【ネタバレ解説】映画『ANORA アノーラ』ラストシーンの意味や大胆な二部構成を徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

第77回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞。第97回アカデミー賞では、作品賞を含む最多5部門で受賞した映画『ANORA アノーラ』。ストリップダンサー・アノーラの人生を描く超話題作『ANORA アノーラ』をネタバレ解説していきます。

第77回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞。第97回アカデミー賞では、作品賞を含む最多5部門で受賞。ストリップダンサーのアノーラが全力で人生を駆け抜ける映画『ANORA アノーラ』が、2月28日より全国で劇場公開中だ。

監督は、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(2017年)や『レッド・ロケット』(2021年)など、社会の周縁に生きる人々を独自の視点で描いてきたショーン・ベイカー。主演は、この作品の演技が評価されてアカデミー主演女優賞に輝いたマイキー・マディソン。今回は、超話題作『ANORA アノーラ』についてネタバレ解説していきましょう。

映画『ANORA アノーラ』(2024)あらすじ

NYでストリップダンサーをしながら暮らす“アニー”ことアノーラは、職場のクラブでロシア人の御曹司、イヴァンと出会う。彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5千ドルで“契約彼女”になったアニー。パーティーにショッピング、贅沢三昧の日々を過ごした二人は休暇の締めくくりにラスベガスの教会で衝動的に結婚! 幸せ絶頂の二人だったが、息子が娼婦と結婚したと噂を聞いたロシアの両親は猛反対。結婚を阻止すべく、屈強な男たちを息子の邸宅へと送り込む。ほどなくして、イヴァンの両親がロシアから到着。空から舞い降りてきた厳しい現実を前に、アニーの物語の第二章が幕を開ける 。(公式サイトより抜粋)

※以下、映画『ANORA アノーラ』のネタバレを含みます。

アンチ・ロマンティック・コメディ、アンチ・シンデレラ・ストーリー

第97回アカデミー賞授賞式で、ショーン・ベイカーは作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞を受賞。ひとつの作品で4つのオスカーを獲得するという、史上初の快挙を成し遂げた。10年前には全編iPhone撮影の『タンジェリン』(2015年)を作っていたインディペンデント・フィルムメーカーが、ハリウッドの頂点に上り詰めたのである。

ニュージャージーで育ち、ニューヨーク大学で映画を学んだショーン・ベイカーは、もともと『ロボコップ』(1987年)や『ダイ・ハード』(1988年)のような映画の制作を夢見ていたという。だが実際には、監督デビュー作となった『Four Letter Words』(2000年)を皮切りに、社会の周縁に位置する人々を描いた作品を撮り続けてきた。本人もこのようなコメントを残している。

「今までに8本の長編を作りましたが、そのうちの7本は、社会から疎外されたサブカルチャーやコミュニティに焦点を当てています。アメリカン・ドリームを追い求めながらも、それを簡単に手に入れることができない人々を描いています。非正規移民であったり、不当な汚名を着せられるような生活やライフスタイルを送っていたりする。そのため、アメリカンドリームを実際に追求するためには、他の方法を見つけなければならないのです」
(NPRによるショーン・ベイカーへのインタビューより抜粋)

彼氏の浮気を知って激昂したトランスジェンダーの娼婦が、ロサンゼルスを駆けずり回る『タンジェリン』。娘を養うために、母親がモーテルで売春業をする『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』。落ちぶれたポルノ俳優が、故郷に舞い戻って大騒動を巻き起こす『レッド・ロケット』。直近の3作品は、セックスワーカーを主人公にしたコメディ映画だった。ストリップダンサーのアノーラが、大富豪のボンクラ御曹司イヴァンと出会い、1週間1万5000ドルの“専属契約”から結婚へと突き進む『ANORA アノーラ』もまた、この系譜に連なる作品といえる。

物語の構造としては、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが出演した『プリティ・ウーマン』(1990年)とよく似ている。やり手実業家エドワードが売春婦のヴィヴィアンと出会い、6日間3000ドルで契約し、やがて真実の愛を掴んでいくロマンティック・コメディ。だが『ANORA アノーラ』はもっと破壊的で、もっとビターな手触りの映画だ。

