「凶暴な純愛」
そんな鮮烈なキャッチコピーを従えて94年に日本公開されたアクション映画、『レオン 完全版』。ジャン・レノ演じる孤独な殺し屋と、ナタリー・ポートマン演じる12歳の少女の物語は多くの観客の心を捉え、今なお高い人気を誇る一作となっている。
しかしこの『レオン 完全版』、現在のバージョンはかなり甘口で調理されているが、元々ははかなり倫理的に激ヤバな映画だったのだ。という訳で今回は、『レオン 完全版』についてネタバレ解説していこう。
※なお本作は94年に公開されたオリジナル版と、22分間の未公開シーンを加えた完全版があるが、明らかにリュック・ベッソンの意図を反映した作品は完全版だと思われるため、本稿では完全版について扱います。(記事内では以下、『レオン』と記載。)
映画『レオン』あらすじ
ニューヨークのアパートに住む12歳の少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)は、悪徳麻薬捜査官のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)の手によって、家族を惨殺されてしまう。難を逃れたマチルダは、隣の部屋に住むイタリア系の男レオンに助けを求める。
レオンが一流の殺し屋であることを知ったマチルダは、家族の復讐のために人の殺し方を教えて欲しいと頼みこみ、初めは断るレオンだったが、彼女に説得されて渋々了承する。
奇妙な共同生活の中で、やがて二人は友情とも恋愛ともつかない複雑な感情を抱くようになっていく……。
※以下、映画『レオン』のネタバレを含みます。
製作費稼ぎのため、たった2日でシナリオが書かれた『レオン』
今でこそ映画監督リュック・ベッソンの代表作と知られる『レオン』だが、元々は製作される予定のない映画だったことをご存知だろうか?
90年代初頭、『サブウェイ』(84年)や『グラン・ブルー/オリジナル・バージョン』(88年)といった先鋭的な作品を世に送り出してきた俊英リュック・ベッソンは、フランス映画界に新しい波をもたらす「恐るべき子供たち」の一人と目されていた。
イケイケ状態のベッソンは、彼が16歳の時にストーリーを思いついたという念願の企画『フィフス・エレメント』の製作に乗り出す……とまでは良かったのだが、題材がSF超大作すぎて資金面の折り合いがつかず、製作が頓挫してしまう(後に映画は97年に公開)。
諦めきれないリュック・ベッソンは低コストで別の映画を一本作り、その興行収入を製作費の足しにしようと一計を案じる。実は彼にはある秘策があった。
政府直属の女性暗殺者を描いた前作『ニキータ』(90)に、長いウール・コート、サングラス、ニット帽に身を包んだ“掃除屋”なる殺し屋が登場するが(演じているのはジャン・レノ)、ベッソンは「彼を主人公に一本映画が撮れる!」と確信していたのだ。
リュック・ベッソンはわずか2日間で脚本を完成させ、それが『レオン』の第一稿となった。『レオン』は、『ニキータ』の精神的続編といっていいだろう。
彼にとって本作はハリウッド初監督作品となり、予想をはるかに上回るヒットを記録する。
さらに言えば、実はリュック・ベッソンは『レオン』続編の脚本にも着手していた。フランスの映画監督オリヴィエ・メガトンが監督し、ナタリー・ポートマンがマチルダを再び演じる予定だったという。
しかしベッソンがフランスの大手映画製作会社ゴーモンを去り、自身のスタジオ「ヨーロッパ・コープ」を立ち上げたため、ゴーモン側が別会社で『レオン』は作れないと権利を主張。結局この企画は流れてしまう。
そのアイデアを元にして、リュック・ベッソンが製作・脚本、オリヴィエ・メガトンが監督、ゾーイ・サルダナが主演した作品が『コロンビアーナ』(11年)。直接的な関連性はないが、『ニキータ』、『レオン』、『コロンビアーナ』は実質的な三部作なのである。
元の脚本は倫理的に「アウト」な真性ロリコン映画
マチルダは、レオンに対してこんな風に愛を告白する。
「あなたに恋をしたみたい。初めての経験よ」
「初めてでどうして分かる」
「感じるの。(お腹を押さえて)ここが温かいの」
また、彼に初体験を迫るシーンではこんなセリフを言う。
女の子の初体験は大切なの。その後の性生活に影響が。姉が持っていた本で読んだの。私の友達は初体験を大切にしない。好きでもない男の子と平気で……。ただの背伸びよ。初めてタバコを吸うのと同じ。
幸せな初体験をしたいわ
どー考えても12歳の少女のセリフではない!!!!!!!!!
