塚本晋也監督。『野火』以来、4年ぶりの長編新作となった『斬、』は、タイトルのごとく、心をつんざかれる切り味の鋭い時代劇だ。
江戸末期の頃、時代の波に翻弄される浪人が、人を斬ることにためらいを持ち苦悩する姿をあぶり出した本作。生々しい描写をもって、観客に「生きること」「死ぬこと」を訴え続ける。
主人公の流人・都築杢之進は、塚本監督をもってして「彼しか考えられなかった」という池松壮亮。杢之進に複雑な想いを寄せていくゆうを、蒼井優が体当たりの熱演を見せた。ともに、塚本監督とは初のタッグとなる。
塚本自身が監督・脚本・撮影・編集・製作をすべて自分でやり遂げるスタイルは、昔からずっと変わらない。しかし、小さな変化・進化はあった。長年温めてきた大事な作品を、俳優部に“より”ゆだねられるようになったという。それは、昨年公開された出演映画『沈黙ーサイレンスー』で、敬愛するマーティン・スコセッシ監督のもと演じた経験によるところだと打ち明けてくれた塚本監督は、穏やかな笑みを浮かべる。心に燃えさかる大きな情熱の炎は宿したままに。
――日本の公開前に、すでに世界の映画祭上映で評判が高く、話題になっていますね。
塚本 ありがとうございます。映画祭でそれぞれ反応が違うのは面白いです。ヴェネチア(国際映画祭)での公式上映は、みんな固唾をのんで観ているという感じだったんですが、トロント(国際映画祭)では、割と映画のひとつひとつに反応して、おかしいところは笑うし、緊張するときはいかにも「ゴクッ」という音が聞こえてくるような、ヴィヴィッドな反応でしたね。
――日本での反応も楽しみですね。ファンが待ち望んでいた新作で、『野火』から『斬、』を撮るまでの4年間は、熟考を重ねられてきた時間でしたか?
塚本 いや……実を言うと、前から作りたかった『野火』がやっとできて、息も絶え絶えな感じで作り終わったんです。公開してからも毎年、夏になると終戦記念日に上映していたので、『野火』のことで手いっぱいだったりして。だから、なかなか次のことを始める感じにはならなかったんです。終わったからすぐに次のことを考えて熟考を重ねたというより、『野火』をきちんとやり終えるのに、いつもよりだいぶ時間がかかっていましたね。
――では、ようやく落ち着いた頃に本作が誕生したんですか?
塚本 「さて、じゃあ次の映画は」と思ったときに、この時代劇のことがぬるぬるっと浮かび上がってきた感じですね。「今かな。そろそろかな」と。
――初の時代劇です。「いつか時代劇を」という思いもありましたか?
塚本 「いつか時代劇を」は、やっぱりずっと思っていましたね。初期の頃……20年ぐらい前から「こんな映画がいいな」という構想もあって。一本の刀を過剰に見つめる若い浪人の話を、月刊誌「東京人」内「将来、作りたい時代劇の構想」の中で書いたんですよ。
――では、大元の構想はかなり前からおありになって。
塚本 自分の映画って、大体構想20年とかばかりだから、またひとつ大きな子が出ていって、「よかった」って。ただ、「今度の子はすごい勢いで作ったな」っていう(笑)。
けれど、仕上げは丹念に時間をかけて育てました。僕と30年間一緒に音楽を作った石川忠さんが亡くなってしまったんですけれど、石川さんのそれまでに作った曲を未使用の曲まで全部聴いて、映画に入れていきました。長い期間、ひとりで編集をするわけですが、割と静かに鎮魂的な意味合いにもなりましたから。そういう意味では、撮影までは激動でしたけど、終わってからの仕上げは静かな、たっぷりした時間の中で、納得いくまでやった感じです。
――ずっとおひとりでの作業でしたか?
塚本 特殊効果などのディテールを頼んだりはしますが、編集自体はひとりで、ちまちまちまちまやっていました。
――塚本監督はすべてご自身でやられていて、だからこそ作品に愛とこだわりも強く感じます。どの作業が一番好き、というのはあるんですか?
塚本 初期作品以外は皆に手伝ってもらっています。ただもちろんどの作業にも関わらせてもらっていて、そうですね……、どれも好きですが、当然大変さがつきまとうもの。一番好きな瞬間は、最初に妄想しているときですね。
――妄想! まだ脚本を書いたりされる前の段階ということですよね?
