もうひとつの映画の祭典!「第16回東京フィルメックス」の注目作をチェック

Nobody's Perfect.

久保田和馬

10月は東京国際映画祭で盛り上がりましたが、11月にもうひとつ大きな映画祭があるのをご存知でしょうか。それが今年で16回目を迎える東京フィルメックス。

有楽町の朝日ホールをメイン会場に、アジア圏の超有名監督の新作や、インディペンデント映画を紹介するこの映画祭。今回は、例年にも増して豪華なラインナップが並ぶ、今年のフィルメックスをご紹介いたします。

待ちに待った作品が並ぶ!特別招待作品

ぱなひ

出典:第16回東京フィルメックス公式サイト

今年のベルリン国際映画祭で、最高賞である金熊賞を獲得したジャファル・パナヒ監督の最新作『タクシー』がついに日本へ上陸します。

前作『これは映画ではない』もこのフィルメックスでお披露目されており、すっかりフィルメックスでおなじみのパナヒ監督。未だイラン国内での公式な映画製作が許されていない彼の手がけるアイデアに脱帽すること間違い無しです。

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じゃんくー

出典:第16回東京フィルメックス公式サイト

そしてこちらもフィルメックスではおなじみのジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の新作『山河故人』。

今年のカンヌ国際映画祭コンペティションに出品された本作は、ひとりの女性にフォーカスを当て、現代中国社会の移り変わりを描き出した大作。もちろんすでに日本公開が決まっている作品ですが、今年のクロージング作品として上映される目玉のひとつです。

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みんりゃん

出典:第16回東京フィルメックス公式サイト

一昨年上映された『郊遊』(映画祭題「ピクニック」)で、商業映画からの引退を表明していたツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督。彼の最新作である『あの日の午後』は、おなじみのリー・カンションとの対話を記録したアート作品です。

新たなる映画表現の可能性を見出そうとする監督の意欲を感じることができる本作を始め、今回の映画祭の関連企画で特集上映も予定されておりますので、この機会に是非近年の短編作品などを観てみるのもいいのではないでしょうか。

他にも、香港映画界のエース、ジョニー・トーの新作『華麗上班族』や、塩田明彦監督の新作中短編『昼も夜も』『約束』が上映されるなど、注目作が並びます。

未来を担う才能が集結!コンペティション部門

コンペティション部門にはアジア圏の新進気鋭監督の作品が並びます。今年上映されるのは10作品。日本、中国、韓国といったおなじみの国から、スリランカ、カザフスタン、ネパールといった、この映画祭でしか観る機会がないような国の作品が上映されます。

この中から、注目作を2作ご紹介します。

消失

出典:第16回東京フィルメックス公式サイト

東南アジアきっての映画国であるタイの作家ジャッカワーン・ニンタムロンの長編劇映画デビュー作『消失点』。

日本では2011年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された『偽りの森』以来の紹介となるニンタムロン監督の本作は、ロッテルダム国際映画祭の最高賞であるタイガー・アワードを受賞しました。香港や台湾の映画祭でも上映されており、今後の東南アジア映画界を見ていく上でも重要な一本となるはずです。

白い

出典:第16回東京フィルメックス公式サイト

ロカルノ国際映画祭に出品された、スリランカ映画界期待の星ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督の最新作『白い光の闇』も日本上陸。

スリランカ映画なんて観たことない、という人も多くいると思います。このジャヤスンダラ監督は第58回のカンヌ国際映画祭で、ミランダ・ジュライと共にカメラ・ドール(新人監督賞)を獲得している、要注目監督なのです。本作は複数の人物の物語の断片から、現代スリランカ社会を描き出した実に興味深い作品となっています。

見逃せない名作が並ぶ!特集上映

エテックス

コンペティションと特別招待作品のふたつの部門が中心になるこの映画祭ですが、毎年ピックアップされた監督の特集上映が行われるのも注目です。

今年は前述のツァイ・ミンリャン特集をはじめ、今年久々の新作『黒衣の刺客』が日本公開されたホウ・シャオシェン(侯孝賢)の特集として、名作『悲情城市』、『戯夢人生』『風櫃の少年』が上映されます。

さらに今年の映画祭ポスターにもなっている、ピエール・エテックスの特集上映として、日本未公開の2作品が上映。アジア圏のみならず、ヨーロッパの名監督を特集してくれるとても魅力溢れる映画祭になっております。

チケットはチケットボードにて絶賛発売中!

今年から東京国際映画祭と同じチケットボードで発売されることになったフィルメックス。これまでは映画料金以外にも手数料などがかかって少しお高いイメージでしたが、今年からは手数料もかからず購入できます。

一部の上映を除き前売り1300円。平日の夕方までの上映を11/9までに購入すれば1000円で観れるという「限定早割」も実施中です。お早めにスケジュールを立てて、今月末も映画祭をお楽しみください。

第16回東京フィルメックス公式ホームページ

 

