『たかが世界の終わり』グザヴィエ・ドランが描いた愛の形とは?

たかが世界の終わり1

2月11日(土)グザヴィエ・ドランの最新作、『たかが世界の終わり』が公開されます。2016年、ついにカンヌ国際映画祭のグランプリを獲得し、27歳という若さで全世界にその才能を見せつけた今作。

自らの死を告げるために12年ぶりに帰郷した男性と、彼を迎え入れる家族の〈ある1日〉をドランならではの映像表現とともに描かれています。

 

映画界の話題を席巻する美しき天才、グザヴィエ・ドラン

2009年、19歳での初監督作品『マイ・マザー』でのデビュー以降、美しき天才と呼ばれ、次々と人々を魅了する新作を生み出し続けるグザヴィエ・ドラン。

2010年『胸騒ぎの恋人』、2012年『わたしはロランス』、2013年『トム・アット・ザ・ファーム』と発表の度に国内外様々な映画祭で上映され、彼自身の経験や信念を反映したセンセーショナルなテーマや、アーティスティックな映像表現で瞬く間に映画界の注目の的となりました。

2014年には『Mommy/マミー』にて、巨匠ジャン=リュック・ゴダールと並んでカンヌ国際映画祭審査員特別賞に輝き、その受賞スピーチで彼が語った「夢を捨てなければ、世界は変えられる」というメッセージは世界中のメディアが取り上げ、人々に深い感銘を与えました。

たかが世界の終わり2

  • ■心があたたかくなるわけでもない、悲しくなるわけでもない、切ないわけでもない、でも、観てよかった。観なかったわたしの人生はどうなってたんだろうという気持ちになった。グザヴィエ・ドラン!27歳!すごいよ!!(みわさん)
  • ■光をうまく取り込んだシーンを挟むことで重くなりすぎないで見続けることができました。今作ではピントと前後にずらすシーンが多く、またカメラで遊んでる!?と思って楽しく観れました(コマさん)
  • ■ピントとボケの使い方があまりにも巧妙で、音楽の入るタイミングから色味から、全てドランの作り出す唯一無二の世界観!(り さん)

《新たな挑戦!》グザヴィエ・ドランが本作で描いた愛の形とは?

これまで自身の作品において様々な愛の形を描いてきたグザヴィエ・ドランですが、その形は何かしら自分自身を投影した〈主人公〉と〈母親、恋人、友人、兄妹〉などの、二者の間での愛でした。

しかし、今回彼がテーマにしたのは〈家族の愛〉。主人公の男性を含め、彼を迎え入れる家族それぞれが不完全で、自身の在り方や家族への複雑な思い、様々な迷いや悩みを持ちながら生きています。

12年ぶりに集まった家族の、核心を避ける意味の無い会話や、ためらい、沈黙の時間、そして家族だからこそ起きてしまう激しい衝突。

現代の多様化する家族関係に於いて、誰もがどこか共感できるであろう複雑な家族の形がスクリーンに映し出されます

これまでの作品とは異なる、家族だからこそより複雑な愛の形をドランはどう描くのか彼の新しい挑戦を目撃することが出来る作品なのです。

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  • ■切っても切れない存在。とても寂しくて、冷たいやりとりの中で、各々がぶつけ合う感情だったり言葉だったりがすごく重かった。大きな事件なんか、何一つ起きてないのに、見離していい瞬間が一度もない(ChihiroTarumii さん)
  • ■沈黙と発話、兄と弟、情熱と冷静、様々な二つの間にある物なんて本来何も大したものではないはずなのに、何がそんな狭間を広げているんだろう。100分がとても短かった。感情のやりとりがここまで密だったからかな(和出善大朗 さん)
  • ■それぞれの嘘、秘密、葛藤、表情、沈黙は、全部愛だと理解できているのに、時に嫌悪感さえ抱いてしまった。けど同時にその人間らしさが愛おしくも感じるという奇妙な感覚に陥った。至近距離での撮影だからこそ捉えられ、映し出されたものだったから、本当に呼吸、まばたきすらも見逃せない(ヤマヒツジさん)

《今最注目の一流俳優が集結!》再び観たくなるほどの濃密あるやりとり

今作では様々な大作で主役を務める一流の俳優たちがドランの新作のために集まっています。

有名な作家として活躍しながらも家族に心を閉ざす主人公ルイを演じるのは『SAINT LAURENT/サンローラン』でセザール賞にノミネートされたギャスパー・ウリエル

