いつもそばにいて安心できる「彼氏」と、胸をしめつけられるような煌びやかな「過去の男」の間で揺れる、アラサー女子の心情をリアルなトーンで描いた映画『南瓜とマヨネーズ』が11月11日(土)より全国公開される。
本作は、1998年より「CUTiE Comic」で掲載された、魚喃キリコによる同名漫画の実写映画化であり、「恋愛漫画の金字塔」と呼ばれるほど、当時から乙女のバイブル的コミックであった。ふたりの男の間で惑うツチダを臼田あさ美が、ツチダの彼氏で曲がかけないスランプに陥ったミュージシャンせいいちを太賀が、さらにまったく手に入らない存在感で女を翻弄するハギオをオダギリジョーが演じるということで、キャスト面でも公開前から話題を集めている。
共感したくないのに共感せざるを得ない、どうしようもない男たちの間で自分の気持ちがわからなくなるという、キラキラ青春物語から一歩進んだ等身大の恋愛映画の魅力を、徹底解剖したい。
まるでツチダの生き写し!体当たりの演技で魅せるリアルさが観るものの心をえぐる
近年、『愚行録』や、『架空OL日記』などで独特の存在感を見せ、確実に演技力を培ってきた臼田が『桜並木の満開の下に』以来、5年ぶりの映画主演を務めた。「ツチダは臼田さん以外にありえません。臼田さん本人もそう思っているはずです」と鬼才・冨永昌敬監督に言わしめ、本人も快諾したツチダ役は、臼田の軽やかで明るいパブリックイメージとは異なる、ちょっとだらしない女。二股だってかけるし、昔の男とすぐ寝てしまう流されやすい面さえ持つ。しかし、臼田は自分のキャラクター像とは異なるツチダ役を「絶対に自分がやる」と決意し、本作の撮影まで4年もの間待った。
臼田の並々ならぬ気合いが伝わるかの如く、画面には、原作から飛び出してきたようなツチダが息づいている。恋人せいいちの音楽で生きる道に自分の夢を重ねる女像は、当然重い。お金を稼がないどころか、ミュージシャンとしての成功を目指しつつも1曲も作れない現状のせいいちに苛立ちながらも、「彼を支えるため」ライブハウスのアルバイト以外に愛人契約をしてお金を手にするツチダ。その姿はさもしいのだが、何かにすがりたいという必死な思いは、居場所のない人間ならわかるところ。どれもこれも好きだと思う男のため、自分が幸せになる道のためという言葉に置き換えたら、誰もツチダを責められないし、どうしようもなく共感し、苦しくなってしまうのだ。葛藤しながら、「私は何を…、自分が何をしているのかわからない」と女心を臼田がつぶやく場面は印象的だ。
■日常を映し出しているだけなのに、胸にずんと響くのは気づかぬ間に自分に重ねているからなんだろうな。(akari0711さん)
■原作の空気感のままの”超日常”。「わたし、今、何やってるんだろう」っていう感覚って、きっと誰にでもある。(kanako.kikuchi.さん)
■普通の日常を描いてるだけなのに退屈にならず観ていられる。というか「原作漫画なの?」と思うくらいリアリティがあり、とても好きな映画でした。(open96ynsさん)
太賀、オダギリジョー…ダメ男にハマッてしまう果てしない魔力
人気コミックの映画化において、ファンが危ぶむ要因のひとつにキャスティングがある。その点において、本作はパーフェクトに近い。なぜなら、出演者情報が解禁になるやいなや、SNSは「楽しみ」の声であふれ、湧きに湧いたからだ。臼田のツチダはもちろんのことだが(体の薄さまで似ている…!)、ツチダが同棲している元バンドマンの彼氏・せいいちの何とも言えない妙な魅力は、太賀がきっちりとやりおおせた。どうしようもないが手を差し伸べたくなってしまう「私がいなきゃ」感、だらしないが小動物のようにかわいいところ、太賀が醸し出す空気感が作品の柔らかいトーンを底支えしている。そして、後半、ようやく曲を書き歌えるようになったせいいちの姿は、観客の目を温かい涙で濡らすだろう。
