2017年に公開された「スター・ウォーズ」シリーズ最大の異色作、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』。「シリーズ最高傑作!」という絶賛の声が上がる一方で、「スター・ウォーズの正史とは認めない!」という批判キャンペーンに10万名もの署名が集まるなど、識者・ファンの意見は真っ二つに分かれた。
なぜこの作品は、賛否両論が入り乱れる結果となったのか? という訳で今回は、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』についてネタバレ解説していこう。
なおこの稿ではシリーズ作品を下記で呼称します。
■旧三部作
『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(77)
『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(80)
『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(83)
■新三部作
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(99)
『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(02)
『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(05)
■続三部作
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15)
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(17)
『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』(19)
映画『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』あらすじ
最高指導者スノークが率いるファースト・オーダーはその勢力をさらに拡大させ、レジスタンスは劣勢に立たされていた。一方レイは、オク=トーに隠居していた“伝説のジェダイ”ルーク・スカイウォーカーに修行を頼み込む。一度は断ったルークだったが、レイに底知れぬフォースの力を感じ取り、訓練を施すことを約束する。
しかし訓練の道半ば、カイロ・レンを暗黒面から救い出すために、レイは単身メガ・スター・デストロイヤーに向かうのだった。
※以下、映画スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のネタバレを含みます
旧三部作を踏襲した、特異な制作体制
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』について論じる前に、続三部作の製作経緯をおさらいしておこう。
全ては、2012年にディズニーがルーカスフィルムを40億5000万ドル(約3200億円)で買収したことに始まる。ルーカスフィルムは1971年にジョージ・ルーカスが設立した製作会社で、この買収はディズニー主導で「スター・ウォーズ」の続編が作られることを意味していた。
続いて、エピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』はJ・J・エイブラムス、エピソード8『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』はライアン・ジョンソン、エピソード9『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』はコリン・トレボロウ、と次代を担う実力派監督たちが、それぞれのエピソードを担当することが発表される(最終的にコリン・トレボロウは監督を降板し、エピソード9の演出はJ・J・エイブラムスが務めることになる)。
実は旧三部作も、同じような体制で撮影されていた。エピソード4『スター・ウォーズ/新たなる希望』は、創始者であるジョージ・ルーカスが監督を努めたものの、もともとコミュケーション下手で演技指導が苦手なルーカスは「もう演出はコリゴリ!」と、監督業から撤退。
エピソード5『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』はアーヴィン・カーシュナー、エピソード6『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』はリチャード・マーカンドに演出を任せ、自らは脚本と製作に専念したのである。
『エイリアン』や『ミッション:インポッシブル』のような一話完結型の作品ならまだしも、シリーズ物の「スター・ウォーズ」でこの方法が成立し得たのは、ジョージ・ルーカスという絶対的な統治者が存在したから。あらゆるクリエイティブは、ルーカスのコントロール下にあったのである。
しかしルーカスフィルムがディズニーに買収された時点で、ジョージ・ルーカスはクリエイティブ・コントロール権も剥奪されてしまう。ルーカスはディズニー側に新3部作のアイデアを提示したものの、すげなく却下されたという屈辱も味わっている。
ルーカスは「ファンの好みに左右されず、新しく革新的な作品を作るべき」と主張したが、ディズニー側はあくまで旧三部作を踏襲した「ファンが喜ぶ“スター・ウォーズ”」を求めたのだ。かくして続三部作は創造主の手を離れ、絶対的統治者不在となる。
映画の全権を与えられたライアン・ジョンソン
ルーカスフィルム社長のキャスリーン・ケネディは続三部作製作にあたって、各エピソードの監督が前作の監督からきちんとバトンを受け取ることができるように、大まかなストーリーの共有とディスカッションの徹底を求めた。各々のエピソードで監督が好き勝手に作ってしまったら、ストーリーが破綻してしまうからだ。
実際、エピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』監督のJ・J・エイブラムスは、続く『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』、『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』までの脚本草案を手がけていたという。この草案が続三部作のロードプランとなるはずだった。