そもそも映画の後半は、強制的に離婚に同意させられるまでのストーリーなのだから、ロマコメになりようがない。アノーラは、ショーン・ベイカーが語るところの「アメリカン・ドリームを追い求めながらも、それを簡単に手に入れることができない人々」なのだ。

だからこそこの映画は、玉の輿的シンデレラ・ストーリーすらも破壊する。“社会的強者の男性によって救われる、社会的弱者の女性”という旧態依然とした価値観を破壊する。『ANORA アノーラ』は、腐った世の中を力強くサバイヴする女性の物語。

極上のロマンティック・コメディ、極上のシンデレラ・ストーリー、極上のフェアリー・テール(お伽話)を製造し続けてきた夢工場のハリウッドが、アンチ・ロマンティック・コメディ、アンチ・シンデレラ・ストーリー、アンチ・フェアリー・テールの本作をアカデミー作品賞に選んだことは、歴史的な価値がある。

余談だが、アカデミー作品賞のプレゼンターとして壇上に上がったのは、バリバリのロマンティック・コメディ『恋人たちの予感』(1989年)で主演を務めたビリー・クリスタルとメグ・ライアンだった。歴史の転換という意味で、非常に暗示的といえる。

色のない世界と、カラフルな世界

アノーラがイヴァンと出会い、ラスベガスで結婚するまでの第一部。イヴァンの両親がロシアからやってきて、離婚に同意させられるまでの第二部。『ANORA アノーラ』は、明確な二部構成の映画だ。このような構造は、ショーン・ベイカー作品にしては珍しい。

しかも本作は、ニューヨークのブルックリンからラスベガス(東部から西部)までを大移動する。これまでのショーン・ベイカー作品では舞台はほぼ一箇所で、しかも気候の暖かい西海岸や南部がロケ地だった。『タンジェリン』の舞台はロサンゼルス。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は、そのタイトル通りフロリダ(ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの近くという設定)。そして『レッド・ロケット』はテキサス。アメリカの東と西を往復するという構造もまた、これまでのショーン・ベイカー作品にはなかったものだ。

さらにもうひとつこの映画の特色として挙げられるのが、強烈な色彩感覚。これまで彼の映画は、陽光が燦々と輝く、柔らかな暖色系のトーンに包まれていた。だが本作の舞台は、冬のニューヨーク。これまでとは真逆の、寒色系のトーンで統一されている。

「この映画は虹色のパレットに傾倒した私の前作のようにはならないとわかっていた。この映画にはふさわしくないと思ったんだ。曇り空、灰色の空になることはわかっていた」
(Rough Draftによるショーン・ベイカーへのインタビューより抜粋)

色を失ったようなブルックリンは、アノーラが佇む世界そのものを表している。ショーン・ベイカーが語る「社会から疎外されたサブカルチャーやコミュニティ」を色彩として表現している。それでも彼女は必死に、色のある世界…カラフルな世界へとジャンプしようと試みる。アノーラが働くストリップ劇場、毎夜のようにパーティが繰り広げらるイヴァンの大邸宅では、ヴィヴィッドな光が空間を隅々まで照らしている。その中心となるのは、燃えるようなレッドだ。

「私たちは赤と青に傾倒し始めた。(中略)プロダクション・デザイナーのスティーブン・フェルプスには、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(1963年)やペドロ・アルモドバルのようなスペイン映画など、あちこちに原色を取り入れた作品を参考にしてもらった。つまり、この映画のすべてのフレームに、枕だとか、彼女のスカーフだとか、髪に、少なくとも1回は赤が使われている。いつもそこにあるんだ」
(Rough Draftによるショーン・ベイカーへのインタビューより抜粋)

過酷な現実=色のない世界と、かりそめのアメリカン・ドリーム=カラフルな世界との対比。この映画は、主人公が冬枯れのニューヨークとゴージャスなラスベガスを行き来する物語であり、色のない世界からカラフルな世界へと飛翔しようとする物語なのだ。

