「メタファー」を知るともっと映画が面白くなる!〜『スパイダーマン』の本当の物語〜

2015.08.16
雑学

映画館に頻繁に出没する横分けメガネゴリラ

YMG

映画の感想や解説を読んだり聞いたりする中でメタファーという言葉を見聞きしたことはありませんか?

映画雑誌や批評などで当然のように使われている一方で、日常生活ではほぼ使わない馴染みの薄い言葉です。だからと言って敷居の高い専門的な知識などは一切必要ありません。メタファーとは、簡単に言うと暗喩や隠喩という意味で、例えのようなものです。  
 
今回はご存知の方も多い、サム・ライミ監督が手がけた『スパイダーマン』からメタファーを抜き出してみます。それによってサム・ライミ監督が本作をどういう物語にしようとしていたのかが、はっきりと伺い知ることができます。

『スパイダーマン』の本当のストーリー

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さえない主人公ピーター・パーカーがクモに噛まれてスパイダーマンになり、強敵と戦って人々を救う」というのは、多くの方に知られているスパイダーマンの物語です。
 
それだけでもジェットコースターに乗っているような楽しさを十分に味わえますが、これだけでは絵空事に過ぎず、ぼくたちとは無関係な話になってしまいます。そこで作り手が迫られるのが、大きな嘘(絵空事)のどこに普遍性(真実)を宿すか、です。
 
先に言ってしまうと「ピーター・パーカーという少年が社会(他者)と対峙して自分の殻を破り、想像力のある大人になる」というのが本作の幹です。それでは具体的にメタファーについて考えていきましょう。

殻に閉じこもる少年が身体的成長で青年へ

ファーストシーンで登場する主人公ピーター・パーカーはバスに乗り遅れ、メリー・ジェーン・ワトソン(以下MJ)の手助けによってなんとかバスに乗ることができます。しかし想いを寄せているMJには目を合わせてもらえません。
 
このシーンで最も印象的なのは、ピーターの姿が最初に映るカットです。それはバスのサイドミラー越しに小さく映る、必死に走っている彼の姿でした。このカットは、ピーターが小さな枠組みの中に閉じこもって生きていることや窮屈な想いをしていること、他者からすればピーターが小さな存在でしかないことなどがメタファーによって端的に表現されています。
 
ピーターがMJと最初に会話する内容は、「蜘蛛の写真に人物も入れたいから、君も入ってくれない?」というものです。カメラ越しにしか彼女を直視できないというのもちゃんと心のメタファーになっています。「イイヨイイヨー最高だー!」と興奮を抑えられずにシャッターを切っているところで、ピーターは蜘蛛に噛まれます。

蜘蛛に噛まれることは身体的成長のはじまり

家に帰ったピーターは上半身ハダカになり、まるで成長痛で苦しんでいるように魘されますが、目覚めたピーターはムッキムキです。こんな極端な成長は日常ではありえませんが、ぼくたちの身体的な変化もある日突然やってくるものです。

つまりこの出来事は、身体的な変化や成長のメタファーといえます。身長が高くなることで自信を持つ人がいるようにピーターも身体的成長によって自信を持つのです。そして窓越しのお隣さん、MJを見て「ヨシッ!」と言ってみせます。

身体的成長で少年は、青年へ

登校したピーターが食堂で昼食を食べているとその横を通ったMJが足を滑らします。身体的に成長したピーターは、コケそうになったMJの身体を見事にキャッチして彼女を助けます。
 
感謝しているMJが話し掛けているのに、ピーターはのぼせ上がって何も言いません。馬鹿です。しかし鼻の下がデロデロに伸び切ったいい顔をしています。
 
席に着いて落ち着いたピーターがふと何かに気付いて手を見るとそこには、フォークがくっ付いています。それをピーターが剥がそうとすると、手首からビヨーンと白い糸が伸びます。大好きなMJと会話しただけでなく身体に触ったのですからこの糸は、つまりあれのメタファーです。男の子ならお察し頂けると思います。
 
ピーターが身体的に少年から青年に成長したことがここで豊かに描かれています。

思春期を迎えて多感な反抗期へ

身体的な変化と精神的な自信を得たピーターは、MJと家の裏手で会話をします。そこでピーターはついにMJと日常的な会話を行い、身長が高いことに気付いてもらいます。一人の男として見られたのです。
 
MJが友人のカッコいい車で出かけるのを見て、俺にも車が必要だ!と早合点します。女の子の気を引こうとする男子の思春期に突入です。

スパイダーマンになる動機はモテたい!これぞ男子!

男らしさを求めたピーターは、お金を稼ぐ為にスパイダーマンになることを決意し、モッコリになっているコスチュームを描き、賞金目当てでアマレスに出場します。ダメな奴ですが、男子ですからしゃあないです。
 
ピーターは一人部屋に籠り、部屋中を蜘蛛の巣だらけにして猛特訓します。なぜわざわざ部屋でやるのでしょうか?それは、男の子ならお察し頂けるでしょう!