この二人が一線を越えることはないが、明らかにこの映画には、「年端もいかない少女が、中年男性を精神的に虜にしてしまう」というロリコン映画のフォーマットが備わっている。
ロリコン映画といってもなかなか一般ピーポーには馴染みが薄いが、スタンリー・キューブリックの『ロリータ』(62年)をはじめ、『シベールの日曜日』(62年)、『プリティ・ベイビー』(78年)など、特にヨーロッパ映画では数多くロリコン映画が作られてきた歴史がある。
おそらくフランス人のリュック・ベッソンも、映画少年だった頃にロリコン映画の洗礼を受けていたに違いない。何せ元の脚本では、マチルダとレオンは肉体的に恋人関係になるというシーンが描かれていたくらいなのだ! ナタリー・ポートマンの両親からの圧力が原因で、このシーンは削除されることになるが、もう倫理的に完全「アウト」である。
そしてこの作品は、彼の映画の中の記憶だけではなく、実人生の記憶も引き写している。
映画の冒頭に金髪の売春婦が登場するが、演じる女優のマイウェン・ル・ベスコはリュック・ベッソンの元恋人。彼女の証言によれば、11歳のときにベッソンに出会い、15歳のときに32歳の彼と肉体関係を結んだという疑惑があるのだ(93年には彼との間に一女をもうけている)。
『レオン』のストーリーは、彼自身のロマンティックな記憶(ただしかなりロリコン成分多め)によって産み出されたものなのである。
20世紀末に現れた最強ロリータ、ナタリー・ポートマン
タバコを吸い、自ら初体験を懇願し、「私が欲しいのは愛か死かよ」というセリフをことも無げに吐くマチルダは、精神的には完全にオトナ。その一方でミルクを飲み、観葉植物だけが友達で、ロクに読み書きもできないレオンは、精神的に完全にコドモ。つまり『レオン』は、精神と肉体が完全に逆転している男と女のラブストーリーなのである。
このようなラブストーリーが成立したのも、ナタリー・ポートマンという稀代の美少女の存在があったからこそ。イスラエル人の血を半分受け継ぐエスニックな美しさは、かつてのブルック・シールズをもはるかに凌駕!ブルック・シールズは「カラダは子供でココロは大人」という微妙なバランスを体現してみせたが、ポートマンはさらに「母性」という飛び道具さえ備えてしまった。
今でこそ『ブラック・スワン』(10年)でアカデミー主演女優賞を獲得した大女優だが、わずか13歳の頃のデビュー作がこの『レオン』。2,000人にも及ぶ候補者を押しのけて、マチルダ役をゲットした(候補の中には、クリスティーナ・リッチやリヴ・タイラーもいた)。
最初は年齢が若すぎるため、キャスティング・ディレクターから断りの連絡が入ったのだが、それでもオーディションでマチルダが弟の死を嘆く芝居があまりにも圧倒的だったため、リュック・ベッソンが彼女を抜擢したという逸話もアリ。
まさにナタリー・ポートマンは、20世紀末に現れた最強ロリータだったのだ!
しかし今現在、ポートマンは『レオン』について「今見るとあの作品はとても不適切だと思う」と語り、「自分の子供にどう見せたらいいか分からない」とも答えている。
現代の視点で見ると、『レオン』は褒められない部分がたくさんありすぎると言うことらしい(そりゃそうだろう)。ひょっとするとロリコン映画の歴史は、『レオン』で終焉を迎えたのかもしれない。
『レオン』は映画史にその名を刻むスタンダード・フィルム
この物語が切ないのは、“殺し”という宿命を背負った男と少女の未来に光が差し込まないことを、観る者が本能的に察知してしまうからだろう。彼等の逃避行が悲劇的な結末で終わらない訳がない。つかの間の幸せを噛み締めるレオンとマチルダのシーンすら、もはやハッピー・サッドの極致。そしてリュック・ベッソンは容赦なく、観客の想像通りに物語を進めていくのだ。
この映画のキャッチコピー「凶暴な純愛」というのは、まさに言いえて妙だ。リュック・ベッソンは純粋すぎるが故に生きることが不器用な人間たちを、温かな視点で包み込む。しかし映画の温度は高い。ヒリヒリすような、皮膚を切り刻まれるような感覚。そして、それを丁寧にすくいあげるエリック・セラの美しくも哀しい旋律……。
ゼロ年代以降は、才能が枯渇しきったかのように駄作ばかりリースしているリュック・ベッソン監督だが、間違いなくこの作品は映画史にその名を刻むスタンダード・フィルムであると断言しよう!