アルフレッド・ヒッチコックは何故、サスペンスの神様となったのか?【フィルムメーカー列伝 第十四回】

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

“サスペンスの神様”と称され、世界中に多くのファンを持つアルフレッド・ヒッチコック

その優れた演出術はフランソワ・トリュフォーなどフランスの若い映画作家からも高く評価され、ロングインタビューを収録した「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」は今なお映画の教科書として愛読されている。

この書籍を題材にしたドキュメンタリー映画『ヒッチコック/トリュフォー』(15)には、

ウェス・アンダーソン(代表作:『ライフ・アクアティック』)
オリヴィエ・アサイヤス(代表作:『パーソナル・ショッパー』)
ピーター・ボグダノヴィッチ(代表作:『ペーパー・ムーン』)
デヴィッド・フィンチャー(代表作:『ファイト・クラブ』)
黒沢清(代表作:『CURE キュア』)
リチャード・リンクレイター(代表作:『6才のボクが、大人になるまで。』)
マーティン・スコセッシ(代表作:『タクシードライバー』)

といった現役の有名映画監督たちがインタビュー出演して、そのテクニックを賞賛。ヒッチコックが1980年にこの世を去ってからも、その卓越した作家性は現代のフィルムメーカーに刺激を与え続けている。

ヒッチコックトリュフォー

という訳で【フィルムメーカー列伝 第十四回】は、筆者も超リスペクトの映画界の巨人、アルフレッド・ヒッチコックについて解説していきましょう!

「字幕係」としてキャリアをスタートさせたイギリス時代

アルフレッド・ヒッチコックは1899年8月13日、ロンドンのレイトンストーン生まれ。幼少の頃からシャイで友達が少ないタイプで、よく一人で地図を広げては空想の旅行を楽しんだという。

20歳のときにアメリカ映画会社フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー(後のパラマウント)のロンドン支社に採用され、「字幕係」として映画人としてのキャリアをスタート。当時映画はまだサイレントで、手書き文字による字幕をつけることが一般的だった。ロンドン大学の美術学部で絵画を学んでいたヒッチコックは、デザイン的に工夫を凝らした字幕制作を次々に手がけ、以降3年間で10本以上の映画に携わった。

やがて映画スタジオのスター監督だったグレアム・カッツの元で、脚本、助監督、編集、美術監督と様々な職種を経験し、映画技術をさらに磨いていく。だが、このグレアム・カッツという人物がとんでもない女たらしで、ベルリンで撮影中に愛人と蒸発するという事件を起こしてしまう始末。

業を煮やしたプロデューサーが「どうだ、監督として一本撮ってみる気はないか」と打診し、監督になる気は全くなかったヒッチコックは成り行きでメロドラマ『快楽の園』(25)を演出することになる。“サスペンスの神様”ヒッチコックの処女作は、意外にもサスペンス要素のない通俗的な恋愛劇だったのだ。

ヒッチコックにとって初めてのスリラー映画となったのが、監督3作目となる『下宿人』(26)。

下宿人

有名な「切り裂きジャック事件」を題材として、ブロンド美女ばかりを襲う謎の連続殺人事件を扱った本作は、興行的にも大ヒット。実質的にこの『下宿人』がヒッチコック・ピクチャーの第1作と呼んで差し支えないだろう。

その後も『ヒッチコックのゆすり』(29)、『殺人!』(30)など断続的にサスペンス映画を手がけるものの、基本的にはプロデューサーからあてがわれたシナリオを職人監督として演出する日々。

「自分が生きる道はサスペンス映画以外になし!」と一念発起したヒッチコックは、自ら企画を売り込んで『暗殺者の家』(34)を発表。これはイギリス時代最大のヒット作となり、これ以降、彼はサスペンス映画のみを手がけるようになる(女優キャロル・ロンバードのたっての頼みで、1941年に『スミス夫妻』というコメディ作品を撮ることになるが、これは唯一の例外)。

