【座談会】ドロドロの人間関係は必見!?『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』

映画は三度のメシの次に好き

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先日行われました第73回ゴールデン・グローブ賞では、日本でも大人気またはこれから必ず話題になるであろう作品や俳優などが多数受賞し、大盛り上がりでした。その中でも今回は映画ではなく、ドラマ部門で受賞(ミュージカル/コメディ・シリーズ部門作品賞/主演男優賞)した注目の作品『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』についてご紹介します。

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さらに、Amazon試写室で開催されました同作品のシーズン2試写会&座談会に潜入してきましたので、お伝えさせていただきます!

Amazonプライムのお得な動画サービスって知ってる?

最近HuluやNETFLIXなどの映像配信サービスが日本でも充実しており、自宅でも外出先でもたくさんの映画や海外ドラマを見ることができます。その中でも注目したいのが、2015年9月からサービスを開始したAmazonプライム・ビデオです。

Amazonプライムと言えばもう知っていますよね。プライム会員になれば、Amazonで購入した商品があっという間に届いたり、送料が無料になったり!でもそれだけじゃないんです。プライム対象の映画やドラマなど…たくさんの映像作品を、プライム会員の年会費(3,900円)だけで見放題なんです!!また、Amazon Fire TVシリーズを使えば、簡単な設定だけでテレビの大画面に映して見ることも!また、学生の方には年会費が1900円というお得な「学生向け会員プログラム」もあります。

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映像ラインナップの中で特に注目したいのが、米国でも大人気のAmazonオリジナル作品です。その名の通り、Amazonが独自に制作した作品で、すでに日本でも配信されている『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』『トランスペアレント』『ボッシュ』の他、今後も続々制作・配信予定です。

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どれも映画・海外ドラマファンにはたまらないキャスティングや映画にも引けをとらない迫力、作り込まれたストーリーにハマること間違いナシです!

『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』とは

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ーあらすじー

歴史ある名門のニューヨーク交響楽団は、新たに若き才能豊かな指揮者ロドリゴの就任で、観客からの期待に応えるべく、今まさに変革の時を迎えていた。だが、心から音楽を愛するからこその意見の食い違いやメンバー間のトラブル、資金繰り問題…そこへさらにロドリゴが惚れ込んだ新人オーボエ奏者ヘイリーも加わって楽団存続の危機へと発展していく。

原作はオーボエ奏者ブレア・ティンドールの暴露本で、普段見ることができない楽団の華やかな表の顔とは違った、組織ならではの問題を赤裸々に描いています。製作総指揮ポール・ワイツ(『アバウト・ア・ボーイ』)、ロマン・コッポラ(『ダージリン急行』)やジェイソン・シュワルツマンらが参加。主演は日本でも女性ファンが多い俳優ガエル・ガルシア・ベルナル。若きオーボエ奏者ヘイリーをローラ・カークが熱演しています。

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この作品は1話約30分で、通勤の行き帰りでもサクッと見れてしまう丁度いい仕上がりになっています。だからといって、肝心の中身はしっかり肉厚!濃厚!ついつい自分の身の回りの人に置き換えてしまいそうな豊富なキャラクター設定に笑って泣いて心を奪われます。

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早くもシーズン2開始!座談会も大盛り上がり!

2016年2月12日にはシーズン2が日本にて配信開始されました。この度、Amazonジャパンさんの試写室にてシーズン2の試写会が行われ、鑑賞後にFilmarksにて募集した映画が大好きな5名の方々に、作品の感想や海外ドラマ全般について等、お話聞いてみました!

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参加メンバー

・IT関係で働く20代のIさん

・大学院生のAさん

・大学生で参加者唯一の男性Kさん

・留学経験を持つ大学生のYさん

・ゲーム関連会社で働き、クラシック音楽にも詳しいHさん

海外ドラマについて

ー今日は映画ファンの方々に集まってもらいました。普段見ている映画と違って、海外ドラマはどんな魅力がありましたか?

Aさん:私は、海外ドラマも結構好きで見ています。海外ドラマはシーズンが長く、でも1話ずつある意味決着がついていくから、短編集みたいだなと思って見ています。

Yさん:私も両方見ます。アメリカに留学に行っていたんですが、アメリカ人の学生って結構海外ドラマ見ていて、いつも会話が「あれどうだった?」「続きどう思う?」とか…

ー学校でも話題に?

Yさん:学校でもすごい話題に。やっぱり(海外ドラマを見て)アンテナ張っておかないと思いました。

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作品について

ーちなみに『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』はまだ皆さん見たことがないということですが、試写を見ていかがでしたか?

