7月22日から公開される『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』。
病弱だった父親の代わりにパン職人として働き、苦労して脚本家になったダルトン・トランボの半生を描きます。
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彼が手がけた作品の一つに、オードリー・ヘプバーンの出世作『ローマの休日』があります。いまや恋愛映画のクラシックとなったこの作品ですが、実はトランボは偽名でこの作品を執筆していました。
10数年もの間、なぜ彼は偽名で活動しなければならなかったのか。その背景には、1947年からアメリカを震撼させた、“赤狩り”騒動が関係しています。
トランボが手がけた脚本には、「名誉」「反逆」「不屈」「義務」といったテーマが共通してあり、それは「赤狩りで不遇な扱いを受けた彼の生き様」がそのまま表れているといって間違いないでしょう。
この赤狩り、日本ではいまいちピンと来ない方もいるかと思いますので、トランボがたどった経歴や関連する映画も含めて解説していきます。
そもそも“赤狩り”とは
アメリカがソ連との冷戦真っ只中だった1947年9月23日、共産主義者とその同調者を取り締まる中心組織「反米活動委員会(HUAC)」が、共産主義に加担していると思われる映画スタッフのブラックリストを作り、喚問を行ないます。そこで最初に呼ばれた、のちに“ハリウッド・テン”と呼ばれる10名は、見せしめとして仲間の密告を強要されることになるのです。
そのハリウッド・テンの一人が、ダルトン・トランボでした。彼は「これはアメリカの強制収容所の始まりだ」とHUACでの証言を拒否して法廷侮辱罪に問われ、11カ月の入獄を経てメキシコに亡命します。
1947年にHUACの聴聞会に喚問された際のトランボ
出典元:https://en.wikipedia.org/wiki/Dalton_Trumbo
トランボのように“アカ(赤)”こと共産主義者の疑いをかけられた人物の大半は、メジャー映画会社をクビにされ、ハリウッドでは雇用しないという声明を出されます。これにより、1954年までに約1万人が職を失い、約250人が国外脱出、約150人が投獄されました。
有名なところでは、“喜劇王”チャールズ・チャップリンや『戦場にかける橋』の脚本家カール・フォアマンとマイケル・ウィルソンらがいます。
特に後者2人は、『戦場にかける橋』でアカデミー脚色賞を受賞したにもかかわらず、リストに載っていたために名を明かす事ができず、名義上は原作者のピエール・ブールが受賞者となりました。しかしブール本人は英語が読み書きできないフランス人だったため、アカデミー授賞式でのスピーチもフランス語で行われたというオチもついています。
偽名で書いた脚本が2つのアカデミー賞を獲得
出所後、映画界での仕事を失ったトランボは、怪奇ものやアクションものといったB級映画を中心に製作していたプロデューサー、フランク・キングを中心とするキング・ブラザーズ社作品の脚本を、生活のために安いギャラで引き受けます。
それと並行してトランボは、偽名で書いた脚本をメジャー映画会社に売り込んでいましたが、その内のひとつに『ローマの休日』があったのです。
『ローマの休日』
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前出の『戦場にかける橋』の脚本家同様、実名を出せなかったトランボが、友人のイアン・マクレラン・ハンター名義で執筆したこの作品が高い評価を受けたのは周知の通りです(もっともハンター本人は「自分のやってないことで有名になんてなりたくなかった」と忸怩たる思いがあったようですが)。
いま改めて観なおしてみると、主人公のアン王女と新聞記者ジョーの「義務」と「名誉」、「誠実」さを描いた、いかにもトランボらしいテーマが盛り込まれた作品といえます。
『黒い牡牛』
そしてトランボがオスカーを得たもう一つの作品が、キング・ブラザーズ製作の『黒い牡牛』です。この作品で使用した偽名“ロバート・リッチ”とは、キング兄弟たちの親戚の名を拝借したものです。
