チャップリンのフィルモグラフィーにおいて、代表作の一つ『犬の生活』は重要な意味を持つ作品です。チャーリーが私達の知っているキャラクター像に落ち着き、その後の全盛期の映画が作られる礎となった作品で、この連載も『犬の生活』までのチャップリンのフィルモグラフィーを追いかけながらチャーリーのキャラクター像の変化を見ていこうという趣旨です。
今回は『犬の生活』が撮影されるファーストナショナル社へ移籍するまで契約を結んでいた、ミューチュアル社で撮影された映画を見ていきましょう。たいぶ完成像に近づいて、作品のクオリティも増しています。
変化を求めるチャップリンの悩み
キーストン社時代のチャーリーはスラップスティック・コメディの申し子でした。エッサネイ社でエドナ・パーヴァイアンスと出会い、作品にロマンス要素を盛り込んだことで他のコメディアンと一線を画す存在として認知されるようになりました。
ミューチュアル社では更に進化した…んですけどね。確かにチャーリーはよりブラッシュアップされたのだけど、チャップリン自身にとっては苦悩の日々を過ごすことになります。
やりたいことと観客が求めることのギャップ
チャップリンはエドナ・パーヴァイアンスと共にロマンスを盛り込んだ映画をもっと作りたいと考えていました。アメリカ式のスラップスティック・コメディからの脱却を目論んでいたのです。
しかし、観客はキーストン社のようなドタバタ劇を見たがっていました。チャップリンは、ミューチュアル社での1・2作目はキーストン社時代を彷彿とさせるコメディを作ります。エッサネイ社で確かな手応えを感じていたであろうロマンスを排除し、観客に迎合した作品です。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=kbk6tqbJmY4
『チャップリンの消防夫』より。別件で頭を抱えるチャーリー。隣の大男は被害者です。
ファンからの手紙で奮起するも…
キーストン調の作品『チャップリンの消防夫』を観て、チャップリンの悩みを感じ取ったファンから一通の手紙が届きました。
「あなたはあなたの観客の奴隷になりつつあるのではと恐れています。そうではなくて、ほとんどの作品で、観客があなたの奴隷だったのです。チャーリー、観客はあなたの奴隷になるのが好きなんですよ」
『チャップリンの消防夫』はチャップリンが観客の期待に答えようとしてもがいた形跡が見られる作品です。物語はドタバタ劇ですが、終盤をロマンスにしようとしています。
火災が発生した豪邸に取り残された女性を救うためにチャーリーが外壁を登り、彼女を助けてめでたく結ばれる…スラップスティック・コメディの体制を取りつつロマンスを導入すると、付け焼き刃のような弱いロマンスになってしまうということがよくわかる作品です。
「おもいっきりやって欲しい」と訴えかけたこの手紙を読んでチャップリンは奮起し、傑作『チャップリンの放浪者』を作り上げます。しかし、観客の反応は良くありませんでした。
この時期、チャップリンは俳優として活動していた兄シドニーにある手紙を出しています。
「いっしょに監督をしてほしい。すぐに返事がほしい」
かの天才チャールズ・チャップリンがかなり弱っていたことを物語る手紙です。
兄シドニー・チャップリン。『犬の生活』で至極のパントマイムを披露するコメディアンであり、チャップリンのマネージャーも務めていた人物です。
吹っ切れる?
その後のチャップリンは『放浪者』のようなロマンスものをあまり撮らなくなりました。ミューチュアル社時代の傑作『スケート』はスラップスティック・コメディを追究した作品だし、『移民』は一応ロマンスものではあるけれど、その設定自体はさほど重要ではありません。
しかし『犬の生活』への習作と見れば違和感は少なく、特に『スケート』『移民』『冒険』なくして『犬の生活』はあり得なかったと言えます。それぞれがチャーリーの特徴を反映させた作品で、最後の仕上げとも考えられるのです。
ミューチュアル社時代の必見映画
①チャップリンの放浪者
ミューチュアル社での3作目にして初めてロマンスを題材にした作品です。流しのバイオリン弾きであるチャーリーが虐待を受けるジプシーの女性を救い、恋をする。でも彼女は偶然であった絵描きに恋をして、チャーリーに振り向いてくれない。
やがて彼女の母親と絵描きが彼女を迎えに来て…というお話。エッサネイ社時代の『チャップリンの失恋』によく似ていますよね。
『失恋』は観客に驚きを持って迎え入れられたわけですけど、『放浪者』には「またかよ、もういいよ。ドタバタ劇を見せてくれ」というリアクションでした。天才の気まぐれな飛び道具だと思われていたのでしょう。
しかし『失恋』よりもクオリティははるかに高く、全盛期の作品と見比べても見劣りしない、チャップリンの進化を感じられる傑作です。
②午前一時
もともと舞台芸人だったチャップリンの至極のパントマイム芸を堪能できる作品です。夜遅く、酔っ払って帰宅した男がベッドに辿り着くまでをパントマイムで演じており、同じようなギャグが何度も繰り返されます。「笑いは繰り返しだ」という原点に立ち返った、かなり癖のある作品ではありますが、面白いです。
③チャップリンのスケート
チャーリーの特徴の一つ、上流階級批判がフューチャーされ、キャラクター像が完成形に近づいた作品です。上層級を振り回し続けるチャーリーの姿は笑わずに見られません。スケートリンクでのドタバタ劇は『犬の生活』以前の作品の中で最もスピーディーで、アクション性を持っています。
⑤チャップリンの冒険
ミューチュアル社での最後の作品。チャーリーが「女性へのやらしさ」を放棄した作品でもあります。NGフィルムではこれまでどおりのやらしいチャーリーが登場するのですが、完成版ではそれらを一切カットしています。
そして模倣俳優の頂点に立つビリー・ウェストがチャーリーを模倣できた最後の作品です。チャップリンは雨後の筍のように大量に発生した模倣俳優の存在に悩まされていました。訴訟を起こして撃退できたのはごく一部で、ビリー・ウェストなどはしぶとく生き残っていたのです。
ビリー・ウェストは最もクオリティの高い模倣芸を行っていた俳優で、チャーリーを完全にコピーし映画に出演していた男です。チャップリンとの違いは顔の輪郭だけ!
出典:https://www.pinterest.com/pin/232357661994663281/
この画像を見ていただければ、クオリティの高さが分かるでしょう。これチャーリーじゃん!
しかし、彼が模倣できたのは『冒険』までのチャーリーだけ。次作『犬の生活』以降のチャーリーはビリー・ウェストにすら模倣できない領域に達したのか、ウェストはチャーリーの模倣を廃業し、別のキャラクターで俳優を続けることになりました。つまり、チャーリーのキャラクター像は『犬の生活』で完成したということです。
チャップリンは「ミューチュアル社で映画を作っていた頃が一番幸せな時代だったかもしれない」と回想しています。現実とのギャップに苦しみながら生み出した作品群はキーストン社、エッサネイ社時代のものよりも遥かに面白くなり、全盛期映画の基礎となるのでした。
3記事かけてチャップリンのデビューから『犬の生活』直前までの演技の変遷、チャーリーのキャラクターがどのように固まっていったのかを辿ってきました。紹介した映画を全部見れば、チャーリーがどのように変化していったのかがわかるようになっています。時間がある時、笑いたいときにぜひ。
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