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Hさん:音楽主体の作品ではなくて、資金繰りがとかパトロンが…組織の話がメインだったので、そこまで突っ込んでやってしまうんだというところが面白かったです。色々なキャラクターが出てきましたけど、ああ!(こんな人)いるいる!という感じで。誰でも共感して楽しくみれるのでは?と。

ーその中でも共感するシーンはありますか?

Aさん:私は特に、身近に音大を目指している人や、ピアニストとして仕事を探している人がいるので、ドラマを見ていて実際こんな苦労があるんだなと思いながら見ていました。

ー気に入ったキャラクターは?

Yさん:自分が男性だったら惹かれるだろうなと思ったのが、チェロを弾いている女性(シンシア)です。すごく男前で綺麗でした!

<一同>ほんと綺麗だよねー!

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所属する組織内で、もし自分が同じ立場になったら…

ーこの交響楽団のように、皆さんも組織に入って苦労したことなどありますか?

Kさん:海外の貧困地区に家を建てに行くというボランティア団体に入っていました。

ーすごい!みなさん国際的!

Kさん:運営メンバーと参加メンバーとの間でモチベーションの差があって。ミーティングを何度も重ねました。何人かに分けたり、1対1とかも。そういう時間が大切で。

ーその話し合いで、うまくいったんですか?

Kさん:絆が深まりましたね。睡眠時間は減りましたけど(笑)

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ー組織でうまくやっていくコツなどありますか?

Iさん:私は職業柄、社内のインナーコミュニケーションも大事にしてて。入社したばかりの時は、何でも顔を出して、相手を知ることから集中的にやりました。

Hさん:私の経験だと、まず隣の人と上手くやっていけるか…そして次はチームで上手くやれるか。それがやっと意見統一できたら、今度は上の人間を巻き込んでまとめられるか。で、なんとか時間をかけて頑張って、会社として一つ意見がまとまりました!方向性こっちにしましょってなったのに、出資者がダメって言ったら、もうダメになっちゃうことがあるじゃないですか!

ーうわっ!あるある!!

Hさん:なので、ドラマを見てて、もう辛かったです(笑)

ーシンクロしたわけですね!

Hさん:シンクロしましたねー!作ろうとなってから頑張ったのに、パトロンの人がお金出しませんって…するともう目標は叶えられないから。こう言う事を乗り越えていくのが社会人かなって思います。

Aさん:すごい(心に)刺さりました(笑)

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ーストーリー上では、組織の中で、新旧の交代劇や長年所属しているメンバーがなかなか新人を受け入れられない様子が描かれています。将来上の立場になってから皆さんの身に起こったら、どう対処しますか?

Aさん:私は普段技術を扱っています。新しい技術を使える人がいたら、どんどん変わっていくべきだと思うし、古くなってしまった人はどんどん退いていくべきだと思います。もし自分が古い立場になったら、快く退いていきたい。でもどうしてもその分野が好きだったら、仕事としてではなく、趣味とか楽しめる立場からそういうのに関わっていければいいなと考えます。

Iさん:私も新人の子を潰そうとは思いません!ぜひ一緒にやっていきたい、そして吸収したい!

Hさん:常に世代間でも同世代でもぶつかることってありますよね。「この人なんでこうしか言わないの?」って。そういう時は、結局自分もその考えに固執している。お互いに自分が正しいと思って凝り固まってぶつかってしまうんだなと。対立しそうな人とは、腹割って話すのが一番早いです。電話でしか話したことがない人であれば、会うことが大事だし。

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映画・海外ドラマ視聴スタイルについて

ーところで、この作品は1話約30分です。通勤・通学にも向いていて、私は移動時間に見れるので重宝しています。また1シーズン10話なので、一気見もできちゃいますね!普段は自宅や移動時間にどのようなデバイスで映画・海外ドラマを見ていますか?

Yさん:パソコンです。

Iさん:apple TVに繋いでテレビで見ています。

Kさん:スマートフォン、プレイステーション、パソコンなど全部使います!

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ーAmazonプライム会員向けの映像配信サービスについては知っていましたか?

Aさん:知りませんでした!プライム会員には入っていますが、配送やオーディブルサービスがメインで…。

Yさん:私は利用していますが、海外ドラマより、映画を主に見ています。

ーちなみに、Amazonオリジナルドラマの存在は?

Hさん:こんな私の大好きな題材なのに、知りませんでした!私はクラシック音楽が好きで、このドラマのモデルとなった(指揮者の)グスターボ・ドゥダメルの大ファンなんです!

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一同:おー!!

Hさん:今日(シーズン2の1話目)にも本人が出ていたので。

一同:えー!どこで?!

