日本で最もノーベル文学賞に近い小説家村上春樹。世界中にファンを持つ村上春樹原作の映画7本

映画マニアと呼ばないで

夏りょうこ

毎年ノーベル文学賞の発表が近づくと、マスコミから注目を集める小説家村上春樹。

彼の作品は出版されるたびにベストセラーとなり、世界中で翻訳されて、世界各地に熱狂的なファンがいることはよく知られているが、実は映画化されている作品がいくつか存在する。

そこで今回は、村上春樹原作の映画7本をご紹介しよう。

風の歌を聴け』(1981)

そこにはもう誰もいない

風

大学生だった僕は、夏休みに高速バスに乗って東京から帰省し、いきつけのバーで旧友の“鼠”と再会した後、今度は飲み過ぎて倒れている女の子に出会う。

村上春樹と出身地が同じである監督は、この時執筆当時の村上春樹と同じ年であったという。海辺の街。中国人が経営するバー。左手の小指のない女の子。ビーチ・ボーイズ。ビール。双子。初期の村上春樹ではお馴染みのキーワードが感慨深いような、こそばゆいような……若かりし頃の小林薫が意外にもハマり役。

“鼠”が小説を書くのではなく映画を撮っていたり、「1973年のピンボール」のエピソードが入り込んでいたり。村上春樹のデビュー作を映像化しているとはいえ、それを忠実に再現するのではなく、あくまでも作品の要素として取り入れているのが特徴だ。どこにも行けない“鼠”と青春の喪失感。おそらく原作を知っている方が楽しめそう。

森の向う側』(1988)

何も感じなかったの

「森を探しに行く」と言ったまま行方不明になっている友人を探すため、シーズンオフのリゾートホテルへやって来た主人公は、食堂で1人の女性を見かける。

短編「土の中の彼女の小さな犬」の映画化。主人公の職業設定がインタビュアーから建築関係者に変更されていることより、人間観察が鋭い彼の能力がどこからきているのかわかりにくくなっているのが残念。

時代に取り残されたような古い海辺のホテル。いつまでも降りやまない雨が、彼らを2人だけの世界に引き寄せる。彼にコツンと突かれた過去は、愛犬の死とそれにまつわる個人的な出来事。失われてしまったものと消えない匂いが、大人になってもなお彼女につきまとい、これからも彼女は右手を眺め続けるのだろう。

トニー滝谷』(2004)

本当に独りぼっち

トニー

最愛の妻を事故で亡くした主人公は、彼女が遺した大量の衣服を抱えて絶望していたが、あることを条件に女性の助手を雇うことにする。

原作の大ファンである監督の愛と気合いがひしひしと伝わってくる作品。ちなみに主演のイッセー尾形も、村上春樹のファンだという。他の監督によるこの映画のメイキング『晴れた家』もあり。亡き妻の元恋人が実際に登場するという展開はもとより、ラストの味付けが原作と決定的に違うところに注目。

静かで淡々とした語り口によって浮かび上がる彼の孤独感。服に対して異常な愛情と執着心を抱く彼女もまた、彼と同類なのかもしれない。「音楽が存在していないような音楽」という監督の要求に応えた坂本龍一の静粛で儚いピアノが、うっすらと溜まった澱を洗い流していくようだ。

神の子どもたちはみな踊る』(2008)

父なのですか?

神

父親がおらず、信仰心の厚い母親から愛情を注がれ、“神の子”として育てられた主人公は、他人との関係をうまく築けないでいた。

原作は日本が舞台だが、この作品では登場人物たちがロサンゼルスに住むアメリカ人に変更されているため、村上春樹作品の映画化という感じが全くしないのが特徴。しかも原作は阪神・淡路大震災をモチーフにしているので、「あの地震が起きた後」という設定抜きでは、物語の意味も大きく変わってくるだろう。

「耳の欠けた男」に出会った主人公が、彼のことを自分の父親かもしれないと思うようになり、不思議な体験を通して自らの存在を見つめ直していく。“神”という概念が日本人にはピンと来ない面もあるが、「父親の不在」と「神の存在」との関係が大変興味深い。主人公の恋人役はナスターシャ・キンスキーの娘で、これが映画デビュー。

