カンヌ絶賛の深田晃司監督の家族観。『淵に立つ』はあなたの家族への見方を一変させる

2016.10.19
邦画

人間は社会的な生き物で様々な共同体を形成して生きています。家族はその共同体の中でも特に結びつきの強いものとして一般的には考えられています。しかし、家族というものは、実はとても微妙なバランスの上に成り立っているのかもしれません。

カンヌ国際映画祭ある視点部門で特別賞を受賞した深田晃司監督の最新作『淵に立つ』を見るとそんなことを思わされます。家族というものはなぜ成り立っているんだろう。当然のように一緒に生活しているけど、家族というものを営むこと自体、実は不可思議なことなのではないか。この映画はそんな問いを投げかけてきます。

淵に立つ

小さな金属加工工場を営む一家のもとに、ある日、夫の利雄(古舘寛治)の旧友で服役していた八坂(浅野忠信)が住込みで働くようになります。平凡だが特別不自由のない暮らしを送っていた一家だが、この新たな同居人によって、この家族が抱えていた個々の秘密やズレなどが表面化していくのです。やがて八坂はこの家族に大きな爪痕を残していきます。

ズレも隠し事ももともとあったけれど、それらをやり過ごし、バランスを取りながら家族を営んでいたこの一家が、異物が挿入されたことによって崩れていく様子が、余白の多い映像で綴られていきます。この余白も相当効いていて、家族のメンバーそれぞれが何を考えているのか、緊迫しながら観客は考えることになります。

繰り返し同じ構図から描かれる食事のシーンも参加するメンバーが刻々と変わるだけで、もとの家族が少しずつおかしくなっていることが表現されています。夫婦という間でも知らないことは山のようにあり、それぞれが秘密を抱えてひとつの家族を構成していることが、一人の侵入者によって、あぶり出されていきます

淵に立つは黒い『歓待』

深田晃司監督の出世作『歓待』も似たような構造の物語です。深田監督は家族をモチーフにした物語をよく描くのですが、「家族を描くことを目的しているのではなく、家族の奥にある個々の人間、その孤独を描きたいから」と語っています(参照)。

人は家庭や友人、会社の同僚などと共に、何らかの集団の一員となることで生きていますが、人間は一人で生まれ一人で死んでいく、その本質は孤独であると深田監督は言います。

しかし、孤独を抱えたままでは生きていくことが苦しくなるので家族のような共同体が必要になる、しかし、家族という危ういバランスの共同体は、実はとても脆く、一度壊れてしまえば、むき出しの孤独が顕になります。家族という装置(とその崩壊)を描くからこそ、一層孤独という人間の本質が際立って見えてくるのです。孤独という本質を紛らわす装置として家族は存在しています。しかし、それが綻んだときにこそ人の本質が見えてくるのです。

『歓待』は『淵に立つ』とは対照的に、そうしたテーマをコミカルに描いていました。侵入者となるのは、『淵に立つ』においては侵入される側の家の主を演じていた古舘寛治さんです。下町の小さな印刷屋を営む一家に言葉巧みに入り込み、家族を引っ掻き回しながら、家族それぞれの秘密を握り、印刷所を乗っ取ろうとします。

しかし『歓待』では壊れた家族は、ある事件を経て形の上では元に戻っていきます。それぞれの空虚な部分に気づいてしまった一家の面々、元に戻ったとはいえ以前とは何かが違う。それでも人は家族をよりどころにして生きていかねばならない。そんな余韻が印象的な映画でした。

『淵に立つ』では、侵入者によって壊れた家族のその後も描いています。実は『淵に立つ』の企画はすでに2006年の時点で完成していたそうです。『淵に立つ』の前半部分を膨らまして作ったのが『歓待』で、今回の映画化は深田監督が当時できなかったことへの再チャレンジでもあり、『歓待』の完全版という意味合いもあるでしょう。

本作は続編というわけではありませんので、単体で鑑賞しても十二分に興味深い作品ですが、『歓待』と合わせて見て、その共通性と違いを比べるとより深く味わえるようになるでしょう。深田監督は本作を「黒い歓待」と呼んでいるそうですが、両作には密接な繋がりがあります。

