『Borderless』から伝わる祈り〜傑作量産国イランから新たな傑作の誕生〜

映画館に頻繁に出没する横分けメガネゴリラ

YMG

ジャーナリスト保護委員会が2012年に発表した検閲国家ワースト10位のリストの4位にランクされているイランから、また新たな傑作が日本に届きました。

昨年度の第27回東京国際映画祭において、【アジアの未来部門】の作品賞を受賞したイラン映画『ボーダレス ぼくの船の国境線(原題:Borderless)』が、10月17日より一般公開されます。

どうして検閲国家からそんな優れた作品が生み出されるのか?疑問に思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

簡単にではありますがその理由を解説し、『ボーダレス ぼくの船の国境線/ゼロ地帯の子どもたち』がいかに優れた作品であるかを紹介したいと思います。

イラン映画界に立ちはだかる検閲

イラン映画界を苦しめている検閲制度の内容は、とても曖昧です。国家が主観的かつ独断で判断するけがらわしい作品は、一切作ることが許されていません。

イラン映画界はイスラム革命以降の約30年間、恋愛、社会、宗教に直接的に触れる作品を避けてきました。子どもを主役とするイラン映画が多いのにはそういった背景があるのです。

検閲を越えた傑作たち

しかし優れたイランの映画監督たちは、表現の豊かさを駆使することで検閲制度を越えてきました。

日本でも知名度の高いアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」では、一見すると終始ほのぼのとした物語が進行します。

友だちのうちはどこ

 

しかし監督は、表面的にはわからないようにイスラム革命以降、ジグザグに揺れ動く社会を物語に象徴させ、風刺をそこに宿しています。

そういったイラン映画は枚挙に遑がありませんが、近年ここ日本でも話題になったアスガー・ファルハディ監督の『別離』も同様です。

 

家庭内に国家や人々を象徴させ、現在のイランが抱える問題、ひいては世界中の人々にとって他人ごとではない感情を直接的な表現に頼ることなく描いています。

総じてイランの国内から発信される作品は、真に描きたい事柄、描くべき事柄を具体的に描かず、抽象化させることで検閲を潜り抜けているのです。

この抽象化という表現は、驚異的な幅と無限大の奥行きを持っています。

抽象化された表現は、断定化、具象化されていない為に、国籍、文化、言語などの違いを超越してそれぞれの感情の中で実感として宿るのです。

日本のように説明する・説明される・オチを教えてくれるのが当たり前になっている文化とは対極的で、鑑賞者の想像力があって初めて作品として完成するのがイラン映画の特徴といえます。

『Borderless』に込められた祈り

これから紹介する「Borderless」もそんな検閲制度を越えてきた作品の一つです。

 

上記した表現は、いわばイラン映画界では伝統化されており、受け継がれて多くの新進の監督の技量の中で発揮されています。

その一方で本作は、上記した二作品とは異なり、風刺や警鐘、アンチテーゼなどがメインテーマではありません。

本作のアミールフセイン・アスガリ監督が描いていることは、ストレートに「平和への祈り」であり、伝統的表現を世界中の人々へ直に伝える為に用いています。

 

台詞を超越するサイレント表現

本作において言語(台詞)は、コミュニケーションとしての実用性(説明)が完全に削ぎ落とされています。それはもはや、抑揚強弱のある音でしかありません。

監督の前作である短編でも同様の意図が見受けられます。
「Maybe Another Time」アミールフセイン・アスガリ監督(2012/15分)

 

そこで発せられる音(言葉)の意味が例えわからなくても、変化する表情や仕草をみていれば、そこで何が起き、何が変化し、どういう感情が生まれているかは、感じ取ることができるのです。

監督は意図的に台詞(の実用性)を排除し、限りなくサイレント映画のように撮っていることがこのことから理解できます。

ヒッチコックが言うようにサイレント映画は、「ただ自然音がなかっただけであって、映画としてはほとんど完璧な形式に達していた※」のです。つまり本作は映画として文句無しの美しさを築いています。

