こんにちは! Nekuboです。
DVDスルー、DVDダイレクト、Z級映画etc.
みなさんは、これらの言葉を聞いたことはありますか?
1895年にフランスのリュミエール兄弟によって「シネマトグラフ・リュミエール」が公開されたことにより始まったとされる映画の歴史は、時代の流れとともに語り継がれ、“映画”という存在そのものは人々の娯楽の一つとしてその存在を確立し、現代にいたるまで映像技術の発展とともに更なる進化を続けています。
サイレント映画、トーキー映画…時代は進んで特撮映画、VFX映画、3D映画など、映画における映像技術の進歩とともに、ある一定の条件を満たした映画のことを指す言葉が生まれたこともご存じでしょうか?
それが「ブロックバスター映画」や「ローバジェット映画」、そして「B級映画」という言葉たちです。
ブロックバスター映画(Block buster movie)とは、億を超える予算をかけて製作され、大規模で宣伝をする映画のことを指します。ローバジェット映画(Low budget movie)とは、読んで字のごとく、低予算(=Low budget)で製作された映画のことを指します。
そしてB級映画とは…
B級映画の本来の意味
映画ファンのみならず、誰もが一度は聞いたことがあるであろう「B級映画」という言葉ですが、近頃、その言葉の意味や定義が曖昧になってきていると感じています。
B級映画の“B”とはなんでしょう? 何を基準に「B級映画」というレッテルを貼るのでしょう? そもそも、いつごろからこの言葉は生まれたのでしょうか?
「B級映画」という言葉が生まれた歴史を辿ってみると、それは1930年代にまでさかのぼります。
30年代から50年代にかけてのアメリカの映画史において「低予算・短期間・限定的上映時間」という非常に限られた枠組みの中で、いわゆる大作映画(A級映画)の二本立て興行における添え物として製作された映画を“B-Movie”あるいは“B-Pictures”と呼んでいました。
つまり、その和名を「B級映画」としていたのです。
現代におけるB級映画とは?~言葉の汎用性の高さと危険性~
先述したように、現代における「B級映画」という言葉の定義は非常に曖昧なものになってきています。それはある意味で仕方のないことなのかもしれません。
そもそものB級映画には、大作映画の二本立て興行における添え物としての立ち居地があったのにも関わらず、現代においては二本立て興行というものがほとんど無いことが「B級映画」という言葉の使い方を曖昧なものにしてしまったのではないでしょうか。
映画の興行形態の変化とともに本来の立ち居地を失ってしまったはずの「B級映画」という言葉が今でも使われていることは、どことなく理解されている人も多いと思います。そこには言葉そのものの汎用性の高さがあるからなのでしょう。
実際に数年前の私も「B級映画」という言葉を多用していました。どのような映画を指すときに用いていたかといえば、いわゆるアルバトロスやトランスフォーマー(会社名)がソフトをリリースしているようなDVDスルーの映画です。
その映画の持つイメージだけを膨張したかのような、実際の中身とはかけ離れたジャケットのデザインが特徴的なモンスター映画やホラー映画のことを「B級映画」と呼んでいたように記憶しています。
実際、その当時はそういった映画の類を「B級映画」とする風潮もどことなくあったような気がします。
そこに関しては現代においても変わらないように感じています。やはり今でもDVDスルー映画や、書店やホームセンター等で買えてしまうワンコインのDVDをB級映画と紹介したり、呼んだりすることは多く見かけますから。
あくまで個人が映画を観て、その映画のことを「B級映画だ」と評したり紹介することにNO! を突きつける気は毛頭ありません。何かを表現することは個人の自由であり、個人の表現を奪う権利は誰にもありませんから。
しかし、「B級映画」という言葉を用いて一つの映画を紹介するのならば、その言葉の持つ本来の意味や歴史を考える必要はあるかと思います。
なぜならば、あなたが「B級映画だ」と評したその映画の作り手は、必ずしも「B級映画」として作っているわけではないからです。
世の中には「自主製作映画」というものがあります。基本的に自主製作映画とは、あくまで個人が個人の力だけで予算と人をかき集めて撮る映画のことを指します。つまり、必然的に低予算で製作されるものがほとんどです。
こういった自主製作映画も「あくまでB級の範疇だ」とか「B級映画としておもしろい」などと評されていることが多くあります。
「自分が撮る映画に出資してくれるような会社はないけれど、それでも自分が面白いと思ったアイディアを盛り込んで、熱意をもって映画を撮りたい!」
そういう想いの中で、個人が会社や学校へ通う合間をぬってコツコツと、何年もかけて製作した映画をいとも簡単に「B級映画」と呼んでしまってよいのでしょうか? それは失礼に値するのではないでしょうか?
