バットマンの宿敵ジョーカーの誕生譚を描いた、2019年最大の話題作『ジョーカー』。R指定作品としては初となる世界興行収入10億ドル(約1080億円)を突破したばかりか、2019年ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞を受賞、アカデミー賞では最多11部門ノミネート(うち主演男優賞、作曲賞の2部門受賞)を果たすなど、興行的にも批評的にも大成功を収めた。
だが『ジョーカー』は単純明快なアメコミ作品にあらず。多義的な読みを可能にする難解映画でもあるのだ。今回はそんな『ジョーカー』についてネタバレ解説していこう。
映画『ジョーカー』あらすじ
舞台は架空の都市ゴッサムシティ。大道芸人として糊口を凌ぐアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、病弱な母親の面倒を見つつ、いつしかマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がホストを務める「マレー・フランクリン・ショー」に出演する日を夢見ている。
しかし彼には、笑いたい訳ではないのに突発的に笑ってしまうという、脳神経の病を患っていた。仲間からは阻害され、仕事もままならない。そんな最中、彼は居合わせた電車の中で、女性にちょっかいを出していた会社員を射殺するという凶行に及んでしまう……。
最狂のヴィランであるジョーカーはどのように誕生したのか? その真実が遂に明かされる。
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アンチ・ウォーク・カルチャー・ムービーとして生まれた『ジョーカー』
今や2019年を代表する映画となった『ジョーカー』。だが、その製作過程は決して順風満帆ではなかった。
そもそも『ジョーカー』は、監督のトッド・フィリップスがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画。トッド・フィリップスといえば、『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』(2009)や、『デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~』(2010)など、お馬鹿コメディで名を上げた人物である。そんな彼の作風に陰湿で暴力的な『ジョーカー』は不釣り合いに思えるが、それには理由があった。
近年、不当な差別や社会の不正義を正そうとするムーヴメント、“ウォーク・カルチャー(woke culture)”が叫ばれている。疑いの余地なく素晴らしい思想ではあるけれども、トッド・フィリップスはそれがコメディ文化を衰退させている、と警鐘を鳴らす。
There were articles written about why comedies don’t work anymore—I’ll tell you why, because all the fucking funny guys are like, ‘Fuck this shit, because I don’t want to offend you.’ It’s hard to argue with 30 million people on Twitter. You just can’t do it, right? So you just go, ‘I’m out.’
「なぜ、もはやコメディは機能しないのか」という記事がありますが、その理由を私が答えましょう。「こんな作品はクソ食らえ!なぜなら俺はお前を攻撃するつもりはないからだ」というような、多くの変わった野郎どもがいるからです。Twitterで3,000万人と口論するなんて馬鹿げてます。そんなことできませんよね?だから、私はコメディ映画から撤退するしかないのです。
(VANITY FAIRのインタビューより)
「多くの変わった野郎ども(all the fucking funny guys)」とは、ウォーク・カルチャー信奉者を指しているのだろう。続けてトッド・フィリップスは語る。
With all my comedies—I think that what comedies in general all have in common—is they’re irreverent. So I go, ‘How do I do something irreverent, but fuck comedy? Oh I know, let’s take the comic book movie universe and turn it on its head with this.’ And so that’s really where that came from.