同時に、この表現は直接的な表現を用いない伝統的なイラン映画の特徴であり、そしてこの映画作りに対する姿勢はまさしく「Borderless」ではないでしょうか。

文化や言語、そして国境を超越して世界中の人々が心で理解することができる映画を作ろうとしていることが、サイレント映画(非言語)にしていることから伝わってきます。

※【引用】「定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー(著)山田宏一 (翻訳) 蓮實重彦より

少年のあまりにも過酷な日々

幕が上がって早々、主人公の少年は川の中を素潜りし、住処である座礁した船まで泳いで辿り着きます。

少年の姿が川の中へ入ったところでアバンタイトルが始まりますが、アバンタイトルでは少年の姿が省略され、また、多くのことが象徴的に描かれているのです。

省略は信頼の証

彼の目線で濁った川の中を移動していることが映し出され、それは数分間続きますが、実際に彼が泳いでいる姿が映し出されることは一度もありません。それでも、少年がそうしている姿は容易に想像することができます。

省略が多用される本作において、例え映されなくても鑑賞者の想像力は、それを余すことなく想像し、補うことができるはずです。

この省略する意図は、少年について想像してほしいという想いと、監督の他者や社会や世界の想像力を信じる想いの具現化なのではないでしょうか。

象徴的に描かれる少年の人生

アバンタイトルの濁った水は、一寸先さえ見えない少年の不透明な日々を象徴し、数分間潜って泳ぐという行為は、少年の過酷で苦しい日々を物語っています。

そして、それらを逞しく平然とやってのける少年の姿に、たった一人で乗り越えてきたこれまでの人生が浮き彫りになってくるのです。

省略や象徴、メタファーなどの抽象化された表現で、言葉よりも遥かに雄弁に少年が、これまでどうやって生き伸びてきたのかを豊かに描いています。

『国境のない』世界への祈り

「Borderless」というタイトルを直訳すると「国境がない」や「境目がない」という日本語になります。物語はそこへ目指して力強く進むのです。

予告編からもわかるように、国籍が異なり言語の通じない子どもたちが銃を向けて威嚇し合い、狭い船内にロープを張って線引きを設け、それぞれの領域を築きます。

船内での子ども同士の状況は、敵意を向け合う世界の縮図です。そして子どもたちが争う姿は、言わずもがなですが戦争のメタファーになっています。

このことは本作における最も痛ましい表現ですが、これは虚構ではありません。今この瞬間に世界のどこかで起きている事実に他なりません。

また「名もなき少年」という設定は、世界中の名前さえ読んでもらえない子どもたちの姿と重なり、監督の祈りが浮き彫りとなっています。これほど悲しいことはありません。

本作には、上記した悲しみと絶望がその根底にある一方で、「他者の心を想像する」ことが希望として描かれています。それは、言語や人種や育ちの違いを超越できるものとして真に胸に突き刺さります。

アスガリ監督はそれを願い、祈っているのだと思わずにいられません。

映画は作り手(他者)の想いの結晶

先にも述べましたが本作のような伝統的なイラン映画は、観客の歩み寄る姿勢があって初めて作り手の描こうとしたことが具象化され、作品として完成します。

それはまさしく少年の存在に等しく、他者の歩み寄りがなければ永遠に孤独な存在です。

非言語で語りかけてくる本作の、言語を超越した想いに、是非とも心を傾けてみてください。きっと一生ものの、まるでトラウマのように強い想いが残る筈です。

そして、もし何かが響いたなら是非ともアミールフセイン・アスガリ監督に直接感想を届けてみて下さい!

 