一方、「今日、これだけは絶対に言ってやろう」と決意をしてデートに行くも、顔を見ると何も言えなくなり、ペースに流されてしまう。そんな強烈な男がこの世には存在するし、オダギリジョー演じるハギオなのだ。度肝を抜かれるシーンのひとつに、「私、ハギオの子ども妊娠したことあるんだよ」というツチダの投げかけに対し、ハギオは「俺ら、そんなにやったっけ(笑)?」と、軽くいなす。通常、激昂するところだが、なぜだか、ハギオの心地良いトーン・いい顔・美しい指使い?の三種の神器でこられると、女は納得するしかない。オダギリだからこそ出せる間合い、色気がふんだんに役に投影されている。いわば、せいいちが「恋をする」お相手なら、ハギオは「恋に落ちてしまう」相手である。自分の手の中に収まってくれるわけがない、愛してもらえない相手をなぜ追いかけてしまうのか。本作には、こんな命題まで詰まっているのだから見ごたえがありすぎて困ってしまう。
■臼田あさ美さんの、尽くしてあげるから好きでいてね、という”女”感も、太賀さんとオダギリジョーさんの、だらしないけど何か魅力もある、”男”のあの雰囲気も、素晴らしくて良かった(cocoa_poisonさん)
■2人の違うタイプのダメ男… 私もダメな男ばかり好きになるので、ハア〜〜どっちもわかる〜〜魅力的〜〜というつらみが凄かった。痛かった。(kinooookoさん)
『南瓜とマヨネーズ』を完成させる最後のピース、写真・川島小鳥、音楽・やくしまるえつこ
キャストやスタッフ以外で、映画にとってなくてはならないのが、ポスターなどのスチール、そして物語の全体像を決める音楽の存在。スチールは通常、劇用カメラマンが担当することが多いが、本作では第40回木村伊兵衛写真賞を受賞し、臼田や太賀の写真集も撮り下ろした川島小鳥が、全編において撮影した。映画に登場するツチダとせいいちは、恋が終わっていってしまう様子を軸に描かれるが、川島氏の写真では、ふたりが仲睦まじい恋人だった頃がふんだんに切り取られている。一緒にギターを奏でたり、公園で遊んだり、ただ部屋でじゃれ合ったり…。映像には乗らない空白の時間を、川島氏の優しい写真が埋めてくれ、我々により豊かな想像力をもたらしてくれる。
音楽やバンドも重要な要素となる本作においては、「相対性理論」のボーカル・やくしまるえつこが音楽監修と劇中歌制作を担当した。劇中で太賀が歌う楽曲も提供しているのだが、これが悶絶もののすばらしさ。「もしかして太賀の声に合った曲を作られたのでは…」と前向きに信じたくなるほど、奏でるメロディーと慈しみ深い歌声がマッチして「せいいちはミュージシャンとしてやっていけるのかもしれない」と希望を持ち、物語を明るく彩ってくれる。優れた楽曲なくして、傑作の誕生はない。『南瓜とマヨネーズ』は、すべてのほしい要素がきっちりと詰まった珠玉の恋愛映画に仕上がっている。
■太賀くんが歌う やくしまるえつこの ヒゲちゃんがまた良かった。 前に進みみたいのに進み方が わからない。そんな人に ぜひ見てほしい映画。(haruka974さん)
■せいいち役の太賀が歌うシーンは可愛らしく、そこらへんのミュージシャンより上手いかもしれない。(glassさん)
■なんといっても太賀くんの歌声に完全に引き込まれました。あの歌を聴けただけでもよかったと思います。(kukku0516さん)
◆映画『南瓜とマヨネーズ』 information
あらすじ:ツチダ(臼田あさ美)は同棲するミュージシャンの恋人・せいいち(太賀)との生活を支えるために、内緒でキャバクラで働き、生活費を工面していた。一方、無職で曲が書けずスランプに陥ったせいいちは毎日仕事もせずにダラダラと過ごす日々。しかし、ツチダがキャバクラの客・安原(光石研)と愛人関係になり、生活費を稼いでいることを知ったせいいちは心を入れ替え働き始める。そんな矢先、ツチダにとって今でも忘れられない昔の恋人・ハギオ(オダギリジョ-)と偶然、再会を果たす。過去の思い出にしがみつくようにハギオにのめり込んでいくツチダだったが。
上映時間:93分
2017年11月11日(土) 全国ロードショー
配給:S・D・P
公式サイト:http://kabomayo.com/
(C)魚喃キリコ/祥伝社・2017『南瓜とマヨネーズ』製作委員会
※2022年3月7日時点のVOD配信情報です。