【ネタバレ考察】映画『ナミビアの砂漠』ラストはどうなる?カナの所在なさの正体とは?二つの対象的な事象が示すものを徹底解説

映画『ルックバック』(2024)を見る際に『ナミビアの砂漠』(2024)の予告が流れてきた。河合優実が「うわ、紙ストローだ」「甘いのとしょっぱいの嬉しい〜」「映画なんか観て何になんだよ」と言っていた。もうこれだけで観たいという気持ちになる。

監督は『あみこ』(2017)以来7年ぶりの長編映画となる山中瑶子。本作は第77回カンヌ国際映画祭・国際映画批評家連盟賞を受賞している。

本稿では、そんな『ナミビアの砂漠』で描かれたカナという存在を考察していく。

ナミビアの砂漠』(2024)あらすじ

東京で暮らすカナ(河合優実)。職業は脱毛サロンスタッフ。同棲していた優しい彼氏のホンダ(寛一郎)と別れ、クリエイターのハヤシ(金子大地)に乗り換える。新生活が始まるが、平気で嘘をつき、取っ組み合いの喧嘩も辞さないカナは次第に自分自身について分かりたいと思いはじめるが……。

※以下、ネタバレを含みます。

圧巻のオープニング

映画冒頭、町田駅マルイの外に開けた遊歩道を反対側のブロックからカメラがとらえている。バスや車、通行人が行き交っているところに、カメラはゆっくりとズームインし、やがてひとりの女性を画面の中央に配置する。

彼女はバッグの中から日焼け止めを取り出す。残量が少ないのか容器の底をつまみ、上下に振ってから中身を抽出し、素早く首筋から塗り始め、途中、階段でバランスを崩しそうになるほどに大胆に塗っていく。手に持ったバッグをぶらぶらさせ口が半開きのまま大股で歩くその姿は、他人など意に介さないとでもいうような、目を奪われないものはいないと思わせるほどの堂々とした存在感を放っている。

このようなディテールをあげればキリがないほど、主人公カナの身振り、表情、セリフの言いまわしは良い意味でも悪い意味でも、我々を冒頭から惹きつける。まずはそのことを強調したい。

カナの「所在」なさの正体

町田に現れたカナはカフェで友人と待ち合わせ、同級生が自殺で亡くなったことを知らされる。

このときカナは、ヘビーな話題にも関わらず、画面外の斜め後ろに座っている男性客らの会話が気になっていた。身体をそちらの方向に寄せながらも、目の前の相手には目だけで話を聞いているといった身振りを示す。目の前で広げられている会話の重大さと、後ろの男性客たちの会話のくだらなさが同居するこのシーンの不安定なバランス感もさることながら、思い返してみても、カナのこの身振りは彼女自身の性質をよく表していた。

カナは、目の前で起きていることと、それとは別のことのあいだを常に彷徨って生きている。やや堅い言いかたをすると、「二項対立や矛盾のあいだ」と言い換えても問題は無さそうだが、より実感に近い言葉にすると、ふたつの事象のあいだを揺れながら生きている、と言えるだろう。

映画の後半では、まるでジョン・カサヴェテス作品のジーナ・ローランズを見ているかのような息を呑む展開が繰り広げられる。しかし、それでもどこかコミカルな、思わず吹き出してしまうような楽天性を帯びているのがこの映画の愉しさだ。そして、映画が進んでいくうちに、カナの所在のなさの正体が少しづつ見えてくる。

対比するふたつの事象

カナがふたつの事象のあいだを彷徨う確たるものに、ホンダとハヤシという恋人の存在がある。カナはふたりの男性と関係を持っている。物語の前半でホンダと別れた後、ハヤシとだけ付き合うことなるわけだが、驚くべきは、ふたりとの関係を維持している前半のほうがカナは安定しているように見え、ホンダと別れハヤシが正式な彼氏となってから、映画はよりシリアスな展開を迎えることだ。

ことの発端は、カナがハヤシと同棲をはじめたアパートでおもむろに開けたダンボールの中から、ハヤシとその元彼女との間にできた子供のエコー写真を見つけたことからだった。ここでふたりの関係は転機を迎える。

カナはエコー写真のことを、しばらくハヤシには言わずにいた。そのためカナの内面において、これまで明らかなかたちでは現れなかった不安定なこころの状態が顕在化されてくる。ある種のバランスが保てなくなってくるのだ。

