名作映画には、必ずといっていいほど素晴らしいセリフがある。本記事では、人生の指針となるような名セリフが登場する映画を4本紹介する。どのセリフも印象的かつ効果的に使われており、映画のテーマを凝縮させたような、そのセリフだけでどんな映画か一発でわかるような素晴らしいセリフになっている。なぜこれらのセリフが素晴らしいのか、ということも含めてご紹介。
※以下、一部ネタバレを含みます。
「生きるってのはな、痛いんだよ」園子温『冷たい熱帯魚』(2010)
園子温の映画には、他の映画にはない言葉の強度がある。劇中で役者に詩を朗読させることも多く、たとえば『ヒミズ』では、フランソワ・ヴィヨンの詩、『恋の罪』では田村隆一の詩、『愛のむきだし』では聖書の一編が、それぞれ非常に印象的に使われていた。詩人という出自のせいなのか、言葉に対するこだわりが尋常ではない。
そんな園子温によるエログロバイオレンスエンタメムービーが『冷たい熱帯魚』。彼のフィルモグラフィーのなかでも圧倒的にぶっ飛んだ作品であり、あまりのグロテスクさと怒涛の展開に、観る者をはっきり選ぶ作品でもある。
映画は、1993年に起こった埼玉愛犬家連続殺人事件をベースとしている。主人公は、熱帯魚店を営んでいる社本信行(吹越満)。ある日彼は、人当たりがよく面倒見の良い同業者の村田幸雄(でんでん)と知り合い、親しく付き合うようになる。しかし村田は、凶悪な連続殺人犯だった。そのことに気付いた時にはすでに遅く、取り返しの付かない状況に陥っていく。
ややネタバレだが、このセリフは、ラストシーンで社本が娘の美津子(梶原ひかり)に向けて二度放つ言葉。一度目は叫ぶように、二度目は優しく諭すように。
「生きるってのはな、痛いんだよ」
よくあるセリフ、と言われればそんな気もしないでもないが、胃もたれしそうなほどの痛すぎるシーンをさんざん見せつけられた後だからこそ、このセリフは観る者の記憶に強く残る。重いものを重ねまくったからこそ、最後にポンと放たれるセリフがはっきりとした輪郭を持つわけだ。このあたりに、元は詩人であった園子温の冴えた技術が見える。
あまりの迫力につい見失ってしまいそうになるが、そもそもこの映画は、家庭内不和に端を発していた。主人公の社本は妻と死別し、新しい妻(神楽坂恵)とは倦怠期。娘とも折り合い悪く、3人はまるで仮面家族のようだ。強烈すぎるキャラクターの村田に至っても、幼い頃に父親から虐待を受けていたことが示唆され、終盤ではそのトラウマが表出する。『冷たい熱帯魚』は、ほぼすべての人物が家族とのコミュニケーションに問題を抱えている映画でもあるのだ。
本当は家族とわかり合いたい、でも分かり合えない。距離の取り方がわからない。園子温は、そんな人々のやるせない思いをデフォルメし、暴力というアクションに託したのかもしれない。そしてそうしたテーマがぎゅっと集約されたのがこのセリフなのだ。
人は、相手と近付けば近付くほど互いに刺し合い、傷付け合うことになる。しかしたとえそうだとしても、冷たい熱帯魚=死んだ魚(熱帯魚は冷たい水では生きられない)のように生きるよりマシなのではないか?
生きることは痛い。だが、痛みとは、生きる意志がある者だけが受け取ることのできる感覚なのだ。
「海の向こうから来たお米……大豆……そんなもんでできとるんじゃなあ、うちは」片渕須直『この世界の片隅に』(2016)
『この世界の片隅に』は、『マイマイ新子と千年の魔法』などで知られる片渕須直によるアニメーション映画。太平洋戦争下の日常を描いた本作は2016年11月に公開されると、公開規模を徐々に拡大し、ミニシアター系の映画では異例の大ヒット。世界60以上の国と地域で上映され、日本ではこの8月に1,000日連続上映を超えるなど、超ロングランを記録している。
舞台は広島の呉。江波で生まれた絵が得意な少女・すず(のん:能年玲奈)は、18歳で嫁ぎ、一家の主婦となった。あらゆるものが欠乏する日々のなか、毎日の食卓を作り出すために工夫を凝らしていく。しかし戦争は進み、日本海軍の拠点であった呉は何度も空襲に襲われ、すずは大事なものを奪われてゆく。そうして昭和20年(1945年)の夏がやってくる。
すずは、非常におっとりした性格として設定されている。そんな彼女が唯一感情を爆発させたシーンが、玉音放送を聞いた直後。敗戦を知り、敵の暴力に屈することに対して抑えられないほどの憤りを覚え、「そんなん覚悟の上じゃないんかね! 最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!」と叫ぶ。こんんなところで終わるのならば、みんな何のために死んでいったのかと。
だがその直後、山間の民家に掲げられる朝鮮国旗を見て、こう呟く。
「海の向こうから来たお米……大豆……そんなもんでできとるんじゃなあ、うちは」
すずは、風にはためく朝鮮国旗を見て、自分たちもまた同じように他国を暴力で従えていたことに気付いたのだ。当時の呉には、植民地である朝鮮の労働者が多数住んでいた。彼らは、日本が敗戦を受け入れたことで解放されたのだった。
