【追悼】高畑勲監督が残した愛すべき作品たち

2018.04.08
映画

「映画」を主軸に活動中のフリーライター

春錵かつら

火垂るの墓』『かぐや姫の物語』など、数々の名作を手掛けた高畑勲監督が、2018年4月5日に亡くなりました。82歳でした。

高畑勲

大の親仏家だった高畑監督の訃報を受け、フランス政府はいち早く追悼メッセージを寄せ、フランスでは急遽その夜に追悼番組として『火垂るの墓』が放映されました。

アメリカのメディアでは「アニメ界の巨匠」「漫画アニメの開拓者」「アニメーション界の伝説」と高畑監督を讃え、イギリスのガーディアン紙ではトップ記事に、フランスのル・モンド紙では特集ページを掲載。その他にもイタリア、スウェーデン、スペイン、ポーランド、ベトナムなど世界中で訃報が報じられ、その後も国内外から続々と監督の死を悼む言葉が寄せられています。

高畑勲と宮崎駿の絆

1935年10月29日、7人目の末っ子として三重県に生まれた高畑監督。東京大学で文学部仏文科を専攻し、フランス文化に傾倒します。アニメ業界入りを決意したのも在学中に観たフランスの長編アニメ『やぶにらみの暴君』(52)に感銘を受けたのがきっかけでした。

大学卒業後に東映動画に入社して数々の作品を手掛け、その頃、宮崎駿監督と出会いました。その後、宮崎監督と共に何度も会社を移籍し、テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」などを手掛けます。

1985年、今や世界中の誰もが知る「スタジオジブリ」の設立に参画。

数々の映画賞を手にする一方で、1998年に紫綬褒章を、2015年にはフランス文化の普及に貢献した人物などに授与される芸術文化勲章オフィシエも受章しています。

宮崎監督とは長年二人三脚で作品を作ってきた盟友で、晩年は一緒に作品を作ることは少なくなりましたが、その信頼関係は強固。映画プロデューサー鈴木敏夫氏によると、宮崎監督が一番自分の作品を観せたい相手は高畑監督で、宮崎監督が見る夢にはいつも高畑監督しか出てこないと話したというエピソードがあるほど。宮崎監督の心中は察するに余り有ります。

高畑勲が教えてくれた異国の風景

高畑監督はそのリアリズム志向から、国内外を問わないロケハンや徹底的に調べ上げた資料を元にリアリズムあふれるアニメを構築しました。そこにあるのは原作に対する誠実さ。そしてなんといっても映像表現への強いこだわりです。とことん原作に向き合い、そして今までにない試みを加えて新しい物語を誕生させるのが、高畑監督のやり方でした。

今となってはアニメ映画の監督・演出家という肩書きが定着していますが、その才能はテレビアニメの演出時代から培われたもの。手掛けたテレビ作品は「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」に加え、「母をたずねて三千里」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などなど。

当時、リアルタイムで視聴していた私のような子供たちが、まだ見たことのない雄大な自然や異国の空気、憧れのどこか懐かしい街並みの様子を知ることができたのは、全て、といっても過言ではないほど高畑監督の徹底した調査と緻密なこだわりのおかげです。

ジブリ設立後は、遅筆ではありながらも数々の映画作品を発表、常に新しい試みに挑みました。宮崎監督は空を描く作品が多いのに対し、高畑監督は地に根差した作品を多く生んでいます。天と地をそれぞれ追った二人。

東映動画時代、よく遅刻をして食パンを“パクパク”食べていた姿を見た宮崎駿監督が「パクさん」と呼んで親しんだ高畑監督に、敬意と哀悼の意を表して、監督の代表作とその試みを振り返りたいと思います。

高畑勲の名作たち

太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)

高畑勲

アイヌの伝承をモチーフにした人形劇の戯曲を基に作られた、高畑勲監督の記念すべき初監督作品。少年ホルスが手にした太陽の剣と共に、ある村の村人たちの中で成長をする姿が描かれます。

50年経った今観ても「すごい」としか言いようのない作品で、CG技術がまだ発達していなかった時代に制作されたにもかかわらず、自由に動き回るカメラアングルのダイナミズム、奥ゆきの深い立体的な構図。ジブリ好きなら、いや、アニメ好きなら絶対に観るべき一作。

登場人物たちの繊細な心理描写にも、説得力に唸る場面が何か所もあります。

市原悦子さんが声を務めているヒロイン・ヒルダには、高畑監督の最後の作品となった『かぐや姫の物語』のかぐや姫の面影を感じ取ることができますし、そこかしこにその後のジブリ作品の片鱗を垣間見ることができます。

『火垂るの墓』(1988年)

高畑勲

高畑勲監督の名前を一気に世界に知らしめたのが本作。野坂昭如の体験を基に書かれた短編小説に、監督自身の戦争体験も重ねて描いた作品です。主人公の清太の死から描かれるショッキングな冒頭に始まり、清太と妹・節子の絆やそこへ至るまでの経緯、戦争の悲惨さが痛いほど伝わる作品となっています。

物語の舞台となる1945年当時の風景を完全に再現、作画には『シン・ゴジラ』の監督・庵野秀明も参加していました。

1988年の公開は、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映という、日本アニメ界の二大巨頭による夢の二本立て! ところが彩色が間に合わず未完成のまま公開、高畑監督はアニメ演出家廃業を決意します。ですが、宮崎監督の説得で3年後に監督として復帰しました。