暗殺者の家

スリラー作家の第1人者としての地位を完全に確立したヒッチコックは、『三十九夜』(35)、『サボタージュ』(36)、『第3逃亡者』(37)、『バルカン超特急』(38)などヒット作を次々に発表。

その名声はアメリカにも及び、映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに請われて、遂にハリウッド進出を果たすことになる。

スターと組んで次々に傑作を発表するハリウッド時代

ヒッチコックのハリウッド進出第1弾作品は、イギリスの小説家ダフニ・デュ・モーリエ原作の『レベッカ』(40)。

レベッカ

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『風と共に去りぬ』で知られる豪腕プロデューサーのセルズニックは、カネも出すがクチも出すというタイプで、撮影は完全なる映画会社主導で行われたという。さしもの“サスペンスの神様”もイギリス時代とは全く異なる映画製作のやり方に苦労するが、諸々の悪条件にも関わらず『レベッカ』はその年のアカデミー作品賞を受賞。

本人はそれでも自分の作品として本作を評価していないようで、「(アカデミー賞は)私ではなくセルズニックに与えられた賞だよ」と後年語っている。

セルズニックとの契約はその後10年間続いたが、直接彼がプロデューサーとして携わったのは『白い恐怖』(45)と『パラダイン夫人の恋』(47)のみ。それ以外の作品は、金銭問題に悩まされていたセルズニックが、ヒッチコックを他の映画会社に貸し出すという形がとられた。

映画会社からの横槍が入ることを望まないヒッチコックにとって、これは不幸中の幸いだったといえるだろう。セルズニックの元を離れ、水を得た魚のように活力を蘇らせたヒッチコックは、次々と傑作・実験作・野心作を発表していく。

たとえば1948年の『ロープ』は、1924年に実際に起きた「レオポルドとローブ事件」を題材にした作品で、何と全編をワンシーンで繋げるという大実験を敢行している。

ロープ

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実際には当時のフィルムの最大記録時間は10分少々だったため、上映時間丸ごとワンカット撮影という訳ではない。フィルムの終わりには必ず登場人物がカメラの前に立ってレンズを覆い隠すことで、全体がスムーズに繋がっているように見える工夫が凝らされている。

1954年に発表した『ダイヤルMを廻せ!』は、本格的な劇映画としては初の試みとなる3D映画として製作された。立体効果を出すために、被写体を下から上に見上げる「あおり」やロー・アングルが印象的に使われている。

ダイヤルMを廻せ!

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以降も、ケイリー・グラント、ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリーといったスター俳優と組んで、『知りすぎていた男』(56)、『めまい』(58)、『北北西に進路を取れ』(59)などヒット作を連発。

また1955年からは、テレビ番組『ヒッチコック劇場』がスタート。自ら出演するホスト役となり(要は『世にも奇妙な物語』におけるタモリ的役割です)、テレビの世界でミステリードラマを定着させるきっかけとなった。ヒッチコックは映画、テレビの両メディアで押しも押されぬ巨匠となったのである!

しかし、演技経験のない金髪モデルのティッピー・ヘドレンを『』(63)に起用してから、ヒッチコックの迷走が始まってしまう。完全に彼女にのぼせ上がってしまった彼は、彼女に対して執拗な性的嫌がらせをするようになるのだ。

去年から「Me Too」運動が世界的に浸透したことで、女性が男性に対して性的被害を告発するケースが増えてきたが、1960年代当時はそんなことは夢のまた夢。ティッピー・ヘドレンは精神的苦痛に耐えながら、必死に芝居を続けた。

映画よりもティッピー・ヘドレンへの執着が強すぎるあまりか、『鳥』に続いて彼女を主演に迎えた『マーニー』(64)は作品的・興行的にも失敗。その後も低迷は続き、『引き裂かれたカーテン』(66)、『トパーズ』(69)では、かつてのヒッチコック・タッチはすっかり鳴りを潜めてしまった。

