映画『崖の上のポニョ』死後の世界を描いている?ポニョの本名とは?製作秘話から徹底考察【ネタバレあり】

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映画『崖の上のポニョ』は死後の世界を描いている?もともとの舞台は保育園だった?劇中に使用された音楽とは?製作秘話などから知っているともっと楽しいトリビアを徹底解説【ネタバレあり】

「ポーニョ、ポニョポニョ魚の子 ♪」のフレーズで一躍大ヒットとなったアニメーション映画『崖の上のポニョ』。

2008年の流行語大賞にノミネートされるなど、社会現象になったことが印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

そんな崖の上のポニョですが、あれだけヒットしていながらも、ポニョが何者なのか。この映画が何を描こうとしていたのか、わからないという人も多い作品です。今回はそんな『崖の上のポニョ』について制作背景から分かる秘密を紹介していきます。

崖の上のポニョ』(2008)のあらすじ

魚の女の子ポニョは、外の世界に興味津々。父親である魔法使いのフジモトの下から家出をしてしまう。そんな海の世界からやってきたポニョは、たまたまジャムの瓶に引っかかってしまっている所を5歳の少年・宗介に助けてもらう。

一度はフジモトによって連れ戻されてしまうポニョだったが、妹たちの力を借り、魔法の力で豪雨と荒波が荒れ狂う嵐の中、人間の世界へやってきてしまう。実はその嵐も、ポニョが人間の世界にやってきたせいだったのだ。ポニョがやってきたことにより、宗介の街はたちまち大変な事態へと巻き込まれてしまうのだった……。

※以下、ネタバレを含みます。

宮崎駿が制作中に聞いていた音楽とは?

この崖の上のポニョは果たしてどういった状況で制作されてきたのでしょうか。公式サイトなどではいくつか、その制作背景が語られています。たとえば宮崎駿がこの映画の制作中に聞いていたという音楽。その音楽というのがリヒャルト・ワーグナーが作曲した楽劇「ワルキューレ」だということが明かされています。楽劇とは、音楽と劇を密接に引き合わせたオペラの形式。その全曲盤を作品の構想中によく聴いていたそうです。

楽劇「ワルキューレ」には有名なパートが存在しています。それが「ワルキューレの騎行」と呼ばれるパート。曲名でピンと来ない人も、『地獄の黙示録』でキルゴア中佐が武装したヘリコプターで村を爆撃した時に流していた曲、と言われて思い出す人も居るかもしれません。

高揚感を与えてくれるような曲調が印象的ですが、なんとこの曲はイギリスの自動車に関連した調査やプロモーションを行う企業、RACFoundationによって、車の運転中に聞くのは危険とされる曲のトップとして選ばれているほどの曰く付きの曲なのです。

そんな曲を聴きながら作られたからこそ、脅威的な迫力の津波のシーンが実現したと言えるかもしれません。

ちなみにポニョが人間の姿になって宗介の所へやってくる時に流れるBGM「ポニョの飛行」は、「ワルキューレの騎行」を引用した楽曲となっているので、気にして聴いてみると面白いかもしれません。

ポニョの本名はどう付けられたのか?

楽劇「ワルキューレ」は映画の制作の雰囲気だけでなく、設定にも影響を与えているのが明らかな証拠があります。それは、ポニョの本名。

ポニョの本名は“ブリュンヒルデ”。ブリュンヒルデといえば、北欧神話に登場するワルキューレの一人です。ワルキューレとは、戦争と死の神であるオーディンに仕える女性の半神たち。戦場で倒れた戦士たちをオーディンの宮殿に導くとされています。

ワルキューレの中でもブリュンヒルデは、仕えるはずのオーディンに対して逆らった為に呪いをかけられてしまいます。そして、その呪いを解くのが、英雄とされるシグルズという男。二人は婚約をする仲となります。これでめでたしめでたしとなれば良いのですが、二人には悲劇が待っている……というのがブリュンヒルデの物語なのですが、親に反抗して好きな人の元へ行ってしまうという境遇は、ポニョと似ています。

