男性保育士への謂れなき偏見。『偽りなき者』が描くジェンダーフリー社会実現の困難

2017.05.20
映画

《連載③》鏡の中のダイバーシティ:男性保育士に向けられる偏見『偽りなき者』

少し前ですが、女の子を保育園にあずけているママさんたちの、「男性保育士に女の子たちのトイレや着替えやおむつ替えをやらせないでほしい」という声が議論になったことがありました。

男性保育士による女児おむつ替え、何が問題か?

1999年に男女共同参画社会基本法が制定され、「保母さん」という職業をジェンダーで固定化するような呼称は見直され、今では保育士という単語が一般にも定着しましたが、上記の記事によれば、男性保育士の数はまだまだ少なく、2015年の国勢調査によれば男性保育士の割合はわずか4%にとどまるとのこと。保育の現場において男性は数的にはマイノリティに属すると言えるでしょう。

着替えやおむつ替えをやってほしくないという声は、男性保育士活躍推進プランを策定した千葉市長の熊谷氏のツイートから議論が起こったものです。男女平等の労働環境を目指すべく策定された施策に対して、女性側からこうした声が出てきた背景には、子どもに対する性犯罪への警戒心から来ているのだと思います。

上記の記事によれば男性保育士による性犯罪率を懸念すべき統計データは、特段見当たらず、保育の現場から男性を排除してほしいという声がもし存在するならば、それは性犯罪者の9割以上が男性であるということからくる「印象」による職業差別に当たるでしょう。無論、性犯罪を犯す男性は全体のごくわずかです。

職業差別というものは、多くの場合は男性優位社会における女性への差別という文脈で語られますが、こと保育の現場に関してはそれと逆のことが起こっていると言えるかもしれません。

言うまでもありませんが、性犯罪は卑劣な重罪であり、成人間同士ですら男女には腕力の差があるのだから、その暴力と歪んだ欲望が子供に向けられることは許しがたいことです。

一方で性犯罪はとりわけ嫌悪感を強く抱かせる類のものであり、感情的な反発を持ちやすいものでもあります。このレッテルが貼られてしまうと社会的な信用に大きく傷がつき、社会的に抹殺されてしまうことすらあります。もしいわれなき疑惑であったとしても、潔白を証明するのが困難なものでもあります。

周防正行監督が痴漢冤罪を描いた『それでも僕はやってない』という作品では、痴漢で起訴されてしまった青年の潔白を証明するための法廷闘争を丹念に描いていますが、非常に大変なものであることがよくわかります。

感情的反発という点では、千葉のベトナム人の女児殺害事件を受けて、男性のPTA活動を禁止しようという極端な意見も一部ででているというニュースも目にしますが、そういう極端な意見にも一定の賛同者が出るほどに感情的嫌悪感を招きやすい類のものです。

そんな性犯罪レッテルの恐ろしさと男性差別が起こる実態を描いた作品がデンマーク映画『偽りなき者』です。

偽りなき者

小児性愛者というレッテルは無実が証明されても消えない

『偽りなき者』は、離婚歴のある元小学校教師のルーカスに起きる悲劇を描く作品です。小学校をリストラされ、田舎の小さな町で幼稚園の教師として働くルーカスは真面目に仕事に取り組んでいますが、そのルーカスに好意を持っている女の子から、ある日プレゼントを渡されます。幼稚園教師としてすべての子どもたちを平等に扱わなければいけないと考えたからか、ルーカスは「男の子にプレゼントしてあげなさい」と諭します。

好きな先生が好意を受け取ってくれないことに腹を立てたその子は、園長先生にルーカスが性的嫌がらせをしたかのような嘘をついてしまいます。女の子にとってはちょっとしたイタズラのつもりだったのですが、この噂は小さな町に瞬く間に広がり、ルーカスは幼稚園をクビになり、小児性愛者のレッテルを貼られてしまいます。

スーパーで買い物をしようとしたら追い出され、自宅に石を投げられるなど、様々な嫌がらせを受けるルーカスはついに警察に逮捕されるにまで至ります。結局、彼は何もしていないことが証明されるのですが、一度貼られたレッテルはそう簡単にはがれません。嫌がらせは止むことなく、そればかりか本人に対してだけでなく、息子のマルクスにすら及ぶようになります。

本作が出色なのは、性犯罪のレッテルを貼られてしまった男性の苦悩を描くだけでなく、無実が証明された後でも、人々に一度芽生えた疑念が消えていかない点を描いたことにあります。性犯罪のレッテルは文字通り彼の人生を破壊してしまいますが、それほどまでに強烈なレッテルなのです。