しかしヒッチコックは、故郷イギリスに戻って製作した『フレンジー』(72)で息を吹き返す。

フレンジー

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ネクタイで女性を絞殺するという連続殺人事件を描いた本作は、ヒッチコックの流麗かつ変態的なタッチが横溢する一級品スリラー。

絶世のクール・ビューティにこだわり続けたヒッチコック映画には珍しく、この作品にはブロンド美女がいっさい登場しない。ティッピ・ヘドレンへの妄執から逃れることで、サスペンス作家としての原点回帰を果たしたのだ。

監督業への意欲は生涯衰えることはなかったが、1980年にエリザベス二世からナイトの称号を授与された4ヶ月後、ヒッチコックは腎不全のため80歳でこの世を去る。映画を愛し、映画をとことん突き詰め、映画に全てを捧げた生涯だった。

ヒッチコックの考える“サスペンス”の正体とは?

そもそもサスペンスとは一体何なのだろうか?

サスペンスという言葉は、英語のsuspend(サスペンド=宙吊り)に由来している。つまり精神的に宙ぶらりんになっていて、「不安感」や「ハラハラ感」が持続している状態のことを指すのだ。……といってもよく分からないと思うので、ヒッチコック自身の言葉からサスペンスの意味を紐解いてみよう。

前述の「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー」で、トリュフォーが「ミステリーはサスペンスではないでしょうか」と問うのに対して、ヒッチコックはこんな回答をしている。

わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない。

謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。

シャーロック・ホームズや金田一耕助が登場するような推理ものは「一種のパズル・ゲーム」であって、サスペンスではない(映画的ではない)と明確に否定している。

では、ヒッチコックのいう「エモーション」とはどういうことだろうか? 彼は続いてこんな例を示している。

ひとりの怪しい人物がだれかの部屋に忍び込んで机のひきだしをひっかきまわしてさぐっているとする。と、そこへ、その部屋の住人が階段をのぼってくるところをワン・カット見せる。

そして、また部屋のなかで懸命にさがしている男のところに戻ると、観客は「気をつけろ!急げ!だれかくるぞ!」と言いたくなるものなんだよ。

映画の登場人物を観客と同化させること、それにより観客の感情=エモーションを大きくかきたてること。これこそが、ヒッチコックの考えるサスペンスの核なのだ!

なお、ヒッチコックが例として取り上げたシチュエーションとまったく同じ場面が『裏窓』(54)に登場するので、ぜひチェックしてみてください。

裏窓

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またヒッチコックは、サスペンスとサプライズの違いについても言及している。

今、わたしたちがこうして話し合っているテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられているとしよう。しかし、観客もわたしたちもそのことを知らない。わたしたちは何でもない会話をしている。と、突然ドカーンと爆弾が爆発する。観客は不意をつかれてびっくりする。これがサプライズ(不意打ち、びっくり仕掛け))だ。(中略)

では、サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか。観客はまずテーブルの下に爆弾がアナーキストかだれかに仕掛けられたことを知っている。爆弾は午後一時に爆発する、そしていまは一時十五分まえであることを観客は知らされている。(中略)

これだけの設定でまえと同じようにつまらない会話がたちまち生きてくる。(中略)観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ。

けだし名言!

要はサスペンスとは、演出家の情報操作によって生み出される“語り”のテクニック。ヒッチコックはその生涯を通じて、サスペンスのさらなる高み、新しい語り口を探求してきたのだ。

実験精神に溢れたヒッチコックの演出術を総ざらい!