『淵に立つ』では、壊れた家族は壊れたまま、8年の歳月を何とか家族としての体裁だけを保ちながら過ごします。そして一家は再び新しい侵入者(太賀)を迎えることになるのですが、この映画のラストを家族のさらなる「崩壊」と見るか、「再生」と見るかは観客によって意見が別れるところでしょう。同じものを見てもそうして意見がズレていく。これも監督の狙いでしょう。

家族という存在の不思議さに気づかせる映画

淵に立つ2

深田監督には、「家族はあって当たり前のもの」という感覚がありません。むしろ家族というものが成立していることが不思議と捉えており、一見普通の食卓のシーンでも妙な違和感を感じさせます。例えば食卓のシーン、父親の利雄は何も言わずに食べだすのに、娘と妻はクリスチャンでありお祈りをささげてから食事を始めます。

普段は気にしないようなことなのでしょうが、八坂という異物が家族に挿入された結果、気にもとめていなかったズレに気になりだします。当たり前だったはずの日常が当たり前に見えなくなり、映画全体に奇妙な恐怖やスリルを与えます。一歩踏み間違えれば奈落へ転落するかのような恐怖とでも言うべきでしょうか、今まで当たり前に歩いていた道が実は崖っぷちの危険な道だったことを初めて気付かされるのです。まさに「淵に立っている」ような感覚を観客は味わうことになります。

普段の生活ではなかなか獲得することのない視点を、この映画は見せてくれます。劇場を後にした時、なんだか普段の景色すら違って見えてくるかもしれません。当たり前のものが当たり前に見えなくなるような、そんな感覚を与えてくれる素晴らしい作品です。

