今、リヴァー・フェニックスを振り返る。伝説の俳優、生誕記念。

本日、8月23日は彼の誕生日だ。
River Phoenix(リヴァー・フェニックス)という俳優を、もちろん皆さんご存知だろう。

river

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/リヴァー・フェニックス

伝説の俳優が突然この世を去ってから、22年と10か月が経つ。

大好きな俳優として彼の名前を挙げる映画ファンは多い。リアルタイムで見ることが出来なくなった今でも、彼は私たちの心を奪って離さない。

生きていたら、今年で46歳。マット・デイモンやイーサン・ホークとは同い年。アカデミー賞のレッド・カーペットや俳優同士がじゃれる様子を見ていると、リヴァーがそこにいたらと想像せずにはいられない。キアヌ・リーヴスのボロボロの私服姿を見れば、まだ彼の靴を履いているだろうかと考える。(リヴァーの親友だったキアヌは、リヴァーが残した靴を愛用している)

1993年、ハリウッドのナイトクラブを訪れた彼は、ギター片手にきっと親友のフリー(レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト)と仲良く談笑していたはずだ。恋人の女優サマンサ・マシスと手を繋いでいたかもしれない。リヴァー・フェニックスを知る誰が、あの綺麗な青年が23歳で命を失うだなんて想像していただろう。

本記事では、彼を改めて振り返り、これからリヴァー・フェニックスと出会う若い世代にも知ってもらうべく、彼の出演作を数点紹介したいと思う。

『スタンド・バイ・ミー』(1986)

スタンドバイミー

子役デビューした彼を一躍有名にしたのは、言わずと知れた『スタンド・バイ・ミー』。あまりに有名作品で王道過ぎるため、そのタイトルやテーマ曲は知っていても鑑賞したことは無いという方が、もしかしたらいるかもしれない。

今の季節にぴったりのこの青春映画は、4人の少年が死体探しの旅に出るロードムービー。この頃のリヴァーはまだあどけなく、髪は短髪で体型も少しふっくら気味。白いTシャツもジーンズのお尻もパンパンであるが、綺麗な顔立ちや芯の通った力強い目の演技が、この頃からしっかりリヴァー・フェニックスなんだな、と安心させてくれる。

リヴァーが演じるクリスは家庭環境に恵まれない、不良で有名な兄を持つガキ大将。語り手である主人公ゴーディの物書きとしての才能を認め応援し、背中を押すこの物語の中で最も重要な存在だ。またそんな勇敢で熱いクリスが、自分のことを誰も知らない場所へ引っ越したいと、親友ゴーディだけに泣いて話す場面は、このあと出演する『マイ・プライベート・アイダホ』での焚き火シーンにも通ずるものがある。

残念ながら、大人になったクリスは弁護士になるも、事件に巻き込まれ命を落とす。その新聞記事をゴーディが読むシーンから本作は始まる。私がこの映画を初めて鑑賞した時にはリヴァーはもう亡くなった後だったので、彼の演じたクリスが死んでしまうストーリーに胸を痛めた。

暑くなってジリジリと肌が焼ける季節になると、少年少女時代の漠然とした不安や、根拠のない自信、とめどない好奇心を懐かしく感じ、思い返すことが多くなる。急に古い友人に会いたくなったりもする。この作品はそんな時にぴったりな絶対的名作だ。4人の少年は、世界中が時々会いたくなる旧友なのだ。

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『旅立ちの時』(1988)

旅立ちの時

私にとっては運命の1本、人生の1本と言っても過言ではない作品なので是非ご紹介したい。

リヴァー演じるダニーは、両親と幼い弟が大好きな寡黙で聡明な高校生。両親は、反戦運動に積極的に参加していた過去を持ち、ある事件の容疑者としてFBIに指名手配される身。名前や髪の色、住む場所を転々と変え二人に振り回されるダニーと、リヴァーの生い立ちが少しかぶる気がどうしてもしてしまうのは私だけだろうか。

