映画『永い言い訳』試写会後に行われた西川美和監督ティーチインイベント。「“子育ては免罪符”って監督の実感ですか」「音へのこだわりは」「子役はどう演出したのか」など、試写を鑑賞した参加者からの率直な疑問・質問が飛び、約30分の質疑応答タイムは映画監督と映画ファンが直接やりとりする濃密な時間に。質問ひとつひとつに真摯に、丁寧に答えてくれた西川美和監督の一問一答をお楽しみください。
※本記事には映画『永い言い訳』の内容にふれる箇所があります
「子育ては男の免罪符」というセリフが出てきますが、実際に西川監督もそう思ったことがあるのでしょうか?
同級生とか近い年齢の男の人たちを見てそう思いました。若い頃はあんなにひどい男だったのに(笑) 子供ができて「育メン」とかいっていい気になってるな、みたいな経験もありました。でも、そういうことでリセットされていくことが、良いことなんだろうなと思って。人生ってうまくできていて、いろんなきっかけでやり直すチャンスをね、与えられる仕組みになっているんだなぁと思って。
だから、映画の中では(岸本が幸夫に)咎める口調で言ったけれども、本来すごくいいことだと思うんですよね。人生の折々に免罪符があるということは。ある意味で、それまでのことをチャラにしてやり直せているという。その羨ましさも含めて、同世代の男性が人が変わったように、我が子と一緒に遊んだり、オムツ変えたり世話をしてイキイキしているのを見て思いましたね。
『永い言い訳』に前作から続くテーマがあれば教えてもらいたいです。また、今作で初めてトライしたことはありますか?
今までの作品と通じているものですよね、なんでしょう…。人間をしっかり描かないといけないと思ったんですね。裏も表も。表に見えて現れるものと裏で抱えているものにはいつもズレがあって、それをきちんと映像で表現することは、今まで自分がやってきたことに通じていると思います。
その一方で、今回は新しいチャレンジもありました。モノを育んでいくプロセスを描いたのって今回が初めてだったと思います。いつもは、どんどん壊れていって最終的に崩壊したことが新しいスタートなのではないか、というような語り口で描いてきたのかもしれないなと。『永い言い訳』はビビッドな崩壊が最初にあって、そこから少しずつ育んでいくという、ある意味ポジティブな描き方をしました。
ただ、右肩上がりじゃないぞ、という。そんなに人間やものごとって直線的に回復していったり、成長したりしないぞというところはやっぱり自分らしいなと思います。現実の厳しさもきちんと描ければいいなと思いました。
生活音がとても立体的に感じられたんですが、音で表現したかったことがあれば伺いたいです。
いつも同じスタッフで音を作って、効果部さんたちとすべての音を作り変えています。例えば、深津さんが髪を切るシーンは、現場で録っている音も使いつつ、プロの美容師さんが実際にヘアカットをしている音も録って、微妙に足しています。他の監督の作品と比べたことがないので、自分の作品の方が音がどうっていうのは分からないですけれど。
ただ、基本的に私はホームドラマを撮っている意識があるので、生活の中にどういう音があるのかということはとても重要だと思っていますし、その音によって生活レベルであるとか、住んでいる人たちの性格のようなものが出てくると思っています。
特に今回は季節もまたぐので、冬であれば枯葉が地面を転がる音を出せば、それが冬の音になったり。音って本当に奥深くて楽しいんですね。なので、音を褒められるのはとても嬉しいです。映画館と家のDVD、それぞれで映画を観る一番の違いは音じゃないかなと私は思っているので、またぜひ劇場で音に耳をすませながら、楽しんでいただきたいですね。
人間の裏表や感情を巧みに表現されていてスゴいと思いました。人の微妙な感情を表現するために、気をつけていたことはありますか?