(C)2016映画「淵に立つ」製作委員会/COMME DES CINEMAS

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  • sharpshooter
    3.5
    印刷屋経営の冴えない中年のご主人は、分不相応の若くて可愛い奥さんと、前妻との間に出来た連れ子の娘、出戻りの妹と慎ましく暮らしていた。 そんなある日、「カガワ」と名乗る一癖も二癖もある男が強引に割り込んでくる。 果たしてこの男の目的やいかに?って話☆ この「カガワ」という男、飄々としながらも有無を言わさぬ強引さがあって、この印刷所に来て早々に我が物顔で振る舞いだす。 この男の胡散臭さが本作の魅力と言えます☆ 若い奥さんは、年の離れた今一つ頼り無い旦那と、無神経に居座り続ける出戻りの旦那の妹、唯一心の許せる前妻の連れ子との居心地の悪い生活をしていた中への突然の闖入者「カガワ」。 新参者なのに変に発言力が強くて、反論するのも面倒くさいからまぁいいかと流していたら、いつの間にか大変なことになっていた!なんてことが実生活にも起こりうることですが、本作でもそんな薄気味悪さがコメディタッチで描かれます。 なんか不思議な鑑賞後感を残す本作、オススメです(* ̄ー ̄)☆
  • のん
    3.0
    日本映画だな~って感じの「間」。 そのすき間に入り込むもの。 終始いや~な空気感。 面白いけれど映画として観るには物足りない感じ。
  • MEG
    3.6
    ものすごく『淵に立つ』っぽかったです。ぼくの感覚だと淵に立つの浅野忠信は見るからにヤバいやつなんですが、歓待の古舘寛治は一見普通に見えます。浅野忠信が真っ白い衣装だったからですかね。 最初は自分たちで運営していた工場もだんだんと乗っ取られていきますが、それを機械で表現しているのはおもしろかったです。雇用者と被雇用者の立場が逆転していって最終的には機械さえもコントロールできないというのは人間関係を表しているんだろうなと思いました。淵に立つでは、古舘寛治が家庭を壊される側でこの作品では家庭を蝕んでいく側という配役もおもしろかったです。
  • yattin
    3.8
    家族の隙間に入り込んでくる親切を装ったやつ。怖い。
  • mauve
    4.0
    変、面白い
  • CHEBUNBUN
    4.9
    【恐るべき乗っ取り】 昨年話題になった深田晃司監督の「淵に立つ」。その原点ということで観た。 元ネタ故、話は似ているだろう、雰囲気も似ているだろうと油断していたのだが、これがまた違った怪作だった。 確かにプロットは同じ。 家に男が入ってきて、家庭が壊されていくという点で。 しかし、侵入者のいやらしさは明らかに「歓待」の方が上手だ。 普通だったら、いくら知り合いでも いきなりやってきた男を自分の職場で働かせたり、その男と素性の知れぬ妻を家に泊めたりはしないだろう。 しかし、その男は巧みに「良心」という心の隙間を突いていき、90分かけて家を乗っ取っていく。一つ一つの衝撃的展開が、気づいた時には「あっ!」と取り返しがつかなくなっている恐怖が素晴らしかった。 「淵に立つ」の「その男」にあたる浅野忠信演じるキャラクターは、どこか特別な存在。終始「悪魔」のように描かれていた。 しかし、「歓待」で古舘寛治演じる「その男」は本性だす時以外、人間味を帯びているだけに余計タチが悪かった。 (「淵に立つ」では古舘寛治がヤられる側を演じているのが興味深い) そして、両作とも機械が絶妙なハーモニーを生んでいる。コントロールできる存在が コントロールできない存在により不協和音が生じる様を見事に象徴させていた。 これは「家族の肖像」の絵と居候家族との対比に近い上手い使い方だ。 ともかく「ボーグマン」を観ているような居心地の悪さを堪能できる傑作と言えよう。
  • TMC
    3.9
    確かDVDで、自分の初深田監督作品。情報なく見たので説明の少ない突き放したつくりに、笑っていいのかどうか混乱した記憶が。二回目がより面白いタイプの作品では。その後の深田作品常連役者さんが何人か。最近はヘビーな傑作が続く監督だが、ブラックでもユーモアのある作品もまた見たい。
  • うめず
    -
    オープニングかっこいい そしてさいごまでかっこいい 深田監督の映画は、微妙にずれてる気がするけどまあふつうの世界で何かが起こる。歓待はおもしろい。
  • ShokoMiyamori
    -
    深田監督二作目
  • さよならストレンジャー
    4.3