出来るだけ目立たないように生きることを、若くして強いられるダニーは長い前髪や大きな眼鏡でブルーの瞳を隠す。そんなリヴァーのガールフレンドを演じたのが、『モスキートコースト』から2回目の共演となるマーサ・プリンプトン。

彼女はダニーの才能を発見する音楽教師の一人娘を演じた。ふわふわのブロンドヘアや自然体で媚びないキュートな彼女がこの作品にとてもぴったりで、寂しさや影を潜めるダニーを見る目が熱くてたまらなかった。現実でもリヴァーのガールフレンドだった彼女だからこそ、このふたりの雰囲気が作品から伝わったきたのだとも思える。

転校先の音楽の授業でベートーヴェンが流れると、パッと花が開いたような表情を見せるのが印象的だ。思わず声が出そうになるのをぐっと堪える。毎日欠かさず音の鳴らない鍵盤でピアノの練習をする彼は、次第にピアニストとしてジュリアード音楽大学に進む道を夢見るようになる。家族はいつでも一緒にいるべきだと信じる父親の考えと、夢に向かって挑戦したいという気持ちの合間で揺らぐ心情を、本当に真っ直ぐ演じている。

リヴァーが実際に演奏するブラームスやベートーヴェンは決して天才的に上手くはないかもしれないが、ひとつひとつの音が丁寧で優しい。嚙みしめるように演奏し、自分を偽る苦しみからピアノを弾く時だけは解放されるようにも映る。

お気に入りのシーンは挙げれば切りがないが、家族みんなとマーサ演じるローナを混ぜて踊る場面は映画史に残るダンスシーンだ。ジェイムス・テイラーの「Fire And Rain」を聞くと、このシーンが自然と頭の中で再生される。「彼女が好きよ」という母親に「僕も好きだ」と答える静かな声は永久保存版だろう。

​17歳と言えば、何処か生意気な空気を纏う年頃だし、それが魅力的な若手俳優も多い。しかしリヴァーが演じるダニーは優しさと愛の塊のようだ。美しいでは足りない。”美しい”では、足りなすぎる。

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『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990)

殺したいほどアイラブユー

タイトルやジャケットが既にポップな本作品は、ヒッピーぽいファッションや親友キアヌ・リーヴスとのおかしなやり取りが可愛い作品なので紹介したい。

ピザ屋を営むイタリア人亭主は救いようのない浮気性。それを知った奥さんは自殺を図るが失敗し、母親と亭主を殺す計画を立てる。だが、なかなかこの亭主が死んでくれない(笑) そんなブラックジョークの効いたお洒落コメディ、実話が元になっているというから驚きだ・・・。リヴァーはそんなピザ屋でアルバイトをする青年ディーボを演じている。奥さんに淡い恋心を抱き、亭主のジョーイに浮気をやめるように注意したり、登場人物の中では一番まとも。

キアヌ・リーヴスはというと、リヴァーが連れてきた殺し屋の一人を演じているのだが、これが超まぬけでおバカな役どころ。こんなキアヌは滅多に見れないと思うので、彼のファンの方にもオススメ。

ディーボは夫婦の子供である幼い兄妹をかわいがっていて兄妹も彼を慕っている。そのふたりを抱きしめたりするシーンが非常に可愛くて微笑ましい。ヒッピー風の洋服を好んで身につけ、レコードを選ぶ場面ではレゲエをかけてくれと頼んだり、つけ髭で変装したり、ヘザー・グラハム演じる若い女の子に出会っても目もくれないディーボ。一番まともと言いつつもここに出てくる人物、みんな少しずつと言うか、だいぶ変人。

とにかくピザが美味しそうで、リヴァーのかぶる帽子が可愛くて、何だかシリアスなはずのストーリーも終始のほほんと穏やかで不思議な映画。何も考えずに、サクッとキュートなリヴァーに会いたい時に是非見て頂きたい作品だ。

そして、この1年後に製作される『マイ・プライベート・アイダホ』で、キアヌとは2回目の共演を果たす。この作品はストーリーや彼らの演技、リヴァーが身につけるかっこいい衣装など彼を語るのに絶対に外せない作品だが、以前LGBT特集で紹介させてもらったので、合わせて読んでいただけると嬉しい。

映画を通して学ぶ、感じるLGBTの世界。 必見の6タイトルをご紹介!!