元カレのホンダはカナに料理をつくり、家事をこなし、泥酔して帰ってきても甲斐甲斐しく介抱をしてくれた。一方ハヤシはカナに花を贈り、激しい喧嘩の後にも関わらず骨折中はカナを支えた。ホンダは安心を与え、ハヤシは憧れを与える、まったくタイプの違う男性だ。このような経験はカナの人生の中で、穏やかで幸福な時間だったといってもいい。だからこそ、ハヤシとの間に生じたディスコミュニケーションを示すカナが、ハヤシからときに物を奪い、投げて、「拾えよ」と迫る場面は心の底から震え上がるほどの緊張感に満ちたシーンになっている。

このほかにも、カナが日本と中国のミックスルーツであること、同じ呼び名のカナちゃんが現れることなど、ふたつの事象の間にいるカナが「自分とは何か」と考えさせるようなモティーフが導入されている。後ほど触れることになるが、東京の片隅とナミビアの砂漠というふたつの場所も、カナの輪郭を曖昧にしているモティーフとして考えられるだろう。

ふたりの世界から外へ

カナが隣人の遠山ひかり(唐田えりか)と焚き火を囲い、親密な会話をする前に、実は彼女たちは何度か出会い損なっていた。

まずカナがハヤシとの喧嘩の後、床にうなだれぐったりしているところに、画面外から英会話のレッスンをしている声が聞こえ、壁に耳をあてて聞くことで隣人の存在が示される。それがひかりだった。その後、これも喧嘩後にカナが洗濯物を干そうとベランダに出たものの、隣の部屋から窓を開ける音がきこえたため、恥ずかしくなり後退りしながら部屋にひっこむ。そんなふうに何度かチャンスを逃した後、ある夜にカナとひかりはベランダで、お互いの存在を認識することになる。

「キャンプだホイ」シーンの前後はどこか現実離れした場面の連続になっている。しかしそれぞれがマッチカットで繋がれていることで、これもひとつの現実なのだという連続性をぎりぎりのラインで保っているように伺える。

思い返せば、そもそもカナが虚な目で街を徘徊し、迷子のようになっていたシーンはホンダと付き合っていた(比較的に安定していた)時期ではあるし、冒頭のカフェでの男性客らの会話内容をオウムのように繰り返すこともあった。カナがカナ自身ではないような瞬間。意識が曖昧な状態は、これまでにも示されていたことだったのだ。

激しい喧嘩と無気力な状態を繰り返すカナはオンラインで精神科を受診をするも、医者にハッキリとした病名を与えられず(一応、現代においては症状が細分化しているという事実と病名を与えられたら全てが解決するわけではないということは言い添えておく)、再会したホンダや職場の新人スタッフに投げかけられる言葉にもまともな返答をせず、平気で嘘をついたりもする。

このまま出会わなくてもなんら不思議でなかった隣人が、そんなカナのこころを束の間でも安定させてくれる言葉を与えることになる。短く、側からすればなんでもない会話だが、カナに外の世界があることを教えてくれたのだ。

ラストはどうなる?

映画の終盤、ハヤシとの大喧嘩の後、ふたりは元カレが作った冷凍ハンバーグを食べる。作中でカナと(主に)元カレのホンダが仲良く作ったものだ。カナは二つの穴を繋ぐ鼻ピアスを付けている。ハンバーグも鼻ピアスもふたつを繋げた/繋げてひとつにするモティーフだというのは、考えすぎだろうか。

しかし、現実ではふたつの状態を繋ぎ、軽やかに安定した状態を生きることはとても難しい。いま目の前の人間とコミュニケーションをとることとナミビアの砂漠に想いを馳せること。より倫理的な言い換えをするならば、それは近くの人にも遠くの人にも同じ想像力を働かせることの難しさではないか。そしてそれは、生きることの難しさに等しい。カナから目が離せないのは、まさにその難しさのなかで生きているからである。

『ナミビアの砂漠』作品情報

◼︎上映日:2024年9月6日(金)
◼︎配給:ハピネットファントム・スタジオ
◼︎公式HP:https://happinet-phantom.com/namibia-movie

(C)2024『ナミビアの砂漠』製作委員会

※2024年9月6日時点の情報です。

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