Hさん:1話の最初で…○○○のシーンの○○○を付けた…。

ここで座談会も終わりのお時間が…。モデルとなったドゥダメル氏の出演シーンがどこなのか気になりますよね!ぜひ、皆さんの目でお確かめください!

これからがもっとスゴい!『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』

シーズン2ではドゥダメル氏以外にも有名な演奏家がゲスト出演するなど、クラシック音楽ファンにもたまらない作品となっています。すでにシーズン3の製作も決定している世界が期待する海外ドラマ『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』。シーズン1、2とAmazonプライム・ビデオにて配信中です。要チェックですよ!

Amazonプライム・ビデオ

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※2022年8月22日時点のVOD配信情報です。

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    医学生が革命家になる前の成長物語です。 原題も邦題も「モーターサイクル・ダイアリーズ(The Motorcycle Diaries)」です。 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラになる23歳のエルネスト・ゲバラが、29歳のアルベルト・グラナードと共に南米大陸にあるアルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラを旅行したことを書き残した日記のことで、チェ・ゲバラ著「モーターサイクル・ダイアリーズ」を原作にした映画です。 映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」を鑑賞して、もっと良く知りたいという人には、チェ・ゲバラ著「モーターサイクル・ダイアリーズ」を読むことをお勧めします。 チェ・ゲバラ著「モーターサイクル・ダイアリーズ」を読むと、映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」が分かりやすいように演出されていることに気が付くと思います。 エルネスト・ゲバラは、南米縦走旅行「モーターサイクル・ダイアリーズ」の最終地点ベネズエラのカラカスで、アルベルト・グラナードと別れて、米国マイアミまで行き、ブエノスアイレスに戻ります。 アルゼンチンは、フアン・ペロン大統領による、軍事独裁政権下で、スペイン語圏です。 ソビエト連邦は、革命によって誕生していました。 上映時間は、2時間7分で、鑑賞しやすいです。 南米大陸の景色は厳しくも素晴らしく、有名な場所としてはマチュ・ピチュがあり、出来れば映画館で鑑賞するのが良いです。 映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」を鑑賞することで、行くことはないであろう場所が多く出てきて、2人の主人公と南米大陸旅行を楽しめます。 2人の主人公は、23歳の医大生であるエルネスト・ゲバラと29歳の生化学者であるアルベルト・グラナードです。 他の登場人物は、エルネスト・ゲバラの父親、母親、妹、姉、弟、彼女と旅先で出会った人々で、多くの人々が登場します。 男性は、エルネスト・ゲバラに感情移入すると良いです。 女性は、ほとんど登場してこないので、感情移入するのは難しいです。 勉強する意味を見失った高校生には、お勧めです。 勉強して、良い大学に入学すれば、人や社会を助ける能力を身に着けることができるからです。 普通の大学に入学して、卒業しても、人生を浪費するだけで、人生を終えることになります。 人生を見つめ直したい人々にも、お勧めです。 外国に行くかどうかで迷っている人々にも、お勧めです。 外国に行くことで、確かにリスクはありますが、テレビや本でしか知らない外国への見識は広がります。 可能なら一人旅をお勧めします。 行きたいところに行けますし、準備等も行うことになりますし、他の日本人を頼ることはできないので、必然的に現地の人との交流が生まれます。 私は、一人で何回も海外へ業務で出かけています。 現地の言葉も話せない政治家が外務省の役人等に準備させて、現地の人々と交流せずに、日本人同士で話して、何も成し遂げることなく、飲食して、歌って、踊って、観光して、ゴルフをして、日本にいるのと変わらず、報告書を書くことすらできず、税金で豪勢な海外視察に行くことには意味はないので、反対です。 映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、ロードムービーです。 ロードムービーがつまらなく思えるのは、平凡な日常生活を描いているからです。 ロードムービーが楽しく思えるのは、成長物語だからです。 映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」は、2人の主人公が「旅立ち」、「成し遂げて」、「帰還する」するという成長物語です。 自分の人生は、平凡な日常生活を過ごしてきただけだと感じている人は、ロードムービーもつまらなく感じると思います。 自分の人生の中で成長したと思える人は、ロードムービーに共感し、楽しむことができると思います。 ロードムービーというのは、自分の人生を映す鏡のような映画だと思います。 若い人は、まだ人生が短いので、ロードムービーに共感し、楽しむのは難しいと思います。 