※2022年11月29日時点のVOD配信情報です。

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  • sho
    4.5
    ジャ・ジャンクーのベス卜と思われる。時間の経過、失われていくものへの哀愁を描いているときはめちゃくちゃ好き。
  • tesamdamaset
    -
    めちゃんこ好き 魂があるよ魂が
  • 匿名
    -
    最後の恋愛シーンはいらなかったなー。
  • むっく
    -
    宅配レンタルで山河ノスタルジアみおわり 2015年の作品 初めてみたのは2019年 作品内で描かれた未来が2025年 経たな〜 ジャジャンクーの映画って採掘場みたいな空き地みたいな広い地面のシーンが必ずあって時間や感情のエアスポットに感じる それがオーストラリアパートになかったのも印象的(海だった
  • 子門はじめ
    4.5
    不安定さを感じさせる「写実主義」 自分の人生を語る時、他人が聞いても驚きおののくような体験が誰でも1つや2つあるのでなかろうか。 ただし、そのような体験を自分の人生について語るような場面、直接、自分の人生に影響を与えたものでなければ、通常、語る時に除外するものだ。 例えば、僕にとってのそれは、独身時代、ある夜、とつぜん酔った女性がワンルームマンションの玄関から入り込み、驚いて追い出したら、隣室でも女性は同じことを繰り返し、加えてそこを彼女自身のベッドと間違ったらしく、その隣室で素っ裸になり、結局、警察に簀巻にされ連行された事件。 (後で知るが彼女は同じフロアの隣人で、このようなことを何度か起こした近所の交番でも有名な大トラだったらしい) これは僕の人生にとって忘れえぬ出来事だが、自分の人生を語るべき時に人にあえて聞かせるものでない。 映画、ドラマに文法がある限り、映画、ドラマに、時間が決まっているものだから、登場人物のその後の思考や行動に影響するものでない余計な描写は除外となる。 僕の伝記映画があるとしたら(そんなものはありえないが)、そう上に書いた簀巻女は僕の人生を語る上でどんな珍奇な出来事でも、脚本に乗るエピソードとして選ばれることはないだろう。 映画、ドラマを人生の縮図として構築する上では、このようなそぎ落としはあってしかるべきな筈だ。 しかし、この映画は通常のドラマのあり方を簡単に破ってみせた。主人公の女性がバイクで疾走するシーンが有るのだが、そこで突如セスナ機が彼女の近くに墜落する。とんでもないアクシデントだが、話としては全くこの事故は前後に絡むことがない。突如事故が起き、そのまま消費される。そう僕の人生においての簀巻女の珍奇性と同様、彼女の人生において、突如起きてその場で終わるのである。 一方、この映画でも、他の映画と同様に、登場人物たちはそれぞれ、出会い別れ再開する。ただ他のよくあるドラマとは異なって、逢いたい二人が、再会しなければならない二人が、会うこともなく、厳密に言えば、会えるのか会えないのかも分からないまま、映画は閉じる。 それは、自分自身のこれまでの人生に照らしてみれば、かつての友人と今年の正月こそは旧交を温めなければならないと思い、ただ、時間が過ぎていったのと、全くの同様だ。 決して、僕が旧友に再会することは、気持ちが後ろ向きなのではない。会うことを第三者が、様々な事件が、阻害しているのではない。ただただ会えない、会わないのである。通常のドラマで描かれる「別離」のような、そこに二人を分かつような試練が待ち受けたりするものと、この映画で描かれる「別離」とは対局にある。 この映画の、他になく感じる「不安定さ」は、何と表現したら良いのだろうか。悩むうちに、写実主義という言葉が浮かんだ。しかし通常の写実主義はドラマを描く上での、1シーン、1カットにおける細部表現におけるリアリズムを写実主義というのであろうが、この映画で僕がいう「写実主義」は異なる。何といえば良いのだろう、人生を対象とする「写実主義」なのだ。人生においては時には飛行機が墜落するような出来事も起こる、別に自分の人生を結果、左右するようなものでなくても。ただ人生で起きた大きな事件だからそれをありのまま描写する。また他人との再会/別離は人生において特別なものだけど、会う会わないに特別な理由・事象は示したりもしない。実際の生活においての会う会わないと同様に、ただ会えないから会えない、会わないから会わないというかのように。 それは、親の反対があったからでもなく、天変地異がおこったからでもない。(もしかしたら映画で描かれなかった後日、会えるようになったから会えるようになっているかもしれない)。そう私達の、映画になるほどではない人生における出来事を、映画/ドラマになるように加筆したりそぎ落としたりすることなく描写してみせたという意味の「写実主義」としかないのだ。 そしてその写実主義は、僕にとって残酷に思えるものだった。この映画を一言で言えば、1999年を起点とする四半世紀に渡る叙事詩などと評されるのだろうけど、よくある叙事詩では、人は移ろうが自然は悠久で変わることないという風に物語は紡がれる。そして、観客としての我々はそこに安堵を求めがちなのだけども、この映画では、確かに登場人物に年輪は刻まれ移ろうけども、自然物である河だってなんども工事のためその形を変えていく。 一方、街のシンボル高楼と流行歌だけが、なぜか普遍物して描かれる。高楼も流行歌も人の手に依るにも関わらず。そう、このようなことはやはり人生を写実すれば、よくある話なのかもしれないが、形としての物語、形としてのドラマならそこにあるはずの安堵が、この映画にはないこと、不安定さのまま映画が終焉することを身体で感じた僕は一人泣くしかなかった。
山河ノスタルジア
のレビュー(1620件)