チャップリンのキャラクター像はどのように完成したのか?【エッサネイ社編】

俺は木こりだいい男よく眠りよく働く

谷越カニ

前回『チャップリンのキャラクター像はどのように完成したのか?デビュー〜キーストン社編』という記事にてデビューからキーストン社を去るまでの35作品の中から初期チャーリーの特徴を紹介してきましたが、今回は「エッサネイ社」編です。後の名作に繋がる作品が登場し、重要なパートナーも登場しますのでチャーリー好きな方は必見!私達が知っているチャーリーまでもう少しです。

前回の記事と合わせて御覧ください。

キーストン社からエッサネイ社へ移籍してからの特徴

週給1250ドル。社の誰よりも高い給料でエッサネイ社に移籍したチャップリンの作風は大きく変化しました。

①話の筋が練られるようになり、ストーリーを楽しむことができるようになった

キーストン社時代のチャップリン監督作は、女好きで弱者にも暴力をふるう浮浪者チャーリーが登場し、とにかくドタバタして終わるという作品が多い印象でした。キーストン社の他の監督たちと比べれば幾分話の筋は練られていましたが、エッサネイ社に移籍してからの作品と比べると天と地ほどの差があります。

とはいえ、観客はキーストン社のドタバタ劇が大好き。エッサネイ社移籍後もチャップリンはキーストン調のドタバタ劇を何本か制作しています。偉大な天才も観客に迎合していた時代があったのですね。

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=zDbXbu9tM8c

『アルコール先生海水浴の巻』より。キーストン社時代よりもキーストン社らしいドタバタ即興劇です。

②メーベルに変わるパートナーの登場

メーベル・ノーマンドと組んで映画を作っていたころ、チャーリーは悪役を演じることが多かったのを覚えているでしょうか。キーストン社時代のチャーリーは女性にいやらしくて暴力的な嫌なヤツ。しかし、エッサネイ社に移籍してからのチャーリーが悪役を演じることは一度もありません。

なぜなら、エッサネイ社での作品は最愛の女性であるエドナ・パーヴァイアンスをヒロインに据えたものがメインになるからです。チャップリンは結婚と離婚を繰り返したことで知られていますが、最も愛した女性とされるのがエドナ・パーヴァイアンス。愛しすぎるがゆえに拒絶されることを恐れ、告白できなかったとされているんです。

エッサネイ社に移籍した1915年から『巴里の女性(1923)』までタッグを組み続けたパーヴァイアンスによってチャップリンの作品にはロマンスの要素が追加されることになりました。これは実に革新的な試みで、全盛期のすべての作品に活かされることになります。

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=htUobeDnlj8

チャップリン最愛の女性エドナ・パーヴァイアンス。彼女のおかげでチャップリンの映画は芸術性を持つようになりました。

③悲しいコメディの登場

これまでのコメディ映画はキーストン社のマック・セネットに代表されるスラップスティック・コメディが主流で、作品内に悲しい要素が入り込む余地はありませんでした。

しかしチャップリンは『チャップリンの失恋』でコメディに悲しさを持ちこみ、後の代表作のような「笑えて泣けるコメディ」を発明したのです。

当時の観客は『チャップリンの失恋』と『チャップリンの掃除夫』を見て、コメディとロマンスが両立している事に驚き、このコメディアンは普通ではないということに気づいたといいます。コメディに悲しさを導入したチャップリンのアイデアが画期的だったことを裏付ける話ではないでしょうか。

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=3_qSYB9i9_8

『チャップリンの掃除夫』より。コメディ映画に本格的なロマンスを導入したのはチャップリンが初めてでした。

しかし、チャップリン流のコメディは多くの観客に受け入れられることはありませんでした。観客はキーストン調のドタバタ劇を求め、チャップリンの映画を映画館に見に行っていたのです。後に彼は自分が表現したいコメディと観客が求めるコメディのギャップに苦しめられることになります。

④階級、資本主義批判の顕在化

これらに対して批判する姿勢はキーストン社時代からありましたが、『チャップリンのお仕事』で顕在化します。弱者・庶民の味方チャーリー誕生への芽生えが見て取れる作品です。

馬車を引くチャーリーにひどい仕打ちを受け、徹底的にこき使われる導入部のシーンは資本主義の残酷さを批判していると考えられますし、中流階級の家族や召使いをバカな人物として描き、チャーリーが巻き起こすドタバタ劇に怒り、翻弄される姿を滑稽に描いています。