若い人は、人生の先が長いので、ロードムービーに憧れることができれば、楽しいと感じることができると思います。 私は、海外業務を通して、日本では得ることのできない経験によって成長できたと感じているので、楽しむことができました。 若い人が、少子高齢化の進み、縮小する日本にしがみつくというのは、賢明ではないでしょう。 若い人が、学校、職場で落ちこぼれ、国内に居場所はないと感じているのなら外国に居場所を探すのは現実的な手段です。 南米大陸は、ブラジル以外のアルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラではスペイン語が通じます。 2人の主人公は、アルゼンチン、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラと外国旅行をしながら現地の人々と自由に会話ができます。 2人の主人公は、富裕層に属していますが、お金を持たずに行き当たりばったりで外国旅行することで現地の人々と交流しています。 2人の主人公は、医学生や生化学者なので、外国旅行することで現地の人々と交流しています。 外国旅行をするだけでなく、現地の人々とどのように交流するかが重要です。 2人の主人公は、富裕な暮らしをして、立派な仕事についている人々とも交流しました。 2人の主人公は、貧しい暮らしをして、苦しい仕事にしか就けない人々とも交流しました。 2人の主人公は、富裕な暮らしをして立派な仕事についている人々と貧しい暮らしをして苦しい仕事にしか就けない人々が別々に生活して、隔離されている現実に気が付き、人々が幸せに暮らして生きるという理想を見出し、現実と理想には解決しなければならないギャップがあることに気が付くように成長しました。 2人の主人公は、ハンセン病患者が社会から隔離されている現実に気が付き、ハンセン病患者が隔離されることなく幸せに暮らして生きるという理想を見出し、現実と理想には解決しなければならないギャップがあることに気が付くように成長しました。 2人の主人公は、医療を行うことでこのギャップを解決するようになります。 エルネスト・ゲバラは、少数の資本家が金で警察組織等を動かして、多数の労働者を搾取しても、多数の労働者を団結して、少数の資本家に戦いを挑まないことを知ります。 エルネスト・ゲバラは、天文学、数学、それに脳外科手術に長けていたインカ文明が、スペイン人の武力によって、壊滅させられたことを知ります。 エルネスト・ゲバラは、武器なしで革命を行うことは不可能だという考えに至ります。 武器を持ち革命を行うことで理想の社会を作ろうとするキューバ革命の英雄チェ・ゲバラになるということです。 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラについて知りたい人は、映画「チェ 28歳の革命」と映画「チェ 39歳 別れの手紙」を鑑賞することをお勧めします。 日本人の革命家の中では、チェ・ゲバラは西郷隆盛に似ているような気がします。 エルネスト・ゲバラは、国籍などと言う無意味なものによって、いくつもの国に分かれてしまっていますが、南米大陸に住む者は1つの混血民族なのです、だから、偏狭な地方主義は捨てるべきだとという考えにも至ります。 自分は、海外出張をすることで仕事を通じて現地の人々と英語で交流をしてきたことで、外国への見識を得ました。 年表です。 1917年2月23日~2月27日、ロシア帝国で2月革命が起きて、初めての臨時民主政権が誕生し、ソビエトとの二重権力体制になりました。 1917年10月12日、ロシア帝国で10月革命が起きて、初めての臨時民主政権を武力で打倒しました。 1917年~1922年、ロシア内戦が起こりました。 1922年12月30日、ソビエト連邦が発足しました。 1922年8月8日、アルベルト・グラナードは、アルゼンチンのコルドバ州エルナンドで、アルゼンチンの鉄道会社に聖職者として雇用されていたスペイン人の父ディオニシオ・T・グラナードと母アデリーナ・ヒメネス・ロメーロの息子として生まれました。 1928年6月14日、エルネスト・ゲバラは、アルゼンチンの第二の大都市であるロサリオで、裕福な家庭に3男2女の長男としてに生まれました。 1941年3月、エルネスト・ゲバラは、13歳で、コルドバの中学・高校の一貫教育の学校に入学しました。 1943年、アルベルト・グラナードは、フアン・ペロン将軍への政治的抗議活動に関わり、1年間投獄されました。 1946年6月4日、フアン・ペロン将軍は、軍事クーデターでアルゼンチンの政権を取り、アルゼンチンの大統領に就任し、軍事政権を樹立します。 1946年10月26日、フアン・ペロンは、エビータと結婚しました。 (映画「エビータ」) 1947年4月、エルネスト・ゲバラは、19歳で、ブエノス・アイレス大学医学部に入学しました。 1952年1月4日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ポデローサ2号と名付けた旧式オートバイ、1939年式ノートン500にまたがり、12,000キロの南米大陸縦断ツーリングに出発しました。 1952年1月13日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、エルネスト・ゲバラが恋人のチチーナ・フェレイラに会うために、アルゼンチンのミラマールへ行きました。 1952年1月31日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、アルゼンチンのサン・マルティン・デ・ロス・アンデスに到着しました。 