男性保育士への謂れなき偏見。『偽りなき者』が描くジェンダーフリー社会実現の困難

《連載③》鏡の中のダイバーシティ:男性保育士に向けられる偏見『偽りなき者』

少し前ですが、女の子を保育園にあずけているママさんたちの、「男性保育士に女の子たちのトイレや着替えやおむつ替えをやらせないでほしい」という声が議論になったことがありました。

男性保育士による女児おむつ替え、何が問題か?

1999年に男女共同参画社会基本法が制定され、「保母さん」という職業をジェンダーで固定化するような呼称は見直され、今では保育士という単語が一般にも定着しましたが、上記の記事によれば、男性保育士の数はまだまだ少なく、2015年の国勢調査によれば男性保育士の割合はわずか4%にとどまるとのこと。保育の現場において男性は数的にはマイノリティに属すると言えるでしょう。

着替えやおむつ替えをやってほしくないという声は、男性保育士活躍推進プランを策定した千葉市長の熊谷氏のツイートから議論が起こったものです。男女平等の労働環境を目指すべく策定された施策に対して、女性側からこうした声が出てきた背景には、子どもに対する性犯罪への警戒心から来ているのだと思います。

上記の記事によれば男性保育士による性犯罪率を懸念すべき統計データは、特段見当たらず、保育の現場から男性を排除してほしいという声がもし存在するならば、それは性犯罪者の9割以上が男性であるということからくる「印象」による職業差別に当たるでしょう。無論、性犯罪を犯す男性は全体のごくわずかです。

職業差別というものは、多くの場合は男性優位社会における女性への差別という文脈で語られますが、こと保育の現場に関してはそれと逆のことが起こっていると言えるかもしれません。

言うまでもありませんが、性犯罪は卑劣な重罪であり、成人間同士ですら男女には腕力の差があるのだから、その暴力と歪んだ欲望が子供に向けられることは許しがたいことです。

一方で性犯罪はとりわけ嫌悪感を強く抱かせる類のものであり、感情的な反発を持ちやすいものでもあります。このレッテルが貼られてしまうと社会的な信用に大きく傷がつき、社会的に抹殺されてしまうことすらあります。もしいわれなき疑惑であったとしても、潔白を証明するのが困難なものでもあります。

周防正行監督が痴漢冤罪を描いた『それでも僕はやってない』という作品では、痴漢で起訴されてしまった青年の潔白を証明するための法廷闘争を丹念に描いていますが、非常に大変なものであることがよくわかります。

感情的反発という点では、千葉のベトナム人の女児殺害事件を受けて、男性のPTA活動を禁止しようという極端な意見も一部ででているというニュースも目にしますが、そういう極端な意見にも一定の賛同者が出るほどに感情的嫌悪感を招きやすい類のものです。

そんな性犯罪レッテルの恐ろしさと男性差別が起こる実態を描いた作品がデンマーク映画『偽りなき者』です。

偽りなき者

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小児性愛者というレッテルは無実が証明されても消えない

『偽りなき者』は、離婚歴のある元小学校教師のルーカスに起きる悲劇を描く作品です。小学校をリストラされ、田舎の小さな町で幼稚園の教師として働くルーカスは真面目に仕事に取り組んでいますが、そのルーカスに好意を持っている女の子から、ある日プレゼントを渡されます。幼稚園教師としてすべての子どもたちを平等に扱わなければいけないと考えたからか、ルーカスは「男の子にプレゼントしてあげなさい」と諭します。

好きな先生が好意を受け取ってくれないことに腹を立てたその子は、園長先生にルーカスが性的嫌がらせをしたかのような嘘をついてしまいます。女の子にとってはちょっとしたイタズラのつもりだったのですが、この噂は小さな町に瞬く間に広がり、ルーカスは幼稚園をクビになり、小児性愛者のレッテルを貼られてしまいます。

スーパーで買い物をしようとしたら追い出され、自宅に石を投げられるなど、様々な嫌がらせを受けるルーカスはついに警察に逮捕されるにまで至ります。結局、彼は何もしていないことが証明されるのですが、一度貼られたレッテルはそう簡単にはがれません。嫌がらせは止むことなく、そればかりか本人に対してだけでなく、息子のマルクスにすら及ぶようになります。

