「現代ホラーの頂点」(USA TODAY)
「史上最も恐ろしい」(The Guardian)
「新世代のエクソシスト」(Time Out)
「骨の髄まで凍りつく」(Hollywood Reporter)
メディアがこぞって絶賛し、全米を凍りつかせたホラー映画『へレディタリー/継承』。日本でも「悲鳴OK」の絶叫上映が開催されたものの、あまりの恐怖で観客が声を出せなかったという逸話があるほど、その怖さは折り紙つきだ。
一体この映画のナニがそんなに怖いのか?という訳で今回は、『へレディタリー/継承』についてネタバレ解説していこう。
映画を観ないでこの記事を読むと、“あなたの永遠のトラウマになる”のでくれぐれもご用心を……!
映画『へレディタリー/継承』あらすじ
グラハム家の祖母エレンが亡くなり、一家は慎ましやかな葬儀を行う。エレンの娘アニーは遺品の中から「私を憎まないで」というメモを発見し、その直後彼女の部屋でエレンの幻を見てしまう。いや、それは本当に幻だったのだろうか!?
エレンの死をきっかけにして、残された家族に次々と不思議な出来事が起き始める。次第に情緒不安定となっていくアニー。やがて想像を絶する恐怖が彼女たち家族に襲いかかる……。
※以下、映画『へレディタリー/継承』のネタバレを含みます
『回転』や『ローズマリーの赤ちゃん』の系譜を継ぐ、現代に蘇った“正統派ホラー”
ホラー映画の歴史は古い。一般的に“世界初のホラー映画”と言われている作品は、スコットランド女王メアリー・ステュアートの処刑を描いた『メアリー女王の処刑』(1895)とされている。
処刑執行人が斧を振り下ろして、メアリーの首を切り落とすという衝撃的な映像(もちろんトリック撮影)。人類は映画がこの世に生み落とされた時から、“恐怖”を求め続けてきたのだ。
それから100年以上を経た現在、恐怖表現は完全に“出がらし”状態。およそ考えられるホラー演出は、出し尽くされてしまった感がある。今や映画界は、『ゲット・アウト』『ドント・ブリーズ』『イット・フォローズ』など、単に怖いだけではなく、ワンアイディアをプラスして新奇性を打ち出した「新感覚ホラー」時代に突入しているのだ。
しかし『へレディタリー/継承』は、クラシックな薫り漂う正統派ホラー。奇をてらった演出は何もせず、抑揚の効いた端正な語り口で、静かに恐怖を構築していく。
これが長編デビュー作となる監督のアリ・アスターは、参考にしたホラー映画として『回転』(1961/ジャック・クレイトン監督)、『ローズマリーの赤ちゃん』(1969/ロマン・ポランスキー)、『赤い影』(1973/ニコラス・ローグ監督)を挙げている。どれも1960年〜70年代に公開された、古典ホラーの傑作ばかりだ。
例えば「真昼間にピーターが学校で昼食を取っていると、敷地の向こう側から女性が『肉体から出ていけー!』と狂ったように叫ぶ」シーンがあるが、これは明らかに「真昼間に東屋から向こう岸を眺めていると、女性らしき幽霊がこっちを見つめている」という『回転』の有名なシーンからインスパイアを受けたものだろう。
「悪魔を崇拝するカルト教団によって、ある家族の運命が大きく変わっていく」というストーリーラインは、そのまま『ローズマリーの赤ちゃん』だったりする。『へレディタリー/継承』は、『回転』や『ローズマリーの赤ちゃん』の系譜を継ぐ、現代に蘇った“正統派ホラー”なのである。
アリ・アスター監督の怨念が凝縮された“家族の崩壊”
アリ・アスターは、自分の家族にある不幸が起こり、その経験を踏まえて映画の構想を練りはじめたという。それがどんな「不幸」であるかは、監督が明言していないため知る由もないが(逆に怖い……)、『へレディタリー/継承』はホラー映画であると同時に、かなりヘビーな家族崩壊映画であることは重要なポイントだ。
実際アリ・アスターは本作を撮るにあたって、「家族が崩壊する映画」のリストを作っている。最も参考にした作品が、ロバート・レッドフォード監督の『普通の人々』(1980)。水死事故で長男を亡くしたことをきっかけに家族が機能不全に陥り、崩壊していく様子をヴィヴィッドに描いた一作だ。
チャーリーの死をきっかけにして家族が瓦解していく『へレディタリー/継承』もまた、『普通の人々』と同じようなプロットをなぞっているのだが、その描写がハンパない!
チャーリーが電柱にぶつかって悲惨な最期を遂げるシーンを思い返してほしい。運転していたピーターは茫然自失となり、恐怖のあまりバックミラーを見ることもできない。自宅になんとかたどり着いてヨロヨロと自室に入り、まんじりともせずに朝を迎える。カメラは彼の顔のアップを捉え続け、憔悴しきった表情を克明に映し出す。やがて聞こえてくる母親の絶叫。そして、無数の虫がたかっているチャーリーの首のアップ。
アリ・アスターはピーターの内面にできるだけ観客を同一化させることで、「自分が妹を殺してしまった」という最悪な状況を、トラウマレベルで描き出している。
夕食の席で、自分の過ちを認めようとしないピーターにアニーがブチギレる場面も、観ていてとにかくツラい。筆者的には、近年で最も居心地の悪い食事シーンであると断言しよう。
思えば、彼が2011年に発表した『The Strange Thing About The Johnsons(原題)』は息子が老いた父親に性的虐待を加える話だし、2013年に発表した『Munchausen(原題)』は母親が息子に干渉しまくるという話だった。
アリ・アスターにとって家族とはお互いを思いやる存在ではなく、地獄に陥れる呪いなのだ。
決して避けられない悲劇的な運命
家族の呪いは、決して避けることのできない運命としてのしかかる。
アニーはドールハウス作家という設定だが、夢遊病に苦しめられている彼女にとって、ミニチュアやドールハウスを作る行為自体が、一種の箱庭療法なのだろう。
しかし、「ドールハウスにカメラが次第に近づいていくと、いつのまにか現実の部屋になっている」というオープニング・ショットが暗示するように、箱庭を作っている彼女自身が、実はより大きな存在に操られていることが明らかになる。
「ヘラクレスの受難」についてピーターが講義を聞くシーンがあるが、これも「自ら受難を受け入れるしかない」という、家族の運命を示唆したもの。
映画が始まった瞬間から、物語が悲劇的な結末へ一直線に向かっていくという構造は、アリ・アスターがかなり自覚的に目指したものだ。
And everything is inevitable. Throughout the film, things are just sort of clicking into place and all those things are driving this family towards one end.
