著名人の方々にネトフリで観た作品を聞く連載がスタート。その初回ゲストはミュージシャン/DJである☆Taku Takahashiさん。m-floのメンバーであり、最近はオーディション企画「THE FIRST」から生まれたBE:FIRSTのプレデビュー曲「Shining One」を手がけたTakuさんは、映画やドラマ通としても知られています。今回紹介いただく作品は『アンブレラ・アカデミー』「殺人者への道」「THIS IS POP: ポップスの進化」の3本です。(ネトフリ編集部)
☆Taku Takahashi
DJ、プロデューサー。98年にVERBAL、LISAとm-floを結成。国内外でのDJ活動でクラブシーンでも絶大なる支持を集め、LOUDの“DJ50/50”ランキング国内の部で3年連続1位を獲得し、日本を牽引する存在としてTOP DJの仲間入りを果たす。2011年に自身が立ち上げた日本初のダンスミュージック専門インターネットラジオ「block.fm」は新たな音楽ムーブメントの起点となっている。LISAが復帰しリユニオンを果たしたm-floの最新アルバム「KYO」が好評発売中。
アメリを彷彿とさせるヒーローもの?『アンブレラ・アカデミー』
小学生くらいの頃にヒーローとして活躍していた兄弟たちが主人公のヒーローものです。兄弟とはいえ、みんな血の繋がりはなくて、同じ生年月日の特殊な生まれの子どもたちが集められた家族。その兄弟たちの名前が”アンブレラ・アカデミー”なんです。
本作がおもしろいのは、そんな彼らがすでに歳をとって、ヒーローだったことがかつての栄光になっているところ。女優として成功してる人もいるけど、実は離婚と親権争いで家族がボロボロになっていたり、酒とドラッグに溺れたジャンキーもいたり、バットマンみたいに「それでも俺は街を守るんだ」ってダークヒーローみたいになっていたり……。
それぞれのキャラクターに個性がありつつも、みんな「昔はすごかったよね」っていう人たち。そんなズタボロの状態から始まるところで「これは普通のヒーローものじゃないな」と思わされました。
最近のヒーローものって、今までのヒーローものと違ったアングルを持ってくることは多いんですけど、『アンブレラ・アカデミー』の場合はポップでおしゃれなのが特徴的ですね。
冒頭、アンブレラ・アカデミーのお父さんが旅をする流れがあるんですけど、そこからしておしゃれなんですよ。『アメリ』の世界観みたいなノスタルジアがあって、歴史あるかわいい建物が出てきたり。そうした点からも一気にのめり込んじゃいました。
『アンブレラ・アカデミー』は音楽の使い方もいいんですよ。そもそも僕がこの作品を観始めたきっかけも、ブラウザでNetflixを立ち上げたときに表示される予告編。
そこで使われてたサイモン&ガーファンクル「冬の散歩道」のカバーがめちゃくちゃ懐かしくて。しかも曲と映像がめちゃくちゃマッチしてて「かっこいい!」って思って観ることにしたんですね。
シーズン1では80年代の曲を「みんな、これ忘れてなかった?」みたいな選曲をしてくるんですよ。「忘れてたけど、名曲だよね」っていう感じ。とくにエピソード1で登場人物がレコードで流す、ティファニー「I Think We’re Alone Now」はすごくいい。
ビルボード1位になったにもかかわらず、みんなが「忘れてたわ!」って思うような曲なんですけど、おそらく僕と同世代であるアンブレラ・アカデミーの兄弟たちも、みんなそれに反応する。忘れられたヒット曲と、忘れられたヒーローたちをなぞらえているんだと思うですけど、そのシーンの演出も『アメリ』や『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』を観ている気分にさせて、すごくおしゃれ。
そしてシーズン2になると、さらに音楽の使い方も研ぎ澄まされていくんです。音楽の幅が広がって60年代の曲も使うようになるんですけど「ここでこの曲を入れるんだ!」ってすごく驚かされる。とにかく音楽の緩急の付け方がいいんですよ。
アンブレラ・アカデミーの兄弟たちは名前ではなく数字で呼ばれていたんですけど、〈5号〉はある日失踪してしまってそのまま何十年も帰ってこなかったんです。というのも、5号はものすごいスピードで走れる能力を持っているんですけど、それをやりすぎて、時の壁を越えられるようになってしまった。でも時間なんて簡単にコントロールできるものじゃなくて、人類が滅亡している未来にたどり着いて、そこに何十年もハマったまま老人になってしまうんですね。