ヒッチコックは、とにかく実験精神に溢れた映画作家だった。

「観客の度肝を抜くような、新しいアイデアや見せ方はないだろうか?」。そんな精神から生み出された数々の演出術を紹介していこう。

白く光るミルク(『断崖』より)

夫ジョン(ケイリー・グラント)が自分を殺そうとしているのではないか、と疑念を持つ若妻のリナ(ジョーン・フォンティーン)。ノイローゼで寝込んでしまった彼女の元へ、ミルクを持って階段を上がる夫の姿がインサートされる。

「このミルクには毒薬が入っているのではないか?」と観客に思わせるために、ミルクの白さを強烈に印象づける必要があると考えたヒッチコックは、何とミルクの中に白く光る電球を仕込ませた。

輝くような白い光が、観客の心理を誘導したのだ。

断崖

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“映画史上最も長いキスシーン”(『汚名』より)

当時キスシーンは3秒までという規制があったが、ヒッチコックはこれを逆手にとって、「3秒キスしては唇を離し、また3秒キスしては唇を離す」を繰り返すことで検閲をなんなく突破。

「映画史上最も長いキスシーン」と宣伝文句になったほどに評判になったが、体をぴったりとくっつけたまま演技する必要があったため、このシーンは俳優にとても嫌がられたという。しかしヒッチコックはこう諭してせた。

演りづらくてもいいんだ。大事なことは、ただひとつ、スクリーンにどう映るかなんだ。

汚名

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目眩感覚を表現するドリー・ズーム・ショット(『めまい』より)

高所恐怖症の主人公スコティが教会の階段を駆け上るシーンで使われた技法が、ドリー・ズーム・ショット(別名:めまいショット)。カメラをドリー(台車)で後ろに引きながら、同時にズームアップすることで、被写体の位置は変わらないのに背景だけが遠ざかっていくという、独特な映像表現が生まれる。

スティーヴン・スピルバーグの『ジョーズ』をはじめ、後世のフィルムメーカーに与えた影響は計り知れない。

めまい

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白昼の襲撃シーン(『北北西に進路を取れ』より)

「サスペンスは、暗闇の密室空間のなかで行われるのが最も効果的」というセオリーを打ち破るかのように、『北北西に進路を取れ』(59)には、真っ昼間に広い平地で飛行機に襲われる、というシーンを作ってみせた。

あのアイデアはどこから生まれたかというと、よくある古い手をなんとか使わずにやってみたいというのがそもそもの出発点だった。(中略)

暗い夜のさびしい十字路、街灯がぼんやり男を照らしている。舗道はさっきまで降っていた雨にまだ濡れている。壁ぎわを走りぬけていく一匹の黒猫のクローズアップ。(中略)

こういったシーンの正反対のことができないものかと私は考えた。

まさにヒッチコックの実験精神が生んだ名シーンといえるだろう。

北北西に進路を取れ

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撮影に7日間をかけた45秒のシャワーシーン(『サイコ』より)

ヒッチコック最大のヒット作である『サイコ』(60)で最も有名なのが、女性が殺害されるシャワーシーンだろう。たった45秒のシーンのためにカメラの位置を70回も変え、7日間の撮影期間を要したという。

実は手や肩ばかりだけでバストはいっさい映っていないし、出刃包丁が彼女の体を切り裂く直接的なカットもない。純粋なモンタージュ(編集)によって、セクシャルで残酷なシーンのように演出しているのだ。

サイコ

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観客を喜ばせることだけに奉仕したエンターテイナー

なぜアルフレッド・ヒッチコックは、あらゆる映画技法を駆使して、“サスペンスの神様”と称されるに至ったのか?

そのヒントが、自身最大のヒット作である『サイコ』に対するコメントにある。

わたしの最大の満足は、この映画が観客にすばらしく受けたことだ。それがわたしには一番大事なことだ。

主題なんか、どうでもいい。演技なんか、どうでもいい。

大事なことは、映画のさまざまなディテールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客に悲鳴を上げさせるに至ったことだ。

ヒッチコックには観客に伝えたい政治的メッセージも、恋愛観も、作家的苦悩もなかった。彼はただただ、観客を喜ばせようとするエンターテイナーであらんとしたのである。

そんなヒッチコックの映画にかける想いが凝縮された言葉の紹介をもって、この稿の結びとしよう。

ある監督は、人生の断面を映画に撮る。

私はケーキの断面を映画に撮るのだ。

フィルムメーカー列伝

※2020年10月27日時点のVOD配信情報です。

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