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『愛と呼ばれるもの』(1993)

愛とよばれる者

歌ったりギターを弾いたりするリヴァーがたっぷり見られて、終始愛しい気持ちにさせてくれる。ミュージシャンを目指す仲間同士の友情や愛情を描いた、至ってシンプルでひねりのない平和な映画だが、リヴァーファンにとってはたまらない一作だ。俳優業とは別に、妹のレイン・フェニックスらとバンドを組んでいたリヴァーにとっても楽しい撮影だったのではないだろうか。

最後のガールフレンドとして有名なサマンサ・マシスとはこの共演を機に交際をスタート。リヴァーの女性のタイプが、マーサとサマンサ2人だけしか知らないのになんとなく手に取るようにわかる気がする。そしてキュートで自然体な彼女たちも、彼女たちを好きだったリヴァーも、もっと好きになれる。

デニムやチェックのシャツ、ハットなど、カントリースタイルを身につける2人がとても可愛い。並んで歌うシーンなんて、胸が締め付けられるほどに本当にスイートなカップルだ。サンドラ・ブロックの少女のようなツインテールと笑顔もキュートだった。

本作ではリヴァーは少しあざとく、あえてわざとらしく演技をしているように感じられた。ちょっと大げさな首のかしげ方で彼女を見て歌う。まだ未見の方には、あの高めの歌声と、肩をすくめたり鼻下を伸ばしてギターを演奏する彼に夢中になって欲しい。また、リヴァー・フェニックス自身が書き下ろした曲も聴くことができる。「Lone Star State Of Mine」は2回ほど歌うシーンがあるので要チェック。

また、2人が憧れのグレースランドにあるエルビス・プレスリーの家に行く途中、コンビニエンスストアのオモチャの指輪でサマンサ演じるミランダにプロポーズし、急遽結婚式を行うシーンがある。ガチャガチャを何十回も回し、やっと出たプラスチックの紫のハートを差し出すリヴァーは、髪を結びチェックのジャケットを羽織っている。カウボーイハットを取ってひざまずく時の横顔は、どうしてこんなにも美しいのだろうとおっとりさせられる。短いシーンだが、ミュージシャンの男なんてどうせ!と言う偏見(笑)を持つ女の子にも是非観て欲しい。

リヴァーは天国で誰と結婚しただろうか。きっとまた、キュートな彼女を見つけているだろう。

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『ダーク・ブラッド』(2012)

そして彼が最後に撮影していた遺作が2013年に公開された。(2012年に製作、2013年に公開)

主人公、ボーイ役のリヴァーが撮影の途中で急死した為、本作は未完成なままお蔵入りとなっていたが、撮影していない部分は監督自身のナレーションで繋がれている。誰もいない砂漠の荒れ果てた場所で孤独に暮らすネイティヴの血を引く青年を演じたリヴァー。体重も随分と絞り、黒い短髪と焼けた肌がこれまでの作品のイメージとはまた違った。

ダークブラッド

(C)2013 Sluizer Films BV

旅の途中で道に迷い、車も故障し途方にくれた夫婦を助けるボーイ。妻のパフィーを誘惑するリヴァーが何とも神秘的だ。大切なシーンが抜けているため、正直に言って1本の映画としては分かりにくい部分もある。けれどファンにとっても、監督にとっても思い入れの深い作品であることは間違いない。

公開当時、映画館に観に行き、嗚咽しながら泣いたのを覚えている。泣いてしまうようなラストではなかったはずだが、号泣、嗚咽の漏れる声が館内の至る所でしていた。エンドクレジットが流れ終わってもなかなか席を立てなかったのを今でもしっかりと思い出せる。未完成な作品は、未完成な彼の人生そのもののようだった。そして彼の強く壮絶な運命を思った。