本作が出色なのは、性犯罪のレッテルを貼られてしまった男性の苦悩を描くだけでなく、無実が証明された後でも、人々に一度芽生えた疑念が消えていかない点を描いたことにあります。性犯罪のレッテルは文字通り彼の人生を破壊してしまいますが、それほどまでに強烈なレッテルなのです。

本作では、性犯罪を匂わすものは女の子の嘘しかないわけですが、現実に女性側の証言で裁判で有罪が確定してしまったケースもあります。(強姦事件で再審無罪 大阪地裁「女性らの供述は虚偽」)この時の大阪地裁の裁判官は有罪の決め手となる考えをこう述べています。

「14歳だった女性がありもしない被害をでっちあげて告訴するとは考えにくい」

本作の英語版のタイトルは「THE HUNT」。Huntは「狩り」という意味ですが、性犯罪というレッテルはそれが事実であろうがなかろうが、用意に人を狩りの対象にしてしまい、迫害されうるものだということを示しています。

女性にとって生きにくい社会がある一方、数としてはそうした局面は比較的少ないのかもしれませんが、この映画が描くように男性にとって生きにくい場面も存在します

ジェンダーの平等の大切さが叫ばれる世の中ですが、ジェンダーフリー先進国のスウェーデンでさえも保育の世界となると、男性保育士の割合は2105年でわずか8%であり、日本とそれほど変わりありません。保護者の中に男性保育者を警戒する心理が根強くあるためだといいます。(参照:「男性保育士に女児の着替えをさせないで」は誰が言っている? 保育園の主役は子どもたちです

『偽りなき者』はこうした心理の根深さを克明に描いています。性犯罪への嫌悪感はそう簡単に消せるものでもなく、実際にそれは卑劣な犯罪であることは間違いありません。そしてその嫌悪の一端は、子どもの安全を守りたいという保護者の思いから生じるものでしょう。

