いま筆者が、「あなたが『この世界の片隅に』を観なくてはいけない5つの理由」という大層なお題目を掲げて、骨身を惜しまずせっせと駄文を書いている理由ははっきりしている。
この記事を読んだ方が一人でも多く劇場に足を運んで、『この世界の片隅に』という作品に邂逅して欲しい。予算がないために片渕監督が私財を投げ打ち、それでも足りない分はクラウドファンディングで出資を募ってかき集め、ようやく完成に漕ぎ着けたこの小さな作品を、できるだけ多くの観客に知ってもらいたい。ただそれだけだ。
間違いなく本作は、2016年を代表する映画として、後世まで語り継がれるであろう傑作である。映画感度の高いフィルマガ・ユーザーの皆さんならば、何をおいても映画館に駆けつけなければならない至高の逸品である。その理由を5つの観点から述べてみよう。
Amazon Prime Videoで観る【30日間無料】1. 反戦を叫ばない反戦映画としての構造がスゴい!
舞台は戦時中の広島。少しボーっとしているけど、素直で快活で、絵を描くことが大好きな女の子すずの眼を通して、日々の生活が優しいタッチで描かれる。戦況が悪化して食料の配給が乏しくなってきても、草花を摘んで料理に入れたり、満腹感が味わえるようにお米の炊き方を工夫したり、すずは明るさを失わない。
この映画で描かれるのは、日々悪化する状況にあっても、知恵と工夫をこらして日々を暮らす普通の生活だ。主人公のすずを演じたのんも、「すごく、日常とか普通の暮らしを大切に描いている作品だと思う」とインタビューで語っている。
象徴的なのは、停泊中の軍艦をスケッチしていたすずを、スパイ行為だとして憲兵が家族全員を叱責するシーンだ。絵を描くことがアイデンティティーのすずに対し、その自由すら奪う行為は当然「反戦」というテーマに結びつけたくなるものだが、真面目な顔で憲兵の説教にシュンとなるすずの姿をみて、義母や義姉は思わず爆笑する。反戦どころか、笑いのシーンに転化させているのだ。
市井の人々が声高に反戦を叫ぶ姿ではなく、太平洋戦争の影が日々の生活に暗い影を落とす様子を綿密に描くこと。『この世界の片隅に』は、何よりもまず良質のホームドラマとして構築されている。
2. 超絶スピードのテンポ感がスゴい!
ゆったりとした時間のなかで繰り広げられるホームドラマであるにも関わらず、その語り口はとてつもなく速い。シーン自体のテンポが速いというよりは、編集のテンポ(シーンとシーンの繋ぎ)が超高速なのである。そのスピード感は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』や『シン・ゴジラ』にも匹敵すると断言しよう!
いくつかエピソードは割愛されているものの、漫画原作全3巻ぶんの内容をほぼ全て映画に詰め込んでいるのだから、どうしたってテンポは速くなる。情報量も多くなる。126分と長尺な上映時間にも関わらず間延びしないのは、間断なくエピソードが盛り込まれているからなのだ。
出典:この世界の片隅に(上巻):こうの史代:Amazon.co.jp
原作が未読だと、若干ストーリーに追いつけない箇所もあるかもしれない。しかし製作陣はそのようなリスクを承知の上で、無駄な説明はなるべく省き、鑑賞者のリテラシーに委ねる判断を下したのだろう。
『この世界の片隅に』は映画館に何度足を運んでも、そのたびに発見があるくらいに密度の高い作品なのだ。
3. 綿密な時代考証がスゴい!
本作の監督を務めたのは、片渕須直。『魔女の宅急便』の演出補佐などを経て、2009年に『マイマイ新子と千年の魔法』を発表。クチコミで評判を呼び、1年以上に及ぶロングランになった実績を持つ実力派監督だ。
片渕が心がけたのが、当時の広島と呉の町並みを忠実に再現すること。インタビューによれば、深夜バスで東京〜広島間を何度も往復し、徹底的な調査を続けたという。広島の街を歩いてロケハンし、戦争体験者から当時の話を聞き、片っ端から資料を調べ、すずの生活を自分自身の“体験”として身体に刻み付けた。
その成果は、「即席モンペの作り方」や「戦時下の食事のレシピ」といった日常生活系から、「当時の対空砲火は、自分が撃ったものを識別するために煙がカラフルだった」というミリタリー系まで、圧倒的なリアリティーの確保に結びついている。
太平洋戦争時の風俗を知るにあたって、今作ほど格好のテキストはないのではないか?
4. 巧妙にしかけられたサスペンスがスゴい!
『この世界の片隅に』は、時系列が入れ替わることなく、昭和18年から昭和20年までの2年間が一直線に進行する。つまり、原爆が落とされる「昭和20年8月6日」へと、着実に時が刻まれる構成になっているのだ。
だからこそ我々は、すず達がその日を迎えることを、戦々恐々しながら見守るしかない。エピソードごとに挿入される「○年○月○日」の日付は、8月6日へのカウントダウンだ。
「登場人物が知らない事柄を観客はすでに知っていて、ハラハラドキドキする」というのは、まさにサスペンスの構造!実は本作は、サスペンス映画としても実に巧妙に組み立てられているのだ。
同様の構造を有する映画としては、黒木和雄の『TOMORROW 明日』が挙げられる。昭和20年8月9日午前11時02分に、長崎に原爆が落とされるまでの24時間を、ある家族にスポットに焦点を当てて描いた作品だ。
慎ましくも幸せな日々を過ごすこの家族はいったいどうなるのか?彼らに待ち受ける運命を知りつつ、我々観客はただただスクリーンを眺め続けるしかない。
淡々とした日常を描いていても、サスペンスとしての仕掛けが施されていることで、物語の吸引力が増しているのだ。
5. のんの圧倒的な同化力がスゴい!
かつて能年玲奈という名前で一世を風靡し、お茶の間のアイドルとなった”のん”が、その後事務所独立騒動のゴタゴタで表舞台から去ることになってしまったことについては、詳しく語らない。
ただひとついえるのは、20歳を過ぎたばかりの瑞々しい姿をスクリーンに焼き付けることができなかったのは、エンターテインメント界にとって、そして私たち映画ファンにとって、大きな損失だったということだ。
(C)2014「ホットロード」製作委員会 (C)紡木たく/集英社
しかしだからこそ、クラウドファンディングで産み落とされたこの小さな作品に、彼女が出演することができたともいえる。メジャーの舞台でスター街道を走り続けていたら、このような僥倖は生まれなかっただろう。
この映画ののんの演技は圧巻である。それはテクニック的に巧いという次元という話ではない。生身の役者とアニメのキャラクターが完全に同化しているのだ。
思えば、「あまちゃん」で彼女が演じた主人公アキは、東京生まれの東京育ちであるにも関わらず、母の故郷・岩手県北三陸で数ヶ月過ごしただけで、東北弁になってしまった。おそらく、演じるのん自身も同化力が極めて高いのだろう。
彼女の演技を目撃するだけでも、この映画を観る価値あり!
結論。本作は、今年度を代表する傑作アニメーションである
あなたはこの映画を見終わったあと、自分の右手をじっと見つめることだろう。この世界の片隅で、小さな幸せを噛み締めることだろう。『この世界の片隅に』には、あなたの”こころ”に直接訴えかけてきて、ポジティブに作用させる力がある。きっと、ある。
この記事を読んでも観に行こうという気持ちが全く沸き上がらなかったとしても、それは筆者の筆力のせいであって、映画のせいではない!!全然ない!!
という訳で、四の五を言う前にまずは劇場に駆けつけるべし!
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