1952年2月11日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、アルゼンチンのバリローチェ駅に到着しました。 1952年2月15日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、フリアス湖に到着しました。 1852年2月18日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、チリのテムコに到着しました。 1952年2月19日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、日刊紙「アウストラル」でハンセン病のアルゼンチン人の医者として、紹介されました。 1952年2月26日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、チリのロス・アンヘレスに到着しました。 1952年3月1日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ポデローサ2号をサンティアゴに残して旅を続けました。 1952年3月7日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、チリのバルパライソに到着しました。 1952年3月11日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、チリのアタカマ砂漠を徒歩で移動しました。 1952年3月12日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、チリのチュキカマタ銅山に到着して、チュキカマタ銅山を見学しました。 1952年3月31日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのクスコに到着しました。 1952年4月5日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのマチュ・ピチュに到着しました。 1952年5月12日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのマリに到着しました。 1952年5月26日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのプカルバに到着しました。 1952年6月8日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのサン・パブロ・ハンセン病療養所に到着しました。 1952年6月14日、エルネスト・ゲバラは、24歳の誕生日をペルーのサン・パブロ・ハンセン病療養所で迎えまました。 1952年6月21日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ペルーのサン・パブロ・ハンセン病療養所から筏のマンボ・タンゴ号に乗って、アマゾン川を下り始めます。 1952年6月23日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、コロンビアのレティシア付近に到着しました。 1952年7月26日、エルネスト・ゲバラとアルベルト・グラナードは、ベネズエラのカラカスで別れました。 (映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」) 1953年、エルネスト・ゲバラは、25歳で、ブエノス・アイレス大学医学部を卒業して、医師の資格を得ました。 1953年、エルネスト・ゲバラは、カルロス・フェレルと共にJ.D.ペロンの独裁政権下のアルゼンチンを離れ、再び南米放浪の旅に出て、ボリビア革命の進むボリビアを旅した際に、虐げられてきたインディオが解放され、かつてないほど自由な雰囲気が漂っているのに大きな衝撃を受けました。 エルネスト・ゲバラは、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行し、ハコボ・アルベンス・グスマン政権下のグアテマラに行き、ハコボ・アルベンス・グスマン政権の崩壊を目撃します。 1954年、エルネスト・ゲバラは、グアテマラで医師として働いているときに、祖国であるペルーを追われ、グアテマラに亡命していた女性活動家のイルダ・ガデアと出会い、共鳴し、社会主義に目覚め、社会主義にのめり込みました。 1954年6月15日、カスティージョ・アルマスは、米国CIAの立案したPBSUCCESS作戦を実行して、グアテマラに侵攻しました。 1954年6月27日、グアテマラ大統領のハコボ・アルベンス・グスマンは、辞任しました。 1954年9月、カスティージョ・アルマスは、グアテマラ臨時大統領に就任しました。 1954年9月、エルネスト・ゲバラは、イルダ・ガデアと共にグアテマラからメキシコに逃げ出します。 1955年5月、エルネスト・ゲバラは、イルダ・ガデアとメキシコで結婚しました。 1955年5月、フィデル・カストロは、恩赦によって釈放され、メキシコに亡命して、活動を続けました。 1955年7月、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロとメキシコ市アンパラン街にあるマリア・アント二アの家で出会い、革命軍に参加することにしました。 1955年9月21日、フアン・ペロンは、アルゼンチン共和国の大統領を退任して、パラグアイ経由で、スペインに亡命します。 