいのがリメイク映画。文化や社会背景の違いを知り、国民性についてあれこれ考えてみるのも、リメイク映画の楽しみ方である。

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