『ダークナイト』や『インターステラー』などを手がけ、今やアメリカを代表するヒットメーカーとなったクリストファー・ノーラン監督。
彼の作品はどれも複雑怪奇なパズラー的要素をはらんでいるが、その頂点とでもいうべき作品が2010年に公開された『インセプション』だろう。
幻想的な作風で知られるアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集「伝奇集」にインスパイアを受けたという本作は、夢の世界で繰り広げられる新感覚サスペンス。
構想に20年を要し、クリストファー・ノーラン自らが書き上げたシナリオは、一見しただけでは脳内処理しきれないほどの複雑さを極めている。
という訳で、今回は『インセプション』をネタバレ解説していきましょう。
映画『インセプション』あらすじ
他人の頭の中に潜り込んで、潜在意識から情報を抜き出す産業スパイのコブ(レオナルド・ディカプリオ)。彼の元に、実業家のサイトー(渡辺謙)から仕事の依頼が舞い込む。
その内容は、ライバル企業を倒産に追い込むために、会長の息子ロバート(キリアン・マーフィ)の頭の中に侵入して、「会社を潰す」というアイデアを植えつけるというものだった。
コブは選りすぐりのメンバーを集めて、この不可能と思われるミッションに挑戦する。しかし夢の中に潜入すると、思いがけない事態が彼らを待ち受けていた…。
※以下、映画『インセプション』のネタバレを含みます。
映画『インセプション』基本ルールを徹底解説
この映画がややこしいのは、とにかくルール設定が複雑だから!
映画の1/3くらいは、ルール説明だけに終始しているんではないか、と思うくらいだ!!(軽くディスってすいません)。コレを理解しておかないと話がサッパリ分からないので、最低限の基礎知識をざっとおさらいしておきましょう。
夢
『インセプション』では、夢の世界は多層構造になっている。
第一階層の夢の世界で夢を見ると第二階層へ、第二階層の夢の世界で夢を見ると第三階層へ。深い階層になるほど時間の経過が遅くなる。夢から覚めさせるには、夢の中で死亡するか、「キック」と呼ばれる手法(詳しくは後述)が採られる。
ターゲットの夢の中に潜入することで、エクストラクション[情報を抜き取ること]、インセプション[情報を植えつけること]が可能に。ターゲット側も訓練を受けることで、潜在意識を武装化させて、侵入者たちを排除することができる(なんという設定だ…)。
キック
熟睡状態でも人間の三半規管は機能しているので、平衡感覚を崩すことで強制的に眠りから覚ますことができる。たとえば、椅子を倒す、橋からジャンプする、水を張ったバスタブに落下するなど。
眠っている人に足蹴りを食らわすことではないので、念のため。
ドリーマー
夢の世界は、複数人で共有することができる。その夢の主(ホスト)のことをドリーマーという。夢の各階層ごとにドリーマーが必要となる。なおドリーマーが死亡してしまうと、その階層は崩壊してしまう。
設計士
共有する夢の世界の構築・設計を担当する者のこと。アリアドネ(エレン・ペイジ)が担当。
現実との境界線が曖昧になって目覚めにくくなってしまうという理由から、自分の記憶に基づいて世界を設計することはNG。完全な想像の産物でありながらも、ターゲットが夢を現実と思い込んでしまうような、リアリティーと細密さが要求される。
また夢の設計には、遺伝学者ライオネル・ペンローズ&数学者ロジャー・ペンローズ親子が考案した「ペンローズの階段」を応用した理論が実践される。
ペンローズの階段
これはエッシャーの絵画でも有名な「三次元ではありえない無限に上昇する階段」という一種の騙し絵。敵を撹乱させたり、対象者に夢の階層を意識させないために使われる。
偽装師
他人になりすましてターゲットの思考を誘導する者のこと。イームス(トム・ハーディ)が担当。
調合師
夢の世界を安定させる鎮静剤を作る者のこと。ユスフ(ディリープ・ラオ)が担当。
今回のミッションにあたっては、3階層分の夢でも対応できるように超強力な鎮静剤を調合した。
トーテム
侵入者が「夢の中にいるのか、現実世界にいるのか」を判断するために利用する道具。
道具自体は特にコレと決まっている訳ではなく、各人ごとに違っていて、コブはコマを愛用している。コマが回り続ければ夢の中、途中で止まれば現実という設定だ。
夢の多重構造を徹底解説
『インセプション』の基礎知識をおさらいしたところで、多重構造となっている夢の世界についてもまとめておこう。これも理解しておかないと話がサッパリ分からなくなるので、「試験に出るよー」レベルでの必須知識となる(どれだけ勉強が必要なんだ、この映画!)