兄に憧れる妹のシュザンヌに『アデル、ブルーは熱い色』でカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いたレア・セドゥ。短気で暴力的な兄アントワーヌには『美女と野獣』のヴァンサン・カッセル

口下手だが誠実なアントワーヌの妻カトリーヌには『エディット・ピアフ愛の讃歌』でアカデミー賞受賞のマリオン・コティヤール。そして家族を深く愛する故に過干渉気味の母マルティーヌには『わたしはロランス』に続いて二度目のドランとのタッグとなるナタリー・バイ

一流の俳優それぞれが演じる家族の中の一人としての演技は瞬きひとつにまで想いが込められ、言葉に出来ない感情がそれぞれの表情、動作から溢れ出し、どのシーンからも目が離せません

代わる代わる映し出される緊張感のあるやりとりは一度の鑑賞では全てを汲み取れない程の濃密さで観るたびに新しい感覚を感じる事が出来るかもしれません。

たかが世界の終わり4

  • ■映像美、音楽、演技力、どれもすごかった!表情や汗にフォーカスされていてこちらまで歯痒さと緊張感が伝わってくる。ドランのほこりを舞わせる演出が好き(mdayaka さん)
  • ■感情のぶつかり合い見事でした。思わず息を呑みます。楽曲のセンスも相変わらずで、とても心地良かったです(しょーた さん)
  • ■自分が後何年生きたらこんな感情を表現できるのだろうか。ドラン映画は絶対に名シーンってのを残してくれるよね。キャスト全員有名で演技最高だった(おち さん)

《90年代の懐かしい楽曲》偉大な音楽家との融合、印象的な音楽の効果

今作もこれまでのドランの作品同様、物語の進行において90年代の懐かしい楽曲と併せ、挿入される音楽が効果的に使われています

『トム・アット・ザ・ファーム』に続き二回目のタッグとなるガブリエル・ヤレドが作曲したワルツを聞いたドランは、すぐさまこの曲を最後のシーンで使いたいと思い、曲について以下のように述べています。

「すべての描きたい感情が見えたんだ。他人の言葉に耳を傾けることが出来ない人や、将来に起こることが予測できない人の無力さ、そして本来当たり前のようにある足下の地盤が思いもよらず崩れ落ちた時の気持ちだ」

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ドラン作品ではおなじみの色彩の効果や光の印象を駆使した独特の映像。そこに挿入された音楽、楽曲の効果によって言葉で説明するのは難しい人間の感覚や心情の揺らぎが見事に表現されています。

作中に流れる音楽がこの物語の中で何を語っているのかに注目して鑑賞しても面白いかもしれません。

◆映画『たかが世界の終わり』information

たかが世界の終わり

あらすじ:「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気劇作家のルイ(ギャスパー・ウリエル)。母のマルティーヌ(ナタリー・バイ)は息子の好きな料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)は慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)、彼の妻のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)はルイとは初対面だ。オードブルにメインとぎこちない会話が続き、デザートには打ち明けようと決意するルイ。だが、兄の激しい言葉を合図に、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる─。

上映時間:99分

〈2017年2月11日(土)全国ロードショー〉

▽公式サイト
http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/[リンク
配給:ギャガ
(C)Shayne Laverdière, Sons of Manua