すべては避けられないことです。映画全体を通して、物事はその場でカチッと音を立てるように、この家族を一方的な方向へ向かわせているのです。
(VARIETY誌 インタビューより)
注意して観ていただきたいのだが、実はチャーリーがぶつかる電柱にはパイモンの紋章が刻まれている。チャーリーの死は単なる事故ではなく、カルト教団による故意の殺人。
初見ではなかなか分かりにくいが、“家族を一方的な方向へ向かわせている”力が、実は映画の序盤で働いていたのだ。
またアリ・アスターは、こうも語っている。
From very early on I was describing this as an existential horror film.
非常に早い時期から私はこれを実存的ホラー映画と表現していました。
(VARIETY誌 インタビューより)
実存とは「実際にこの世に存在すること」であり、「現実に存在すること」。アリ・アスターは家族の呪いを「実存的ホラー」ととらえて、『へレディタリー/継承』をつくりあげたのだ。
『へレディタリー/継承』が“最恐”である4つの理由
では具体的に『へレディタリー/継承』はなぜ怖いのか、その理由を考察していこう。
“最恐”の理由その1: 先の読めない展開が怖い
明らかに物語のキーパーソンと思われていたチャーリーが、電柱にぶつかって首チョンパ。母親のアニーに視点が切り替わるが、彼女も自分でノコギリギコギコで首チョンパし、最後の最後でこの物語の真の主人公がピーターであることが明らかになる。
少しずつ登場人物の視点を変えることで、物語が辿り着く先を予想させないという、緻密に練り上げられたシナリオがとにかく最恐。先が読めないため、観客は常に気持ちが不安定な宙ぶらりん状態になってしまう。
なおかつ、アニーには「夢遊病」という設定があることで、我々観客は彼女を「信用できない語り手」(=鑑賞者を騙しかねない語り手)として認識してしまう。アニーの身の回りに起きる超常現象が、全て彼女の幻覚・幻聴かも?とミスリードさせられてしまうのだ。
“最恐”の理由その2: 闇が怖い
『へレディタリー/継承』で描かれる闇は、もはや“暗い”というよりも“黒い”というレベル。その黒さ故に「漆黒の闇のその向こうに、何かがうごめている……」という描写が、観客が勝手に想像してしまうぶんだけ怖く感じられるのだ。
直接的ではなく間接的に恐怖を倍増させる手法はJホラー的ともいえるが、アリ・アスターは影響を受けた映画のひとつとして、溝口健二の『雨月物語』(1953)を挙げている。
光と影を駆使して描かれる、幽玄の美学。『へレディタリー/継承』の撮影には、実は日本のクラシック映画の影響があるのかもしれない。
“最恐”の理由その3: 顔が怖い
いきなりバカっぽい話で申し訳ないが、『へレディタリー/継承』は役者たちの顔がやたら怖い。
父親スティーブ役のガブリエル・バーンは、かつて『エンド・オブ・デイズ』でサタン役を演じた悪魔顔だし、母親アニー役のトニ・コレットは、戦慄におののく表情がもはやR指定レベル。
その真打ちというべきなのが、チャーリー役のミリー・シャピロだろう。彼女のInstagramを拝見すると、笑顔が超可愛いキュート女子なのだが、映画における彼女はまさに“パイモンに取り憑かれた少女”そのもの。主要キャラクターの顔力がハンパないのだ。
“最恐”の理由その4: 音が怖い
凡百のホラー映画ならば、ショッキングな場面で恐怖を煽るようなサウンドが大音量で流れるものだが、『へレディタリー/継承』はそのようなコケオドシ的音響効果は一切使わない。
むしろ、「これって自分だけに聞こえているんじゃないか?」と思うくらいに抑制された、繊細な音がかすかに流れている。うっすら鳴り響く重低音、ノイズのような不協和音、そして舌を鳴らすときの「コッ」という音。
サウンド・デザインの慎ましさゆえに、逆に観客は想像力をかきたてられ、内に眠る恐怖を呼び起こすのだ。
アリ・アスターの次回作は“北欧系民俗ホラー”
長編処女作で、いきなり大傑作をつくりあげてしまったアリ・アスター。彼の真価は、おそらく次回作で明らかになることだろう。そしてその審判の日はまもなくやってくる。
新作『Midsommar(原題)』が、2019年7月3日より全米公開されるのだ。
彼が尊敬してやまないイングマール・ベルイマン監督の生まれ故郷スウェーデンを舞台にした「北欧系民俗ホラー」。果たして、アリ・アスターは再び映画史に残る恐怖を見せつけてくれるのだろうか?
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