リヴァーはセックスシンボルとして注目されるのを嫌っていたと言う。政治や環境問題にも人一倍興味を示し活動にも意欲的だった。リヴァーの死は、それを追求すればするほど彼自身の生き様や信念との矛盾を感じずにはいられない。しかし残念ながら真相は不明なままだ。

リヴァー・フェニックスという俳優は若い命を落とす前から、まるで自分自身の運命を知っているかのような表情を見せる。儚くて尊い。切なく、美しいのに力強く、なのに寂しい。沢山あるはずの言葉で、どれだけ彼を語っても足りない。もどかしい。会ったことのない人物を思って無条件で涙が出るのは、後にも先にもリヴァー・フェニックスひとりだけだ。

そして思わずにはいられない。その名の通り不死鳥でいてくれたなら、と。けれど私たちの中で、永遠に彼は生き続ける。伝説の不死鳥として、いつでもスクリーンに蘇り続ける。

 

※2020年11月28日時点のVOD配信情報です。

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  • jfr6422
    3.6
    逃亡生活を続ける両親とその息子たち。親の犠牲となる子供。それでも大切な家族。その狭間で年頃の息子は進学や恋愛に悩むものの、やはり家族を見捨てられない。 親の気持ちも分かる。でもいつかは子供は巣立っていくんだよね。離れても家族の絆は何よりも強いよ。彼の成功と幸せを祈ります。
  • シロ
    3.9
    「ギルバート・グレイプ」や「リトル・ダンサー」のように家族の呪縛から離れ、背中を押してくれるような名作。どうしてもリヴァー・フェニックスの生い立ちと重ねてしまう。決して子どもを愛してない訳じゃない。けど社会からはみ出した親の元に生まれ、普通に生きられない苦労が子供たちにも振りかかってしまう。母親が自分の父と会話するシーンが沁みた。本当に悪いことはしちゃいけないな、と。だって愛してる人に会えなくなるから。そんな辛いことはないなと思った。別れは唐突、エンディングも唐突だったけど、彼の将来に想像を馳せた。
  • ゾロ
    3.5
    BS自動録画分鑑賞 1986年 アメリカが舞台 (主人公を17歳と想定) 逃亡生活をしている 両親と息子二人の物語 リヴァー・フェニックス演じる長男の 恋や進学など悩みが描かれていく 逃亡理由は政治的な理由だが 一方的な言及や主張がなく 政治に関してはフラット 逃亡理由を知っていて 訳有りの両親をかばう息子 子供達を束縛していることに 葛藤する両親 リヴァー・フェニックスの 透明さと儚さが無茶苦茶愛おしい 親の勝手で・・思ってしまうが、 とても真っ直ぐな息子達を見ると 無茶苦茶愛情を注いだと思う 逃亡の理由 自問自答する正義 信念と後悔 閉じ込めていた気持ち 息子の才能 諦めた夢 徐々に明かされていく 想いや後悔、決断 母のアニーと父の会話のシーンは 目頭熱くなりました  大義の為の行動だった  私やママの事は考えたか? イデオロギー 揺らぐ信念、後悔 親の気持ちを痛感 そして、ラストシーン あぁ  そんな儚い顔するんだ・・・と涙出た 最期、好きな台詞  ベートーヴェンでは踊れない
  • ニトー
    -
    前に観たことあったよな~と思ったら完全なる初見でした。 こうして改めて観ると、この存在感はなんなのだろう。「スタンドバイミー」のときは良い感じに悪ガキめいていて、ある種の危うさこそあれここまで透明感のある美しさを湛えているとは思っていなかったのですが、この映画のリバーはほとんど少女マンガの主人公ではないか。 しかもこの映画の撮影時は劇中の設定と同じでリアル17歳!今だとティモシー・シャラメあたりが当時のリバーの存在感に近いのだろうか?正直なところ、私はティモシーは甘いマスクや透明感はあれど、リバーのような儚さはあまり感じずしっくりこないので、もっとリバーっぽい人がいる気がしなくもない。ていうか一々髪をかき上げるイケメンしぐさだけで笑いながら涙出てきた。 