その後、あるきっかけから元いた時代に戻ることができるんですけど、その時になぜか失踪した当時の小学生の姿に戻ってしまう。だから他の兄弟は大人になっているのに、5号だけは子どものままの見た目。なのに未来で何十年も過ごしたから、精神的には他の兄弟よりはるかに年上。そこから生まれる会話の違和感がおもしろい。観てて「このクソ生意気なガキ!」と思うけど、すぐに「……でも、実はおじいちゃんなんだよな」と思わされる(笑)。
そして、この作品は各キャラに長所と短所が明確にあるんですけど、5号は頭がいい子ならではのすごい皮肉屋で、なおかつ人を見下してるやつ。だからめちゃくちゃ感じ悪いんだけど「実はいいやつじゃ〜ん!」みたいなところもある。それもすごい好きですね。中身は老人なのに妙なところで子どもっぽいんですけど、きっとコミュ障なんですよね。未来の世界で何十年も一人で過ごしていたから。
シリーズのどこかしらで、そんな5号が自分自身と会話するシーンがあるんですけど、そこのシーンがすごくウィットに富んでいておもしろいのでおすすめです。
そして『アンブレラ・アカデミー』はCGの使い方がいいんですよ。もちろんヒーローものらしく戦闘シーンの爆発なんかもすごくて完全に映画クオリティーなんですけど、そういう王道なCGの使い方以外にも、いかにおしゃれに映像を見せるかっていうアイディアや工夫があちこちに散りばめられていて、すごい好きです。
いや、こうやって話してるとまた観たくなってきましたね。そしてシーズン3、そろそろじゃないかなと思ってるんですけどね。
まさかの展開で始まるドキュメンタリー。「殺人者への道」
この作品は「Netflixで人気の作品」に出てきたので観始めた作品です。トゥルークライム系はあまり興味なかったのですが、もともとドキュメンタリー好きなので「ちょっと観てみよう」と。
本作は、性的暴行と殺人未遂で18年捕まっていたスティーブン・エイブリーという人が、DNA鑑定で無罪だと証明されて解放されたところから始まります。でも、そんな彼が別の殺人容疑でまた逮捕されて、終身刑になってしまうんです。でも、色んな人たちが「不当逮捕じゃないのか?」と思っていて、彼の無実を証明するために動き始める。そんなドキュメンタリー作品です。
でも、この作品って「おもしろがっていいのかな?」というところもあるんですね。というのも、現実でも結末が出ていない、現在進行形のドキュメンタリーなんです。ですので、僕は「スティーブン・エイブリーが本当に犯人なのかどうかはわからない」と考えるようにしてます。正直、本音としては「犯人ではないんじゃないかな」とは思っています。でも、殺害された女性の家族のことを思い浮かべて「もし彼が本当に犯人だったら……」と考えると、慎重にならざるを得ない。
けれども、もしエイブリーさんが無罪だったら、この事件の被害者は殺された方とエイブリーさんの2人になってしまう。いや、エイブリーさんの甥っ子も共犯者として捕まってしまっているので3人になってしまうんです。
実はアメリカってえん罪の数がすごく多くて、それが社会問題になっているんです。そこも含めて、スティーブンさんがえん罪である可能性は高いんじゃないかなと思っていて。弁護士たちもそう思って戦っていくのですが、戦局は難しい。何が難しいのかというと、もう判決が下った後なんですよ。それをどう覆すのか?という話になっています。
本作を観ていると、当時の捜査や取り調べがずさんに行われていた様子にはイライラし、その一方で「やっぱり犯人なのかも?」と思わせられる部分もあってムズムズしてしまい、ついつい次が気になります。
検察側は隠ぺいや捏造すれすれのうまいところを行ってるんですよ。だから弁護士たちは「再審議してください」って言うんだけど、その再審議の壁がすごい厚い。もうなかなかうまくいきません。
シーズン1に出てくるアップル創業者スティーブ・ジョブズに似たルックスの弁護士もいいんですけど、とにかくシーズン2で新しく出てくる弁護士がヤバいんです。一緒に捜査してる気分になれるのが楽しいですね。
スティーブン・エイブリーを取り巻くこの一連の出来事は、アメリカの郊外に住んでいる貧困層を取り巻くよくある社会問題なんです。あまり教育を受けていなくて不利な立場にいる方々は、こうした目に遭いやすい。スティーブンさんも人柄自体はおとなしめに見えるのですが、アメリカの典型的な「俺は男だから、やられたらぶっ飛ばし返すぞ」みたいな気質の人。だから安易なプロファイリングをしてしまうと、犯人像として簡単にハマってしまうんですね。