※2022年5月30日時点のVOD配信情報です。

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  • Tinscow
    3.7
    主人公の少年と、侵入者の少女、そしておじさん兵士はそれぞれペルシャ語、アラビア語、英語を話すため、言葉によるコミュニケーションができない。 そのためかセリフも極力少なくされているが、動きだけでストーリーやキャラクターの心情を読み取ることができる。 そしてもう一人重要なキャラクター、少女が連れてきた赤ちゃんによって、互いの緊張関係が緩和される。 守るべき小さな命=未来に、国とか関係ない証を感じた。 ラスト、画として残酷な描写ではないものの、なんとも後味の悪い終わり方だし、心に刺さる。 銃声こそあるものの、血が流れない映画でここまで戦争の悲惨さと無意味さを伝えられた作品はすごい。
  • omochichi
    3.7
    ことばが通じないから分かり合える事もあるんじゃないかな。 この子達の暮らしはわたしの想像とはかけ離れすぎているけれど、現実の中に必死に生きているんだと思うと、遠い場所から想像をしてならない。
  • Yukiko
    4.3
    2022年8月14日 『ボーダレス ぼくの船の国境線』  2015年イラン制作 監督、アミールフセイン・アシュガリ。 イランとイラクの国境沿い。立ち入り禁止区域の川。 そこに放置された一艘の朽ちた船。 その船で一人で暮らす少年。 魚を釣り、それを干して、また貝殻でアクセサリーを作り、 それらを自転車で欲しい物と交換しに行く。 その船に少年兵がやって来る。 言葉が通じず二人は対立していたが、少年兵が赤ん坊を連れ、 震えている姿を見かけ、少年は協力するようになっていく。 後に、アメリカ兵もこの船にやって来る。 ペルシャ語とアラビア語と英語で、3人は言葉が通じない。 唯一、共通する思いは赤ん坊に対しての気持ち。 大きなアメリカ兵が、小さな赤ん坊を抱いてあやすと、 赤ん坊は安らかに眠りにつく。 台詞は少ないし、登場人物も少ない。 主に3人。赤ん坊を入れて4人。 他は、少年が作った物を売りに行くお店の人達。 そして、川沿いをパトロールする兵隊達が登場人物だ。 それぞれの所属する背景が何もなければ、人間同士、 対立する事もなく、信じあい、分かり合えるのかしらね? 所属する背景に縛られて、所属する以外の人を「敵」と 見なしているだけのこと? 大きな体格のアメリカ兵がベッドに座り、自分の家族の 写真を眺めながら悩む姿は、大きな意味を持つようだ。 何しろ、監督はイラン生まれ。 アメリカ兵をこの映画で悪く描くのではなく、アメリカ兵 も同じ人間だ、戦いについて悩むのだ、国には家族が いるんだよ、子供好きだと描いている。 もし、互いに言葉が通じたら、諍いは起こらなかったの だろうか。 互いを早く理解する事ができたか?? それにしても、この少年、一人でしっかりと賢く生きている 事に驚く。
  • ハレルヤ
    4
    イランとイラクの国境付近。廃船となった船の中で暮らす少年。紛争の火種が燻る場所で人種や言語が異なる人々の交流を描いたドラマ。 イラン映画からまた心に残る秀作に出会えた気がします。登場人物は主人公の少年と敵国の武装した少女。そして戦場に嫌気が差した米軍兵士の3人だけ。そして舞台はほぼその廃船のみ。 冒頭からの20分間は少年の日常を描いた形で台詞も音楽も一切無し。なのにグイグイ引き込まれましたね。住処の廃船で黙々と魚を釣り、それを売って生活費にする。家族も友人もおらず、たった一人だけ。彼のそれまでの経緯については何も語られないので、そこは想像で補完するしかない。 そんなある日銃を持った敵国の少女が船に侵入してくる。一触即発の状況になるも、赤子の兄弟を抱えている少女の様子から緊張が緩和して奇妙な共同生活になる。 更に船へやってきた米軍兵士との遭遇で、またも緊迫した事態に。しかし彼の戦闘の意思はない姿勢から、3人は少しの間落ち着きを取り戻し、戦争の無意味さが感じられる場面になります。 戦闘シーンは無く、時折響く銃声と爆発音だけでその場の異常性は感じ取れます。この物語がどう終わりを迎えるのか、なかなか読めませんでしたが、そうきたかと思わせるもの。何とも言えない余韻が残りました。 淡々とした作風ながら見る人に残す印象は大きいものだと思います。面白い面白くないという形で語るべきではなく、完成度の高い映画として見るべき価値は間違いなくあるでしょう。
  • ピッツァメン
    3.6
    地球の言語が共通の1つのみだったら良いのにね
ボーダレス ぼくの船の国境線/ゼロ地帯の子どもたち
のレビュー(695件)