1956年11月25日午前2時、フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達の総勢82人の革命家達が、メキシコのトゥスパン港からグラマン号という定員25人の船に乗り、キューバを目指します。 1956年11月30日朝6時、フランク・パイスらは、サンチアゴ市の警察本部を襲撃し、海軍基地、モンカダ兵営にも爆弾を投げ込み、グランマ号の到着をカモフラージュするための陽動作戦が展開されました。 キューバにいる反政府地下組織の別部隊が、トラックとジープに武器弾薬を積み、グラマン号の到着を待ちますが、グラマン号は到着できずに、フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達と合流することはできませんでした。 1956年12月2日、フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達のグラマン号は、上陸予定地点から50km離れた、沼地に座礁して、キューバのラス・コロラダス海岸に到着しました。 フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達の総勢82人の革命家達は、沼地を抜け、3日間さまよい歩きました。 1956年12月5日、フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達は、偽の道案内人に連れられて、ニケロ町近くのアレグリア・デ・ピオというサトウキビ畑で、倒れるように休んでしまいました。 バティスタ政府軍は、アレグリア・デ・ピオで休んでいるフィデル・カストロとチェ・ゲバラ達を急襲し、20名が射殺され、30名が逮捕されました。 フィデル・カストロとチェ・ゲバラ達は、散りじり、バララバになりながら、逃走しました。 バティスタ政府軍は、掃討作戦を続け、さらに20人を殺害しました。 キューバに上陸した70名が死亡し、生き残ったのはわずか12名です。 フィデル・カストロとチェ・ゲバラも生き残りました。 1956年12月13日、バティスタ政府は、カストロによる反乱は終結したと発表しました。 1956年12月20日、エルネスト・ゲバラたちは、集結予定地のキューバ最高峰トゥルキノ山(標高2,005m)に向かい、フィデル・カストロたちと合流しました。 1957年1月2日、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロと共に革命軍と共に、ラ・プラタ兵営を襲撃し、勝利しました。 エウティミオ・ゲラは、カシージャスに逮捕され、命と引き換えに、金銭を受け取り、フィデル・カストロの暗殺を引き受け、エルネスト・ゲバラやフィデル・カストロたちの野営地の情報を教えることになります。 1957年1月30日、エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロたちがいる野営地が空爆されました。 エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロたちと別れて、チャオと共に逃げました。 1957年2月1日、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロたちと合流しました。 1957年2月9日、エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロたちは、ロマ・デル・ブロに近いアルトス・デ・エスピノサに移動しました。 エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロたちがいたロマ・デル・ブロが空爆されました。 エルネスト・ゲバラとフィデル・カストロたちは、アルトス・デ・エスピノサで空爆を受けて、逃走しました。 エルネスト・ゲバラたちは、フィデル・カストロたちと別れてしまいました。 1957年2月12日、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロとエル・ロモン近郊のデレチャ・デ・ラ・カリダードで再会しました。 エルネスト・ゲバラは、都市部で活動するビルマ・エスピン、セリア・サンチェスたち、フランク・バイスと対面しました。 フィデル・カストロは、外国のジャーナリストのハーバード・マシューズの取材を受けました。 エウティミオ・ゲラは、逮捕され、処刑されました。 1957年3月16日、エルネスト・ゲバラたちは、ホルへ・ソトゥスが率いる50名の増援部隊と合流し、フィデル・カストロたちと合流するラ・デレチャ到着しました。 1957年3月24日、エルネスト・ゲバラたちとホルへ・ソトゥスが率いる50名の増援部隊は、フィデル・カストロたちと合流しました。 フィデル・カストロは、エルネスト・ゲバラに増援部隊を指揮する権限を与えていたのに、権限を行使せず、ホルへ・ソトゥスに増援部隊を任せていたことを非難しました。 フィデル・カストロは、増援部隊の新兵を鍛えるために行軍を行いました。 20歳の様々な職業を経験してきたバリケドは、エルネスト・ゲバラたち革命軍に入隊しました。 エルネスト・ゲバラは、シエラ・マエストラ山の住民を診療し、農民たちとの連携を感じました。 1957年5月6日、ギジェルモ・ガルシアは大尉に昇進して、全農民の指揮を託されました。 1957年5月7日、政府軍はイグレシアス司令官を逮捕して、エルネスト・ゲバラの革命軍は武器を受け取れなくなりました。 