これはアメリカの激しい格差社会がもたらした事件だと思うのですが、こうした問題は残念ながら日本でも今後起こる可能性があると思うんです。なのでこのドキュメンタリー作品を観て、前もって他の国がどういう状況になっているのかを知っておくことは何かの役に立つんじゃないかなと思っています。例えば、どうしたら貧富の差を広げないようにするかをみんなで考えるヒントにもなるかもしれない、と。
今回スティーブン・エイブリーはNetflixがドキュメンタリーを作ったことによって世間に注目されていますが、他にもえん罪で収監されているのに注目されてない人たちもいっぱいいるはずなんですよ。この法廷劇が結果としてどうなるかは分かりませんが、それでもNetflixが本作を作ったことそれ自体にすごく意味がある。きっと歴史的に大事なターニングポイントとなる作品なんじゃないかと思います。
音楽の歴史をサクッと学べる。「THIS IS POP: ポップスの進化」
「THIS IS POP: ポップスの進化」はNetflixのドキュメンタリーの中で絶対に避けられない作品です。
その名の通りポップミュージックの歴史を描いたドキュメンタリーなのですが、何が良いかというと1エピソードがだいたい30分くらいなんですよ。その上で編集のリズムが良いので、サクッと観られる。そして毎回それぞれ違うトピックを描いているのですが、各テーマがおもしろい。例えば、ボーイズIIメン、フェスの歴史、歌詞の持つ力にフォーカスした回なんかがあります。
各テーマの歴史を伝えるために、当時それを体験していたアーティスト、ジャーナリスト、ファンたちそれぞれの声が集まってくるのがすごくよくて。歴史を知ることがそれ自体が面白いのはもちろんですが、本作を見ていると「歴史って、結局は人の感情で動くものなんだな」と痛感させられます。
楽しくポップに観られるんだけど、その裏にある、人の、そして世論の感情が見えてくる。そんな作品です。
本作の数あるエピソードの中でも僕が一番好きなのは「オートチューン」回。オートチューンというのは、日本でいうとPefumeさんのようなロボットっぽい声に加工をするエフェクターです。本来の用途は、歌い手さんが音程を外したときに自動で修正してくれるものなので、写真でいう加工アプリみたいなものですね。
この回では、そんなオートチューンがいかにポップスに影響を与えたかが描かれます。その中心人物は、オートチューンを使った代表的なアーティストとして知られる、アメリカのT-PAIN。
彼がどのようにオートチューンを使ったのか、そしてそれによってビッグアーティストになれた功績と、それによって批判にさらされ病んでしまったという代償が映し出されます。
というのも、オートチューン以前は音楽を補正すること自体がタブーだったんですね。ちゃんとレコーディングして、本当の声を出すべきという価値観があった。今ではオートチューンが入ってない曲なんてないくらいなんですけどね。
でも、T-PAINがおもしろいのは、その音程を補正するための数値設定をMAXにしてあえて不自然な仕上がりにしたこと。それがあのロボットっぽいケロケロボイスになるわけです。それがおもしろがられる様子、その反動を生む様子、そしていかにそれがOKになるかという流れはぜひ観ていただきたいです。
90年代のイギリスで起こった音楽ムーブメントである「ブリットポップ」。
それを描いた回について、観る前は「ブラー VS オアシスじゃない話がいいな」と思ってました。まあ、結局はブラーとオアシスの話だったんですけど、それでもやっぱり面白くて(笑)。
何がよかったかというと、ブラー本人たちとオアシスの当時のレーベルオーナーであるアラン・マッギーが出てきて、当時のシングル当日発売バトルについてのそれぞれの言い分を初めて聞けたところ。仲違いやシングルが同日発売になったきっかけについて、それぞれの言うことがちょっと食い違ってて。みんな今だから言える本音を言ってるところが最高に面白いんです。ナレーターが「どっちのシングルも彼らの歴史に残るような曲ではなかったんだけどね」みたいなことをボソッと言うところがかなりツボりました(笑)。
そうそう、エピソードごとにナレーターが違うのも、このシリーズのおもしろいポイントです。大枠としては芯が通ってるけど、トンマナや物語の作り方は、テーマとなるジャンルやアーティストに合わせて作っている。だから同じシリーズを毎回違った気持ちで観られる、よくできたドキュメンタリーだと思います。
転載元:Netflix note