まず重要なのが、時間の経過について。作品の中で調合師のユスフが、
夢の機能は通常の20倍だ
と語るシーンがある。
彼の説明によると、夢の世界では時間が現実世界の20倍もゆっくりと流れ、現実世界の10時間が夢の第1階層では1週間、第2階層では6ヶ月、第3階層では10年近くとなる。
それを踏まえて、それぞれの夢の階層をサクっとまとめるとこんな感じ。
■第1階層
場所:ロサンゼルス
ドリーマー:ユスフ
夢の共有メンバー:コブ、アーサー、アリアドネ、イームス、ユスフ、サイトー、ロバート
目的:ロバートに「遺言」について強く意識させることで、疎遠だった父親との関係性を見つめ直す機会をつくる
雨が降っているのは、ドリーマーであるユスフがシャンパンを飲みすぎて尿意を覚えているから。
■第2階層
場所:ホテル
ドリーマー:アーサー
夢の共有メンバー:コブ、アーサー、アリアドネ、イームス、サイトー、ロバート
目的:ロバートに「本当に自分がやりたいことは何なのか?」を改めて考えさせる
ターゲットに「ここは夢の中である」ことをあえて教えて、第3階層へと導く「Mr.チャールズ」という作戦が実行される。
■第3階層
場所:雪山の病院
ドリーマー:イームス
夢の共有メンバー:コブ、アリアドネ、イームス、サイトー、ロバート
目的:ロバートと父親を会わせて和解させることで、父親の事業を引き継ぐのではなく、自分自身がやりたいことを突き進むように誘導する(インセプション=植え付ける)。
スノーモービルに乗った警備兵(ロバートの武装化された潜在意識)との大激闘が展開される。
■虚無
場所:永遠の奈落を繰り返す街
ドリーマー:コブ
夢の共有メンバー:コブ、アリアドネ、ロバート
虚無とは、潜在意識の奥深くにある場所。ここに落ちてしまうと、現実に引き戻されても心だけは虚無の中に置き去りにされてしまう(一種の植物人間状態に陥る)。
コブは妻のモリーと約50年間、ここで暮らしていた。
映画では第1階層、第2階層、第3階層、虚無でのストーリーがカットバック(同時に発生しているシーンを交互につなぐ演出)で展開されるので、めちゃめちゃややこしい!
