第8回ラグビー・ワールド・カップが現在イングランドで開催されています。
日本は初戦で優勝経験国の南アフリカ共和国と一進一退を繰り返す接戦の末、南ア32-日本34の僅差で歴史的な勝利を収めました。ただ、スコットランドとの2回戦目では中3日での試合が響いたのかミスを連発。後半で5回ものトライを許し、残念ながら敗れてしまいました。
残された2試合で勝利を収めたとしても、勝ち点差で決勝トーナメントに進出できるかどうかは際どい所。
しかし、まだ希望はあります。過去のラグビー・ワールド・カップで、開催前は決勝トーナメント入りも危ぶまれたにも関わらず、奇跡の連勝を続け優勝したチームがあります。そのチームこそ、今回日本が初陣で勝利した相手、南アフリカチームです。
『インビクタス/負ざる者たち』の時代背景
1964年、反アパルトヘイト運動の闘士として国家反逆罪に問われたネルソン・マンデラは終身刑を受け、重労働の服役生活を余議なくされます。1980年代、依然アパルトヘイト政策を取る南アフリカは国際社会から孤立しはじめ、国内では爆弾テロ事件も起きてしまいます。事態の改善を図るために政府はマンデラの待遇を段階的に改善していき、1990年2月11日、実に27年もの服役から釈放します。
その4年後、1994年に南アフリカ初の全人種参加の選挙によりネルソン・マンデラは遂に大統領に選出されるのです。
『インビクタス/負ざる者たち』は、その翌年1995年南アフリカ共和国がホストを務めた第3回ラグビー・ワールド・カップで、南ア代表チームの奇跡的な優勝を描いた作品です。監督はあのクリント・イーストウッドなので、いわゆる爽快なスポーツ映画にはなっていません。というよりも、もはや南アチームの勝利は狐につままれたようなオカルトめいたものとして描かれています。
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大統領に就任したばかりのマンデラは、南ア社会で依然富と権力を独占する白人市民たちが、居心地の悪い思いをしていないかを気にかけていました。もちろん人種による差別撤廃を掲げたマンデラが「逆差別」をしていては本末転倒だという意味もあります。そして、なにより富や仕事を海外に流出させてしまうワケにはいかないという、現実的な問題も孕んでいます。
マンデラは南ア代表ラグビーチームを白人と黒人の和解を象徴させるために、それまで通りのチーム運営の継続を取り付けた上で、キャプテンのピナールに理不尽とも思える要求を出すのです。
「ラグビー・ワールド・カップで優勝しろ。」
マンデラがピナールを呼んで、その意を伝える場面それ自体は描かれていません。大統領を前に緊張するピナールと、リラックスしたマンデラが他愛も無い話をしていく、出会ってすぐの様子から、いきなり奥さんが待つ車で重責を課せられた旨を伝える場面に替わります。
台詞でも「たぶん…… 優勝しろって言われた……」と、実際にどんな言葉で言われたのかはボカしています。2人の会談に、2人以外誰も知らない“空白”を設定することで謎めいた、マジカルな空気を意図的に含ませているのです。
敵はハカ!
奇跡的な勝利を続けた南ア代表チームは遂に決勝へ進みます。しかし、迎える相手はラグビー強豪国ニュージーランドです。
「ニュージーランドには「ハカ」があります。勝因の5割は「ハカ」にあると見ています。」という側近による報告がされます。ハカといえば黒ずくめのジャージを着た屈強な男たちがガニ股で「ガンバッテ!ガンバッテ!」というアレです。アレが勝因の5割だと言うのです。
バカバカしく聞こえますが、スポーツにおいて肉体的にも技術的にも拮抗した者同士の戦いは精神力/集中力の僅かな差で決着します。特に団体競技になるとたった一人の集中力のわずかなスキが勝敗の要因になります。だからこそ、あの原始的でブルータルな舞いの“魔力”を何よりも恐れたのです。
タイトルの「インビクタス」はラテン語で「不屈」を意味し、マンデラが長い獄中生活の心の支えとしていた詩のタイトルでもあります。その詩のおかげで獄中を乗り切り、大統領となったマンデラにとってはまさしく“魔力”を持った言葉であったのでしょう。マンデラはその“魔力”をピナールに託し、全国民がチームの優勝を祈るように加担していくのです。
『インビクタス/負ざる者たち』はマンデラと南アフリカ国民による祈りがいかに成功したかを通し“魔力”を実証してみせるのです。
今のラグビー日本代表チームに必要な“魔力”
イーストウッドは「早撮り」として知られています。1カットを1テイクしか回さないという話は本人のインタビューなどでも認めています。
ところが、この話にはウラがあるのです。
イーストウッドが現場に入りカメラの横に座り「じゃぁ始めるか!」という段には、すでに出演者やスタッフたちが自習をするようにリハーサルをしている、というのです。
スタッフや俳優たちはイーストウッドを失望させまいと緊張し、体調を整え、万端な準備の末に現場にのぞむのです。つまり「イーストウッドが監督をする」という時点ですでに演出は完成しているのです。
イーストウッドにしてみれば「やー! 確かにいいスタッフといい俳優をそろえた自負はあるけど、1カットでバッチリだから撮り直しの必要ないなー!」という思いだったかもしれません。
マンデラも同じです。
あの、ネルソン・マンデラに呼ばれ、お茶を振る舞われた上に、南アフリカの象徴として新体制を世界に知らしめ、かつ全国民を新しい意志の元に結託させるため優勝しなければならない。「健闘」では足りない。優勝のみがそれを可能にするのだと、直々に伝えられたら、優勝しないワケにはいきません。
マンデラが他界している今、ラグビー日本代表チームが優勝するために必要なのは、イーストウッドの脅しでしょう。
※2022年12月23日時点のVOD配信情報です。