【ネタバレ解説】今敏監督『パーフェクト ブルー』が描く「リアル」とラストの意味

「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」とよく言われます。いろいろなデビューの仕方があるので、すべての作家にこれが当てはまることなのかどうかは議論の余地がありますが、どんな作家にとっても、そのキャリアの第一歩はとても重要です。

パプリカ』(2006)や『千年女優』(2001)で知られるアニメ作家・今敏監督の場合にも、まちがいなく上記の定義が当てはまるのではないかと思います。今敏監督の監督デビュー作『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー(1998)には、後の彼の作品に見られる重要なエッセンスが数多く詰まっています。

本作には原作があり、監督自身が立案した企画ではないものの、原作者の許可のもとで大幅なアレンジを加え、今監督自身のテーマ性が強く押し出された作品になっています。

PERFECT BLUE パーフェクト ブルー

今敏監督は一貫して、虚構と現実を画面の中で区別なく等価に扱うことで、人間の存在の根本を問い続けてきました。そんな今監督の描き続けたテーマは、公開当時よりもメディア環境が過剰に発達した現代の方が、むしろ我々にとって切実な問題として訴えかけてきます。

本作が公開されたのは20年以上前の1998年。それにもかかわらず、本作の観客に対する問いかけは少しも古びていません。では、どんな問いかけがなされていたのか。具体的に考察してみましょう。

映画『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』あらすじ

アイドルグループを卒業した霧越未麻は、女優へと転身する。最初でこそ連続ドラマでたった一行だけのセリフの役だったが、レイプシーンを演じることで一躍有名となり、ヘアヌード写真の仕事まで舞い込むなど、アイドル時代のイメージからかけ離れた仕事をこなしていくようになる。

自身のイメージと現実とのギャップに悩む未麻は、次第にアイドル時代の自分の幻覚を見るようになっていく。そして、未麻の周囲では不可解な傷害・殺人事件が続発。そこにはアイドル時代の未麻を崇拝するストーカー男の存在があった。

女優の未麻を認めないストーカー男の魔の手は未麻本人にも及び、未麻自身も自らが何者なのかわからなくなっていく……。

※以下、映画『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』のネタバレを含みます

本当の自分などどこにもない

本作の冒頭、デパートの屋上で戦隊ヒーローショーが開催されています。少年たちが「テレビと違うよなぁ」「ちゃちいもんなぁ」と文句を言いながら走り去る姿をカメラが追いかけていき、アイドルオタクたちを捉えたところでストップ。

今監督の映画の冒頭は、常に作品全体を見事に象徴しています。本作もまた素晴らしい導入です。今監督は本作を「仮面(ペルソナ)の話である(PERFECT BLUE :[絵コンテ集]付属別冊(復刊ドットコム)、P33)」と語っています。仮面をつけて戦う戦隊ヒーローが、ここではペルソナを持つ者を象徴する存在ですが、少年たちは「テレビとは違う」と言い、違和感を表明しています。

実際にスーツアクターの中身はテレビに映る本物とは違う人なわけですが、戦隊ヒーローにとって重要なのは、ヒーローという外見(仮面=ペルソナ)でしょうか、それとも中身でしょうか。本物はどちらか。少年たちのセリフは、本作を観る観客にそう問いかけるかのようです。

翻ってアイドルはどうでしょうか。きらびやかな衣装を着て、笑顔を振りまくアイドルという存在もまた、仮面(ペルソナ)を被った存在です。アイドルという単語には元々、「偶像」という意味があることはよく知られていますが、虚構と現実が混濁する本作の物語にぴったりの職業と言えます。

未麻はこのショーでアイドルの引退を発表します。その華やかなコンサートシーンと未麻の日常生活が交互に映し出されるオープニングは、“普段の霧越未麻”と“アイドルの霧越未麻”という2つの異なるペルソナを持つことを見事に示しています。異なる2つの顔を使い分ける女性、というテーマは監督4作目であり遺作でもある『パプリカ』にも受け継がれています。

パプリカ

アイドルを引退して女優になる未麻ですが、本来彼女は女優になりたかったわけではありません。たまたま以前出演したドラマでの演技が好評だったために事務所に説得された結果です。

あなた、誰なの?

撮影の待ち時間に、この一行だけのセリフを必死に練習する未麻。彼女の口から繰り返されるこの「あなた、誰なの?」というセリフは、本作が観客に投げかける問いそのものです。

そうして歩み始めた女優の道でも、脚本家たちによって作られたイメージに彼女は苦しむことになります。この映画がR15+の指定を受けることになった所以ですが、「元アイドルがレイプシーンに体当たりで挑戦」という売出しで、未麻はとにもかくにもアイドルとしてのイメージを捨て、女優の道を進むことに成功します。

しかし、女優というペルソナもまた彼女の望んだものとはかけ離れたものでした。昔のファンはいつまでもかつての“アイドル・霧越未麻”のイメージを愛し続け、未麻自身の自己イメージは分裂していきます。

今監督はこう語っています。

本当の私などどこにもない。周囲の人間によって規定されるのであって、自分の主張によって成り立つものではない

(「PERFECT BLUE :[絵コンテ集]」付属別冊(復刊ドットコム)、P35)