日本で地上波放送された時には、今どの夢の階層にいるのかを親切にテロップ表示していたくらいだ。
キャラクターの名前に隠された意味とは
実はこの映画、主要登場人物の名前にも秘密が隠されている。
ドミニク・コブ(Dominic Cobb)
主人公コブの名は、クリストファー・ノーランのデビュー作『フォロウィング』に登場する泥棒のCobbを引き継いだものと思われる。
「Cobb」には、サンスクリット語で「夢」という意味があるが、キリスト教的な解釈をすれば、旧約聖書に登場するヤコブ(Jacob)に由来するものとも考えられる。
ヤコブはヘブライ人の族長であり、ユダヤ人は全てヤコブの子孫と考えられていることから、チームリーダーにふさわしい名前といえるだろう。
モリー・コブ(Molly Cobb)
マリオン・コティヤールが演じる、コブの死んだ妻モリー・コブ。ギリシャ神話に登場する“夢を司る神”モルペウス(Morpheus)が由来と思われる。
本作では幻影としてコブを苦しめることになる。Mollyの愛称「Mal」にはフランス語で「悪い」という意味もあるように、文字通りコブのダークサイドを指し示す名前なのだ(マリオン・コティヤール自身、フランスの女優である)。
イームス(Eames)
トム・ハーディ演じる偽装師イームス。イームスと聞くと、イームス・チェアで知られる著名な家具デザイナーのイームス夫妻を連想するが、たぶんあまり関係がない(あったらスイマセン)。
Dr.Eames(イームス博士)という表記はそのままDream(e)s、「複数の夢=階層化された夢」とも読めることから、文字遊び的に着想した名前ではないかと思われる。
アリアドネ(Ariadne)
エレン・ペイジ演じるアリアドネは、ギリシャ神話に登場する女神のこと。ミノタロウスを退治した英雄テーセウスが、クレタ島の迷路から脱出するのを手助けしたことで知られる。
「虚無」という迷宮に迷い込んだコブを現実に引き戻す役回りには、最適な名前だろう。
アーサー(Arthur)
ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じるアーサー。
アーサーと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、やはり「アーサー王と円卓の騎士」で知られるブリテンの王アーサー(King Arthur)だろう。聖剣エクスカリバーを手に、巨人退治など様々な冒険を重ねた英雄だ。
コブの最も良きパートナーとして、これほど心強い名前はない。
ユスフ(Yusuf)
コブがヤコブとすると、その息子ヨセフがユスフの由来と考えられる。
旧約聖書によれば、ヨセフは夢の話を語ったところ兄弟の妬みを買ってしまい、穴に落とされてしまったという。散々な話だが、『インセプション』的には「穴に落ちる=夢の中に入る」という繋がりも読み取れる。
名前のトリビア
最後にトリビアをひとつ。映画の主要人物の名前を並べてアタマの一文字を抜き出すと、DREAMS(夢)という単語になるのだ!
D(Dominic Cobb)
R(Robert)
E(Eames)
A(Arthur、もしくはAriadne)
M(Molly Cobb)
S(Saito)
こういう芸の細かさが、いかにもクリストファー・ノーランです。
ラストに仕掛けられた最大の謎。コマは止まるのか? 回り続けるのか?
この映画の最大の謎、それはやはりエンディングだろう。
念願叶って子供に再会できたコブ。その傍らでは、トーテムであるコマが回っている。コマが回り続ければ夢の中、途中で止まれば現実。
しかし映画では回り続けるとも止まるとも判断できない「寸止め」で終わってしまい、鑑賞者にとてつもないモヤモヤ感を与えてしまう。
果たしてこれは現実なのか? 夢なのか?
そのネタバレ、ではないが、マイルズ教授役で出演したマイケル・ケインは某ラジオのインタビューで、
コマは最後に倒れるよ。
夢に一度も出ていない私が最後に登場しているということは、あれは現実だということだ。
と答えている。
だがこれは彼個人の意見であるからして、その信ぴょう性は高いとはいえない。この問いに答えられる人物は世界でただ一人、クリストファー・ノーランだけだ。
だが彼は現在に至るまで明言を避けている。その判断はあくまで鑑賞者に委ねるというスタンスを崩していないが、その一方でこんなコメントも残している。
最も重要なことは、あのシーンでコブがコマを見ていないということだ。
あの時彼は、コマではなく子供たちを見つめていた。
コブはコマを捨てた、ということなんだ。
ノーランが訴えたかったのは、現実なのか夢の世界なのかという「自分の居場所」が重要なのではなく、「自分が何をしたいのか」という根源的な自己欲求こそが大切なのだ、ということだろう。
それはロバートが、相続する「会社」という場所に対して安易に自分を位置づけるのではなく、まず自分が何をしたいのかを自己決定させるという、『インセプション』のメインプロットにも通じている。
複雑怪奇なストーリーに周到に隠されたアツいメッセージ。あなた自身も知らず知らずのうちに、その想いが「インセプション」されているかもしれない。
(C)2010 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
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