アラン・ドロン引退。そろそろファイナル・アンサーといきましょう。
アラン・ドロン引退のニュースが世界を駆け巡った5月。
御年81歳とはいえ、彼の話題はいまだに芸能界の大ニュース。なにしろ、かつて“世界一美しい男”の名をほしいままにした美貌の持ち主、数々の傑作映画を残した名優ですから。
そんな中でも、出世作となったルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』(60)は、アラン・ドロンの翳りある美貌にうってつけのピカレスク・ロマン、ニーノ・ロータの哀愁溢れる音楽、アンリ・ドカエの作りだす無二の映像美……と、オールラウンドに魅力が詰まった不朽の名作です。
ところでこの作品、故・淀川長治が「ホモセクシュアルの映画だ」と紹介して物議をかもしたことはご存知の方も多いと思います。
もっとも、一見そんなシーンなどどこにもない…さすがに淀川さんの言葉でも、当時ほとんど信じる人はいなかったとか。
のちに邦訳されたパトリシア・ハイスミスの原作ではトムは明らかにクローゼット・ゲイとして描かれているし、「より原作に忠実」を謳い文句にリメイクされた『リプリー』(99)でも、マット・デイモン演じるトムはゲイだということで、今では淀川説を肯定する人が多数派かと思いますが、そうは言っても……一体どこに同性愛が?と、内心モヤモヤしている人はいまだに少なくないのではないでしょうか。
『リプリー』
今回アラン・ドロンも引退することだし、そろそろこの問題にもファイナル・アンサーを出しておきたいところ。
そんなわけで、今日はこの問題を徹底検証してみることにします。
(以下はネタバレを含みますのでご注意ください。)
一卵性?と思うほどの親しさが殺意へ…トムとフィリップの悲劇
本題に入る前に、まずは物語をおさらいしておきましょう。
舞台はイタリア南部の架空の街・モンジベロ。
貧しい青年トム・リプレー(アラン・ドロン)は、富裕な実業家グリーンリーフ氏から、放蕩息子フィリップ(モーリス・ロネ)をアメリカに連れ戻してくれたら謝礼を支払うと依頼され、フィリップの逗留先モンジベロを訪れます。
境遇は違うもののすっかり意気投合したトムとフィリップ。トムはフィリップの生活に深く入り込みます。
しかし一方で、フィリップにはマルジュ(マリー・ラフォレ)という恋人が。彼女のため、帰国を渋るフィリップ。
フィリップの態度に業を煮やしたトムは、フィリップを殺して自殺に見せかけ、完全犯罪を装った上で、フィリップの財産とマルジュを手に入れるのですが――
同性愛を匂わせる3つの要素
その1.鏡の中の「フィリップ」にキスするトム
本作がゲイ映画だと思えるポイントはいくつもありますが、以下では3つに絞って解説します。
まずは、トムがフィリップの服を着て彼の真似をしながら鏡に映った自分にキスするあのシーン。
事実関係としてはトムが鏡にキスしただけ。でも、トムの目線でよく考えてみると、トムが鏡の中に見ているのはフィリップ……ということは、フィリップへのキスでもあるわけです。
ちなみに『リプリー』にはこのシーンのオマージュと思われるシーンとして、トムが窓ガラスに映ったディッキー(『太陽がいっぱい』のフィリップに相当)にキスする場面があります。
その2.ふたりの関係に嫉妬するマルジュ
本作のポスターにもなった船上のシーンは、トムがフィリップを殺害するまでの顛末が描かれている、この作品の核心部です。
(C)photolibrary
船上には、トム、フィリップ、マルジュの3人だけ。
このシーンには、トムがフィリップに、
「地獄まで一緒だよ」
と意味深な言葉を吐く一コマも。
ただ、問題はその言葉よりも、それを聞いていたマルジュの態度のほう。
彼女はフィリップの腕を掴んであからさまに不安そうな表情を見せ、トムが席をはずすや、
「私だけじゃ退屈? そうなら船をおりるわ」とすね始めます。
マルジュの口調は、まるでフィリップにトムか彼女かの選択を迫るかのよう。
フィリップの恋人である彼女が、なぜ男性であるトムをライバル視……?