自分たちは被害者なだけでなく、加害者でもあった。これまで信じていた前提が大きく崩れるような価値観の大転換だ。だからこそすずは慟哭し、「ああ、何も考えれん。ぼうっとしたままのうちのまま死にたかったなあ」と深く悲しむ。
ちなみにこのセリフは原作にはない。原作では「暴力で従えとったいう事か」と、よりストレートなものになっている。そこを片渕須直は、台所を司るすずらしいセリフに変更したわけだ。絶妙としか言いようがない。
このセリフとシーンだけで、映画が内包するテーマの射程距離がわかる。本作がただの反戦映画ではなく、長く語り継がれる名作たるゆえんである。
「指輪を運ぶことはできないけど、あなたを運ぶことはできます!」ピーター・ジャクソン『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003)
叙事詩的ファンタジー冒険映画「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズの最終章。
闇の冥王サウロンが世界を滅ぼす魔力を封じた指輪を葬るために、長い旅に出たホビット族のフロド(イライジャ・ウッド)とその仲間たち。その旅のクライマックス、滅びの山にて、力尽きそうになるフロドに対してサム(ショーン・アスティン)が放った言葉。
この物語の主人公はフロド、あるいは人間の王であるアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)であり、サムはフロドに仕える庭師に過ぎない。彼には特別な能力があるわけではない。いわば普通の人、ただの脇役なわけだ。しかしこのシリーズの最終章において、彼は主人公よりも重要な役割をいくつもこなし、もっとも活躍するキャラクターの一人となる。
「指輪を運ぶことはできないけど、あなたを運ぶことはできます!」
指輪を運ぶのはフロドの使命。ではサムの使命は何か? それはフロドを運ぶこと。
非常にシンプルだが、このセリフは、自分の役割を見極め、それを全力でやり抜くことで誰もが主人公になり得るのだと教えてくれる。
重要なのは、自分が置かれた状況と自分にできることを正確に理解し、それに向けて建設的に思考・行動すること。本作は、小さい子供でも楽しめるエンタメとしての顔を持ちながら、「では、あなたにとっての使命は何なのか?」と問うてくる。
3シリーズ合計上映時間558分(エクステンデッド版は683分)とかなり長いが、観る価値あり。長期休暇の際にイッキ見するのがおすすめ。
「ママ、人を殺してしまった」ブライアン・シンガー『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)
最後に、ちょっと変化球で、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で劇中歌として使われる「Bohemian Rhapsody」の歌詞を。
この曲は劇中で何度か流れるが、注目したいのは、クライマックスに配置されたライブ・エイドのシーン。この時、歌詞が字幕で表示されるのは、単に観客に歌を楽しんでもらいたいからだろうか? そうかもしれないが、この歌詞を登場人物のセリフと解釈してみてはどうだろうか。
冒頭で示される通り、フレディ(ラミ・マレック)一家、つまりバルサラ家は(彼らはザンジバルからの移民であり、フレディの本名はファルーク・バルサラという)厳格なゾロアスター教徒であった。フレディの父の態度に顕著だが、ロックミュージシャンになることやゲイであることは、彼らにとってはほとんど罪に近いことだ。そもそも当時のイギリスは同性愛をようやく合法化したばかりであり、世間から受け入れられているとは言いがたかった。たとえばフレディが記者会見するシーンで、記者たちはフレディを糾弾するかのように彼のセクシャリティについて質問しているが、あれは人殺しに対する態度に近いだろう。
そのような背景を考えると、「Bohemian Rhapsody」の歌い出し「ママ、人を殺してしまった」は、非常に深い意味を持った言葉のように聞こえてくる。ゲイであることは罪であった。それは当時のイギリスにおいて、あるいはバルサラ家にとって、人を殺すことと同じくらい重い罪であった。そのことをフレディは理解していた。
歌はこう続く。
「ママ、悲しませるつもりはなかったんだ」
つまり彼は、本当の自分でいたいだけだった。それなのにーーという悲痛な思いが、このセリフ(歌詞)からは読み取れる。
そして、このライブシーンの直前に挟まれる家族との再会と、ライブ中に幾度となくカットバックされる、自宅のテレビでライブを見ている家族の表情。これらの映像を通して、この一家が本当に和解したことが示唆されるわけだ。だからこそ映画を観ている我々は感動する。
そうであれば、「Bohemian Rhapsody」の歌詞を字幕で表示させることは、明らかにこの映画の主題と密接に関わっている。歌詞をまるで登場人物の心のセリフのように見せることで骨太のドラマが完成した、ひとつの好例である。
(c) 2010 NIKKATSU(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会(C)2018 Twentieth Century Fox