エル・ファニングの美しさの秘密とは?【魅惑の白い肌を堪能できる作品集】

2017.07.25
女優・俳優

好奇心で生きてる雑食人間

sakasa

ニコラス・ウィンディング・レフン監督の新たな衝撃作『ネオン・デーモン』のDVDが7月4日にリリースされました。主演を務めたのは『マレフィセント』でオーロラ姫役を演じ、一躍人気を集めたエル・ファニング

そこで今回は、『ネオン・デーモン』をはじめ、エル・ファニングの美の象徴でもある透き通るような白い肌を堪能できる作品をいくつかご紹介します。

エル・ファニング

(イラスト:ayano

華麗で危険なファッション業界の悪夢『ネオン・デーモン』

NEON DEMON

エル・ファニングが演じたのは、トップモデルになる夢を叶えるべく田舎町からロスへと上京した16歳の少女ジェシー。このジェシーは、誰もが目を奪われるほどの美しさで彼女自身もそれを自覚しています。一流デザイナーやカメラマンなどジェシーを取り巻く大人たちはすぐに心を奪われあっという間に彼女の虜です。

ただし、それを良く思う人ばかりじゃないのが現実。彼女に激しい嫉妬を抱くライバルたちは、究極の美を追求するあまり想像の斜め上をいく復讐をジェシーに仕掛け始めたのです。

その一方で、ジェシーもファッションショーで大役を務めるなど、次々に仕事をこなしていくうちに純粋な彼女の中に眠る野望が徐々に暴れ始め、少しずつ闇に染まっていきます。

「美しさがすべてではないが、美しさこそが唯一」というセリフが作中に出てくるのですが、それこそジェシーの美しさは唯一無二の宝であり、周りの人を惑わす魔性の力でもあるのです。一見純粋無垢な少女に見える反面、時代を牽引するカリスマ性もあわせ持つエル・ファニングが正に適役と言わざるを得ません。

ファッション業界という大きな世界のジェシーという小さな国で起こる、光と闇の物語。エル・ファニングの美しさが存分に活かされた、美と狂気が渦巻くダークな大人のおとぎ話の世界をご堪能ください。

最後のシーンは何度見ても衝撃です…!

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夢と現実を浮遊するゴシックホラーな世界『ヴァージニア』

virginia

エル・ファニングの白い肌が余すことなく活かされている『Virginia/ヴァージニアは、小説家エドガー・アラン・ポーをモチーフにしたサスペンスホラー映画。

ここでは、ある寂れた田舎町にやって来た三流オカルト作家ホール・ボルディモアが見る夢に現れる謎めいた美少女を彼女が演じています。

やはり本作で注目していただきたいのは、ダークな世界とは対照的に全身白で固めたエル・ファニングの衣装とメイク。全身真っ白のゴシック調のドレスに真っ白なアクセサリー、そして真っ白な肌。目元は赤みがかった幻想的なメイクでホールを夢の世界へと誘います。

インパクトのある風貌でありながらもどこか透明感があり、なおかつ妖艶なキャラクターは今までになかった彼女の魅力を新たに引き出しています。

些細日常を繊細に切り取る『SOME WHERE』

some where

今より少し幼い頃のエル・ファニングが見られる貴重な作品『SOME WHERE』。

ハリウッドスターのジョニー・マルコは高級ホテルを仮住まいとし、日々パーティーに明け暮れてはフェラーリを乗り回す、いかにもセレブな生活を送る毎日。ただそんな生活とは裏腹に彼の中身はどうしようもなく空虚でした。ある日、前妻から11歳の娘クレオを一時的に預かることになったジョニー。その娘役をエル・ファニングが演じています。

まだ幼いながらも、彼女の大人びた顔立ちで11歳という思春期にさしかかる一歩手前の繊細な時期を等身大で演じています。彼女が映るシーンでは陽の光が差し込むことが多く、そこにトレードマークのプラチナブロンドヘアーと白い肌、さらにブルーの瞳のコントラストが映えてとても美しく、まるで天使のよう…!

はじめは父も久々に会う娘とどう接していいのかわからず、微妙な距離感をなかなか縮められなかったのですが、天真爛漫な彼女と触れ合うことで空虚感で溢れていた心が徐々に暖かい気持ちで満たされていくことに気付き始めます。

無邪気にテレビゲームしたり、プールで泳いだり、可憐にスケートリンクで踊ったりと様々なエル・ファニングを楽しめる作品です。

1人の少年と3人の女性の特別な夏物語『20センチュリーウーマン』

20th C W

(C)2016 MODERN PEOPLE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

今年6月に公開された『20センチュリー・ウーマン』では、少し大人になったエル・ファニングを見ることができます。

人生はビギナーズ』を手がけたマイク・ミルズ監督の最新作で監督自身の母親をテーマに描いた作品。舞台は1979年、サンタバーバラ。シングルマザーのドロシアは、思春期を迎える15歳の息子ジェイミーの教育方針に悩み、ルームシェアで暮らすパンクな写真家アビーと、近所に住む幼馴染みのジュリーに助けを求めます。そこからジェイミーと、個性的な彼女たちの特別な夏が始まるのです。