「溺れるナイフ」の菅田将暉も相当なもんだった気がしますが、しかしあれについていえば重岡君と小松奈々という相対性および相乗効果によるところもかなりあると思っているので、やはりこの映画のリバーの方が私の好みに近い。まあ、「溺れる~」の菅田とこの映画のリバーはそもそもの役どころがだいぶ違うのだけれど。リバーを「儚さ・脆さ」とするなら菅田は「幽かさ」だろうか。 ところでこの映画の設定、どことなくリバー・フェニックス本人の実人生に寄せてきているように思えなくもないのだが。彼のことはほとんど知らないのだけれど、親がカルトの宣教者で南アメリカを転々としていたというし、この映画における政治的思想をカルトと見立てて置き換えてもそこまで異論はでないだろう。 ただ、この映画は設定としての政治(的思想)を前面に押し出しながらも、その内実はほとんど後景化している。監督が社会派と言われるルメットであるからか、それともルメットなのにというべきなのか、とにもかくにもこの映画では「政治」はほとんどその意味をなさない空疎なお題目でしかない。 政治が機能していない、あるいは意図的に機能させていないのは、物語途中で登場するガスという人物の顛末がすべてを物語っている。彼はアニー&アーサーと思想を共にした同志であり、爆破事件を引き起こしたかつての二人の過激さを今もなお有している人物として登場するのだけれど、その頑迷ぶりからアニーには「46歳の子ども」と言われてしまう。 このことから考えるに、ガスとはつまり「政治の季節」の亡霊に思えてくる。だが、アニー夫妻はかつて自身らが引き起こした爆破テロによって現在の逃亡生活を強いられ、それを二人の息子にまで強要してしまっていること、そしてそうまでしてなお世界に大きな変革がもたらされることがなかったことから、すでに政治的思想の実行に意義を感じていない。 もちろん、セリフの口々から資本主義に対する蔑視や共産主義的思想(アーサーはロシア系で元ボリシェヴィキの両親を持っているという…)が覗いているが、それが日常を逸脱して行動に至るわけではない。飲み屋でおっさんが「なんもかんも政治がわるい」と言っているのと程度としては変わりない。 そんな二人とは裏腹に、なお60年代の政治の季節を生きる……というか死に損なったガスは政治的思想に基づく行動を起こそうとする。もっとも、私から見れば彼にはもはやそんな政治的思想の形骸すらも持っていないように見えるけれど。実際、アニーとヤり目で来たチンピラ程度の描写でしかない。 どうあれ、もはや政治(の変革)が何かを変えることのないポスト政治の季節の世界にあって、見かけだけでもその意匠を纏おうとした彼の顛末こそがダニーの旅立ちへと繋がることから考えると、この映画は政治という切り口を持ち出しながらも、その中身を描かないことで政治(が無効化された世界)を生きる人々―――行き詰った存在としての大人を描いているのではなかろうか。 だとすると、これはダニーが主体の物語ではないと言える。少なくとも、ダニーの成長の物語などではない。だって最初から最後まで彼は葛藤こそすれ父親の言いなりであり続けたのだから。ラストに至ってすら彼は己の意志で自由を獲得し自身を解放したわけではなく、ガスの一件から父親が心変わりしたことによって受動的に開放されたに過ぎない。 だからこれは決して成長の物語ではない。これはむしろ、成長の限界=大人であることの・なることの迷いを描いた物語なのではないか。政治的であることが大人であるということだとするならば。 この映画、親子関係が縦にも横にも描かれる(横はちょっと薄味だが)のだけれど、それらの縦の関係というのは、大人としての親・子供としての子とその多重性に他ならない。その多重性を担う存在としてダニーの両親が配置されている。ダニーの母であるアニーは同時にバターソン家の娘(=子)であり、彼女が爆破テロを起こしたことで生じた葛藤が父親との対面によって描かれる。また序盤ではアーサーの親が病死し、逃亡犯であるがゆえに死に目に会うことができなかった苦悩も描かれる。 