もちろん、自主製作映画やそうでない映画の中には、あえて「B級映画」と呼ばれるように作り手が意識して撮っている映画もあります。しかし、その場合の映画の作り手はあらかじめ「これはB級映画のように撮ったんだ」と明言していることがほとんどです。
そうでない映画のことを…、それも時間と労力と熱意をもって撮られた自主製作映画のことを、本来は二本立て興行の添え物としての意味を持つ「B級映画」という言葉を使って評してしまってよいのでしょうか?
映画が安っぽければ「B級映画」、潤沢な製作費をかけていてもストーリーが安っぽければ「B級映画」、怪物やエイリアンが出てくれば「B級映画」等々…。
「B級映画」という言葉の定義や本来の意味が曖昧になってしまったことで、同時に汎用性も高まり、便利化してしまったことは少し問題のような気がします。そしてなにより、安直に使ってしまうことの危険性というのも考えていくべきではないでしょうか。
好きだからこそ表現には気をつけたい。~次号にむけて~
現在、私は「B級映画」という言葉を一切使わないようにしています。理由はすべて先述したことに尽きるのですが、実はある一連の映画群を観るようになってからは自然とこの言葉を使わなくなったのです。
その一連の映画というものが、いわゆる日本におけるDVDスルー映画です。もちろん、その中にはローバジェット映画や自主製作映画も多く含まれています。
多くの人々はビデオレンタルショップを利用されていると思います。なにか映画を観たくてTSUTAYAやゲオに足を運び、そこで『アルマゲドン20××』だとか『~シャーク』という映画のジャケットを見かけたことはありませんか?
そういう作品の大半は日本の映画館ではかけてもらえないものばかりで、それを「DVDスルー映画」や「DVDダイレクト」と呼ぶのですが、私はそういった映画に言い知れぬ魅力を感じてしまい、すこぶる大好きなんですね。
明らかに嘘八百なあのジャケットの画…ワクワクしませんか?
学生時代の私が某ビデオレンタルショップでアルバイトをしていた時は、よく仕事をしながらお客様の声に耳をそば立て…「なにこれ!? 観たいけど絶対につまらない!」「パクリじゃん!」という声を耳にし、悔しい思いをしていました。
こういった作品群こそ「B級映画」と呼ばれてしまう筆頭だったりするのですが、ジャケットだけで判断せず、要らぬ先入観などは捨てて映画を観てみれば、実はその中にも非常に優れた映画が紛れ込んでいたりするのです。だからこそ、私は「B級映画」という言葉を自然と使わなくなったのです。
DVDスルー映画が好きだからこそ、映画そのものが好きだからこそ、安直に使ってはいけない表現や言葉があります。
「B級映画は褒め言葉だ」なんて言う人も中にはいますが、そんなものは独りよがりに過ぎません。
好きなものを自分の言葉で表現し伝えることは楽しいですし、大切なことでもありますが、間違った表現を用いてしまうことで、そのものにとって失礼に値してしまうこともあるということは、頭の片隅に入れておきたいですね。
というわけで、次号より本題に入っていきたいと思います。
手始めに…DVDスルー映画の中身はともかく、嘘八百(かもしれない)ジャケットのデザインに魅了されてみませんか? 大作映画のパクリのようなジャケットの面白さや、なぜか本編にはないスケール感満載のジャケットの魅力をご紹介いたします。
こんな映画のはずじゃなかった! と言わしめてしまうものが大半といえるDVDスルー映画のジャケットですが、その魅力に取りつかれてしまえば「こんな映画のはずじゃなかった!」がむしろ幸せになってきます。
それでは、また次号でお会いしましょう。