さらに『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の脚本は、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を手がけたローレンス・カスダンの手に委ねられた。「スター・ウォーズ」を知り尽くした名脚本家によるシナリオ、J・J・エイブラムスによる緻密なロードプラン。
しかし、ライアン・ジョンソンはローレンス・カスダンの脚本を採用せず、エイブラムスの草稿には目もくれなかった。彼は自らのオリジナル脚本で、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を作り上げてしまう。
『LOOPER/ルーパー』(12)や『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』(19)など、これまで斬新な切り口で意欲作を発表してきたライアン・ジョンソン。そのクリエイティビティーを高く評価していたキャスリーン・ケネディは、彼に映画の全権を与えるという大きな決断を下す。
ライアン・ジョンソンは、撮影にスティーヴ・イェドリン、編集にボブ・ダクセイと、過去に彼と仕事を共にしてきた「ジョンソン組」のメンバーを招集。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は、シリーズ物としては異色なほどにライアン・ジョンソンの作家性が色濃く反映される作品となった。結果的にこのことが、賛否両論が入り乱れる要因となるのだが。
ライアン・ジョンソンが追求した「革新と挑戦」
続三部作の一作目となる『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』は、いい意味でも悪い意味でも、旧三部作のスピリットを受け継いだ懐古的作品だった。ディズニーが求めた「ファンが喜ぶ“スター・ウォーズ”」を満たす要素に溢れていた。
おそらく、それは正しい選択だったろう。映画史に燦然と輝くこのシリーズを復活させるにあたって最も重要なのは、「成功させること」よりも「失敗しないこと」なのだから。
しかし二作目となる『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』でも懐古趣味に走ってしまうと、単なる旧三部作の焼き直しになってしまう。求められたのは、より革新的で挑戦的な作品だった。旧三部作の二作目『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』がそうであったように。
しかし、ライアン・ジョンソンが追求した「革新と挑戦」は、ファナティックなオールドファンからは「スター・ウォーズ」の否定でしかなかった。あまりにも旧世代キャラクターを軽視した描き方に見えたからだ。
例えばレジスタンスのリーダーであるレイアは、ファースト・オーダー擁する強力な艦隊から逃げ回るが、打つ手打つ手が空回りして、無能指揮官ぶりが眼に余る。宇宙遊泳シーンはほとんどスーパーサイヤ人の域で、失笑を買うばかり。最古参キャラの一人アクバー提督もあっさり死亡してしまい、感傷に浸る暇もなし。
そして、シリーズ最大のレジェンドであるはずのルーク。旧三部作で成し遂げた栄光はすっかり影を潜め、隠遁生活を送っている。カイロ・レンことベン・ソロが暗黒面に引き摺り込まれることを察知し、自らの手で殺そうとしたという衝撃の告白は、およそヒーローとは思えない行動ぶりだ。
クライマックスでそのカイロ・レンと大立ち回りを演じるが、実はコレが遠隔操作の分身(霊体)で、この大技で力を使い果たしたルークはコロリと死んでしまう。ルークを演じたマーク・ハミルは、脚本を読んだ時にライアン・ジョンソンに対して、
I pretty much fundamentally disagree with every choice you’ve made for this character.
このキャラクター(ルーク・スカイウォーカー)に対して行ったすべての選択に、基本的にほとんど同意できない
と語ったと言われているが、これは彼の偽らざる想いだったろう。(彼はのちに公表すべきでなかったと謝罪しているが。)
過去の「スター・ウォーズ」との決別
思えば、「スター・ウォーズ」は血脈の物語だった。スカイウォーカー家の血を引いた者だけが、特別な力を駆使して銀河に安定と平和を与えられるのだから。
しかしライアン・ジョンソンは、その血脈の物語にも終止符を打とうとした。ラストシーンで、名もない一人の少年がフォースを操ったのは、「誰にでも特別な力を持つことはできるし、誰にでもその可能性がある」というメッセージに他ならない。
ライアン・ジョンソンは、意図的に過去の「スター・ウォーズ」との決別をはかったのだ。象徴的なのは、カイロ・レンはがスノークを倒した後に吐くこんなセリフだ。
古いものは滅びる時だ
これはまさにライアン・ジョンソン自身の意思表明と言えるだろう。燃え盛るジェダイの聖典を眺めながら、ヨーダがルークに語りかけるセリフも忘れがたい。
お前はカビ臭い本の山など忘れてしまえ。
(中略)
ルーク、わしらは越えられるためにある。それこそが全てのマスターの責務だ
「カビ臭い本」を過去の「スター・ウォーズ」と読み替えれば、これもまたライアン・ジョンソンからの強烈なメッセージと受け取れる。彼はかつてポッドキャストの番組で、「ファンに媚びた映画を作るなんて間違っている」と語っているが、それは「ファンの好みに左右されず、新しく革新的な作品を作るべき」と主張したジョージ・ルーカスの信念と完全に合致する。
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を「単なるレトロ映画だ。気に入らない」とコキ下ろしたルーカスは、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』には「美しく仕上がっている」と絶賛したという。旧三部作の枠を越えた作品と感じたからだろう。
思えば「スター・ウォーズ」は、ジョージ・ルーカスという一人のクリエイターによって生み出された偉大なインディーズ映画だった。そのジョージ・ルーカスを失った続三部作は、いわば巨大資本によってつくられた二次創作。そのオリジナリティーに感銘を受けた者が絶賛し、旧三部作の強烈な信者が批判するのは、当然の帰結なのだ。
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