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=V4oJg3pgCw0

馬車を引いて急な坂道を登るチャーリー。運転席には大将が座り、チャーリーにムチを打ちます。労働者と権力者の関係を封止した素晴らしいシーンです。

⑤時間をかけて映画を制作する「完璧主義」

チャップリンは行き過ぎた完璧主義者として知られています。『街の灯』の撮影で3分間のシーンに342回もNGを出し、1年以上かけて納得がいくまで撮影を続けたというエピソードは有名ですよね。

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出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E3%81%AE%E7%81%AF

このシーンに1年以上も。

キーストン社時代は作品を商品として大量生産する社の方針にしたがって映画製作を行っていたチャップリンですが、エッサネイ社に移籍してからは思い通りに編集を行い、納得がいくまで時間をかけるようになりました。そのおかげで作品のクオリティは大幅に向上し、現代人が見ても違和感のない作品群が出来上がったのです。

ここまでがエッサネイ社に移籍してからのチャップリンの特徴です。これからは特筆すべき3つの作品について詳しく説明していくことにしましょう。

エッサネイ社時代の見ておきたい3作品

①『チャップリンの失恋(1915)』

チャップリンファンなら絶対に見て頂きたい作品です。この作品ほど全盛期のチャップリン映画に近い作品はありません。

ストーリーはエドナ・パーヴァイアンス演じる農場の娘に恋をしたチャップリンが失恋し、彼女に置き手紙を残してもと来た場所に戻っていく、というもので悲しいエンディングが印象に残ります。作品にロマンスの要素が加わったのは初めてのことでした。

また、本作であの有名な退場シーンが初登場します。一人さみしく画面の奥に歩いていくこのシーンを見た当時の批評関連中は絶賛し、チャップリンはその反応に驚いたんだそうですよ。本人は反響があると思っていなかったのですね。全盛期の作品が作られる頃にはチャップリン映画のお約束として定着することになります。

単なる失恋物語ならキーストン社時代にも『チャップリンの画工』という作品を作っています。こちらはチャップリンが失恋して悲しみにくれながら酒を飲んで暴れるという内容で、上映時間が短いこともあってあまり印象に残らない作品でした。笑いどころもなく、キーストン社時代の凡作の1つに数えられます。

しかし、『チャップリンの失恋』はとても笑える映画なんです。チャーリーが農場で繰り広げるドタバタ劇はキーストン社時代のどの作品よりも面白い。それでいて新たな要素としてロマンスを取り入れているこの作品は、まさに全盛期の作品群の原点に当たる重要作です。

②『チャップリンのお仕事(1915)』

こちらも既に説明済みですが、大変重要な作品です。弱者・庶民の味方・チャーリーの芽生えを感じさせる作品であり、労働者階級が奴隷にされる資本主義の問題点を皮肉ったシーンも登場します。

いわばこの作品は『黄金狂時代』や『モダン・タイムス』の原点となった作品で、チャップリンがアメリカ国外に追放されることを予言する作品でもあったのでした。

そして、なによりも面白い!私はエッサネイ社時代の作品の中で一番おもしろい作品だと思います。キーストン社時代の『アルコール先生ピアノの巻』という作品は馬車を引くロバがピアノの重みで宙ぶらりんになってしまうというギャグがあるんです。

この作品ではそのロバとチャップリンが同じ立場に置かれているので、『ピアノの巻』を見ている観客は思わず笑ってしまう。ファン向けのギャグにもなっていることに感心しました。

メイン舞台となる中流階級の家屋内でのドタバタ劇はキーストン社時代のものを洗練し、繰り返しの笑いを強調しています。同じ人が何度も何度も酷い目にあって、毎回笑わされる。話の筋がある程度練られていないとただクドいだけに思われてしまうギャグをきちんと成立させていて、チャップリンの成長を感じられる作品です。

③『チャップリンの悔悟(1915)』

ミューチュアル社に移籍する前後に、チャップリンが「これまでの最高傑作は『悔悟』だと思う」と発言しています。エッサネイ社での最後の作品となった『悔悟』はこれまでのキャリアを振り返っているようにも思える内容で、エッサネイ社のラストを飾るにふさわしい傑作です。

刑務所から出所したチャーリーはあっという間に偽牧師に騙され、無一文になってしまいます。かつての仲間とともに強盗に入るもエドナ演じる娘と出会い、改心して一本道の向こうへ去っていく…。脇役が魅力的で、コメディとして面白く、ロマンスの要素もあり、退場シーンは例のアレ。これまた全盛期の作品に近い作品です。

淀川長治さんの解説が素晴らしかったので、リンクを貼っておきます。

 