私のすべてのコメディ作品では…あらゆるコメディに共通していることだと思いますが…「不敬」が描かれています。敬意を欠いた作品を撮りたいけど、それだと「こんなコメディはクソ食らえ!」になってしまうんですよね?そうか、わかった。じゃあ、コミック映画を作って、それをひっくり返せばいい、と。こうして『ジョーカー』は生まれたんです。
(VANITY FAIRのインタビューより)
世間が「正義」だと妄信しているものをひっくり返し、嘲笑してやれ! それにピッタリなヴィラン、ジョーカーがいるじゃないか! トッド・フィリップスは、鼻息荒く『ジョーカー』の企画をワーナー・ブラザースに持ち込む。
血と暴力にまみれたDCコミックス映画
しかしワーナーは完全に及び腰だった。血と暴力にまみれたこの企画は、どう考えてもR指定。DCコミックス映画のメインターゲットはティーンエイジャーだからして、大きな集客は見込めないし、おもちゃなどの関連商品が売れない可能性もある。「GO」を出すにはあまりにリスクが大きい企画だったのだ。それでもトッド・フィリップスはなんとかワーナーを説得し、スコット・シルヴァーと共同で脚本を執筆。およそ一年をかけて、シナリオが練り上げれられた。
ワーナー・ブラザーズが望んだのは、主演のジョーカー役をレオナルド・ディカプリオ、マレー・フランクリン役をロバート・デ・ニーロ、監督をマーティン・スコセッシが務めることだった。『アイリッシュマン』(2019)の撮影を終えたばかりのデ・ニーロはプロジェクトに参加したが、ディカプリオは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)の撮影で参加できず、スコセッシも前向きに検討したものの最終的に辞退。結局、企画を持ち込んだトッド・フィリップス自身が監督を務めることになる。
そしてトッド・フィリップスがジョーカー役として強硬に推したのが、ハリウッド屈指の怪優ホアキン・フェニックスだった。フェイク・ドキュメンタリー映画『容疑者、ホアキン・フェニックス』(2010)では、俳優を引退して突然ヒップホップ・アーティストになると宣言し、周囲を困惑させる“芝居”を行ったことでも有名な、「超」がつく変人。ホアキン・フェニックスはジョーカー役を演じるに当たって、精神科医でさえ彼が何者であるかを識別できないような複雑怪奇なキャラクターにするために、人格障害に関する研究を徹底的にリサーチ。さらに4か月かけて24キロもの減量を敢行した。
ご存知の通り、ホアキン・フェニックスは本作の怪演が認められて、第92回アカデミー賞の最優秀主演俳優賞を受賞。監督賞をトッド・フィリップスとマーティン・スコセッシ、主演男優賞をホアキン・フェニックスとレオナルド・ディカプリオで争ったのは、実は「ジョーカー組」と「幻のジョーカー組」との戦いでもあったのだ。
’70〜’80年代のアメリカ映画を参照したアンチ・アメコミ映画
『ジョーカー』は、DCコミックス最大のヴィランであるジョーカーを描いた映画でありながら、その手触りはアメコミ映画とは全く異なる。実はこの映画、クレジットが終了するまでDCコミックスのロゴが登場しない。それは、『ダークナイト』(2008)、『ウォッチメン』(2009)、『マン・オブ・スティール』(2013)、『ワンダーウーマン』(2017)といった正統派アメコミ映画の文脈とは異なる作品である、というトッド・フィリップスの宣言のように思える。
事実、トッド・フィリップスが参考文献として参照したのは過去のアメコミ映画ではなく、サイレント映画『笑ふ男』(1928)だった。ヴィクトル・ユーゴーの同名小説を映画化した本作は、外科手術によって“永遠の笑い”を刻みつけられた男が、怪奇な風貌から見せ物(フリークス)となり、やがてある女性と恋に落ちる……という物語。メロドラマでありながら、ホラー要素も多分に含んでいる映画だった。
さらにトッド・フィリップスは、’70〜’80年代のアメリカ映画を数多く参照した。『フレンチコネクション』(1971)、『狼よさらば』(1974)、『タクシードライバー』(1976)、『キング・オブ・コメディ』(1982)…。特にロバート・デ・ニーロ演じるコメディアン志望の男が、人気トークショーのホストを誘拐して、代わりにトークショーに出演しようとする『キング・オブ・コメディ』は、ストーリーラインも『ジョーカー』とよく似ている(黒人女性に片思いしてしまう展開も一緒だ)。
架空都市ゴッサムシティが、失業と犯罪が渦巻く’80年代初頭のニューヨークに置き換わったのも必然だった。1970年にニューヨークで生まれた彼にとって、それが最もリアリティのあるやり方だったのだろう。
時代や場所は特定していないが、僕の中では1981年のニューヨークだ。外観や雰囲気がね。荒れて廃墟と化した都会の街だ
(『ジョーカー』特典映像のインタビューより)
オープニングに登場するワーナー・ブラザースのロゴも、1972 年〜1984年の間に使用されていたもの。『ジョーカー』は、クラシック映画『笑ふ男』のエッセンスを、’70〜’80年代アメリカ映画の意匠でコーディングし、テン年代的なセンスでまとめ上げた、実に奇妙な作品なのである。
ジョーカーは純粋なる悪か?社会の犠牲者か?