    怖くて怖くて仕方がなかった。古舘寛治がもう何考えてるのか分からないんだけどとにかく圧倒的に邪悪であるということだけは分かるっていう。冒頭に彼の口から出る嘘。こんなどうでもいい嘘をつく人間は碌なやつではないと確信し、その確信がさらに悪い方向に裏切られまくる。 『狩人の夜』のロバート・ミッチャムなんかを思い出したけど、古舘氏がより怖いのは弱みを握って権力を握っていく動機が結局は愉快犯であること。ラストに遁走する所まで彼の中では計算済みだったんだろうなという気がする。外国人やホームレス救済っていう目的だったとしたら怖さがちょっと減るなーと思いながら見ていたら、すべてが台無しになったことがあたかも至高の快楽であるかのような遁走。恐ろしすぎる。 ここまでではないにしろ、こういうヤツ実際いるんだよな、実生活だったらめっちゃ嫌いだわ。 もう一つ今、気付いたけれど、怖いのはそんな古舘氏が生活に侵入してきたのにしばらくは家族が彼のおかしさに気付かない、気付いたとしても大したリアクションをしないという所だ。明らかな悪意を持つキャラクターと生活を共にしながらも弱みを握られるまで彼らはそれに無頓着に見えるというサスペンス。 コメディだと聞いてたけど、ラストまで自分はブルブルしながら観ました。
  • グッポラ
    4.5
    権力者が権力を掌握していく過程を、家庭や近所付き合いという身近なモチーフに上手く落とし込まれていて、興味深い映画だった。 侵入者加川は、主人公家族を悪意を持って乗っ取っていくわけだが、乗っ取るまでにはいくつかのプロセスがある。 それは、この映画に限って言えることではなく、権力者が権力を握っていく上で普遍的な方法である。 第一のステップとしては「ホンネとタテマエの活用」があげられる。 これは、「ホントとウソの活用」と言い換えることができるが、ホントとウソの境目を被支配者にわからなくさせて、混乱させる。 そうすることで、被支配者は思考を停止する。 第二のステップとして「弱味の掌握」がある。 権力者はここに一番、力と時間をかける。 弱味を握ることで、多少の無理を通せるようになるからである。 権力を握った後、反乱を起こされないようにするという作用もある。 そして最後に「被支配者同士を争わせる」 そうすることで、自分に矛先が向かわないようにする。 被支配者は思考を完全に停止し、身近な者を攻撃する。 また、攻撃し合う。 このプロセスをしっかり踏んだ加川は、権力を掌握し、不法滞在者を斡旋するという目標を達成させたわけだが、その後、騒ぎすぎて、警察が来てしまい逃亡することになる。 歯止めのない権力は必ず暴走し、転落する。 この事実は、歴史が証明している。 加川も圧政的な権力者の宿命として、転落したのだ。 権力者により家庭の欺瞞の全てを暴かれた夫婦は、権力者に荒らされた部屋を片付け始める。 わたしは、部屋を片付け始める夫婦に戦後日本の復興の姿を重ね合わせた。 権力者に絶望させられたからこそ、見える希望。 絶望の中にこそ希望はある。 不法滞在者の問題や、ホームレスの問題、他者を受け入れるとはどういうことなのか、自己と他者のコンテクストの違い、そして権力者はこのような問題を利用しながらどのように権力を握っていくのか。 様々な問題をこの映画は、汲み取り、構造を単純化し、身近な問題にまで落とし込んでいる。 主体性のない民衆は、主体性のある悪意ある権力者に、いとも簡単に支配される。 それがどれだけ怖いことなのか、また権力者にとって主体性を持たない民衆を支配することがどれほど容易なことなのか。この映画を観て思い知った。 悪意のある権力者に対抗する唯一の術は「主体性を持ち続ける」ということしかない。 権力者が暴走しつつある、現代に警笛を鳴らす映画。
  • なつみ
    -
    淵に立つを見たときに監督が、この作品と歓待は姉妹作品?という話を聞いて。 得体の知れない来訪者があり、家族の化けの皮がだんだん剥がれていくという大枠。 淵に立つでは迎える側だった古舘寛治が、この作品では乗り込む側。 外国人がたくさん家に来るあたりから、もう気持ち悪さがぞわぞわと…笑 逃げちゃった鳥と同じ色の新しい鳥を買ってきて、「逃げちゃったことなんて、子供はすぐに忘れてこの鳥を可愛がるわよ」っていう最後、家族も代替可能なもの、っていう捉え方でよいだろうか。 杉野希妃がやはりとてもよいな!かわいいし色っぽい。山内ケンジさんは超有名なCMクリエイターらしい。
  • ar219
    4.5
    圧倒的におもしろい。家の空間の意識のさせ方、その空間が外と貫通する様などすごく良い。まあなんといっても杉野希妃と古舘寛治が素晴らしかった
  • 梅田
    3.8
    往年の日本映画を思わせるオープニングもそうだけど、やたら狭い町内会のコミュニティとか、下町感ある家の作りとか室内でのコンポジション、小津の『お早よう』を換骨奪胎したような映画だった。換骨奪胎しすぎか。「脚本も演出も嫌味なくらい上手いのはわかった、でもこんな嫌な気持ちになるのを我慢してまで映画観る意味ってなんだろう」とか思いながら観てた。いやーきつかったな。 全てが過ぎ去って、見せかけは同じ形に戻ったとしても、それはもはや別物なのである、というインコの暗喩も見事。いやしかし、いやーな映画だなあ。後味は必ずしも悪くないが、いやー。おれはあんまり笑えなかったなこれ。
  • まりも
    4.5
    ものすごくおもしろかった。ものすごくおもしろいって、言葉にするとアホみたいだけれど、素直な感想。 普通に暮らしていた家族の中に、ぬるっと入り込んで支配していく古舘さん。 日常を切り取る深田監督の映像が、また良い。さらさらおなかに入っていく。だのになんだか特別な感覚があり画に見入ってしまう。。きっとあの家の古さ加減もいいんだなあ。 「淵に立つ」の前身ですが、こっちの方が不穏のなかに妙なおかしさや突き抜けた爽やかさがあって、好きでした。 あの家族は、災害といっていいほどの出来事を抱え、なんだかんだ一緒に暮らしていくのだろうなあ。