1957年5月18日、エルネスト・ゲバラの革命軍は武器を受け取ることができました。 フィデル・カストロは、エルネスト・ゲバラに政府軍トラックを捕獲するより、エル・ウべロ兵営を襲撃することの方が価値があると説明しました。 1957年5月28日、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロたちと共に革命軍の80人の革命兵士と共に、50人の政府軍兵士が守るエル・ウべロ兵営を襲撃しました。 エリヒオ・メンドーサは、聖人が守っているからと言いましたが、銃撃されて、倒れて、戦死しました。 政府軍はエル・ウべロ兵営に白旗を掲げました。 革命軍は、政府軍に勝利しました。 1957年5月29日、エルネスト・ゲバラは、負傷兵を治療するために、フィデル・カストロたちと別行動をすることになり、イスラエルという農民の小屋にたどり着きましたが、政府軍兵士たちの追撃から逃れるために、移動して、パルドの家に到着しました。 1957年6月16日、エルネスト・ゲバラは、回復途上にある負傷兵を連れて、フィデル・カストロと合流するために移動を開始しました。 1957年6月26日、エルネスト・ゲバラは、フィデル・カストロと合流しました。 1957年7月12日、フィデル・カストロは、オルトドクソ党首のラウル・チバスとキューバ国立銀行元総裁のフェリーペ・パソスとシエラ・マエストラ宣言に著名しました。 1957年7月、エルネスト・ゲバラは、革命軍の第2部隊の司令官で、少佐になりました。 1958年1月1日、チェ・ゲバラの拠点であるエル・オンブリトが、政府軍に攻撃され、エル・オンブリト拠点を放棄しました。 1958年4月9日、都市部の活動家によるゼネストが失敗しました。 1958年5月3日、フィデル・カストロは、全ての武装勢力の総司令官になりました。 1958年10月15日、チェ・ゲバラ達は、ラス・ヴィラス州にまで進軍してきました。 1958年12月21日、エルネスト・ゲバラは、革命軍を率いて、カバイグアン市を攻撃して、左腕を骨折して、左腕をつって、戦いました。 1958年12月29日、エルネスト・ゲバラ率いる革命軍は、サンタ・クララ市を攻撃して、装甲列車を横転させて、武器弾薬を強奪しました。 1958年12月31日、エルネスト・ゲバラ率いる革命軍は、サンタ・クララ市を陥落しました。 (映画「チェ 28歳の革命」) 1959年1月1日、フィデル・カストロとエルネスト・ゲバラは、キューバ革命により、米国の影響が強かったキューバのフルヘンシオ・バティスタ政権を武装闘争により打倒して、社会主義国家を樹立しました。 1959年2月16日、フィデル・カストロは、キューバ共和国の首相に就任しました。 1959年6月3日、エルネスト・ゲバラは、アレイダ・マルチと結婚しました。 1959年11月26日、エルネスト・ゲバラは、キューバ国立銀行総裁に就任しました。 1961年1月20日、ドワイト・D・アイゼンハワー米国大統領は、退任しました。 ジョン・F・ケネディは、米国大統領に就任しました。 1961年2月11日、エルネスト・ゲバラは、キューバ工業大臣に就任しました。 1961年2月23日、エルネスト・ゲバラは、キューバ国立銀行総裁を退任しました。 1961年4月15日、亡命キューバ人部隊が、キューバ空軍の飛行場を爆撃し壊滅させて制空権を奪うのに失敗しました。 1961年4月17日、1400人の亡命キューバ人部隊がピッグス湾に上陸し、キューバ政府軍の反撃に遭い、キューバ空軍の攻撃を受け、沖合に待機した艦船が撃沈、弾薬も食糧も欠乏する事態の中で海岸で部隊は孤立しました。 ジョン・F・ケネディ米国大統領は、米国正規軍の派遣を拒否し、ピッグス湾上陸作戦は失敗しました。 (ピッグス湾事件) 1961年10月30日、ソ連は、北極圏のノヴァヤゼムリャで、50メガトンの核爆弾の爆発実験に成功し、核爆発は2,000km離れた場所からも確認され、衝撃波は地球を3周しました。 ソ連は、キューバに中距離弾道ミサイル(IRBM)24基、準中距離弾道ミサイル(MRBM)36基、戦車、大砲、対戦車ミサイル、短距離ロケット36基、軽爆撃機「イリューシン」(Il-28)42機、戦闘機(MiG21)40機、地対空ミサイル72基、巡航ミサイル(KR-1)80基、巡航ミサイル(S-2)32基、巡視艇12隻、兵員4万5234名を運び込みました。 1962年10月14日、米国空軍の高高度偵察機U-2によりキューバに核ミサイル基地を発見しました。 1962年10月16日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、国家安全保障会議を招集しました。 1962年10月17日、国家安全保障会議は、キューバへの空爆に関して意見が賛成と反対で2分されました。 1962年10月18日、アンドレイ・グロムイコ露国外相は、ホワイトハウスを訪れ、ジョン・F・ケネディ米国大統領と会談しますが、互いに核ミサイルには言及しません。 1962年10月19日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、中間選挙のための遊説を予定通り行い、米国民にキューバ危機を隠しました。 1962年10月20日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、キューバの海上封鎖を決断しました。 1962年10月21日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、ハロルド・マクミラン英国首相に親書を送付しました。 