誰も疑ってないことを劇中の人物が疑ってみせることで、観客の側も急に「あやしい」と思い始めること、よくありますよね。
マルジュのセリフは「観客に火の在り処を教える煙」の役目をしているわけです。
その3.タオルミナ好きが強調されているフィリップ。タオルミナとは?
最後に、意外に決定打かもしれないと思っているのがこれです。
(c)Richard C. Schonberg
シチリア島にあるタオルミナ。ギリシャ・ローマ時代の遺跡も数多く残っている。
フィリップはシチリア島のタオルミナがお気に入りで、銀行で大金を引き出してはタオルミナで豪遊。劇中何度も彼とトムの間でこの地名が話題に上り、フィリップがタオルミナ好きであることが強調されています。
タオルミナは何か特別な場所のようなんですが……一体そこに何が?
今年のG7サミットが開催されたことでも知られるタオルミナ、実は19世紀からゲイに人気が高い観光地なんですよね。
ドイツ人のヴィルヘルム・フォン・グレーデン(1856-1931)がこの地で撮影した美少年写真集「タオルミナ」が評判になったことが、ゲイのタオルミナ人気に火をつけたとか。
下の画像はそのうちの1枚。なんともエロチックで禁断の香りがムンムン。
フォン・グレーデンの写真はあのオスカー・ワイルドも愛好していたそうですね。
ヴィルヘルム・フォン・グレーデンの美少年写真
そんなタオルミナ……「タオルミナ」という言葉自体がフィリップのセクシュアリティを暗示している可能性はおおいにありえます。
原作や『リプリー』でも、本作のフィリップにあたるディッキーについては暗にクローゼット・ゲイである可能性がほのめかされていますし、『リプリー』でディッキーを演じたジュード・ロウは、『オスカー・ワイルド』(97)のオスカー・ワイルドの恋人役など、これ以前にもゲイ役を演じている人なんですよね。
愛と憎しみと執着の三つ巴
異性愛者という固定観念で見ていたトムとフィリップのセクシュアリティが揺らぎ始めた途端、この映画の景色は一変、フィリップを帰国させたいトムと、フィリップに留まってほしいマルジュとの対立関係の向こうに、フィリップの愛を奪い合う三角関係という新たな構図が浮かび上がってきます。
そして、フィリップの帰国か残留かを選ぶ選択は、実はトムかマルジュかの選択と不可分に結びついているということに、初めて気づかされるんです。
マルジュとのフィリップ争奪戦に敗れたトムは、フィリップの胸をナイフでひと突きに。
このシーンを淀川さんは「ラブシーン」だと言ったそうですが、まさに言い得て妙!
刃物はピストル同様に男性器のシンボルですし、古今東西、愛と憎しみは表裏一体ですから。
ラストシーンでフィリップの遺体が海から浮かび上がってくるのも、ふたりの間に「愛」を想定すれば、「地獄まで一緒だよ」というトムの言葉にフィリップが応えた……という衝撃の執着愛の構図に一変。
単にトムの完全犯罪の破綻としてだけ眺めるのはもったいない、愛憎劇として深く心に残る完璧なラストだと思います。
原作の続編の存在と矛盾するあのラストシーンは、原作者パトリシア・ハイスミスをいたく怒らせたようですが、続編という制約に縛られず映画の完成度を最優先したルネ・クレマンの判断は、間違いなく『太陽がいっぱい』を不朽の名作の域に押し上げたと言えるんじゃないでしょうか。
いかがでしょう? 『太陽がいっぱい』ゲイ映画説、納得していただけましたか?
まだまだ納得がいかないという方も、騙されたつもりで視点を変えてもう一度作品を観直してみると、これまでと違った物語が見えてくるかもしれませんよ。
※2021年3月8日時点のVOD配信情報です。