おもひでぽろぽろ』(1991年)

高畑勲

舞台は1982年。27歳になるOL岡島タエ子(今井美樹)が休暇を取って親類の住む田舎を訪れ、小学5年生の子供時代を回想することで精神的に自立していく姿を描いています。タエ子の相手役トシオの声を演じたのは柳葉敏郎。当時、小学生だった高橋一生もひとことふたこと、声の出演をしています。

本作の一部で高畑監督は、演者の音声を事前にレコーディングしてから、アニメを制作するというプレスコ手法を採用。それ以降の高畑作品は全てこの手法を採っています。

また、1982年のシーンはハッキリとした色調、1966年のシーンでは淡い色調と、画面のトーンを変えて描き、現実と思い出を感覚的に区別できるよう工夫がなされているのが素晴らしい。

今でもこの映画を観るたびに胸がキューっと甘く痛みます。原作は、岡本螢・刀根夕子の漫画で小学5年生の少女の物語ですが、本作で高畑監督は原作には描かれていない大人になったタエ子を登場させました。そしてこう言っています。

「これはタエ子の物語ではない。この映画を観た人がタエ子を通して、それぞれの物語に戻っていくのだ。」

平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)

高畑勲

開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、その土地に棲むタヌキたちが知恵を絞り、人間に対抗する姿を描いた本作。ジブリでは初のCG使用作品でもあります。野々村真、石田ゆり子、泉谷しげるなどが声の出演をしています。タヌキたちが妖怪大作戦を決行するシーンでは、トトロやキキ、タエ子やポルコといったジブリ作品のキャラが出演していたり、構成に協力した漫画家・水木しげるをモチーフとした「水木先生」が登場したりと楽しい「隠れ見どころ」もたくさん。

高畑監督は“民家にタヌキが出没しては車に轢かれる”という当時頻発していた事件と本作を結びつけ、多摩でタヌキの保護・自然環境保全を実践する団体へ取材を行いました。監督が本作で試みたのは“ドキュメンタリーのアニメ化”でした。それがタヌキ社会(自然)から人間社会へ対しての警告であり告発である、という様相を通過し、本質へと近づいて行く。観客に説教をすることなく、問題と責任を突きつけ、ささやかな期待を投げかけるのは見事としか言いようがありません。

『かぐや姫の物語』(2013年)

高畑勲

日本人なら誰もが知る「竹取物語」を誰も見たことのない作品へと生まれ変わらせた一作。今でも初めて本作を観た時の衝撃は忘れません。

翁の声を地井武男、媼は宮本信子が務め、2011年には台詞の収録が行われていました。地井さんはその後2012年に作品の完成を待たずに他界。高畑監督の採ったプレスコ手法のおかげで(一部、三宅裕司が務め)私たちは地井さんの最期の作品の完成を目にすることが出来ました。音楽は久石譲が担当していますが、挿入歌である「わらべ唄」「天女の唄」は、高畑監督による作曲です。

CG全盛期のアニメ業界にあって手描きの線の描写にこだわりぬき、「絵が動く」というアニメーションの原点を改めて思い出させる意欲的な作品で、世界中から高い評価を得ました。以前からラフスケッチをそのまま動かしたようなものを作りたいと思っていた高畑監督が採ったその手法は、CGでもない、背景とキャラクターが別に描かれたセル画でもない。従来のアニメ制作とは全く異なった、背景とキャラクターが描かれた一枚の絵を動かして行く「絵画作品の連続体」という、気の遠くなるような作業工程でした。たった3秒のシーンに300枚もの作画が必要と聞くと、その大変さが想像できるでしょうか。

水彩画や絵巻物が動いているようなダイナミックで不思議な映像の美しさは圧巻。昔の人々の暮らすさまにもこだわりが感じられます。

製作費50億円という日本映画としては破格の予算をつぎ込み、製作期間は8年。前作から実に14年ぶりの監督作となりました。受賞は逃したものの、アメリカ・アカデミー賞の長編アニメ部門にもノミネート、世界中の映画祭で数々の受賞を果たしています。

さいごに

高畑監督は一貫して「生きる」ということをテーマに作品を作り続けました。自由意志と公平を愛し、集団意識の良さの一方でその恐怖と危険性を描いた人でした。そしてなにより、アニメ作りを心から愛している人でした。遺作となった『かぐや姫の物語』では、完成時に監督が「僕が今OKと言ったら映画は完成ですか?」とスタッフに訊ね、そうですと答えられると「まだやっていたい」と言ったというエピソードもあるほど。

そして、高畑監督は以前インタビューでこんな言葉を残しています。

「僕は自分には才能がないと思っています。特に横で宮崎駿を見ているとね。彼は天才。だから僕は違うものを作ろうという発想に至りました。大切なことは、アニメが好きであること。そして自分でやったことが少しでも前進していると自覚すること」

もっと新作を観たかった高畑監督、心からの感謝と哀悼の意を込めて。

この仕事が好きであること、そして自分がやったことが少しでも前進していると自覚して、私は今日も生きてゆきます。流されることなく。

(C)2013 dwango、(C)1991 岡本螢・刀根夕子・GNH、(C)2013 畑事務所・GNDHDDTK

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