1962年10月22日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、海上封鎖を宣言し、新たなミサイルの配備を阻止し、ソ連にミサイルを解体、撤去することを要求しました。 1962年10月22日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、同盟国にキューバの海上封鎖を伝えて、「停船(Quarantine)」という言葉を使用して、テレビ演説を行いました。 オレグ・ペンコフスキーは、モスクワで西側のスパイとして逮捕されました。 グレヴィル・ウィンは、ハンガリーの首都ブダペストへ出張中に誘拐され、ソ連に送還され、投獄されました。 (映画「クーリエ:最高機密の運び屋」) 1962年10月23日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、キューバの海上封鎖宣言に著名しました。 1962年10月24日、米国海軍は、キューバの海上封鎖を開始し始めました。 1962年10月25日、スティーブンソン米国国連大使は、緊急国連安全保障理事会で、米国空軍の高高度偵察機U-2が7撮影した写真を使用して、ゾーリン露国国連大使と対決しました。 1962年10月26日、ジョン・F・ケネディ米国大統領は、ソ連のフルシチョフ最高指導者から書簡を受け取り、デフコン2を発令して、日本、トルコと英国に駐留する米軍も臨戦態勢になりました。 1962年10月27日、米国空軍の高高度偵察機U-2がキューバ上空で撃墜されました。 米国海軍は、核魚雷を搭載したソ連の潜水艦に対して機雷を投下して、核魚雷を搭載したソ連の潜水艦を浮上させて、海上封鎖戦の外に追い出しました。 1962年10月28日、ソ連のフルシチョフ最高指導者は、キューバから核ミサイル基地を撤去するとモスクワ放送で発表しました。 1962年11月21日、ソ連は、核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカ合衆国は海上封鎖を解除しました。 (映画「13デイズ」) 1963年5月16日、オレグ・ペンコフスキーは処刑されました。 1964年4月22日、グレヴィル・ウィンは、ポーランドのでソ連のスパイのルドルフ・アベルとの人質交換で解放されました。 1964年12月11日、エルネスト・ゲバラは、国連総会にキューバ主席代表として出席して、演説しました。 (映画「チェ 28歳の革命」) 1965年4月1日、エルネスト・ゲバラは、キューバ工業大臣を退任して、「別れの手紙」を書いて、フィデル・カストロに託して、キューバ人で組織したゲリラ隊を率いてコンゴ民主共和国での革命闘争を支援するために、キューバからコンゴ民主共和国へ向かいました。 1965年10月4日、フィデル・カストロは、エルネスト・ゲバラの「別れの手紙」を読み上げました。 1965年12月、エルネスト・ゲバラは、コンゴ民主共和国からキューバに戻り、ボリビアに派遣するゲリラ隊の準備をしました。 1966年11月、エルネスト・ゲバラは、キューバからボリビアのニャンカウアスに到着して、「ゲバラ日記」を書き始めました。 1967年10月9日、エルネスト・ゲバラは、ボリビアのイゲラ村で、政府軍と交戦し、重傷を負って、捕虜になりました。 1967年10月9日、エルネスト・ゲバラは、ボリビアで処刑されました。 (映画「チェ 39歳 別れの手紙」)
  • アルマジロ
    3.8
    バイク自体の疾走感はそこまでなく、顔の映画なのかも、と思った 若者の旅の予感がチェ・ゲバラの物語であることによって説得力が増えているというか
  • 邹启文
    3.7
    やっぱりロードムービーは傑作が多いね。 多くの国境、多くの景色を見れるのも良いが、ゲバラが革命に目覚めるきっかけシーンのなんとまぁ白土三平感漂う展開たるものよ。 やはりこの感覚は各国同様ではあるものなんだね
  • 明石です
    4.6
    なんてこった!!自伝だからまあ仕方ないとはいえ、「モーターサイクル・ダイアリーズ」なのに、映画がはじまって50分でモーターサイクルが壊れてしまった!それ以降は徒歩での、青年ゲバラが形成されるまでの地道にして遠まわりな思想遍歴といった感じ。でも面白かった。作劇のやり方として、このチェ・ゲバラという人は、のちにとてつもない偉業を成し遂げる人間だというのはみな知っていて、でもストーリー上それを描くには至らないため、たとえば終盤で、喘息持ちにもかかわらず海をある遠くの対岸まで泳いで渡るという誰もやったことがないし誰も求めていないチャレンジに一人で乗り出し、そして気管をゼエゼエやりながら(この音が重要だ)渡りきってしまう、そんな小さな偉業を見せることで物語の先を予感させるやり方、とても上手だと思う。一次が万事ではないが、一見せてその後の万を納得させる。したたかな作劇だと思いますな。バイク旅には早々に失敗したとしても、、笑。
  • 旺紀
    4
    革命家チェ・ゲバラはこうして作られた!みたいなロードムービー。 この作品の良いところは旅行じゃなくて「無計画な旅」って所。南米独特の風景、音楽、文化、南米社会の闇を肌で感じたフーセルの思想が旅を通して変わっていく姿が描かれていた! 「旅がしたい」「違う世界を見たい」ていう好奇心、冒険心みたいな気持ちが芽生えたし、旅は人の心を変えるもんなんやなぁって思った…。
モーターサイクル・ダイアリーズ
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