塚本 そうですね。書く前が一番楽しいですよね。ひとりで勝手に妄想しているときが、一番悦楽的な時間で。「ああでもない」「こうでもない」と考えて、あるときがくると「超集中タイム」といって、宅配便とかも届かないような場所を探して、映画の頭からケツまで全部観るんです。「さあ、今日は観るぞ」と、自分の頭の中のスクリーンに映す。そうやって、自分がお客さんとなって頭の中のスクリーンを観るので、映画を楽しむように観ていくと、「こうなるの?」、「こう展開しちゃうわけ?」というようなことがあるんです。その気持ちのほうが正しいので、自分で考えていた脚本をそっち合わせで変えちゃったりもします。
――『斬、』において、ご自身の中で上映したものと、今回でき上がったものは、イコールで結ばれる形なんですか?
塚本 基本的なことは変わらないですけど、現場でまた俳優さんが生々しくやってくださることで、自分の想像より、もっといいふうになります。そこは、むしろ「バンザイ!」という感じで。どんどんいいほうに変わっていくのが、ダイナミックなときですね。むしろ、思った通りぐらいだと、「そうかな。はい、どうもありがとう」という感じですけど、今回の池松さ? ?と蒼井さんは、思った以上の結果が出ていきましたからね。映画での必要なことはビシッとやりながら、さらに生きた人間として生々しく出してくださる俳優さんだったので、すごかったです。
――資料によると、池松さんにお願いすることは最初から構想にあったそうですね。
塚本 そうです。最初から決めていました。この時代劇をやろうと思った瞬間から、池松さんが自然に浮かんでいたんです。池松さんのオーラに引き寄せられるような感じでしたね。ほら、都築杢之進に澤村(※塚本演じる)が引き寄せられるでしょう? あれかなりシンクロしているところがありますね。澤村は杢之進に、厳しい態度を取りながらもラブラブですからね(笑)。
――ラブラブ(笑)。
塚本 「強くなれ」と言っていますけど、強くなって、仕立てあげるのに喜びを感じちゃっているんじゃないですかね。自分より強くなっちゃってもいいっていう。自分を磨く意味もあるんですけど、自分も歳を取ってきているので、身代わりの強いやつを作ろうということで……ほぼラブラブな感じで。
――澤村は塚本監督ご自身がやられていますけれど、ほかの俳優にお任せする選択肢はなかったんですか?
塚本 今回は、池松さんと蒼井さんをとにかくゲストとして、ポイントをピッと置きたかったので、もうそれ以上のゲストは僕のキャパシティからすると、「ちょっと無理」という感じでした。中村(達也)さんも出演していただいていますが、昔は緊張しましたが、今はかなり友好関係にあるので。新しいゲストをたくさん入れると気がそぞろになってしまうので、おふたりに監督として客観的な演出をするんじゃなくて、自分が入っちゃって演技をしながら、イコール演出という感じでやっていきました。
あと、主役をストーカーのように追っかけるのは自分の十八番なんでね。
――十八番(笑)。
塚本 十八番っていうか、本当はストーカーは卒業したつもりだったんですけど、いつの間にか……またなっちゃってました。
――池松さんや蒼井さんの演技力の高さもさることながら、導き出し方のコツは何かあるんでしょうか?
塚本 いえ、これは演出力というより、やっぱり俳優さんの力です。あとは、脚本を書いて……僕は一生懸命やっている、というオーラをただ放つだけです(笑)。
「こういうふうに」という演出はあまりしないですが、本番に入る前、まったく違うことを考えていたら大変なので、示し合わすために1回リハーサルはします。微妙な加減のことをちょっと話して。池松さんと蒼井さんの距離のこと、結構好きなのか、どのぐらいなのか、みたいなこととかは、ちょっと話した記憶があります。でも、せいぜいそのぐらいですね。僕は本当に、観て「すげえ」と思って、それを「いただきます」とカメラに収めさせてもらう感じでした。
――監督冥利に尽きるような瞬間はありましたか?
塚本 演技では、集中力がすごかったです。特にどこのシーンがというんじゃなくて、本当に全体の素晴らしさ、という感じでした。あと、全体的な関わりに対して、「私たちは役者だけをやります」というんじゃなくて、いちスタッフとして、一丸となってやる姿勢が素晴らしくて。だから、「すみません、お待たせしました。どうぞ」なんていう台詞は、なかったですから。
――こうしてお話を伺っていると、塚本監督はやわらかいトーンで、現場でもこうした感じなんですか?