ポニョの本名は制作中に聞いていた音楽と、存在する神話から命名された可能性が高そうです。

崖の上のポニョ』のモチーフとなる物語とは

ではポニョは、北欧神話を現代の物語に落とし込んだのでしょうか。北欧神話がエッセンスとして盛り込まれているのは間違いないのでしょうが、実は『崖の上のポニョ』には北欧神話よりももっと、モチーフとなったと言っていい物語があります。それが「人魚姫」です。「人魚姫」と言えばアンデルセン童話として有名なお話。

海底の世界に住む人魚姫が、人間の王子に恋をしてしまい、魔女の力によって人間の姿にしてもらいます。王子に愛してもらわないと死んでしまうという条件を受けていたものの、王子に愛してもらえず最後には泡となって消えてしまうという悲劇でした。

この結末に関して、宮崎駿は当時違和感を持っていることをインタビューで語っており、ハッピーエンドを迎える作品を意識していたことを語っています。街が水没してしまったり、不穏な雰囲気もする崖の上のポニョですが、そこには悲劇に終わってしまった「人魚姫」へのアンチテーゼとして、人魚姫に幸せになってほしいという思いが乗せられていたようです。ポニョはまさに日本版の人魚姫と言えるかもしれません。

もともと保育園が舞台だった?

そんな『崖の上のポニョ』は当初保育園が舞台であったことが、鈴木敏夫プロデューサーの口からラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で語られています。

宮崎駿監督は当時保育園の物語を描くことが念願だったそうで、冒頭に登場する保育園を舞台に物語が展開される想定で、絵コンテを描き始めたようです。

しかし、宮崎駿は『崖の上のポニョ』制作当時に実際の保育園の開設にも携わり始め、実際にスタジオジブリの社内保育園“3匹の熊の家”を作りました。しかしそのせいで保育園に対する熱量を注ぎすぎたのか、当初の構想とは一転して『崖の上のポニョ』は保育園とは別の場所でのエピソードが展開していくように路線変更していったそうです。

本来の構想とは変化していったものの、うまく辻褄を合わせていく宮崎駿の技術を鈴木敏夫が評価して語っていましたが、この路線変更の際にフジモトといったキャラクターが後付けで生まれいったことも語っています。制作中のその時々の宮崎駿の思いで『崖の上のポニョ』という物語は、現在の形へと変化していったことがわかります。

洪水後の世界は死後の世界?

話の路線変更が起こったのは実はそれだけではなかったようです。制作過程で路線が変更されたタイミングが他にもあったことを、鈴木敏夫が同じくラジオで語っています。

制作当時、宮崎駿は死後に自分が親と出会ったとしたら第一声はなんだろう……といった、死後の世界に興味を持っていた時期があったそうです。その影響もあってか、トキさんを始めとしたキャラクターたちの動向に長く尺が取られていた展開が用意されており、それらの物語を“あの世”と表現して、鈴木敏夫は当時を語っていました。

結局、そのままではポニョや宗介の話がなくなってしまっていることや、その展開では全体の尺に間に合わないという理由で、宮崎駿と相談の上、展開が変更されたそうです。

『となりのトトロ』をはじめ『崖の上のポニョ』など、ジブリ作品には死後の世界を描いているといった内容が、都市伝説的に語られることも多いですが、こういった話を聞くと、こと『崖の上のポニョ』に限っては、死後の世界を意識した展開として描かれていたことは、あながち間違いではないと言えるでしょう。

直接的ではないにしろ、宮崎駿が死後の世界に興味を抱いていたことが、エッセンスとして崖の上のポニョには残っているのです。

このように制作過程を追っていくと、崖の上のポニョは、宮崎駿のその時々の思いやメッセージが詰まって生まれた作品だということがわかります。

作品の中に通った一本の筋を読み通していくというよりも、作品の中に遍在する、宮崎駿の思いや描きたかったものを読み取っていった方が、『崖の上のポニョ』という作品のメッセージは受け取りやすいのかもしれません。

(C)2008 二馬力・GNDHDDT

※2020年8月14日時点の情報です。

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