未麻をアイドルとして見る人がいる一方、女優として見る人もいる。分裂した状況の中で、未麻自身のセルフイメージが引き裂かれてゆくのです。

パーフェクトブルー

鏡に映る分裂した「私」

白雪姫には真実を語る「魔法の鏡」というものが出てきます。「この世で一番美しいのは誰?」と尋ねると答えるあの鏡ですね。白雪姫に限らず、鏡は真実を映し出す小道具としてよく用いられており、本作でも鏡は重要な小道具のひとつとなっています。

自分のイメージに思い悩み激しく葛藤する未麻は、次第に窓ガラスなどにアイドル時代の自分の姿を見るようになります。電車の窓ガラス、自宅のガラス戸、そしてPC(インターネット)というバーチャル世界の窓の向こうには、何者かが立ち上げた「未麻の部屋」というホームページがあり、誰かが未麻の日常の日記をつけてさえいます。

『千年女優』には、主人公の千代子がある時鏡をのぞくと、自分の姿が老婆のあやかしとして映るというシーンがありました。さらに『パプリカ』のオープニングシーンには、ナンパに愛想よく対処するパプリカが、鏡の中ではうんざりした表情をしているという演出もあります。鏡を用いた二重性の表現もまた今監督が好んで使う手法です。

今敏

『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』のクライマックスの追跡シーンでは、未麻になりすましていたマネージャーのルミの姿は、現実では未麻にそっくりですが、鏡の中ではルミ本人が映り込んでいます。つまり、現実=ウソ、鏡=本当。この演出が、最後のカットに活きてきます。

本作のラストカットは車のバックミラー(鏡)に映った未麻の「私は本物だよ」というセリフです。鏡の中で言われていることに重要な意味がありますね。

人は自分で自分の姿を直接見ることができません。人は自分の姿を鏡を通してしか見ることができないのです(写真や映像もレンズという鏡を通してできるもの)。だからこそ、鏡に映った彼女が「私が本物」と言ったことに意味があります。鏡こそが真実を映すわけですから。

ドラマと現実、そして妄想

本作では女優に転身した未麻が出演している連続ドラマ『ダブルバインド』(劇中劇)も非常に大きな意味を持っています。未麻演じる女性が、多重人格に悩まされ、本当の自分とは何かを問うような内容で、ドラマの内容自体が映画全体の内容とリンクしています。

時にドラマと現実のパートがシームレスに繋がり、さらには未麻の夢や妄想もそれらとカットバック(※)されるような演出をしており、観客はどれが現実で、どれがドラマで、どれが夢や妄想なのかわからなくなるでしょう。

このドラマ内ドラマという手法もまた今監督の得意とするところ。『千年女優』では主人公の大女優・千代子が演じてきた歴代のキャラクターの生き様と本人の人生がリンクするように描かれ、『パプリカ』ではパプリカが提供する夢セラピーの中で、映画の登場人物に扮するシーンが出てきます。

『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』では、「ドラマ」「妄想」「現実」という3つの虚構が入り乱れて同じ強度で観客に提示されます。現実も、ドラマも、妄想ですらも差異はないのだ、と主張するかのように。

『千年女優』の考察記事で、思想家・西部邁の「現実とは長期的に安定した仮想のこと」という言葉を紹介しましたが、今監督の作品において「現実」とは、必ずしも絶対的に強固なものではなく、イメージや思い込みによってたやすく揺らいでしまうものとして扱われています。『千年女優』や『パプリカ』では、むしろ虚構世界を上手く生きることこそが人生を豊かにするというメッセージが見て取れます。

「現実」と我々が呼んでいるものは、多くの人が信じている虚構のひとつに過ぎません。アイドル時代の未麻のことを忘れられないマネージャーのルミや、ストーカー男・内田にとっての現実、そして未麻自身の現実。それぞれが違う現実を見ていることで起きる事件を本作は描いていると言えます。

※「カットバック」:異なる場所で同時に起きている複数シーンのショットを交互に表現する手法

リアルは見る者による発見であり創作である

今敏監督はインタビューで「リアル」というものについてこう語っています。

写実的なこととリアルなものとは違うと思っています。写実的に描いたからといって、リアルになるとは絶対に思わない。青山二郎という骨董家、になるのかな、その人が『優れた画家も詩人も、美を描きえたことはない。美は描くものではなく、それを見た者の発見であり、創作である』というようなことを言ってて、この美をリアルに置き換えても通じると思うんです。リアルって描きうるものじゃなくて、見る人がそこに発見するものだと思うんですね。

(「広告批評」(マドラ出版)No.260 2002年5月号、P62)

マネージャーのルミやストーカーの内田にとっての「リアル」とは、“アイドル・霧越未麻”が生きる世界です。そして、未麻自身が自分のリアルをどう見つけるのかが本作の物語の骨格です。リアルは人の数だけあります。ゆえに、絶対の「本当の自分」はないのです。

メディア環境が高度に発達した現在では、アイドルや女優のような特殊な職業でなくても、例えばインターネットやSNSで大多数に自分が認識されることがありえます。そんな無数の「リアル」に触れているうちに、未麻のように自分のイメージが揺らいでしまう感覚は、現代人なら少なからず実感したことがあるのではないでしょうか。

今敏監督の作品は、現代を生きる我々にたくさんのヒントを与えてくれます。今監督のすべてと言っても過言ではない、多くのエッセンスが詰まったデビュー作『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』。今あらためて観返してほしいですし、まだ観ていない方はぜひ一度観てほしいと思います。

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