【ここまで押さえれば映画通】知る人ぞ知るNetflixアカデミー賞ノミネート作品

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Netflix Japan編集部

新型コロナウイルスの影響で、例年とは異なり、授賞式が2か月延期となった2021年のアカデミー賞。いまなおパンデミックのただなかである今年に限っては選考対象が劇場公開されていない配信作品にも拡大され、Netflix映画は16作品・38部門にノミネートされました。

今回はそんなノミネート作のなかから、『Mank/マンク』や『シカゴ7裁判』、『マ・レイニーのブラックボトム』といった数多くの部門にまたがり選出された作品ではなく、ノミネートは1部門ないし2部門の、もしかしたら映画ファンも気づいていないかもしれない、しかし十分にフックのある作品をピックアップ。映画・音楽ライターの南波一海さんに、対象部門の押さえておきたい見どころなどを解説してもらいます。

あまりに生々しく、鬼気迫る演技。

私というパズル』ヴァネッサ・カービー(主演女優賞ノミネート)

まずは主演/助演女優賞から2作。ヴァネッサ・カービーが主演女優賞でノミネートされた『私というパズル』は、『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』、『ジュピターズ・ムーン』など、シリアスなテーマにユニークな映像表現を掛け合わせるのを得意とするコーネル・ムンドルッツォ監督による初のアメリカ映画。

何と言っても冒頭からいきなり訪れるクライマックスに圧倒される。ヴァネッサ・カービー演じる妊婦のマーサが自宅出産を行なうのだが、陣痛から破水、助産婦の到着、出産、そして不測の事態へと突入する一連の流れをおよそ20分以上に渡るワンカットで見せ切るのだ。その様子はあまりに生々しく、鬼気迫るものがあり、見ているこちらにも緊張が強いられる。何の気なしに見始めた自分もあれよあれよという間にただごとではない事態に引き込まれてしまい、長回しを終えるカットが挿入され、やっとのことで作品タイトルが画面に現れたときに、そういえばこれは映画だったのだ、とある種の安堵を覚えたほど。出産以降の展開に派手さはないものの、家族や職場の人々とのズレで負荷がかかっていくマーサの心の機微を言葉少なに表現するヴァネッサ・カービーは抜群にうまい。

実際の人物に寄せた憑依的演技力。

ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』グレン・クローズ(助演女優賞ノミネート)

助演女優賞にグレン・クローズが、そしてメイクアップ&ヘアスタイリング賞でもノミネートされている『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』。グレン・クローズは、ラストベルト(錆びた工業地帯)に位置するオハイオ州ミドルタウンで暮らす一家のママウこと祖母ボニーを演じている。

原作はJ.D.ヴァンスによる『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』。ヒルビリー(田舎者)、レッドネック(赤く日焼けした首筋)、ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)などと呼ばれるスコッツ=アイリッシュ系の労働者階層の知られざる実態を、社会学的知見を交えながら描いた回想録である。原作では、産業が衰退したこの地域においては、社会構造的にもコミュニティの文化的にも貧困から抜け出すことがいかに困難であるかが丁寧に描かれているのだが、監督のロン・ハワードはそれを一家だけの問題として抽出し、ファミリードラマ化。子育てに失敗したことに忸怩たる思いを抱く祖母の導きにより、孫のJ.D.は泥沼化の一途を辿る家族をどうにか抜け出して立身出世する、という感動秘話に着地させている。

グレン・クローズは、家族思いではあるが品性に欠き、言葉使いは粗くて喧嘩っ早い(とされる)ヒルビリーを完璧に演じていて、いわゆるご本人登場のエンドロールを見ると、どれだけの憑依ぶりかがわかる。J.D.の母ベブを演じたエイミー・アダムスも同様で、2人の演技力はもちろんのこと、実際の人物に寄せまくったメイクの力量も評価されてのメイクアップ&ヘアスタイリング賞ノミネートだろう。

ちなみにグレン・クローズはアカデミー賞に先だって最低の映画を決めるゴールデンラズベリー賞にも同じ役でノミネートされたことで話題を集めている。それは演技の良し悪しではなく、先にも述べた通り、映画化の際に原作の要素をバッサリと削ぎ落したことへの読者の不満からくるものだろう。例えば、ヒルビリーの人々が多く暮らすアパラチアでは、子供のミルク代を捻出できないかわりに安価でカロリーの高い炭酸飲料を飲ませるため、若くして歯がボロボロになってしまうという「マウンテンデュー・マウス」なるショッキングな現象は本書のなかでもインパクトの強いエピソードのひとつとして描かれているが、映画には歯の欠けた人は見当たらない。ファンタジックにコーティングされているのだ。

原作の不穏な魅力がより鮮明に。

ザ・ホワイトタイガー』(脚色賞ノミネート)

国や文化は違えど『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』との共通点も見出すことができる『ザ・ホワイトタイガー』。インドにおける溝の深い格差社会、貧困問題を抉り出してみせた本作は脚色賞にノミネート。こちらは原作ありきの脚本が評価された。

