砂漠の街アステロイド・シティを舞台に描かれる、ちょっぴり変わった人たちによる、ちょっぴり変わった群像劇。独創的な世界観で映画ファンを魅了してきたウェス・アンダーソン監督の最新作、『アステロイド・シティ』が9月1日(金)より公開中だ。
ジェイソン・シュワルツマン、エドワード・ノートン、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォーら常連組に加え、今作にはスカーレット・ヨハンソン、トム・ハンクス、マーゴット・ロビー、マヤ・ホークらがウェス・アンダーソン組に初参加。これまで以上に豪華キャストが集結した。
という訳で今回は、話題作『アステロイド・シティ』についてネタバレ解説していきましょう。
映画『アステロイド・シティ』(2023)あらすじ
時は1955年、アメリカ南西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、科学賞の栄誉に輝いた5人の天才的な子供たちとその家族が招待される。
子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー、それぞれが複雑な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けるが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!? この予想もしなかった大事件により人々は大混乱! 街は封鎖され、軍は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てる。果たしてアステロイド・シティと、閉じ込められた人々の運命の行方は……!?
※以下、映画『アステロイド・シティ』のネタバレを含みます
ややこしい三重構造
『アステロイド・シティ』は非常にややこしい。何がややこしいかと言えば、構造がややこしい。スタンダードサイズのモノクロ画面で映画は幕を開け、テレビ司会者(ブライアン・クランストン)が著名な劇作家コンラッド・アープ(エドワード・ノートン)の戯曲を紹介する。そして突如画面はカラーのスコープサイズに変貌し、劇中劇『アステロイド・シティ』が始まる。そして時折、テレビ番組の舞台裏がインサートされる。①『アステロイド・シティ』という舞台劇、②その舞台劇を紹介するテレビ番組、③そのテレビ番組の舞台裏という三重構造になっているのだ。
つまり、アステロイド・シティに登場するオーギー(ジェイソン・シュワルツマン)やミッジ(スカーレット・ヨハンソン)やスタンリー(トム・ハンクス)はみんな役者で、ディレクターのシューベルト(エイドリアン・ブロディ)の演出で芝居をしている、という設定。オーギーが芝居の休憩時間中にタバコを吸っていると、出番のなかった彼の妻役の女優(マーゴット・ロビー)と鉢合わせしたりする。
劇中劇という設定は、ウェス・アンダーソン映画にはよく見られる特徴の一つだ。『天才マックスの世界』(1998)では、主人公マックス(ジェイソン・シュワルツマン)が演出するベトナム戦争劇。『ライフ・アクアティック』(2004)では、主人公スティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)が撮影する海洋ドキュメンタリー。そして『ムーンライズ・キングダム』(2012)では、聖書の演劇会。そして今回の『アステロイド・シティ』は、映画一本丸ごと劇中劇という大胆な構成だ。
「私はいつも、舞台裏の物語や劇場の神秘的なオーラにとても弱い。50年代のニューヨークの舞台は、それ自体が特別なもので、エリア・カザンやこの時代の劇作家たちが参加した新しい演技、多様なストーリーテリングがあった。ある意味、最も映画的だったんだ」
(ウェス・アンダーソンへのインタビューより抜粋)
ウェス・アンダーソンが語っている通り、この映画の舞台となる1955年はまさに演劇の革命が起きた時代でもあった。カリフォルニア州アナハイムにディズニーランドが開園し、繰り返しアメリカの核実験が行われ、空飛ぶ円盤に対する関心が高まったこの時代に、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドという新しいスターが登場したのである。
「私たちは、マーロン・ブランド、ジェームズ・ディーン、モンゴメリー・クリフト、そして50年代の映画における新しい世界にとても興味があった。(中略)今考えると、70年代の映画が大好きで、その時代の仲間もたくさんいたのに、50年代が私たちの中心にあったというのは何とも奇妙なことだけどね」
(ウェス・アンダーソンへのインタビューより一部抜粋)
演劇界に新しい波が押し寄せた時代を舞台にすることで、『アステロイド・シティ』は<劇中劇>というウェス・アンダーソン的節話法が最もスパークした作品になっている。
舞台劇のメイキング、アメリカ西部の砂漠地帯
それにしても、こんなヘンテコな映画をいかにしてウェス・アンダーソンは思いついたのか。彼と盟友のロマン・コッポラ(フランシス・フォード・コッポラの次男であり、妹であるソフィア・コッポラ作品のプロデューサーとしても知られている)は、当初「ポール・ニューマンとジョアン・ウッドワードが出演するような作品」を構想していたという。
ポールとジョアンは互いに著名なハリウッドスターであり、50年連れ添ったおしどり夫婦。だが愛息の死、アルコール依存症、がんとの闘病など、その結婚生活は決して順風満帆ではなかった。そんな二人がもし舞台に出ることになったら? そのメイキングを描いてみたら? というアイディアで、ウェス・アンダーソンとロマン・コッポラはストーリーを膨らましていく。