社会的強者から搾取されるのではなく、社会的強者から搾取する

『ANORA アノーラ』のラストシーンは、非常に意味深だ。

傷心のアノーラを自宅まで車で送り届けたイゴール(ユーリー・ボリソフ)は、密かに隠し持っていた結婚指輪を返す。すると何を思ったか、アノーラは突然イゴールとセックスを始める。だがイゴールがキスしようとすると感情的になって彼を叩きだし、泣き崩れる。そんな彼女を優しく抱きしめるイゴール。終幕……あり余るほどの余韻。さまざまな解釈ができるエンディングだ。彼女はなぜ、イゴールとセックスしたのか? キスされそうになると抵抗したのか? そして最後に涙を見せたのか?

おそらくアノーラは、ストリップダンサー/セックスワーカーの仕事に負い目を感じていない。支配/非支配の資本主義社会のなかで、彼女は社会的強者から搾取されるのではなく、社会的強者から搾取する立場であろうとする。イヴァンから一週間だけ恋人になってほしいとオファーされたときも、具体的な金額を示すことで、対等な関係を維持しようとしていた。それが、アメリカという地でサバイヴするための処世術なのである。

やがて彼女はイヴァンから思いがけないプロポーズを受け、玉の輿婚を果たす。これは筆者の想像だが、彼女は本気でイヴァンのことを愛してはいなかったのでないか。かといって、「All I Need is Money!」とばかりに、お金だけに執着したのでもない。

それは、「ひょっとしたら、世間知らずなこの若者をいつか愛せるかもしれない」という、ほのかな可能性を感じていたからではないだろうか。莫大な富を得た彼女は、搾取する立場を必死に守り続ける必要もなくなった。人生の荒波を生き抜いていくために着ていた鎧を、やっとの思いで外したことだろう。

しかし、大富豪であるイヴァンの両親がロシアからやってきて、強制的に離婚を認めさせられてしまう。社会的強者から搾取する立場であろうとし続けていたにも関わらず、社会的強者の圧倒的権力の前に屈してしまう。信じようとしてた愛の可能性が潰えたと同時に、再び大きな鎧を身に纏う羽目に陥ってしまった。そんな精神的状態のなか、指輪を取り戻してくれたイゴールの優しさに触れたのだ。

アノーラがイゴールとセックスを始めたのは、彼に好意を寄せていたからではないだろう(彼女は彼をレイピストと呼んで非難さえしていた)。ストリップダンサーでありセックスワーカーでもある彼女にとって、イゴールに感謝を伝える手段が性的サービスだったというだけだ。

だがイゴールはそれを“愛”と捉え、キスしようとする。慌てたアノーラは必死に抵抗する。彼女は数時間前に信じようとしていた“愛”に裏切られたばかりで、彼の想いをすんなりと受け入れられるはずがない。しかもそれは、彼女が支配的立場にいることを圧迫する行為でもある。

ショーン・ベイカーとアノーラ役のマイキー・マディソンは、ラストシーンの意味についてほとんど言及していない。観客自身がその意味について考えることを望んでいるからだ。ショーン・ベイカーが、IndieWireのインタビューで発言した下記のコメントは、その数少ない手がかりといえる。

「(ラストシーンは)様々な解釈ができるようにデザインされているんだ。彼女は彼に何かを与えるのではなく、この旅を通して完全に失った力を取り戻そうとしている。私たちはさまざまなテーマを試しているんだけど、そのひとつがconsent(同意)で、あの瞬間に彼が彼女にキスをしようとしたとき、それは彼女にとって一線を越えたことになる。“いえ、この瞬間は私がコントロールしているから!”って感じなんだ」
(IndieWireによるショーン・ベイカーへのインタビューより抜粋)

ほとんどの映画では、物語の幕引きとして音楽が流される。だが『ANORA アノーラ』のエンドクレジットでは、延々と無音が続く。アノーラの人生はこれからも続いてくからこそ、音楽で幕引きをはかる必要がないのだ。これからの彼女にハッピーエンドが待ち受けているのか、それともアンチ・ハッピーエンドが待ち受けているのか。

それを決めるのは、我々観客自身である。

 

※2025年3月5日時点の情報です。

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