母を亡くしたばかりの貧しいメキシコ農村の少年レオナルドと、同じく母牛を失った闘牛用の子牛イターノとの絆を描いたこの作品、クライマックスで闘牛場の観客による「インドゥルド(闘牛界での言葉で『恩赦』の意)」の大合唱シーンが印象的です。
名の知れた俳優が出演しない教育的要素が強い映画にもかかわらず、全面的な海外ロケと世界有数の撮影監督ジャック・カーディフによる秀逸な色彩美から、単なるB級映画としてはくくれない魅力があるとして高く評価されました。
しかし当然、リッチことトランボはアカデミー授賞式に姿を現すことができず、「ロバート・リッチは妻の出産に立ち会うためにやむを得ず欠席した」とだけ告げられました。
授賞式では、映画脚本家ギルドの副会長だったジェシー・ラスキー・Jrが代理で受け取った
ついに『スパルタカス』、『栄光への脱出』で実名を公表
1960年に、元々その実力は知られていたものの、オスカー受賞などで秘密裏にその名を轟かせていたトランボに光明が差します。
当時の大スターでプロデューサーとしても活躍していたカーク・ダグラスの執念の企画『スパルタカス』の脚本参加の打診です。
『スパルタカス』
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スパルタカスの反乱をテーマに、作家ハワード・ファストが執筆した小説の映画化にトランボが参加することになりました。その経緯は、ほぼ同時期にユナイテッド・アーティスツにより映画化が進められていた類似企画『剣闘士』に先を越されないよう、急いで脚本を仕上げる必要があったからでした。
そこで原作者ファストの初稿脚本が大いに不満だったダグラスが、早書きに定評があったトランボにリライトの依頼をしたという次第です。ちなみにトランボとファストは、ともにブラックリスト入りに名を連ねた者同士だったにもかかわらず、非常に不仲だったと言われています。
この『スパルタカス』に“サム・ジャクソン”という偽名で参加していたトランボが、ついに実名を出すこととなるわけですが、ダグラスの自伝「くず家の息子」には、脚本家のクレジットとしてどんな名を載せればいいか、監督のスタンリー・キューブリックと共同プロデューサーのエドワード・ルイスを交えてのやりとりが記されています。少々長いですがそのまま引用します。
キューブリックが解決策があると、威勢よくくちばしを入れた。「ぼくの名を使えばいい」
エディと私はあきれかえって、顔を見合わせた。「スタンリー、他人が書いた台本に自分の名を入れるなど、恥ずかしくないのか」私は言った。
何を言っているのか合点がいかないというように、彼は私を見つめた。「別に」彼なら大喜びで手柄をわがものにしただろう。
エディも私も、ブラックリスト騒ぎには怒りを感じていたが、ダルトンを利用しようとするスタンリーの意地汚さにはむかついた。会議はそこで打ち切った。その夜、ふっとすべてが明快になった。誰の名をスクリーンに出せばいいのか、わかったのである。エディも同じだった。
翌朝、私はユニバーサルの玄関口に電話を入れた。「ダルトン・トランボの通行証を預けたいのだが」
隠ぺい作戦は幕となった。
トランボとダグラスはその後も『脱獄』で一緒に仕事をしますが、ダグラスはこれまでに出演したすべての作品の中で、第一稿のみで手直しもする事がなかった完璧な脚本は『脱獄』だけだったと語っています。
『栄光への脱出』
そして、『スパルタカス』とほぼ同時期に製作された『栄光への脱出』で、監督のオットー・プレミンジャーもまた「この作品はダルトン・トランボが私のために書いた作品」と公表します。
イスラエル建国を目指そうとする、迫害されてきたユダヤ人の「名誉」と「反逆」を描くという、やはりトランボらしい作品となっています。
ダグラスもプレミンジャーも、トランボの名を明かしたことはブラックリスト粉砕が目的ではなかったと語っていますが、いずれにしろ彼らの英断が、長らくリストに載っていた人たちの復帰を促すこととなったのは間違いないでしょう。
名誉回復後の代表作『ジョニーは戦場へ行った』、『パピヨン』