エッサネイ社との契約が切れたチャップリンは複数の映画制作会社と契約交渉に入り、彼が希望する条件(週給1万ドル、契約時のボーナス15万ドルというとんでもない額だった)を受け入れたミューチュアル社と契約を結びます。

映画製作の全権を握ったチャップリンは自由な表現が可能になり、全盛期を彷彿とさせる作品が増えました。ところが、人生最大のスランプに陥った時期でもあったのです。

次回はかの大天才がスランプを乗り越えて制作した名作の数々を紹介します。お楽しみに。

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  • Ryoma
    4
    僕は常々、映画を観るということは、絵画を観るということよりも、音楽を聴くということに近しいんじゃないかと、そういう風に考えてきた。つまり、映画とはショットの連続であって、その積み重なるショットの中に、リズムやメロディーやハーモニーがあって、そこに身を委ねることの心地よさが、まるで音楽を聴くときの心地よさのように、映画を観ることの本質的な醍醐味であるんじゃないかと、そういう風に感じてきたのだ。逆に、どれだけ一つ一つのショットが絵画的に美しくても、リズム・メロディー・ハーモニーがなっていないと、映画はダメになってしまうと思う。だから、時間芸術と空間芸術の両方の要素を孕む映画ではあるが、実は時間芸術(=音楽)の要素の方が、空間芸術(=絵画)の要素よりも、断然大きいんじゃないかと、いい映画を観終える度、いつもそう思うのだ。 そういう意味でこの映画「街の灯」は、きわめて音楽的な映画だと言える。それはチャップリンのコミカルな動作や、それを捉えるカメラワーク・カット割りが、きわめて軽快なリズム・メロディー・ハーモニーを奏でていて、まるで音楽のような滑らかな流れを感じさせるからである。観客は、ただその「流れ」の中に身を浸し続ければよい、とも思えて、極端に言えば、チャップリンの音楽的なパントマイムが、映画という箱の中に収まっていさえすれば、もうそれだけで物語の筋・展開など関係なく、一級品の映画になり得るんじゃないかと、そうとも思える位だ。つまり、台詞を用いないサイレントだからこそ、台詞ではなくショットで語ることの大切さ、そして映画本来の音楽的興奮を、私たちに再認識させてくれるという訳だ。 また無論、この映画は、笑える。この笑いは人間の本能的な部分をくすぐってくるような感じで、普遍的で、シンプル。まあ、だからこそ、それをやってのけるのは難しいんだろうなあと思うのだけれど、例えば時事ネタや複雑な笑いなどは、今見る分には面白いけど、100年後観た時に、果たして笑えるのかなあ、ということであって、そう考えると、この言葉を使わず動きだけで表現するシンプルさが、時代・国境を超越する理由の一つであると思える。しかし、それでも多くの作品は百年の間に朽ちてしまうことを鑑みると、この作品の一見シンプルな笑いが、どれだけ計算・洗練されつくされているのかと思って、瞠目せざるを得ない。 最後に、やはりあのラストシーンに触れておかなければならない。ラストシーンは、後日談になっていて、まあ後日談という性質上、過去と現在のどうしようもなく哀しい距離感というか、そういう虚無的な雰囲気が漂っていて、もうそれだけで胸が締め付けられる。そして、重要なのが、このシーンが悲劇とか喜劇とかを超越した、ある種の繊細で哀しい「詩」を、観る者の心の中にそっと吹きかけてくれるということだ。それはもう、物語の筋や意味などを容易に吹き飛ばすほどの魔力的なもので、最後のチャップリンの微笑みのクローズアップが、それらすべてを象徴していると思う。僕は、そんなシーンな中に、研ぎ澄まされた映画の詩を、ひしひしと感じ取って、静かに震えた。
  • かず
    3.7
    笑えて優しい気持ちになれました
  • かつぴん
    4.2
    何度も観てストーリーは知っているのに、ラストシーンが 近づくともう涙が出てきてしまう。チャップリンを観ずに 映画は語れない。これと「キッド」はまず必見。サイレント なのに人の心にグサッと突き刺さって来る。 チャップリンは永遠です。
  • KENTA91
    4
    盲目の女性に恋をする浮浪者を演じるチャップリン。相変わらず無声映画でも安定した面白さで笑わしてくれる。そんなコメディタッチのうえに、本作品はロマンス的要素が見られてほっこりさせてくれる喜劇映画としての面白さをこのチャップリンは伝えている。
  • サエコ
    3.3
    最後だけ有声!
街の灯
のレビュー(8022件)