塚本 最近は……そうですね。『野火』以降は。(『野火』の撮影中は)お腹が空いていたんで……飢餓状態の兵隊さんの役で、あれはスタッフがキャストもやっていたから。そこから力がなくなりましたね(笑)。もう静かになって、現場も速やかに済むようになりました。それまでは結構ムキになっていたんですね。30代とかの元気なときは、やっていてムキになるから、ギャーギャー、ギャーギャーうるさかったかもしれませんね。『野火』以降は、ちょっとお腹が空いて、歳も取ったから、だいぶ静かになってきたんですね。
――けれど、繰り出す作品は静かではないですよね。
塚本 まだちょっと、どうしてもそうなっちゃうのがあって。やがて、ゆっくり身体に追いついて、映画も静かになっていくんじゃないですか? 少し達観したような作品に、いつかはなるんじゃないかな……わからないけど(笑)。
――昨年は『沈黙ーサイレンスー』の公開もありました。スコセッシ監督の現場に入ったことで、その経験がご自身の監督業に生きたりもしていますか?
塚本 僕はスコセッシ監督が、本当に一番大好きで、大尊敬する監督なんです。映画が好きな人間として、もうラブラブで行っていました。自分の映画にどうかということで言えば……、うん、俳優さんに、よりお任せするようになったかもしれないですね。もともと、あまり俳優さんに細かいことは言わないですけれど、もっと委ねるようになりましたかね。スコセッシ監督は本当に役者に全部任せるんです。役者を信用してやっている感じが素晴らしいな、と思って。今回は、だから、最初からキャスティングするときに、素晴らしい方にやってもらって、なるべくお任せする感じになったのかもしれません。
――スコセッシ監督に現場で信頼されている感覚が、塚本監督にもたらすものは大きかったんですね?
塚本 ありますね、もう。俳優への敬いの念が、監督から感じるんです。あんな巨匠から。そして、伸び伸びさせてくれるので、本当に自由に、なるべく最高のことを頑張ろう、という気になったんですよね。
――だから、海中での磔(はりつけ)のシーンがあそこまでリアルにできたんでしょうか。
塚本 そうですね。あそこはなかなか……、ちょっと危険を感じましたけどね(笑)。歌っているときは本当の海なんで? ??けど、波をかぶるところは大きいプールなんです。でも、プールといっても、波は本物で大きいから、一発浴びるごとにダメージが強くて咳込んじゃうんです。あのとき、細くてお腹がペッコペコで。あのときも腹が減っていて……(笑)。飢餓の状態が『野火』より、もっとペコペコだったんですね。ちょっと命の危険を感じたんですけど、そのときもスコセッシ監督がすんげえ喜んでくれて、感動してくれたので、やりがいがありました。
――思わぬエピソードまで、ありがとうございました。これからも新作を心待ちにしながらも、塚本監督イズムを受け継ぐこと、伝承のようなことも考えられたりしますか?
塚本 そうですね。前は、本当に自分のことばかりを考えていましたけど、年齢がこうなってくると、若い人にね、ってなりますね。うちの子供もiPhoneで映画を作ったり、お芝居をしたりしているんです。そういうのを観るのも楽しいです。
――お子さんは塚本監督に観せてくださるんですか?
塚本 なかなか観せないんですけど……、ヴェネチア(国際映画祭)の短編で『捨てられた怪獣』というのを一緒に撮ったんです。あのときも、心は楽しかったですけど「もう二度と一緒にやるの、よそう」と思いました。
――なぜですか?
塚本 我の強い者同士で喧嘩が絶えなかったから(笑)。「映画の未来」というテーマだったので、僕は子供がやったものをうまいこと編集したりして、見せられる形にするので、なるべく任せていたんですよ。僕がカメラをやったりしていたんですけど、すっげえうるせえ、こだわりのつええ奴で「カット、カット、カット!」なんてね、すっげえ生意気に俺に指示しやがるんでムッときました(笑)。「こんな傲慢な奴、二度とごめんだ!」って(笑)。だから、勝手にやってもらって、それを応援する形にしたいと思います。(インタビュー・文=赤山恭子、撮影=林孝典)
映画『斬、』は2018年11月24日(土)より、ユーロスペースほか全国ロードショー。
(C)SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
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