2016年に庵野秀明監督の手によって現代によみがえり、興収82.5億円を記録。同年公開の『君の名は。』とともに、2016年の日本映画界の顔として、多くの観客を巻き込み話題となった『シン・ゴジラ』。
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その内容についてはすでに様々な切り口で語られているが、今回は1954年の初代『ゴジラ』を現代に甦らせた“ゴジラ再興の作品”として『シン・ゴジラ』を考察していきたい。
※以下、映画『シン・ゴジラ』『ゴジラ』のネタバレを含みます。
1954年の『ゴジラ』とは
まず、1954年に公開された『ゴジラ』について、当時の時代背景を踏まえて振り返ってみる。
核とゴジラ
『ゴジラ』が公開されたのは、終戦から9年後の1954年。戦後の復興に活気づく一方、ビキニ諸島での水爆実験、第五福竜丸の被曝など、核にまつわる事故・事件も相次いでおり、依然として、核兵器がすぐそこにある恐怖として、人々に暗い影を落としていた時代だった。
そこに登場したのがゴジラである。当時のポスターで「水爆大怪獣映画」と打ち出されている通り、原水爆実験が生んだモンスターが初めてスクリーンに現れた。
観客動員数は961万人を記録。1954年公開の東宝映画としては、黒澤明監督の『七人の侍』、三船敏郎主演の『宮本武蔵』に次ぐ興行収入を叩き出した。ヒットの要因のひとつに、核の恐怖を具現化した存在に対する“怖いもの見たさ”があったことは間違いないだろう。
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『ゴジラ』には、戦争が色濃く反映されている。ゴジラ抹殺のために壮絶な最期を遂げた芹沢博士は右目に眼帯をつけているが、これは戦争によって受けた戦傷である。登場人物の造形に現在進行形のリアルな戦後が刻まれる、そんな時代。
東京の街に突如現れ、熱線を吐き、街を火の海と化すゴジラの脅威に、東京大空襲の恐怖を重ねた観客も多かったのではないだろうか。
どんな銃器も効かないゴジラは、「太平洋戦争で亡くなった人々の怨念の集合体である」という解釈も飛び出したほどだ。
初代ゴジラの進行ルートは、東京大空襲時に飛来したB-29爆撃機の進行ルートと重なることで知られる。
水爆実験によって生まれたゴジラが核の象徴だとすれば、もし東京に原爆が落ちていたら…というifを描いた映画が『ゴジラ』であったともとらえられる。ゴジラは戦争の恐怖体験を生々しく蘇らせる存在でもあったわけだ。
オキシジェン・デストロイヤーとは
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