エル・ファニングはジェイミーの幼馴染みである17歳のジュリー役。毎晩のようにジェイミーのベッドに忍び込み添い寝しながらも、友達以上恋人未満の関係を貫く小悪魔的キャラで15歳のジェイミーを翻弄します。

危うさを放ちながらも、あどけなさも見え隠れするという今の彼女にしかできない演技が光ってるのが見どころのひとつこれまで紹介してきた役とはまた一味違った、彼女の大人の部分が見えはじめた作品です。

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エル・ファニングの美しさとは

まだ19歳のエル・ファニングは、人としても女優としても成長過程で、作品を重ねるごとに、これまで培ってきた経験に加えて新しい一面を私たちに届けてくれます。それでも絶えず変わらない魅力はあの透き通るような白い肌が醸し出す純粋無垢さと混じり気の無さ故の危うさではないでしょうか。これからも唯一無二の美しさと演技力で活躍する姿から目が離せません!

ちなみに、日本での公開はまだ未定ですが、先ほど紹介した『SOME WHERE』の監督ソフィア・コッポラの最新作『ザ・ビガイルド』(原題)にも豪華キャストと共に出演しています。こちらも今から注目しておきたい作品です。

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  • 2.5
    映像もエル・ファニングも美しい。 でもなあ…狂気の沙汰だよ。 モデル業界こんなだったら精神的に一番醜い人間か変人しか残らない気がする。 美しいってなんだろね。 うう…吐き気がする〜。 おぞましい。 キアヌ・リーブスがやさぐれ過ぎててびっくり。 何故この配役にしたんだろう。 映画中で一番の謎だ。
  • しんや
    4.3
    なんでしょう、狂った人しか出てこない 『みんなが私に成りたがっている』とか言うエル・ファニングとか それが最高に美しくて、ポーッとしちゃう。 恐ろしい映画だ。 まぁ、女の嫉妬を描いたものなんだけど そんなもの軽く超えちゃってると思う。 『ドライブ』と根底に流れているものは 同じ。 人の不気味さを描けば描くほど、美しくなる、レフン監督。 これで興行収入を気にしてるって、狂ってるな。
  • ジンサン
    3.0
    エル・ファニングのコケティッシュぶりにゾッとする。
  • y
    3.2
    エルファニングは美しいけど、誰もが憧れるモデルとしては違和感。この映画では、18歳の若さや純粋さ全てひっくるめて「美しい」ってことなんだな。ジジは体内に入れてしまい拒否反応が出たが、サラはものともせず、それを上回るネオンデーモンだった。 昨日もヴィクシーモデルが自分を愛する決意としてSNSで語ってた。「この業界が今なお持つ理不尽な一面に失望し、同時にゾっとしたわ。」「16歳でこのクレイジーな世界に入り、不健康で満たされない食生活を経験〜」「もう何年も、この業界にはびこる無神経さやプレッシャーによる、押しつぶされそうな不安と闘ってきたわ。」 これが事実であり狂気の世界だと思う。 この世界でトップに上り詰められるのはサラのようなネオンデーモンなんだろうな。
  • カラン
    4.5
    レフンの『眼球譚』。フランスの作家ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』は、玉子を眼球に見立てて性器に出し入れする戯れ、目玉とその運命の話しだった。それが後の『マダム・エドワルダ』では、股の間から「私」を見返し、明滅する眼球=穴になっていた。今回のレフンの目玉の物語は、バタイユのように遠くまで行けけたであろうか?中々、面白かったので、今さらながら私もレビューしてみる。 関係ないが、バタイユの上記の二つの小説は、生田耕作の卓越した翻訳を文庫本で読める。バタイユの作品は、ルネ・マグリットやアンドレ・マッソンらの素晴らしい画家が彩ってきた。日本語版の装画で私が好きなのは、金子國義のもの。一度、たまたま渋谷の文化村で、画伯がレセプションパーティーをやっているのに出くわしたが、奇怪なたたずまいのお客さんたち(本気のハロウィンパーティーも真っ青な人々)にまったく負けずに、不吉な輝きを放つ原画を見た。毒々しく光り、重油で塗り込めたような鉄鋼色のオイルペインティングは、悪魔的であった。 以下『ネオンデーモン』のレビューだが、変態話しが長いのも恐縮なので、三角形と目玉が登場する経緯を簡単にまとめるに留めた。安心してください。自粛してます。バタイユの話しもこれ以上しません。どうぞ、鑑賞後に。 『ネオンデーモン』 写真や鏡が表面を、表面だけを対象にしているのは分かるだろう。そしてモデルたちの関心が、表面としての身体に集中するのも分かる。しかしまた、身体の表面に徹底してとどまる時には、内面性の不在としての身体=死体、つまりbodyが出現するのだ。