復帰を果たしたトランボは、改めて精力的に作品を発表します。
『ジョニーは戦場へ行った』
この作品ではトランボが65歳にして初監督を務めました。もっともこれは、何度も映画化が頓挫した末にようやく製作にこぎつけるも、資金不足で自分で監督しなければならなかったという事情からでした(キャスティングの不備により、医療監督役としても出演しています)。
脚本自体は第二次世界大戦に突入する1940年にラジオドラマとして書かれたものですが、映画化されたのは1971年のベトナム戦争真っ只中という、強烈な反戦映画の代表的な一本となりました。
『パピヨン』
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実話をベースに、無実の罪で投獄された囚人パピヨン(スティーヴ・マックィーン)が脱獄に執念を燃やす姿を描いた人間ドラマ。
パピヨンの反骨精神と、彼を支える友人のドガ(ダスティン・ホフマン)との仲間を裏切らない友情描写は、まさしくトランボ脚本の真骨頂。トランボ本人もフランスの司令官役でカメオ出演しています。
そもそもトランボがこの作品に参加したのは、第二の主役ともいえるドガのキャラを膨らませるためだったとされ、それもあってか演じるホフマンは、ドガの役づくりに関してトランボ本人をモデルにしたとみられています。
彼は実に威勢のいい男で、屈強かつ洗練されていて、僕が感じた彼の高潔さはルイ・ドガ役にふさわしい。(ダスティン・ホフマン)
ブルース・クック著「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」より
『パピヨン』を手がけた2年後の1975年に、トランボは改めて自身の名が刻まれたオスカー像を受け取ることになり、その翌76年に70歳の生涯を終えます。
死後も、彼の作品は長く愛されています。『ジョニーは戦場へ行った』の原作本はいまなお出版されていますし、1943年製作のトランボ脚本作『ジョーという名の男』は、スティーヴン・スピルバーグが『オールウェイズ』としてリメイクしました。
『オールウェイズ』には、『ローマの休日』のオードリー・ヘプバーンが生前最後に出演しているということもあってか、トランボとの縁を感じます。
もう一人の“ハリウッドに嫌われた男”
赤狩りについて触れる際、トランボとよく比較されて名が挙がる人物がいます。
それは映画監督のエリア・カザンです。
出典元:https://en.wikipedia.org/wiki/Elia_Kazan
『紳士協定』や『波止場』でアカデミー監督賞を2回獲得するなど輝かしい実績を残すカザンですが、赤狩りで共産主義者の嫌疑をかけられた際に、仲間11人の名前を明かしたことで入獄を免れました。しかしこれを「仲間を売った裏切り行為」ととらえられ、結局彼は“ハリウッドに嫌われた男”となってしまいました。
アカデミー賞名誉賞の受賞式で、マーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロの両プレゼンターに導かれ壇上に立ったカザンを参加者は祝福しましたが、なかにはスタンディングオベーションも拍手もせず、イスに座ったまま憮然とした表情をする者もおり、場内は異様な雰囲気となりました。
授賞式で名誉賞を受けるカザン監督だが、イスに座ったままで拍手を贈らないエド・ハリスやニック・ノルティらの姿も
カザンの行為を非難する声は今でもあるようですし、トランボ本人も終生カザンを許さなかったといわれています。
しかし、カザンがトルコからのギリシャ系移民というマイノリティゆえ、名監督となりながらも赤狩り以前から業界内で不当な差別を受けていたとされます。
彼は周囲から“ガッジュ(gadge)”というあだ名で呼ばれており、本人も署名時などでその名を使っていました。ところがこの名は、“ガジェット(gadget=ケチな奴)”の略で、カザンが小柄なギリシャ系というところから、転じてそう呼ばれるようになったといいます。
蔑称から派生したあだ名であることを自覚して使っていた…こんな哀しい話はありません。
