コミュニケーション不可能なものほど恐ろしい
つい最近の出来事ですが、東京都・小金井市でタレント活動をしていた女子大生がストーカーに刺傷される事件がありました。マスメディアでもインターネットでも非常に関心が高く大きく取り上げられました。
事件発生当初は彼女をアイドルと報じるメディアが多かったですが、徐々にタレント活動をしている女子大生と呼び方が変わっていきました。この呼称の変化とメディアの報道の問題点について吉田豪さんは以下のように語っています。
そもそも、地下アイドルでも女子シンガーソングライターでもどこのジャンルでもそうだけど、世の中には他人の感情を理解できない、常識も通用しない、自分のことしか考えていないタイプの人間が一定数紛れ込んでいて、今回の事件はそういうある種の病を抱えた人間によるストーカー犯罪だから、「やっぱりアイドルの接触ビジネスには問題がありますね」みたいな話に着地させてもしょうがないんですよ。(アイドルでもないしヲタでもない!小金井刺傷事件の報道に感じるモヤモヤ|ほぼ週刊吉田豪より)
吉田豪さんの論点は、この事件はSNSなどによって距離感を間違えたアイドルとファンの間にのみ起きうる特殊なケースではなく、例えばカフェの店員であっても、どこでも誰の身にも振りかかる可能性のあるものだ、ということです。
社会には一定数コミュニケーション不可能な、理解を超えた行動をしてくる人間が確実にいます。それに対してわかりやすい答えを求める気持ちは誰にでもあると思います。なんでもいいからわかりやすい理由があった方が安心できるからです。理解不能なものほど恐ろしいものはないからです。
本作『ヒメアノ~ル』は常人には理解の及ばない連続殺人を描きます。本作の主な登場人物は、ビルの清掃員やカフェの店員などありふれたものばかりでアイドルのような「特殊な人」は登場しません。特殊な世界の、特殊な人たちの物語ではなく、僕たちの隣人とも言えるような人達が連続殺人に巻き込まれていく様を描いています。
原作で描かれる森田の内面描写を削ぎ落とした映画版
本作は古谷実の漫画が原作。シュールな笑いと乾いた殺人が一つの世界に同居する原作のエッセンスを、きっちり取り込んでいます。ストーリーこそ原作とは違うオリジナルの展開を見せますが、その世界観はかなり原作のそれに迫っています。
映画化にあたり最も重要な脚色のポイントは、森田剛演じる連続殺人鬼・森田の内面描写でしょう。原作では森田のモノローグや過去のエピソードなどもふんだんに描かれ、森田単独のエピソードも数多いですが、映画はそうした森田の内面描写を極力抑えています。その理由として吉田恵輔監督はこう語っています。
原作では森田の内面部分をかなり描いているのですが、それは映画的ではないと思ったし、それを中途半端に語ってしますと、殺人犯を擁護してしまうものになってしまう恐れももある。分からないものは分からないし、共感できないものは共感できない。(プレスシートのインタビューより)
原作では、読者も森田に、ある程度理解の可能性を感じるのですが、映画ではとにかく得体の知れない男として描かれます。どういう思考回路になっているのか、動機は何なのか、理解するための十分な情報が提示されず突き放した態度で描かれています。
ストーカーとは一方的な動機によるコミュニケーション不全から起こるものだと思いますが、そうした姿勢は本作の森田にも通じるものがあります。単純な会話でも一見キャッチボールが成立しているようで、どこか別のことについて語ってしまっているようなズレたような印象を抱かせます。
そうした理解不能な人物を今作が単独での映画初主演となる森田剛が見事に演じています。かつて蜷川幸雄に「野ねずみのよう」と評された(*1)こともある森田剛ですが、本作を見るとその意味がよくわかります。この社会に確かに存在するどこにでもいそうな男なのに、社会に居場所を持たない野良のような雰囲気を醸し出しています。それが無理なくとてもリアルに感じられるのです。
森田剛は、舞台でもテロリストや人斬りなどアウトロー的な役どころを演じることが多く、テレビドラマなどでも他の役者が躊躇するような難しい役どころもこなしています。本人も「人としてダメな人」を描く作品が好きだ(*2)、とも語っていますが、彼の役者としての特性が存分に発揮された作品と言えるでしょう。
日常と非日常が表裏をなす構成の妙味
本作の最大の特徴は、デートや仕事のような日常と殺人のような非日常が表裏となっている点です。
監督は「殺人事件のニュースが流れる裏で、バラエティが放送されているような紙一重というか、バランスの悪さを意識した(プレスシートより)」と語りますが、本作はタイトルコールが映画中盤に置かれていて、それを境に、まさにチャンネルを突然切り替えたかのようにガラリと雰囲気が変わります。
前半パートはラブコメディのような雰囲気が一転、後半では陰惨な殺人の連続となります。この切り返し方に吉田監督の振り幅の広いセンスが伺えます。塚本晋也監督の現場を経験した後、監督としてデビューした当初は狙った底意地の悪い作品を撮りながら、最近はハートウォーミングなラブコメディも撮ってきた監督の二面性が垣間見え、そんな表裏を意識した演出が本作の随所に見られます。
実際に僕らの過ごすこの日常も一皮むけば欲望のかたまり。普段平和に過ごしているけれども、実は得体の知れない危険はそこかしこに潜んでいて、何かの拍子に出会ってしまうこともあるのかもしれません。
そうした理不尽な狂気も理解可能な理由があれば、少しは救いがあるかもしれません。しかし、森田に対するそうした理解はクライマックスの最後の最後まで観客には明かされることはありません。
本作は決して僕たちの日常から遠く離れた場所の出来事には思えない作りになっています。むしろ我が事のように受け止めるサイコスリラーであり、自分たちの日常も何か得体の知れないものに思えてくる、感性を侵食してくるサイコスリラーです。
『ヒメアノ〜ル』
5月28日(土)TOHOシネマズ新宿ほか全国公開
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】
※2021年4月20日時点のVOD配信情報です。
(C)古谷実・講談社/2016「ヒメアノ~ル」製作委員会
(*1)舞台『血は立ったまま眠っている』初日会見(女性自身)
http://jisin.jp/serial/エンタメ/エンタメ/14281
(*2)V6森田剛を殺人鬼役に起用した理由――映画『ヒメアノ~ル』監督・吉田恵輔×森田 剛(日刊SPA)