もうすぐ大晦日。1年が経つのは早いなあとしみじみ感じる日がやって来る。
映画で描かれる大晦日は、それが洋画ならば、日本の風習と違って賑やかなお祭り騒ぎ。しかし、1人で新年を迎えたくなくてモンモンとしていたり、心機一転しようともがいていたり。そういう気持ちは私たちと同じだったりする。
そこで今回は、大晦日や年の変わり目に起きた出来事を描いた大晦日映画を、邦画・洋画合わせて10本ご紹介しよう。
『200本のたばこ』(1998)
ギリギリの大晦日
1981年大晦日のニューヨークで、新年に向けてパートナーを求める若者たちのエピソードを交錯させながら描く群像劇。
お祭り気分で華やぐニューヨークの街で、新年の朝まで一緒に過ごしてくれる相手を探してウロウロする若者たち。年越しは家族と一緒に静かに過ごすのが慣例の日本とはずいぶん趣が違うが、日本ではクリスマス・イブがそんな感じかなと思えば納得できよう。せっかくの年越しパーティに、1人じゃ行けない。
今観るとクリスティーナ・リッチのぷっくりした魅力が懐かしく、フられて落ち込む男性に200本のタバコをプレゼントするコートニー・ラヴが、姐さん風でカッコイイ。禁煙時代には作れない映画だよなあ。恋というものは、落ちたがっているから落ちるのだ。みんなではしゃいで厄落とし。
『ため息つかせて』(1995)
大晦日にスタート
仕事の成功と理想の男性に出会うという夢を実現するため、主人公は大晦日に親友の住むフェニックスに引っ越してきたが、その日親友は夫から離婚を言い渡されていた。
彼女が引っ越し先で新しく仲良くなったのは、恋愛問題を抱えた3人の女性たち。たとえば、密かにヨリを戻そうと思っていた元夫がゲイだったとか、何故かイケメンに騙され続けてしまうとか、そういう類の悩みである。ああ、男って……いつの世も女性の悩みは似たり寄ったりで、尽きることがない。
男に何とかしてもらおうと思っているから、振り回されてしまうのだ。それに気づいた彼女たちは、傷づくことを恐れず、自分の足で人生を歩む道を選ぶ。さて、最後につくのはどんなため息? 人気歌手ホイットニー・ヒューストンが主演し、主題歌も担当。
『パリの大晦日』(2016)
独りぼっちの大晦日
仕事がキャンセルになって時間ができた主人公が、彼女に会おうとするがなかなか会えず、ドイツ、フランス、スペインを旅して追いかけていく。
実際にその国を訪れ、そこで出会った人々と交流しながら、俳優ではない人たちを起用して撮影したという。なるほど、だからドキュメンタリーのような臨場感があるのだろう。人種の壁を超えたコミュニケーション。何とかしようという粘り強い気持ちさえあれば、価値観の違いは大きな問題ではないのかも。
会えないことでますます彼女への想いが募る一方、旅先で出会った女性と深い仲になったりする彼は一体……時々バックに流れるタップのリズムが、タップダンサーである彼の心情を表しているかのよう。会えそうで会えない二人。人の気持ちなんてわからない。
『フォー・ルームス』(1995)
悪夢の大晦日
199X年大晦日、ロサンゼルスのあるホテルで、引退するベルボーイを引き継ぐ新米のベルボーイは、次々とやって来る個性的な宿泊客を相手に振り回される。
監督クエンティン・タランティーノが、3人の監督に声をかけて製作された4つのオムニバス物語。主人公であるベルボーイがそれぞれのストーリーにからみ、初仕事で張り切っているところへ思わぬ目に遭わされるコメディである。ティム・ロスがテンション高めに演じ、恐怖で汗だくになる姿が可笑しくも痛々しい。
中でも、高額のチップに目がくらんだ彼がベビーシッターをする第3話の悲惨な展開ときたら! 熱い存在感のラテン男アントニオ・バンデラスが、何をしでかすかわからない眼力でベルボーイを威圧。アッと驚くブツを前に何なんだこれは!という気まずい空気が漂うシーンがサイコーだ。テンポとノリのよさが快感。
『歓喜の歌』(2007)
大晦日にハラハラ
文化会館で働く主人公は、似た名前の女性コーラスグループを聞き違え、大晦日のコンサートホールをダブルブッキングしていたことに直前で気づく。
立川志の輔の落語が原作。確かに、落語らしい「勘違い」と「呑気さ」である。事なかれ主義で楽天的な主人公が、どうにもならない状況だとやっと気づいた時はすでに手遅れ。両者の板挟みになって頭を抱える。どちらにも納得できる事情があり、一歩も譲らないし譲れない。八方ふさがりとはこのことだ。
小林薫のオチャメな調子の良さが炸裂。由紀さおりv.s.安田成美でストーリーは進行し、落としどころは想定内だが、これを落語で聴いていたら、印象もまた違っていたであろう。メンバーの境遇や成り立ちが正反対のグループだが、合唱に対する思いは同じだ。みんなで一緒に歌って迎える新年もいいね。