それゆえ、この「差別的対応」を克服することは一筋縄にはいきません。 本作を見ると、その難しさをどこまでも深く噛みしめさせられます。

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※2022年3月27日時点のVOD配信情報です。

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  • とも
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    しんどい時に観るんじゃなかった。 幼い子供への性的虐待となると、感情的に誰しも子供側に肩入れしてしまう。 友人や恋人の手のひらを返したような姿は、あまりに薄情で残酷に感じて胸くそだったけど、観ながらずっと これはルーカス視点だから冤罪と知って観て居られたけど、初めからテオの家族視点で描かれていたら、感情移入先が異なり、ルーカスが変質者に見えて当然の報いとして観ていたと思うと、同類に思えて自己嫌悪してた。 こんな事を考えながら観てると余計にしんどかった。 どれだけ世間が敵になっても、家族だけが最後の味方なのだという姿が描かれている事が唯一の救いでした。 一つだけモヤモヤするのは終盤のパーティー。 ルーカスが究極のお人好しに見える形になってるのは解せない。 確かに優しい人だけど、特別優しい人として描かれていないし、感情的にもなる人間臭い人。 初めから無実だった訳で、それに対して酷い事をした周りが、どれだけの許しを乞うてあそこまで関係が修復されたのか描くのは大事な部分だったと思う。 そこを描きすぎると、ラストシーンの考察が活きないからなのかもしれないけどさ。 これじゃあファニーが報われない。 ファニーを忘れるな! 周りの何事もなかったかのような表情と振る舞いも胸くそでした。
  • crow
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    子供の声、民衆の声は偽りの的であっても、容赦なくその的に降り注ぐ。 信じているものは、事実なのか、それとも信じたい偶像か。子供の発言という事で、大人達が過度に翻弄し、見なきゃいけないものがぼやけてしまう所に苛立ちを感じつつ、僕が実際にその場にいたらどうなっていただろうと思うと、この映画に出てきたその他大勢の大人と一緒になっているかもしれない。 マッツミケルセンを筆頭にキャストの方々のお芝居も素晴らしい。 脚本、映像どれも素晴らしく、約2時間だれる事なく、人間のある種の愚かさを見せてくれるいい映画だった。
  • クラゲライダー
    3.5
    オードリーヘップバーンの『噂の2人』という映画に似ていたな。 どちらも少女の嘘で大人が追い詰められていく。 この映画が面白かった人は『噂の2人』もご覧になったらいかがでしょうか。
  • あぁ
    5
    久々にシナリオがめちゃめちゃいい映画に当たった。感触的に、アイデアから一気に相当完成度の高いプロットに仕上げたのだろうと思う。なんとなくだけど。 子供の記憶の曖昧さという着想点にむき出しの人間性を乗せた時点で勝ち。ここはあえて保守的な田舎の閉鎖性とは言わない。 何故なら、保守的な田舎において、コミュニティに溶け込んだ男性はむしろ守られる側だからだ。だから、今回人間性を剥き出したのは、純潔なはずの、子供を守るリベラリストたちだ。これは間違いない。 子供を守るという綺麗な大義名分を振りかざせば、暴力だって平気でできる。弱いものを守るはずの大人たちが、関東大震災下で朝鮮人をここぞとばかりに殺した日本人のような振る舞いを平気で犯す。 僕は過去に人に徹底的な悪意と暴力を向けられたことがあるから分かる。すぐに理性の皮が剥ける自称情緒的な人間は思想、信条、性別、年齢関係なく存在する! 彼らは結局単純な善悪二元論の中に生きていて、それはリベラリズムを信奉しようが全く変わらない。矯正不可能。犯罪者よりタチが悪いくせして犯罪者より綺麗な顔してやがる。 例えば今の日本で、リベラリズムを棍棒にして平気で極右を「低学歴」「低収入」「弱者男性」などと括っているのは誰か?「低学歴」「低収入」「弱者男性」が皆極右とでも思っているのか?やってることがその辺のネトウヨと全く変わらないリベラリストは、この映画を見ても何も気づかないんだろうな。 しかしマルクス(資本論の人じゃないよ、この映画の登場人物ね)、お前もダメだ。コイツも所詮逆の立場だったらルーカスをボコしてたね。はっきり分かるよ。僕の弱者としての嗅覚は嘘をつかない。すぐ剥ける理性の皮なんて最初から剥いとけよ。クララは何も悪くない。むしろむき出しの導火線にちょっと火をつけただけだ。 あれだけ平和を願っていた坂本龍一がパワハラ三昧だったように、基本主義主張でその人を見てはいけない。絶対に。その人の目を見よ。ミケルセンの目は信用できる。しかし、本作の村人たちの優柔不断で大義名分をチョウダイチョウダイするお目目は全くもって信用できない。 僕みたいに、暴力を受けたことが少なくともある人間は、絶対に軽い綺麗事に惑わされてエセリベラリストになったり、劣等感から権力者と一体化してネトウヨ化したりしたらダメだし、暴力を受けたことがない人間は、まずはこの映画の本質をよーく見てほしい。本当に大事なことを言っている。 結局本当に自分の弱者性を自覚しないと人間って変われないもんなのかね。そう考えると僕もダメな人間な気がしてきた。だってコロナ禍とその他の人生のゴタゴタがなければガチのネトウヨになってた可能性もあるからさ。 長くなったけど、基本的に役者の顔を信用しきった演出スタイルはなかなかに成功していた。「対峙」に近い感情の臨界点を描けてたし、どことなくマイケル・マン的なスタイルにも見えたのが面白かった。
  • 信貴
    3.8
    原題: Jagten(狩猟) 絶対に原題の方が良いんだけれども、シンプルすぎて興味を引くには難しいタイトルであるとは思う。 幼いクララと成人男性ルーカス、どちらを信じるも本人の正義感や経験によるものであることだろうし、噂が人伝に無関係な人間に伝わったときには原型を留めていないほど伝聞した人間たちの価値観や憶測に膨れ上がったストーリーに改変されていることもあるだろうし、例えばクララの母親が幼少期に性的虐待を受けた経験を持っていたとしたら、その経験の理解者だと信じていた夫が親友を擁護したとしたら、性加害を受けて人生が変わってしまった人間が身近にいる人がルーカスの噂を耳にしたとしたら。 疑うも信じるも正義であり、また同時に新たな被害を生む可能性を孕んでいる。
偽りなき者
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