『万引き家族』(2018)でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞するなど、日本のみならず海外からも高い評価を得ている是枝裕和監督。そして2022年、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞、エキュメニカル審査員賞の二冠に輝いた最新作が、『ベイビー・ブローカー』だ。
という訳で今回は、ソン・ガンホ、IU、 ペ・ドゥナ、イ・ジュヨンと、韓国のトップスターが集結した話題作『ベイビー・ブローカー』についてネタバレ解説していきましょう。
映画『ベイビー・ブローカー』(2022)あらすじ
クリーニング店を営むサンヒョン(ソン・ガンホ)と、孤児院出身のドンス(カン・ドンウォン)は、赤ちゃんポストに預けられた赤ちゃんを連れ去っては、里親に売り飛ばすベイビー・ブローカーでもあった。そんなある日、赤ちゃんをポストに預けたソヨン(IU)が彼らの行動を発見したことをきっかけに、里親を探す旅に出ることになる…。
※以下、映画『ベイビー・ブローカー』のネタバレを含みます
韓国映画界スター俳優陣の是枝組参加
『ベイビー・ブローカー』では、いわゆる「赤ちゃんポスト」…止むを得ない事情のために、生まれたばかりの赤ん坊を匿名で預けることができるシステムが大きなテーマになっている。
是枝裕和監督がこの「赤ちゃんポスト」のことを知ったのは、『そして父になる』(2013)の撮影準備中のことだった。子どもの取り違えを描いたこの作品で、養子縁組制度について調べているうちに、熊本県の慈恵病院でも同様の取り組みをしていることを知る(ちなみに慈恵病院は、赤ちゃんポストではなく“こうのとりのゆりかご”という名称を使っている)。
さらに、韓国でも「赤ちゃんポスト」が存在し、日本よりも遥かに多い数の赤ちゃんが預けられている実情を知り、是枝監督にある天啓が閃く。「神父の格好をしたソン・ガンホが赤ん坊を預かり、実は裏で横流ししているという話を作ったら、面白いのではないか?」と。
さっそく彼は短いプロットを作成し、ペ・ドゥナにコンタクトをとる。彼女は『空気人形』(2009)で一緒に映画を製作し、その後も交流を続けている仲だった。その時に彼女は、「サンヒョン役はソン・ガンホ、ドンス役はカン・ドンウォンが良い」とアドバイス。本当にその通りになったのだから、ある意味でペ・ドゥナは影のキャスティング・ディレクターと言えるかもしれない。
ペ・ドゥナはサンヒョンを執拗に追いかけるスジン刑事役を演じることとなり、彼女と行動を共にする相棒刑事役にはイ・ジュヨンが抜擢される(筆者の完全なる私見だが、この映画のイ・ジュヨンは あいみょんに似てると思います!)。そして赤ちゃんの母親ソヨン役には、“国民の妹”と称されるほどの国民的歌姫 IU(イ・ジウン)!
かくして『ベイビー・ブローカー』には、韓国映画のスターが勢揃いする。
月尾テーマパークの大観覧車が象徴するものとは?
