【映画監督の仕事の話】「映っていないけど、映っている」を意識して映画と向き合おう

2016.02.25
雑学

映画館に頻繁に出没する横分けメガネゴリラ

YMG

漫画や小説などの書物や音楽などを選ぶ際、多くの方がその"作り主(アーティスト)"を意識されると思います。

例えば漫画は、絵の描き方や人物の造形に「一貫性」がありますし、ボーカルのある音楽も「他のアーティストとの違い」をその歌声ではっきりと掴むことができます。

物理的に作り主の「仕事」が明瞭になっている上記したような媒体において、作り主を意識するのは容易といえます。

一方で映画ではどうでしょう?映画における“作り主”は監督ですが、実際に映っているのは俳優ですし、構図やカメラワークを作り出しているのはカメラマンです。北野武監督やシャマラン監督のように自ら出演をする監督は多くはないので、音楽におけるボーカルのように監督の物理的な「仕事」を意識するのは簡単なことではありません。

とは言っても、意識することは可能です。監督の「仕事」を意識すると、映画はより一層味わい深いものになるので、それを簡単にではありますがご紹介したいと思います。

監督の二つの仕事

監督が現場で行う仕事は山ほどありますし、監督によってそのやり方は千差万別です。その一方で全ての監督が避けられない仕事が少なくとも二つあります。

まず、撮影台本が完成しスタッフが決定すると、監督は完成像のイメージを各部スタッフに伝えます。

それを受けてスタッフは完成像を物理的に準備し整えます。美術部は、セットの完成図を見せ、衣裳部はメインキャストのシーンごとの衣裳を見せ、制作部はロケ地の候補を提示します。それらは美術打ち合わせ、衣装合わせ、メインロケハンという行事を繰り返し、監督が一つひとつをジャッジして完成像へ近付けていきます。

この一連のイメージ&ジャッジの作業は、上記した準備段階だけでなく撮影現場でも行われます。俳優にイメージを伝えて芝居をやってもらい、ジャッジ。カメラマンにイメージを伝えてカメラポジションや構図が決まったら、ジャッジ。

イメージ&ジャッジを無数に繰り返すことで映画は完成するので、上映される映画の最初の1秒目のシーンからラストカットの1秒まで監督のイメージ&ジャッジした「仕事」映っていないけど映っていると言えます。

次では具体的にどのような形で「仕事」が具現化されているかを探ってみます。

監督の映っていないけど映っている仕事

ロボコップ』という映画をご存知でしょうか。あまりにも有名なのであらすじは割愛しますが、監督はオランダ出身のポール・バーホーベンです。

ロボコップ

劇中でバーホーベン監督の「仕事」が最もわかりやすく意識できるのは、登場人物たちの死に際の描かれ方にあります。

アイアンマン』くらいキャッチーで子ども向けの面構えでありながら、登場人物たちの死に際はプライベート・ライアンさながらに目を背けたくなるほど残虐で悍ましく、痛々しいのです。

監督は幼少期を第二次世界大戦下のオランダのハーグ市で過ごしましたが、街は味方である連合軍によって破壊され、瓦礫の山となり道端にはバラバラの死体がゴロゴロ転がっていたそうです。

残虐な戦争と死を間近で見て育った監督に、嘘っぱちの「死」や、社会が決めた常識やモラルに収まる描写が描けるはずがありません。

ロボコップの現場ではカメラが壊れるほどの爆薬を使い、銃弾で人が死ぬ時は、蜂の巣になった死体がその衝撃で踊るほどの描写にし、その仕事には徹底した残虐性で一切の容赦もないのです。

ロボコップの後も一見楽しげに見えるSF活劇スターシップ・トゥルーパーズを、戦争を擁護する者を鼻で笑うようなシニカルな映画に仕上げ、透明人間映画インビジブルでは社会的に裁かれない環境下(戦争と一緒)で人がいかに残酷非道になるかを強烈な描写で描いています。

表面的に描かれている事柄はどれも異なりジャンルも違う一方で、監督がイメージ&ジャッジした「仕事」にははっきりと一貫性があり、「映っていないけど映っている」バーホーベン監督を意識する事ができるのです。

スティーブン・スピルバーグ監督、アン・リー監督、コーエン兄弟監督、日本だと橋口亮輔監督や是枝裕和監督など枚挙に暇がありませんが、いずれの監督も「一貫性」があり「他のアーティストとの違い」があるのです。

監督の仕事を知って、どうなる?

「映っていないけど、映っている」ことが、監督のイメージ&ジャッジした「仕事」であることをご理解頂けたでしょうか。そこには他の媒体と同じように、監督の何らかの意図や考え、信念や願望が作品全てに宿っています。

「映っていない」からこそ「映っている」ことを通して、なぜそれを監督はイメージ&ジャッジしたのかを逆算・想像する事で、「映っていない」監督の意図や考え、信念や願望に触れることができます。それはいうならば映画を介して監督と非言語でコミニュケーションを取るようなものです。

「映画の終わりが、実は始まりなんだ」

小津安二郎監督はそうおっしゃっていますが、映画鑑賞が一過性で終わる事なく、観客の中で何かが始まることを映画監督は望んでいるのかもしれません。

そうやって映画と向き合えばたとえ2時間で終わる映画も、頭の中で延々と続くのではないでしょうか。

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  • babygrand
    4.1
    爆音リバイバル上映で鑑賞。 盲目的に昔の映画はいいー!じゃないけど、 本当に面白い映画は時代を超えるな。 ポール・バーホーベン監督のやり過ぎ感がちょうど良い。
  • bunta
    4.2
    バーホーベン映画には更衣室がひとつしか無い。
  • 倫子
    2.5
    普通 別にわるくないんだけど全体的に古くて心惹かれなかった かといって新しくリニューアルされたのが見たいわけではない 戦うシーンはちょっとドキドキしたかな こうやってみると当時と今のロボット観って結構変わってる
  • KY
    3.8
    ポール・バーホーベン監督作。 犯罪と野望のうごめく近未来のデトロイト。警備ロボットの実験に失敗したオムニ社は次に人間の頭脳を利用したサイボーグ警官を提案。殉職した新任警官のマーフィを「ロボコップ」として甦らせ…。 ・・・ 冒頭のロボットのセンサーミスによるグロテスクな事故描写が凄い。作品としてのインパクトはもちろん、のちに出てくる正義の味方ロボコップに対しても危険性を観客に植え付ける事に成功。さらには敵ロボットとしてのちに活躍させる伏線にもなってる。 あと80年代後半の映画らしく登場人物が全体的にイキってるんだけど、それを皮肉ったコメディとしての面白さで見せてる所が上手い。特に万死に値する悪党がクソであってくれる所に癒される。悪が悪であるゆえに心置き無く悪党がぶっ殺されるシーンが観れる。 ただ全体的に人間関係の積み上げが気薄だったり掘り下げられる設定もあえて中途半端に放置して終わらせてるので、何か物足りなくはある。警官がストライキする世相とか、掘り下げれば結構深い問題に切り込めるのにあえてしなかったり。
  • たかよし
    3.7
    懐かしい〜
「ロボコップ」
のレビュー(5619件)