赤狩りの際も彼を擁護してくれる人が誰もおらず、仕方なく仲間の名を公表したともいわれています。そんな境遇があったことを抜きに、一概に彼ばかりを責めるのも酷な気がします。
赤狩りを描いた作品
『追憶』
第二次世界大戦中のニューヨークで再会し、結婚した二人の男女(ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンド)が、その後起こる赤狩りによって大きく運命が狂わされてしまうという、悲恋のラブストーリー。
アカデミー賞主題歌賞に輝いたバーブラ・ストライサンドによる主題歌も印象的です。
ビデオマーケットで観る【初月無料】『真実の瞬間(とき)』
共産主義者の疑いをかけられた映画監督デヴィッド(ロバート・デ・ニーロ)が、友人の名を挙げるようHUACに強要されるも、それを拒否したためにハリウッドを追放され、家族とも離れ離れになってしまいます。
HUACを糾弾し、ハリウッド・テンを支援する目的で作られたドキュメンタリー映画『ハリウッド・テン』を製作したことで、共産主義者の疑惑をかけられた映画監督ジョン・ベリーをモデルとしており、1991年の公開当時、赤狩りを初めて真正面から取り上げたとして大きな話題となりました。
ジョン・ベリー監督のドキュメンタリー『The Hollywood Ten』。トランボの姿も映っている
『マジェスティック』
学生時代に、好きな女子の気を引くためだけに反戦集会に参加したことで、HUACから共産主義者の疑いをかけられ、瞬く間に仕事を失ってしまった新進脚本家(ジム・キャリー)が、失意のうちに飲酒運転で事故を起こしてしまい…。
『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』を手がけたフランク・ダラボン監督らしい“希望と奇跡”をテーマにした作品で、コメディ俳優ジム・キャリーのシリアスな演技も見ものです。
『ヘイル・シーザー!』
(C) Universal Pictures
1950年代のハリウッドで、大スターのウィットロック(ジョージ・クルーニー)が誘拐される事件が発生。その裏には、業界を追われた“ハリウッド・テン”の暗躍が…。
映画づくりに情熱を注ぐ者たちが巻き起こすコメディですが、赤狩りという黒歴史も盛り込んだコーエン兄弟のセンスが光ります。
赤狩り思想に果敢に立ち向かうテレビ局スタッフを描いた『グッドナイト&グッドラック』を監督・出演したクルーニーが、ここでは共産思想にアッサリ取り込まれていくマヌケなスターを演じているのがおかしいです。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】おわりに ~『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』のみどころ~
最後に、『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』の見どころを少々。
史実を元にしているだけあって実在の有名スターたちが多数登場していますが、特にカーク・ダグラス役のディーン・オゴーマンが、カーク本人にアドバイスを求めた甲斐あってか、しぐさや口調をそのまま真似ていて必見。どことなく息子のマイケル・ダグラスに寄せているのもポイントです。
コワモテな表情を活かして俳優としても活躍していたオットー・プレミンジャーを演じたクリスチャン・ベルケルも、独特のオーストリア訛りの英語を喋り、ユーモラスさを漂わせています。
そのほか、赤狩りに躍起になるコラムニストのヘッダ・ホッパー役のヘレン・ミレンや、「俺が映画を作るのは金と女のためだけ」と言ってのけるパワフルなフランク・キング役のジョン・グッドマンといった芸達者ぶりも流石です。
そしてなんといっても、ブライアン・クランストン演じるトランボの、あらゆる逆境に対して、心も筆も折ることなく皮肉とユーモアで乗り切る姿勢は痛快です。そんな彼を支える家族愛も見逃せません。
『トランボ』を機に、赤狩りという悪しき出来事に触れるとともに、トランボ脚本作品を掘り下げて楽しんでみてはいかがでしょうか。