口で言っていることと思っていることが違う時ってありますよね。それって普通に生きていたらよくあることなんですけれど、映画は映ったことが正義になっちゃうから、俳優が悲しい顔をしていると悲しいシーンに見えてしまったりするんですよね。それが小説であれば、自在に登場人物の心のうちを書くことができるんだけれども、映画というのはそのあたりの表現が難しいなと思っていて。いつも俳優さんたちと話し合いながらやっています。
今回も、本来であれば表情を動かさないシーンなんだけど、「今の表情だと伝わりきらないかもしれないから、もう10%くらい(表情を)足してみましょう」と本木さんと話したりとか。本当に微妙なさじ加減で、各俳優さんと細かく細かく話しながらやっていたと思います。
あーちゃん(白鳥玉季)と幸夫君(本木雅弘)の掛け合いがとても印象的でした。すべて西川監督の演出なのでしょうか。
すべて私の演出です!といいたいところなんですけど(笑) そうでもないですね。先ほどの本木さんの話とは反対に、子役たちに関しては心情表現について説明し過ぎちゃうと、意外と演技がtoo muchになったりする。役の心情や気持ちを理解していることは重要なんですけど、気持ちって実はあまり絵に表れない。無理やりアクションとか表情で表現しようとするとやっぱりちょっと…。
なので、子役たちには細かいことは説明せずに、「玉季ちゃん、蝉が死にかけているからちょっと触ってみよう」とか(笑) それくらいの説明でやってもらったさりげない表情がなんとなく寂しげに映ったり、そういうところもありましたね。
特に、玉季ちゃんは全然演技経験がなかったんですね。だからどういう風に演出したらいいか試行錯誤してました。もちろん決められたセリフの場面もあったんですが、なるべく玉季ちゃんと本木さんのシーンは、言わなきゃいけないセリフを決めずに台本もト書き2行くらいで、しなきゃいけないことだけ書いておいたという感じです。
「このシーンのあーちゃんは幸夫君のことを得体の知れないおじさんだと思っているから、もうすこし“このおじさんよくわかんない人だな”って感じでやってみて」と伝えたら、それなりにできたりして。こう言うと、彼女が名女優みたいな感じがするけれど(笑) とにかく玉季ちゃんはじっと立っていてくれないんですよ、「あーちゃん映ってないよー」という感じで(笑) あっと驚くようなことができなくて、でもあっと驚くようなことができる人なんですね。
兄弟喧嘩でお米をひっくり返す場面も、私の演出というよりも、本木さんが実際にやってみせるんですよ。「玉季ちゃん、そんな怒り方じゃないでしょ、お兄ちゃんと喧嘩するとき」って言いながら、自分でやってみせたりして。そういうことも火をつけて、どんどん出来上がっていきました。
現場で生まれたシーンはありますか?
あらかじめ用意したものではないシーンがどれだけ撮れるかということはずっと考えていたんですが…そうですね、例えば冬にあーちゃんが髪の毛を切るシーン。母親がいないからこまめに髪の毛を切ったり整えてくれる人もいないということで、髪を伸ばし放題にしてもらっていたんです。
お母さんがいなくて寂しいという気持ちを彼女も抱えているんだけれども、「お母さん帰ってきて!」で涙をポロッっていうんじゃなくて、なんか他の表現をできないかなと思っていて。スタッフと話し合っていたところ、前髪を初めて自分で切ったのっていくつだった?みたいな話になり、それで「ちょうどあーちゃんくらいの頃にやったかもしれないね」っていう結論になって、じゃあやってみようとぶっつけ本番であのシーンを撮りました。
《映画『永い言い訳』は2016年10月14日(金)より大ヒット上映中》
(C)2016「永い言い訳」製作委員会
公式サイト:http://nagai-iiwake.com/
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】
※本ティーチイン付き試写会は、国内最大級の映画レビューサービス「Filmarks(フィルマークス)」のユーザーを限定招待した試写会です。
(取材・文:斉藤聖/撮影:鸙野茜)
※2022年1月30日時点のVOD配信情報です。