やがて二人は、サム・シェパード作品についても語り合うようになり、そのエッセンスを注入していく。サム・シェパードは『ライトスタッフ』(1983)のチャック・イェーガー役で知られる俳優だが、もともとは劇作家として活躍していた。ヴィム・ヴェンダース監督とタッグを組んでシナリオを手がけた『パリ、テキサス』(1984年)や『アメリカ、家族のいる風景』(2005)の舞台はアメリカ西部。そこからヒントを得て、当初構想していたアメリカ東部の大都市から、西部の砂漠地帯に舞台を変更する(都会的なイメージのあるウェス・アンダーソンだが、彼もアメリカ西部のテキサス州ヒューストン出身である)。
「ヴィム・ヴェンダースのことをよく考えていた。風景とそこで暮らす人々に対する彼の解釈が好きだったんだ。(中略)そしてオーウェンと私は、サム・シェパードも大好きだった。彼はカリフォルニア出身だけど、西部劇を前衛的な視点で描いているんだ」
(ウェス・アンダーソンへのインタビューより一部抜粋)
<舞台劇のメイキング>、<アメリカ西部の砂漠地帯>というアイデアを足がかりにして、『アステロイド・シティ』という極めて風変わりな映画の骨格が形づくられていく。しかもこの映画には、スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』(1977)をオマージュしたであろう<宇宙人との第三種接近遭遇>も描かれている。
もはや、50年代ポップカルチャー完全ゴッタ煮状態。それを一つの作品としてまとめ上げてしまう手腕には舌を巻く。卓越した彼のビジュアル・センスが、それを可能にさせた。シンメトリーな平面的構図。ポップな色彩感覚。縦横の垂直な移動撮影。リアリズムや身体性が漂白された演技。
おそらく、ウェス・アンダーソンは映画界で最も驚異的なスタイリストであると思う。『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)あたりから完全に自家薬籠中のものとした世界観は、『アステロイド・シティ』で完成の域に達している。実は相当に難解で、あらゆるモチーフがモザイク状にパッチワークされた本作が、それでも通俗的な娯楽作として消費できる秘密は、そこにあるのではないか。
「起きたいなら眠れ」が意味するもの
『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)にせよ、『ライフ・アクアティック』(2004)にせよ、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)にせよ、ウェス・アンダーソン作品では大切な誰かがこの世から去ってしまう、<大きな喪失>が描かれている。
この『アステロイド・シティ』でも、オーギーは愛妻を亡くしたばかりという設定だ。その作風からは意外なように感じられるが、ウェス・アンダーソン映画には常に死が刻印されている。そして彼の映画は、<機能不全に陥った家族が、再びその絆を取り戻していく物語>という言い方をすることもできるだろう。つまり、とってもエモーショナルなのだ。
だが、キャリア初期にはまだ残されていた感傷性は、今では完全に雲散霧消している。非感傷性という意味において、『アステロイド・シティ』は極北に振り切ったような作品だ。これまで以上に無機的で、これまで以上に抑揚のない芝居。その独特すぎるタッチは臨界点を突破し、いわゆるヒューマンドラマ的なものとは180度異なる手触り。
おそらくそれは、劇中劇という語りのスタイルに起因しているのだろう。映画をメタ的に解体することで、観客はより客観的な視座を獲得する。登場人物の周りに発生する磁場が、観客の感情移入を阻止し続ける。
筆者が本作で最も気になったのは、俳優たちを前にして劇作家のコンラッド・アープが「登場人物の皆が、人生の心地よい眠りに誘われる」と宣言し、「でも書けない」と苦悩を語るラスト近くの場面。すると俳優たちは、次々と「起きたいなら眠れ」(“You can’t wake up if you don’t fall asleep”)という謎すぎるセリフを連呼する。はっきり言って意味不明。これは一体何を意味しているのだろう。
我々は夢を見る。それはとても抽象的で、ぼんやりとした輪郭をしている。やがて目覚めると、我々はその夢に意味を見出す。抽象性から具象性を導き出す。それがおそらく、芸術というものが人間に及ぼす作用である。
ウェス・アンダーソンが創り出す不思議な世界もまた、夢に似ている。人間の死や、機能不全に陥った家族の話でさえも、高度に抽象化されている。映画自体にエモーションは含まれていない。映画にエモーションを与えるのは、鑑賞する我々なのだ。「起きたいなら眠れ」とは、「眠る=ウェス・アンダーソンの抽象化された世界にINする」、「起きる=その抽象化された世界からエモーションを感じ取る」ということではないだろうか。
『アステロイド・シティ』は、極めて特別な映画体験である。この世界には、ポップカルチャーに彩られたマテリアルしかない。我々はそのカケラを拾い集めて、各々の感情を仮託させていく。だからこの映画はとってもヘンテコで、とっても愛おしいのである。たぶん。
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※2023年9月1日時点での情報です。