  • まさなつ
    4.1
    家族って、なんなんだろう? 「淵に立つ」の変奏曲。こちらの方が先です。そしてコメディ色も強い。ブラックですが。 また、こちらでは、古舘寛治さんが侵入者を演じている。古舘さん、真面目に変だし、不気味だけど何か魅力的なんです。他の出演者もみんなどこか変だけど、愛おしい。 異物混入で浮かび上がる家族の姿に、今回は大笑いなんだけど、やはりゾクッとします。 最後は、フェリーニの8 1/2のラストみたいに、皆んなが列をなし、カオスの世界に⁉︎ この監督は、めっちゃ人間が好きなんやと、勝手に思いました。どんなに弱さや滑稽さを引き摺り出しても、あまり嫌な感じがしないのが不思議です。この感触にもう完全にクセになってしまいました! 深田晃司映画まつりにて。なぜか『歓待1.1』という題名でした。
  • kkcckkcc
    4.5
    へい、へい、へいへいへい
  • cotie
    3.8
    とてもおかしかった。共同体の内部に柔らかに入り込み足場を揺らがせるアウトサイダーの鮮やかさ。
  • nyagahorine3
    3.9
    森田芳光「家族ゲーム」から黒沢清「クリーピー」まで繋がる、侵入者系映画。 家族ゲームでは団地、クリーピーでは、閑静な住宅街、「歓待」では下町の小さな工場を舞台に、日本の見慣れた風景があれよあれよと変容していく様が面白い。 家族間のディスコミニケーションと異文化のディスコミニケーションが混ぜこぜになって、終盤の宴で爆発してよく分からなくなっちゃうのが面白い。 古舘さんは最高でした。
  • moon
    3.1
    あんなにすんなり家族の日常に入れるのかな
  • 中山
    4.4
    深田晃司映画まつりにて 面白かった! 普通のように見えてどこかズレてる家族が一人の男によってどんどん崩れていく話。 「淵に立つ」に通じるテーマながらこっちの方は少しコミカルな印象。 最後のカオスっぷりも最高でした。
  • あーく
    -
    記録
  • ひみ
    4.0
    深田晃司映画まつりにて 深田さんの解説をたっぷり聞いた上での感想 古舘さんの、本気なんだか冗談なんだかわからん 喋り方 ってのが物語そのもので、 この出てくる外国人も鳥も、何をもってホンモノで、それらとどう接するんだという。外面と中身が別のもので、その2つに隙間があいてるみたい。 何回かある歯磨きのシーンがすごい好きだった。歯磨き中は喋れないからセリフほとんどない、場所もきっと狭くて、バックショットしかほぼないけど、いい時間と空間。
  • obao
    3.8
    @シネ・ヌーヴォ 『淵に立つ』のパイロット版から発展した…ということなので、『淵に立つ』のような展開なのかと思って観ていたのですが、何だかもうカオスでした。 ひとりの男の登場によりある家庭が崩壊していく。と、ここまでは『淵に立つ』と同じなのですが、全員が全員秘密をかかえていて、どうにもこうにもゲスいのです。 心地のいい居心地の悪さ。とでも言っていいのか、観ていて嫌で逃げ出したいのに観ていたいという。深田晃司監督の術中にハマっていく…沼。 前半の不気味さが、一転してハチャメチャにやりたい放題になる頃には、もう苦笑しかなかったです。 結果、深田晃司はクセになります。 【深田晃司映画まつりin大阪】にて
  • LumiSammalkorpi
    4.2
    深田晃司映画まつり 新作短編「鳥(仮)」と併映
  • biya
    3.7
    古舘寛治は最初出た瞬間から誰が見ても、こいつヤバいやつだオーラが出てて不気味で良い。誰もが秘密を持っていてそれを自然に発見する才能。家に寄生していくのがナチュラル。最後の家の片付けシーンから、結婚とか夫婦ってある程度の踏み外し、仲違いがあったもしても簡単に折れないものだと思った。熟成感。 妻の居場所を小刻みになくしていく描写が上手い。 鳥仮も話の連鎖が演劇みたいで、長く見たかった。
  • 4.5
    物質的あるいは精神的な"空間"がどこまでコミュニケーションを遮断できるのかという問題。
  • しゅん
    -
    深田晃司映画まつりにて。 『淵に立つ』のプロトタイプ作品で、たしかに元は一緒なんだけど観た感触は全然違うのでおもしろい。『歓待』がかなり笑えるのは山内健司さんの存在感によるところが大きいと思う。双眼鏡のくだりは爆笑ものです。ラストも好き。
  • tnk
    5.0
    深田晃司映画まつり シアターイメージフォーラム
  • yuuuuna
    3.5
    古舘さんがいるだけでなんか面白い。 このパッケージも面白い(笑) 他人に家庭をぐちゃぐちゃにされる感じは確かに『淵に立つ』に似ている。 浅野忠信さんのポジションを古舘寛治さんが演じている。 淵に立つより笑える。
「歓待」
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