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    4
    総合的な作品としての感動とは別に、何気ない1シーン・1カット・1ショットに魅了されるのが映画の醍醐味にはありますが、それとは別に監督の身体性のようなものがずっと心に残るものもあるように思います。作風と言っても良いのですが、もう少し手前にある手触りや肌触りやまなざしや呼吸に近い感覚です。 グザヴィエ・ドランの場合は先にレビューした『わたしはロランス』(2012年)のように、おそらく「ecce homo」(ラテン語:エッケ・ホモ, この人を見よ)という多くの場合は青年期につかまれる特有の自意識と、ルイ=フェルディナン・セリーヌ(1894-1961年)のように過激さを俗っぽさのうちに吐露していく感覚とが宿されているように思います。 僕がグザヴィエ・ドランの作品に触れたのは本作がはじめてだったのですが、観はじめた瞬間に、あぁ若いなぁと思ったことをはっきりと覚えています。20代の頃の僕もこういう空気の中に生きていました。輝きを輝きとは思わず、しなやかさをしなやかとも感じないままに、吸い込む息はいつも薄くて痛みに満ちていた。 多かれ少なかれどんな監督にもそれぞれに固有の感覚はあるのですが、やはりそれは監督論として語りうるものであり、どこか論理のなかに収めようと思えば収めてしまえるものという気がしています。しかしながらこの『たかが世界の終わり』を観たときには、論理には収まらない肌合いのようなものを感じました。小説でいう文体や音楽でいう音色(おんしょく)に近いものかもしれない。 話が前後しますが、のちに『わたしはロランス』を観ることでその源泉が何であったのかを理解したという経緯が僕にはあります。 そうした感覚はストーリーによってではなく、演技によってでもなく、カメラワークによるものでもないように思いました。もっと手前の皮膚感覚や呼吸に近い。本作を観終わって思ったのは、この作品にはオープニングの歌詞のようなメッセージ性はまったくないということですし、彼の作品をいくつか観ていくうちに、社会的マイノリティをモチーフとしたものであっても真に描いているものは別にあるという確信を深めていくことになりました。 ですから本作もまた、家族を描きながら捉えようとしたものは決して家族ではないように僕には思えます。カメラがメカニズムとしてもつ被写界深度そのものを観ているような感覚。 見えていること/見えていないこと 聞こえていること/聞こえていないこと 触れられるもの/触れられないもの 描けること/描けないこと そんな距離感そのものが作品になっている。優れた才能はその才能の臨界点(単純に限界と言っても良いのですが)も誠実に伝えてしまうことがあるように思います。グザヴィエ・ドランという若者のこの時点での臨界点が確実に捉えられている。 それは映し出されたものによってではなく、映し出そうとした意思や振るまいの向こう側に影絵のように見えてくる。その影絵に宿る息吹の鮮やかさは何色という色彩ではなく、ただ純粋に鮮やかであろうとしている。そんなふうに思えてなりません。この青年の作品はすべてこうした呼吸によって作られていると言っても良いはずですし、だからこそこれほど魅了されるのだろうと思います。
  • ゆのは
    3.6
    「マミー」 「私はロランス」 「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」を 手掛けた若き鬼才 グザヴィエ・ドラン監督の作品。 同性愛、家族愛(親子愛)、 彼の作品はこのテーマで 描いたものが多く (少なくとも私が観た作品は 全てこのテーマで描かれている)、 繊細な心理描写と深いストーリーに 毎回心が揺さぶられる。 どの作品も良い意味で後口悪く、 ストーリーがめちゃくちゃ 印象的なわけでもないが、 観れば観るほど彼の作品が好きになる。 と前置きが長くなったが、 そろそろ本題に入ろう。 自分が病気でもうすぐ死ぬことを 家族に伝えるために 12年ぶりに帰郷した同性愛者で 劇作家のルイ。 この時点で主人公に物申したい。 勝手に家出て いきなり戻ってきたかと思ったら もうすぐ死ぬ、、って どんだけ自分勝手なんじゃい!と。 しかし、この作品は そんな彼の様子も描きたかったんだろう。 主人公はルイだが、 彼の立場に囚われずに 観るべき作品なのかもしれない。 それから、ラスト。 私が鈍感すぎたのかもしれないが、、。 あとからネットで調べて納得した。 ミステリーじゃないけど、 前半からのちょっとした 違和感に気づいて、 覚えとかなきゃいけないなって感じ。 作品のイメージに合わなくて滑稽だった 「恋のマイアヒ」ダンスシーンも 哀しく思えてくる。 グザヴィエ・ドラン監督の作品、 次は「マイ・マザー」観ようかな。
  • ときしらず
    -
    過去鑑賞
  • taro
    3.8
    レア・セドゥ💥👏 素敵。
  • snow
    3.7
    露骨な心理描写はさすがドラン。 1度でいいから彼の目と表現力でこの世界を捉えてみたいなぁ。 “恋のマイアヒ”が流れたあの一瞬は幻かと思うほどの高揚感。 1回観ただけではすくい取ることができないほど、人物の心理描写が繊細に描かれていた。 なんていうか、オブラートをぐるぐる巻きすぎて、肥大化して硬くなった感情のぶつけ合いみたいな会話だなって思った。 理解できないけど、愛する。 それが家族に“成る”ことかもしれない。 女性陣のアイシャドウが美しくて惚れ惚れした。
たかが世界の終わり
のレビュー(19816件)