冒頭の撮影のシークエンスで、暗殺者のように対象を凝視し、ねめつける眼差しのもとで、死体のように虚ろで、死に化粧と同じだけ無意味な装飾をまとって横たわるジェシーは、このような身体の《表面化》を象徴している。 ヴィム・ヴェンダースが『パレルモシューティング』で描いたように、撮影shootingとは、銃の発砲のように被写体の命を奪う。フェミニズムのポルノグラフィー批判によれば、「ポルノは女を物扱いしている」となるが、こうした「女の物象化」は、私たちの文脈では、撮影shotが身体から生命を奪い、身体が死体のように、表面化する、ということである。このプロセスにおいて《美》が生成する。また、撮影は美的な身体を形成しながら、グロテスクな死体をも産み落とす。モデルとして生きることは、美と死の境界で、つまり、身体の《表面》において、死を抑圧することなのかもしれない。 かくて《表面》の世界が、この映画の舞台である。女の死体を相手にしてセックスなのか自慰なのかに至るメイク係の女の欲望も、同じく、表面を巡っている。表面としての美を追求する者にとっては、死体こそが美しいのだろう。死体より表面にとどまっている身体は他にないのだから。ネクロフィリア、恐ろしい響きであるが、死体愛は、純粋な造形structureと風合textureに対する視覚的、触覚的な強すぎる愛なのである。 こういう話しになると、オスカー・ワイルドの『サロメ』の顔面の《白さ》を思い出す。耽美主義と死と白さの三角形。女たちは古来、顔の白さに憧れてきたし、メイクとは白さを演出するマスクなわけだが、ワイルドは、そしてマルキド・サドもそうだが、美⇄白さ⇄死/破壊の図式を使う。《白さへの欲望》は死への欲望を隠しているということだ。皆さんは藤田嗣治のオリジナルを観たことがあるだろうか?私は幸運にも、何枚ものオリジナルに美術館で囲まれたことがある。あの奇跡のような乳白の肌の女たちに。しかしあの白さはエロスに寄っている。私が今話している白さ、『サロメ』や『閨房の哲学』の白さは死体の白さだ。とはいえ、この『ネオンデーモン』では、白さはあまり脚光を浴びず、《表面》として抽象的に語られるにとどまっている。レフンが《白さ》にフォーカスするのは、エル・ファニング本人の肌を除けば、先ほど述べたネクロフィリアでの死体の白さと、エンディングでのフォトセッション時のラウンジの白さ、ジジというモデルが吐き気から座り込んで、赤い吐瀉物をぶちまけるソファとマットの白さ。吐瀉物にまみれてマットに転がった眼球はさほどに白さを感じさせなかった。そういうわけで、レフンがこの映画で使う三角形は、美⇄表面⇄死である。 しかし、全てが《表面》であるモデルたちの世界であるにもかかわらず、「本物の美と偽物の美」があり、「その違いはすぐ分かる」らしいのだ。ここに『ネオンデーモン』の哲学がある。面白い発想だろう。そこで、美⇄表面⇄死の三角形に、レフンが加えるのは、例の目玉である。デザイナーに気に入られて、ショーの大トリに選ばれたジェシーに、鏡に三方向を囲まれた通路のような場所で出現した逆三角形の数は、三つであった。三つの三角形を一つの三角形になるように並べると、四番目の三角形が中心部に上下逆で現れる。この四番目は、レフンが美⇄表面⇄死の図式に加えた、ジェシーであり、ジェシーの目玉である。 三角形に目玉とくれば、フリーメーソンのシンボルとして、例えば『ナショナルトレジャー』にも登場していた、あの「全てを見通す目/神の目」eye of providenceが思い起こされるだろうが、ここでは立ち入らない。我々としては、ネオンの三角形は、視覚の抽象的なモデルだと考えることにしよう。カメラを覗き込む目を光源として、放射線状に被写体に眼差しの光線が伸びていく。この光源としての目と、それが対象化する底辺としての被写体が形成するトライアングルこそ、ネオンデーモンの三角形なのではないだろうか。この映画は被写体の世界が舞台であり、表面が問題になっているが、この被写体=表面を形成するのが、被写体=表面に還元されない、光源としての眼差しなのである。そしてこの二つの要素の非対称的な関係性を三角形という形態は表している。 なお、この表面の世界で、表面に、還元されないのは、モデルたちにとっては、カメラマンと、ウブな恋人君とキアヌ・リーブスである。キアヌ・リーブスがエル・ファニングの吟味をするのは、表面ではなく、身体の《なか》である。キアヌが握っていたナイフは、男根であり、また別の三角形のメタファーである。 さあ、話しをまとめよう。映画を要約する時は、オープニングとエンディングの差異に注目することである。 オープニングは、被写体としての身体を、表面化≒死体化するプロセスを作り出す《凝視する眼差し》のもとで、ジェシーが死んだように横たわるのを撮影するシークエンスであった。 エンディングは、これまたフォトセッションであり、shootingするカメラのもとで、吐き気に襲われたモデルが、眼球を吐き出し、腹を裂いて死んだ。 かくて、眼球とは、私を引き寄せては、殺す、shootingの眼差しである。
「ネオン・デーモン」
のレビュー(9022件)