自分の人生は悲劇だと思っていた。 でも、今わかった。喜劇だってね
劇中で吐くアーサー・フレックのこのセリフは、喜劇王チャップリンの「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉が元ネタになっている。そして、劇中でお偉方がウェイン・ホールで観ている映画が、チャップリンの代表作『モダン・タイムス』(1936)だ。
『モダン・タイムス』の主人公チャーリーは、大きな工場でネジを回し続けるだけの単純作業に疲弊してしまい、発狂して精神病院に送られてしまう。しかし機械文明を皮肉ったこの作品では、個人の尊厳と自由を希求するチャーリーこそがマトモで、機械のように働く人間たちが“異常”であるように描かれる。マジョリティー=正常、マイノリティー=異常という価値観が、マジョリティー=異常、マイノリティー=正常に転倒しているのだ。
『ジョーカー』もまた、最狂のヴィラン誕生譚を描きつつも、「彼は本当に異常者なのか?」、「実は彼を抑圧している社会こそが異常なのではないか?」という問いを放っている…ように思える。そう、あくまで「思える」だけ。監督のトッド・フィリップスは、『モダン・タイムス』のように価値観を押し付けることはせず、アーサーの内面をあえて深く掘り下げないことによって、彼の正体を受け手=観客に委ねる方法を採っている。
Me and Scott and Joaquin, we never talked about what he has — I never wanted to say, ‘He’s a narcissist and this and that,’ ” Phillips said. “I didn’t want Joaquin as an actor to start researching that kind of thing.
私と(共同脚本の)スコットとホアキンは、アーサーが何を抱えているかについて、決して話しませんでした。私は「彼はナルシストで、こうで、ああで…」といちいち説明したくなかったし、ホアキンが俳優としてそのようなことをリサーチして欲しくもなかった。
(Los Angeles Timesのインタビューより)
本作は、ロールシャッハテストのようなものだろう。ある人間にはジョーカーが純粋なる悪に見えるかもしれないし、ある人間には社会の犠牲者に見えるかもしれない。この映画がある人間には悲劇に、ある人間には喜劇に見えるように。そんな映画を、喜劇を作り続けてきたトッド・フィリップスが撮ったということ自体、いろんな意味でヤバイのだが。
“抗議の象徴”として神格化されたジョーカー
最初は企画に及び腰だったワーナー・ブラザーズの予想に反し、映画は大ヒットを記録。R指定作品としては初めて、世界興収10億ドルを突破した。
しかしその後、映画は政治的な意味を帯びることになる。2019年10月17日にレバノンが緊縮措置を発令。首都ベイルートなどで増税に対する大規模な抗議運動が勃発し、一部の抗議者が『ジョーカー』に触発されて白塗りのメイクアップをしたのだ。レバノンだけではなく、チリ、イラク、中国でも“抗議の象徴”としてジョーカーが使用された。そう、現実の社会で最狂のヴィランが蔓延しているのである。
CNNの情報によれば、アメリカのトランプ大統領がこの作品をえらく気に入り、ホワイトハウスで『ジョーカー』の上映会を実施したという。しかし筆者は、いつの日かジョーカーのお面を被った者たちがホワイトハウスを囲むではないか、という妄想が頭をもたげてしまうのだ。
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※2020年4月2日時点の情報です。