失敗こそが教訓であり、成長における最大の近道

ピーターは、ベン叔父さんに嘘を付いてアマレス会場まで車で送ってもらいます。完全に思春期と反抗期を迎えているので、心配しているベン叔父さんが「大いなる力には大いなる責任が伴う」と言ってもピーターは「親父ズラしないでよ!」と噛み付いてしまいます。困ったもんです。
 
アマレスで賞金獲得の権利を得たピーターですが、主催者がクズなので10分の1もくれません。怒りが抑えられないピーターはそこへやってきた強盗を捕まえず、挙句に主催者へ嫌味を言い放ちます。
 
多感な反抗期に入り、純粋ではいられなくなっているのです。しかし、そのちっぽけな怒りによって深い後悔と贖罪を彼は一生背負うことになります。
 
これほどの事件はなかなか起きませんが、多かれ少なかれ誰もが思春期に失敗をしでかすものです。身を持って失敗して初めて言われたことの意味が理解でき、ようやく成長できるのではないでしょうか。
 
強い後悔を感じているピーターは、翼を閉じた鷲の石像の上に座って街を見下ろします。飛んで逃げたい気持ち大きな飛躍の前であることが理解できます。

社会で生きる痛みを知り、大人の入り口へ

何とかその後悔を乗り越えたピーターは、贖罪を兼ねて人助けを始めます。他者(社会)とマスクを被って積極的に関わるようになるのです。新聞社で働くのも同様の意味があります。しかしそれはあくまでマスクを被った状態です。本当の自分は閉じ籠り隠したままなので、MJとは相変わらず距離があります。
 
親友ハリーの父親であるオズボーンは、ピーターにとって父親のように尊敬している人物です。しかし、その頃からグリーンゴブリンになって暴れ始めています。ちなみに薄暗い緑は、苛立ちや嫉妬などのメタファーとして用いられる色です。
 
ピーターも嫉妬や苛立ちに心が蝕まれつつある時なので、グリーンゴブリンはピーターにとっての二面性(葛藤)のメタファーと考えることもできます。

逆さ吊りキスは喜びと向き合えない歯痒さを抱えた名シーン

そんなグリーンゴブリンとの最初の戦いを終え、MJを救ったピーターは、もはや奇声にも聞こえる歓声を上げて去ります。最高の気分でしょうね。
 
さらにその後、ピーターはまたもMJを助けます。MJが言うように殆どストーカーですが、ここは逆さ吊りキスがある名シーンです。半分マスク半分素肌というのは、文字通りそういう心の状態のメタファーです。また、このシーンは他にも逆さ吊りは真っ直ぐ向き合えないこと、雨は歓喜の涙のメタファーとして描かれています。
 
ピーターは、積極的に他者と関わるようになりましたが、その反動で多くの人から誹謗中傷され、理解されない現実にぶつかり、苦しみ、心的な痛みに苛まれます。これは社会で生きる多くの人が直面している痛みで、それと戦う用のマスクは誰もが被っているはずです。
 
痛みにぶつかったことでピーターが、大人の手前まで来ていることをはっきりと理解できます。

他者を知り、自分を理解し、大人へ

クライマックスの舞台は、橋の上です。橋は、ある地点からある地点へ移動するもので、終わりと始まりを内包した一線を越えるというメタファーがあります。ピーターは、クライマックスでこれを迫られるのです。
 
場所を廃屋の病院に移動し、半分マスクを破られたピーターはオズボーンと最後の対決をします。これはもはやスパイダーマン対グリーンゴブリンではなく、青年父親的存在です。ピーターは自分自身だけでなく、父親的存在も越えなければなりません。
 
ピーターの最大の弱点は、MJが好き過ぎるウブな心と殻に閉じ困る姿勢です。オズボーンはその弱さを見抜き、執拗にそこを攻めてきます。しかしオズボーンが弱点と見限った点は、同時に彼の信念や誇りの部分でもありました。そしてピーターは自分自身を超えて殻を破り、心の底から他人の為に立ち上がってオズボーンを越えます。

愛しのMJとついに向き合うが…

さてラストシーンです。ピーターはMJからスパイダーマンとしてではなく、ピーターとして愛を告白され、MJと正面から向き合いキスをします。真にファーストキスの瞬間です。しかしピーターは、「いつまでも君のそばにいて君を守る。僕はいつまでも君の友人だ」と言って彼女の元をさります。これは一体どういうことでしょう?
 
ピーターは最後のナレーションで「大いなる力には大いなる責任が伴う」と言い、ベン叔父さんの言葉を引用します。この言葉を咀嚼すると「自由には責任がある」ということで「何かをやるなら結果を想像しなければならない」ということを意味しています。この言葉は、大人としての自覚に直結しているメタファーです。
 
この時の真意は、2作目ではっきりと理解できるものになります。「ちゃんと稼ぎがないぼくでは、彼女を幸せにできない!」ということです。バイト暮らしの大学生だけど、好きだから結婚する!というような感情に流されただけの行動は、もはや少年ではないピーターにはできなかったのです。

メタファーを考えるともっと映画が面白くなる

ピーターは、自分の殻に閉じ困った少年から社会(他者)と対峙して自分の殻を破り、想像力のある大人に成長しました。こう解釈すると『スパイダーマン』という映画は絵空事ではなく、自分自身にとても関係のある教訓に満ちた物語に思えてきます。
 
本作は、社会の中で一人前の存在になるまでの典型的な「男性神話」を辿った作品であることがメタファーからご理解頂けるのではないでしょうか?
 
物語を見つめることは答え合わせではなく「わたしに関係のある話」として歩み寄ることに意義があります。そうやって自分なりに解釈ができた映画は、不思議と心に残り続けるものです。
 
昨日は面白いとは思えなかった映画が、今日は面白いと思えるようになることがあります。メタファーを考えることは、そこへ辿り着ける選択肢の一つなんです。

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  • mch
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    形質転換させた蜘蛛に噛まれてスパイダーマンになったピーター。人間のパワーを増大させる実験を行ってたオズボーン氏が自らゴブリンとなり、スパイダーマンと対決をする。 簡単にかけない伏線が沢山あって、マーベルすごいなあという印象。何故かアメイジングスパイダーマンから観てしまったので、画像が古かったのはやむを得ない。少し話が古くさい感じがするのも仕方ないのかな。
「スパイダーマン」
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