自主規制が厳しくなる昨今、悲惨な戦争体験を若い世代に語り継いでいくことが難しくなっているようです。先日、福岡県で地元の中学生が上演する予定だった戦争についての朗読劇が町の判断で中止になったというニュースが話題になりましたよね。
12月12日公開の山田洋次監督作品『母と暮らせば』は、長崎の原爆被害者の青年・浩二を二宮和也、その母・伸子を吉永小百合が演じ、戦争の悲惨さを伝えるべく製作された、上記のニュースが報じられた今こそ見に行くべき反戦映画なんです。
戦争を「語る」映画
今夏公開された塚本晋也監督の『野火』はビジュアルで反戦を訴える映画でした。過酷な状況にある戦場と狂っていく兵士の姿を自主制作映画とは思えないほど迫力のある映像で描き、国内外で高い評価を得ています。今も日本各地で上映が続いており、塚本監督の新たな代表作になるのではないでしょうか。
共に反戦を訴える映画ではありますが、『野火』と『母と暮せば』はメッセージの表現方法が正反対です。
『母と暮せば』は長崎に投下された原爆が炸裂し、浩二が通う大学の教室が爆風で吹き飛ばされるシーン以外にビジュアルで訴えるシーンがなく、登場人物が戦争体験を語り回想することで戦争の悲惨さを表現しているのです。
医学生の浩二は長崎に投下された原爆で死に、一人残された母の伸子は浩二のガールフレンド・町子の助けを借りながら必至で生き延びます。
敗戦から3年、浩二の死を諦めきれなかった伸子がついに息子の死を受け入れた時、浩二の亡霊が彼女の前に現れ、思い出話に花を咲かせます。浩二と町子のなれそめ、学校祭の苦いエピソード、浩二の恩師の話…すべてが原爆に吹き飛ばされ、二度と戻らない家族の風景。
巧みな回想が果たす役割
本作の魅力は親子の会話シーンです。ほとんどのシーンが伸子が一人暮らしをする家の中を舞台とするため、本作は映像に動きが少ないという特徴があります。
これでは退屈してしまいそうですが、親子の会話から回想シーンへのつなぎが軽快で面白く、観客を退屈させないように工夫されています。
親子を演じる吉永小百合と二宮和也の醸し出す雰囲気も魅力的。本当の親子なのではないか?と思ってしまうほどのリアリティがあります。
回想シーンは基本的に過去の楽しい思い出を語る機能を果たしているため、伸子が直面する貧困、喪失感や浩二の町子への思いなどの悲劇性との対比が生じます。
『野火』のようにビジュアルで観客に訴えず、会話で戦争の悲惨さを伝える場合、悲劇性だけが全面に押し出されるとただ悲しいだけの映画になってしまう。メッセージの重みを観客にストレートに伝えるには、悲喜劇にすることが効果的なんです。
悲喜劇の成立に大きく貢献した二宮和也
本作では、伸子が悲劇性を体現するキャラクターとして存在します。
では、浩二はどうかというと、彼は悲劇性と喜劇性を持ち合わせた存在なのです。過去を語れば笑いが生じ、今を語れば涙が流れるような。浩二を演じた二宮和也は大変な演技を要求されることになりました。
しかし、彼は見事に浩二を演じている。無垢な青年としての一面、亡霊としての一面を巧みに演じ分け、悲喜劇を成立させています。『硫黄島からの手紙』で監督のイーストウッドから演技力を賞賛されただけのことはありますね。お見事でした。
先の大戦について語ることが難しくなりつつある昨今、本作のような映画は貴重です。今年公開された反戦映画では『野火』と並ぶ重要作品と言えるでしょう。二宮ファンもサユリストも彼らの演技に満足すること間違いなし。特に二宮ファンは絶対に観に行くべきです。
ちなみに、本作は山田洋次らしからぬCGの多用が観られるので、山田洋次ファンは必見。賛否両論のエンドクレジットも一見の価値ありです。ちなみに私は擁護派です。
(C)2015「母と暮せば」製作委員会