ノルウェイの森』(2010)

純粋ゆえに残酷

ノルウェイ

飛行機のBGMで「ノルウェイの森」を耳にした37歳の主人公は、激しく混乱しながらも、遠い学生時代のことを思い出す。

言わずと知れた超ベストセラーの映画化。映画化の許可を得るまで4年かかり、また、ビートルズ「ノルウェイの森」の原曲使用が認められたのは異例だという。思い入れの強いファンが多いだけに賛否両論にさらされた作品だが、当時の早稲田大学キャンパスを忠実に再現していたり、時々声がひっくり返るボソボソとした喋り方をする松山ケンイチはイメージに近いという評判である。

タイプの違う二人の女性の間を揺れ動き、少しずつ狂っていく世界を前にして無力で傷つく彼は、愛の残酷な構図に振り回されているかのよう。原作にある物語の要となるシーンを削除する一方で、男と女のシーンが妙に加えられていることから、恋愛映画としての印象が強くなっているのは確かだ。

ハナレイ・ベイ』(2018)

なぜ私には見えないの?

ハナレイ

ハワイのハナレイ湾でサーフィンをしていた息子が、鮫に右脚を食いちぎられて死んだという知らせを受けた主人公は、1人で現地に向かう。

余白を多くすることで村上春樹の世界観を表現し、ハナレイ・ベイでの撮影にもこだわったという監督。すでに完結されている小説を映像化する限りは、映画だからこそ伝わるものにしなければ意味がないということから、主演の吉田羊も「これが終わったら女優をやめよう」と思ったくらいに、追い詰められたそうである。

息子の命日が近づくたびにハナレイ・ベイを訪れるシングルマザー。息子が死んだ海を眺めながら本を読み、反抗的だった息子の姿を時々思い出しては気持ちの整理をつけようとしていた彼女は、片脚のサーファーの幽霊を見たというウワサを聞き、死に物狂いで海辺を駆けずり回る。彼女は“救い”をどう見出すのか。その決着のつけ方が原作と対比的。

バーニング 劇場版』(2018)

見えるものと見えないもの

バーニング

小説家を目指しながらアルバイトをしている主人公は、旅行から戻った彼女から男性を紹介されるが、その後彼の周りで奇妙な出来事が起こり始める。

短編「納屋を焼く」を大胆にアレンジし、舞台を韓国に移して若者の不安や怒りを描いたミステリー色の濃い作品。しかし、原作と全く別の物語になっているにも関わらず、村上春樹の小説に漂う不可解でザワザワとした空気感が伝わってくる。アカデミー賞外国語映画賞に出品されるなど、海外でも高い評価を受けた。日本語吹替による短縮版あり。

彼から秘密を打ち明けられた主人公は、その意味を探るうちに、ある恐ろしい予感にとらわれていく。跡形もなく消えてしまった彼女と猫。深まる謎に翻弄され、出口のない道をグルグルしながら、主人公と彼の関係は思わぬ方向へとなだれ込む。この世界は、見えるものと見えないもので出来ている。

いかがでしたか?

読んでから観るか、観てから読むか。

その悩ましさはもはや宿命的であり、小説と映画は別物なのだと頭でわかっていても、先に知っている方を基準にして、観客は両者をついつい比べてしまうものである。

もし原作が自分の大好きな作家の作品ならば、それはなおのこと。そういう意味では、世界中に多くのファンを持つ村上春樹の小説を映像化することは、相当なプレッシャーであろう。

しかし、だからこそ映画にしてみたいという気持ちを強く起こさせるのもまた事実。特に村上春樹の場合、監督自身も彼のファンであることが多く、賛否両論を覚悟の上で挑戦したのだと思えば見応えもある。

村上春樹作品の映画はまだ少ないが、おそらくこれからもっと映画化されていくだろう。しかも国境を超えて。そのうち、同じ原作を別の監督が撮るということもあるかもしれない。

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