アーサーについて言えば、ガスのようではないにせよ、その頑迷さ・折れなさは「男性」性の寓意=マスキュリニティとしての大人の限界の露呈と言えるかもしれない。一方でアニーはダニーのために長いこと会っていなかった父親に、ダニーを託す嘆願をしにいく。それによって和解…が言い過ぎならば雪解け程度はできた。このシーンのバターソン役のスティーブン・ヒルの表情やとっさに体が動いちゃう感じの所作とかめっちゃ良いです。マジで。 これを日本的概念にあてはめて「妹の力」の婉曲表現したくなってくる。母性、と言ってしまうとそれはむしろアーサーのようにアグレッシブな家父長性によってではないにせよ、ダニーを束縛するイメージがついて回る。もちろん、暴力性によってではなく子宮的な包含力によって、であるが。 とはいえ、二人ともにその「大人=(母・父)親」としての力を発揮できない。それらは政治の季節を経てすでに無効となったものだからだ。だからこそ、アーサーもアニーも、ガスの最期をラジオで知ったことでしかダニーを自由にさせることができなかったのだから。 ダニーにせよアニーにせよアーサーにせよ、あるいはローナにせよ、劇中で彼らは自発的・能動的に状況変革を起こせていない。「大人」であるアニーとアーサーは、それが無効であることを知った世代であり、ダニーとローナはそれが前提となった現在を生きているのだから、それは当然のことなのだろう。 自力救済ができない中で、ただ状況の変化によってのみ受動的にそれを受け入れているだけでしかない。めちゃくちゃ大雑把に言えば「ポスト○○」の○○すらも分からない、大きな物語を失ったイデオロギーなき大人たちの、大人になろうとする子のイデオローグの話なのではないだろうか。 登場人物たちの主体性もとい主導性のなさとは、そのような喪失感を所与として持っているところからきているのでは。だからこそ、リバー・フェニックスの儚さ、確かな存在感を放ちながらどこかおぼつかない感じというのが胸を打つのかもしれない。 大人云々、ということについてもう一つ付け加えたいことが。 これは割と冗談ではなく本気なのだが、劇中で一番「大人びている」のはダニーの弟のハリーではないか。彼は明らかにあの生活・家庭をやり過ごすために、大人的な振る舞いを身に着けている。それが、あの年齢であの環境をサバイブしなければならなかったが故ではあるとしても、そこに「大人」としての自立した意識を見出すことは、すくなくともただ単に状況に振り回されるだけのハリーの家族に比べれば、はるかに容易い。大人の意匠を纏う(まとわざるを得なかった)という選択をしたという点において、ハリーは極めて(狭義において)政治的な存在であると言え、つまるところ彼こそが一番の「大人」なのである。ダニーがアーサーにふっかけるときに後ろの方でニヤニヤしてるハリーのそれは、明らかに愉悦である。有り体に言えばマセガキである。そも、子どもであるからこそ「大人びる」ことができるわけで。 そんな風に感じた私がこの映画で一番涙腺が緩んだのが、自分でも不思議なのだがハリーがキャベツをぶったたっ切るシーンだった。そのシーンの振る舞い、あるいは母親とのかけあいなど、細かい所作から「子供らしさ」を「装う」、大人びた所作が見える。そこにやるせなさを感じてしまったのかもしれない。 シドニー・ルメットの手腕もあってやたらめったらカットを割ったりせず、しかし人物のかけあいのテンションに合わせてカット割りながらズームさせたり、決して平板になったりはしないので最後まで飽きずに観れました。まあリバーですよね、なにはともあれ。
  • 新しい水曜日
    4.1
    反戦活動家で指名手配中の両親と物心ついた頃から逃亡生活を送るリヴァー・フェニックス。設定が設定なのに全く政治的じゃなくてすごい。ハァ、全くいい俳優だぜ。精神的な映画。女の子の部屋がいい。 ちょっと長い文章を書いてみることにしました。映画に関することからほぼ関さないことになると思うけど、よかったら読んでね。プロフィールにリンクがあります。
旅立ちの時
のレビュー(3973件)