『ゼロ・グラビティ』観るたびにタイトルに唸る。その【画】に隠された意味

2015.06.03
映画

映像の編集とか演出やってます

ホンダカット

『ゼロ・グラビティ』(2013)は宇宙空間における【無重力】を初めて映画で正確に表現したと評価されています。また、冒頭の17分間ずっとカットが切れずにカメラを長回ししているのも話題になりました。ただ、それ以外にもメタファーだけで表現されているものが非常に多く、それを探していくだけでも何度も楽しめる映画です。

そしてその発見が全て最後に出る映画タイトルに通じるという感動を毎回もらいます。

※この記事は『ゼロ・グラビティ』のネタバレを含みます。ご注意ください。

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序盤:主人公のバックボーン

この映画が変わっている点は、主人公の女性の境遇をほとんど説明しない点です。はしばしの台詞で彼女の置かれている立場は最低限分かりますが、想っている事などはあまり喋らない。監督は画で何を語ろうとしているのでしょうか。

彼女は自分の娘(まさに「天使」と呼んでいる)を亡くし、地球という生の象徴と宇宙の深淵という死の象徴の中間地点に、文字通りふわふわと浮かんでいるところから始まります。この世とあの世の間にいるという事です。ジョージ・クルーニー演じる同僚が聞く「宇宙の何が好きなんだ?」。彼女は答える「静けさよ。居心地がいいわ」。宇宙の果てを見るハッブル望遠鏡に彼女の開発したスキャンシステムを装填しているという冒頭が、そのまま彼女が【娘が行ってしまった世界】に憧れている事が示唆されています。

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出典 : http://www.fatmovieguy.com/review/gravity/

この話の主人公が女性である必然性は、やはり生と死のメタファーを語る上で直接命を産む女性を据えた、と見るべきです。事実、宇宙服を脱いだ瞬間の彼女が胎児に見えたり(ご丁寧に背景のチューブがヘソの緒にも見える)、ソユーズのパラシュートを外す部分はヘソの緒をカットする暗喩、などなど、画的なモチーフがそれを象徴しています。

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出典 : http://imgkid.com/gravity-movie-poster.shtml

中盤:どこにでもいるヒーロー

そんな彼女がとんでもない目に遭い、宇宙が嫌いになり、私が死んでも誰も悲しんでくれないと嘆く。そして彼女は何かに気付き、変化します。

ここへきてもこの映画はそれを台詞などで分かりやすく描くことをしません。彼女は言語の通じない交信やある夢を見たことで、おそらく自分と向き合ったのです。自分には死者ができない【選択】ができるのだという事を痛感したのです。

通じない交信や夢はコミュニケーションの象徴でしょうか。たった一人で、孤独な宇宙で絶望的なまでに追い詰められたか弱い人間が、自分の心の魂の一番奥の部分とコミュニケートすることで信念を覆すような肯定性を得たのです。それは一般の普通の人、誰もが持つヒーロー性の話なんだと思います。

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出典 : http://www.fatmovieguy.com/review/gravity/

終盤:重力、それはしがらみ

彼女は帰る決意をします。それは面倒なしがらみとか束縛とか(=つまり【重力】)がある現実の世界、地球に戻ること。開放的で自由で静かで心地良い宇宙【無重力】を離れること。「このまま行くと結果はふたつ。この壮大な物語を皆に笑って聞かせるか。それとも10分後に焼け死ぬか。でも誰のせいでもない。物語なんてどうでもいい。結果はどうであれ、これは最高の旅よ」と。これは現実人生の肯定そのものです。

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出典 : http://www.iowanazkids.org/threestars/gravity.html

たくさんの破片と共に宇宙船が地球に突き進むシーンは卵子に向かう精子。地球に無事着水し、羊水ともとれる水に溺れそうになる中、宇宙船という子宮からふたたび産まれ、両生類の湖を越え、丁寧にまずは四足歩行で大地にあがり、そしてついに2本の足で立ち上がり、大地を踏みしめ自分の足で人生を生きようと歩き出す。生命の誕生と進化をわずか数分のシーンで表現されています。

そして最後に現れるタイトル『GRAVITY』。

『重力』を【束縛】とか【面倒な人間関係】とか【どうしようもない現実社会そのもの】として捉え、生の象徴であり人生の意味である、とまで描いたこの映画は、やはりテーマとしても原題のまま『グラビティ』というタイトルにして欲しかったです。

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