釜山(プサン)を北上して、浦項(ポハン)、盈徳(ヨンドク)、蔚珍(ウルチン)、そしてソウルへと向かっていく『ベイビー・ブローカー』は、ロードムービーとしての色合いが強い。赤の他人だった彼らは同じ乗り物に身を寄せ合い、時間を共有することで、少しずつ疑似家族としての絆を強めていく。
彼らの移動手段は自動車とKTX(韓国高速鉄道)だが、この映画にはもう一つ“乗り物”が登場する。仁川(インチョン)市街地にある月尾テーマパークの大観覧車だ。印象的なのは、ヘジン(イム・スンス)が「高いところが怖い」と気分が悪くなってしまうこと。
このシーンを見て、筆者は思わず『パラサイト 半地下の家族』(2019)を思い出してしまった。監督のポン・ジュノはこの映画で、韓国社会の経済格差を徹底的に“高低差”でビジュアライズしてみせる。富裕層は坂の上に佇む豪邸に、貧困層は坂の下にある半地下住宅に。
そう考えると、施設で生まれ育ったヘジンが高い場所に慣れ親しむことができないのは、非常に示唆的だ。是枝監督もまた、ポン・ジュノ的な“高低差”演出で経済格差を描き出したかったのでは?と邪推してしまう。ちなみに本作で撮影を担当したホン・ギョンピョは、『パラサイト 半地下の家族』の撮影監督でもある。
常に“揺れる”ことで、観客を“揺さぶる”映画
是枝裕和監督曰く、撮影監督のホン・ギョンピョは「雨風が大好き」らしい。確かに『ベイビー・ブローカー』でも、しとしと降る雨だったり、吹き抜ける一陣の風だったり、雨風にこだわったシーンが満載。そして風にこだわっているということは、花びらがヒラヒラ舞ったりするような、画の中で何かが“揺れる”ことにこだわっているということだろう。
『ベイビー・ブローカー』において、この“揺れる”というモチーフは非常に重要なものに思われる。例えば、ソン・ガンホ演じるサンヒョンは、赤ちゃんを裏ルートで売り捌く闇ブローカーでありながら、誰よりも赤ん坊のことを気にかけている好人物。正邪の狭間で揺れ動いているキャラクターなのだ。定形のステレオタイプに押し込めず、矛盾を抱えた人物造形にすることが、是枝式作劇法。画が”揺れている”のみならず、登場人物も”揺れている”。映像とキャラクターの高いシンクロ率が、本作の推進力となっている。
そしてこの映画は、観ている我々観客をも強く“揺さぶる”。是枝監督は、スジンの「捨てるなら、産むなよ」というセリフに象徴されるように、母親ソヨンに対するバッシングが大半を占めるだろうと考えた。だが、彼らの旅路を観客も一緒に歩むことで、その目線が少しずつ変わっていくのではないか、とも考えたと言う。
ある一つの価値観から、別の価値観も肯定できるような物語へ。『ベイビー・ブローカー』は常に“揺れる”ことで、我々を“揺さぶる”映画なのだ。
“いのち”を力強く肯定する物語
『そして父になる』や『万引き家族』で描かれてきたように、「疑似家族の物語」は是枝裕和監督が繰り返し描いてきたモチーフだ。カンヌ国際映画祭の公式会見で、
「監督はトリロジー三部作をこの作品で完成させているような感覚はありますか?『そして父になる』、『万引き家族』、この作品で終わらせている感覚はありますか?」
という質問に対し、是枝監督は
「僕の中でも直線的に『そして父になる』からこの『万引き家族』と『ベイビー・ブローカー』はつながっております」
と発言している。
だが「疑似家族の物語」である以上に、本作は「いのちの物語」だ。「いのちを力強く肯定する物語」だ。
2022年6月29日に放送された『NHK クローズアップ現代 僕はまだ成長できる〜映画監督・是枝裕和の挑戦〜』で、是枝監督は相模原障害者施設殺傷事件について言及している。神奈川県の知的障害者福祉施設で、元施設職員が施設に侵入し、入所者19人を刺殺した痛ましい事件。逮捕後、被告は「役に立たない人間を生かしておく余裕は社会にはない」と発言した。それに是枝監督は危機感を感じ、被告と接見する機会を得たのだと言う。
「生きるに値しない命というものがあるのか?ということ。やはり前提が崩れてきている気がします。それは、自己責任という言葉が声高に言われるようになって以降だと、僕は思いますけども。(中略)役に立つか立たないかということが、命の基準に適用され始めている気がしていて。そのことに抗いたい、という気持ちはあるんですよね」
(NHK クローズアップ現代 是枝裕和インタビューより抜粋)
「選別」と「排除」。そんな空気感が漂い始めている現在だからこそ、「疑似家族の物語」のさらに向こう側…「いのちを力強く肯定する物語」を語ることを決心したのだろう。
『ベイビー・ブローカー』には、最も尊く、最も普遍的なメッセージが刻まれている。
※2023年7月24日時点の情報です。