本作では、性犯罪を匂わすものは女の子の嘘しかないわけですが、現実に女性側の証言で裁判で有罪が確定してしまったケースもあります。(強姦事件で再審無罪 大阪地裁「女性らの供述は虚偽」)この時の大阪地裁の裁判官は有罪の決め手となる考えをこう述べています。

「14歳だった女性がありもしない被害をでっちあげて告訴するとは考えにくい」

本作の英語版のタイトルは「THE HUNT」。Huntは「狩り」という意味ですが、性犯罪というレッテルはそれが事実であろうがなかろうが、用意に人を狩りの対象にしてしまい、迫害されうるものだということを示しています。

女性にとって生きにくい社会がある一方、数としてはそうした局面は比較的少ないのかもしれませんが、この映画が描くように男性にとって生きにくい場面も存在します

ジェンダーの平等の大切さが叫ばれる世の中ですが、ジェンダーフリー先進国のスウェーデンでさえも保育の世界となると、男性保育士の割合は2105年でわずか8%であり、日本とそれほど変わりありません。保護者の中に男性保育者を警戒する心理が根強くあるためだといいます。(参照:「男性保育士に女児の着替えをさせないで」は誰が言っている? 保育園の主役は子どもたちです

『偽りなき者』はこうした心理の根深さを克明に描いています。性犯罪への嫌悪感はそう簡単に消せるものでもなく、実際にそれは卑劣な犯罪であることは間違いありません。そしてその嫌悪の一端は、子どもの安全を守りたいという保護者の思いから生じるものでしょう。

それゆえ、この「差別的対応」を克服することは一筋縄にはいきません。 本作を見ると、その難しさをどこまでも深く噛みしめさせられます。

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  • 凛太朗
    4.3
    胸糞必須のデンマーク産不条理劇。監督はラース・フォン・トリアーとドグマ95を始めたことで知られる『セレブレーション』のトマス・ヴィンターベア。 と言っても私は『セルブレーション』を観たことがないし、この作品もドグマ95のルールに則ってはいない。 しかし、ラース・フォン・トリアーばりの胸糞というか、また違った胸糞展開であると共に考えさせられもするし、それがいい。 デンマークのある小さな村で、42歳で幼稚園の教師をやっているルーカス(マッツ・ミケルセン)の親友テオの愛娘であるクララがついた一つの嘘によって、ルーカスはクララに対する性的虐待の嫌疑をかけられてしまい、村八分を食らってしまうという集団心理の恐ろしさと不条理を深く抉りつつ、家族、自然、社会の一つの本質を突いたような作品。 個人的にマッツ・ミケルセンは好きな俳優さんであると共に、ドラマ版ハンニバルの異常性の強いキャラの印象が強いのだが、本作ではその真逆のキャラである。 そしてイケメンである。 そりゃおませなクララがメロメロになっても仕方ない。というか、子供には子供の気持ちがあるのである。子供の言うことだからと侮ってはいけない。 そして恐ろしいことに、この映画クララちゃんも可愛いのである。 おませちゃんとは言え、ついてしまった嘘自体もイノセントに他ならないと思うし、実に曇りなき眼である。 しかし、本作においてというか、そもそもデンマークだけではなくここ日本においての現代の社会性からして、その辺にいる可愛い子供を可愛いと言ってしまう素直さもまた危険なのかもしれないという恐ろしがある。 そして私は、社会性という名の集団心理、同調圧力のもとに過剰に反応してしまう大人たちにこそ異常性を感じると共に、子を持つ親として、子供のことを心配しすぎてしまう気持ちもまたわかる。 そして子供が親を思う気持ちも、やはり痛いくらいにわかる。 ルーカスの息子マルクスが非常に良かった。 本作、自然及びアースカラーによるカラーコーディネートが非常に目立つなぁと思いました。 目に優しいなぁとか思う反面、やはりそこにあるのは自然、或いは自然と共に育まれた片田舎のコミュニティにおける脅威だとも思いますね。 狩る側をまた、狩られる側というかね。 大人が子供に、子供が大人になることもあるというか、弱肉強食の世界ではなく、些細なことで弱者にも強者にもなれてしまうという不条理ですね。
  • aran1016
    4.2
    気持ちの行き場がなくなる映画 とても今生き苦しい。
  • ORE
    4.2
    後半ずっと見入ってしまった 後半差し掛かるあたりで少し退屈気味 それでも見たほうがいいかも
  • NakamuraRyota
    4.4
    イかれてるけどすごく綺麗な映画
「偽りなき者」
のレビュー(4141件)