原作は、インドに生まれ、コロンビア大学で英文学を修めたのちに経済ジャーナリストの道を進んだというアラヴィンド・アディガが初めて書いた小説で、『グローバリズム出づる処の殺人者より』というタイトルで邦訳が出版されている。インドの大都市バンガロールで起業家として成功した主人公のバルラムが、中国の首相にあてたメールのなかで自らの過去を語り、やがては殺人を告白するという、一風変わった、しかしスリリングなピカレスクだ。
映画も基本的な構造は同じで、バルラムによるモノローグを挟みながら、カーストの底辺に生まれた彼が、裕福な夫婦の運転手の座を掴み取り、いかにしてのしあがっていったかを描くのだが、バルラムを演じるアダーシュ・ゴーラヴの飄々とした立ち回りにより―彼は自分にどんな不幸が降り注いでも主人の前ではいつも愛想笑いを浮かべているのだ―、どことなくコミカルにも見えてしまうことが却って格差社会のグロテスクな構造を浮き彫りにしており、原作の不穏な魅力を引き立てることに成功している。

観るべき意味を持つ、ブラック・ライヴズ・マター以降の重要作品。

隔たる世界の2人』(短編映画賞ノミネート)

短編映画賞でノミネートされた『隔たる世界の2人』は、Netflixで4月9日に公開されたばかり。
ラッパーのジョーイ・バッダス演じる主人公のカーターは、飼い犬の待つ家に帰ろうする途中で白人の警察官に呼び止められ、もめているうちに命を落としてしまう―「I cant’t breathe(息ができない)」と言いながら。そこで映画は振り出しに戻り、カーターは行動パターンを変えてみるものの再び警官に殺され、また振り出しに戻り……というタイムループもの。

タイムループの構造を使い、ジョージ・フロイドの死亡事件やブリオナ・テイラーへの銃撃事件といった、白人警官による黒人殺害のケースをはっきりとトレースして見せているのがこの映画のすごいところ。ただ家に帰りたいだけなのに理不尽な殺人がうんざりするほど繰り返されるのは、これが実際に起こっている問題と照らし合わせの表現だからにほかならない。カーターが何度も何度もループから抜けようと抗う描写は、暴力のサイクルが終わらない現実の厳しさを物語るのと同時に、それでも希望を捨てないというポジティヴなメッセージも受け取れる。

ちなみに映画冒頭に出てくるカーターの部屋の机にある本は、ジェイムズ・ボールドウィンの『次は火だ』。ボールドウィンはアメリカの人種問題を数多く扱ってきた作家で、ドキュメンタリー映画『私はあなたの二グロではない』では、自身がパリに移住したことについて、「作家活動をするにしてもアメリカでは常に警戒が必要だ。うっかり気を抜けば殺される可能性がある。警官の顔を見れば分かる。(中略)白人が何と言おうとも人種の壁があるのは明らかです」と述べている。つまりは映画の頭で、今からこういうテーマを扱います、と示しているのだ。

賞のゆくえはともかくとして、本作は今後、ブラック・ライヴズ・マター以降の重要作として位置づけられるはずだ。思わず絶句するエンドクレジットに至るまで、2021年の今、見るべき意味を持った作品と言える。

ヨーロッパあるあるを、エネルギッシュな歌と荒唐無稽な笑いに昇華。

ユーロビジョン歌合戦 ~ファイア・サーガ物語~』(歌曲賞ノミネート)

続いてはヨーロッパの国別対抗歌謡祭、ユーロビジョン・ソング・コンテストを題材にしたコメディ『ユーロビジョン歌合戦 ~ファイア・サーガ物語~』。劇中で歌われる「Husavik」が歌曲賞にノミネートされた。
話の筋は、アイスランドの漁村に暮らすラーズが、テレビで見たユーロビジョンで歌うアバに魅了されたことをきっかけに、幼なじみのシグリットとユーロビジョン出場を目指す、というもの。日本では一連の『俺たち~』作品で知られるウィル・フェレルが主演のみならず脚本、製作に名を連ねているということもあり、言ってしまえばしょうもないギャグが満載。ともすればステレオタイプと批判されそうなヨーロッパあるあるをエネルギッシュな歌と荒唐無稽な笑いに昇華している。

全編に渡ってナンセンスなギャグが繰り広げられる一方で、アメリカのリーマン・ショックの影響で経済危機に瀕したアイスランドの事情がうまく物語に絡み、随所でアメリカへの痛烈な皮肉が炸裂したり(と言ってもアメリカ人を罵るのはアメリカ人のウィル・フェレルなのだが)、ロシアや東欧の政府による性的少数者への抑圧的な姿勢を牽制するシーンなども見られるのがこの映画の特筆すべきポイント。そもそもユーロビジョン自体がLGBTQ+カルチャーと親和性が高いもので、実際のコンテストに出場した歌手が多数登場し、ブラック・アイド・ピーズ「I Gotta Feeling」、マドンナ「Ray Of Light」、シェール「Believe」、アバ「恋のウォータールー」など、シンボリックなナンバーを歌い繋ぐパーティーのくだりは、多様性が彩られた最も感動的なシーンだと思う。

ノミネートされた「Husavik」は、物語の山場で歌われる壮大なバラード(実際に歌っているのはスウェーデンの歌手モリー・サンデーン)。コンテストは英語の発音が綺麗なほうが有利だと言われるなかで、アイスランド語を交えながら故郷を想って歌う姿は胸を打たれる……のだが、これだけは書いておきたい。本作で真にノミネートされるべきナンバーは、パブに集う地元の常連が「これしか聴きたくない」と言い放つほど熱狂的に愛されるバカソング「Jaja Ding Dong」一択です。本作で真にノミネートされるべきはナンバーは「Jaja Ding Dong」一択です。

精巧かつ躍動感のあるCG描写。

フェイフェイと月の冒険』(長編アニメーション映画賞ノミネート)

最後はアニメーション2作を。長編アニメーション映画賞に選出された『フェイフェイと月の冒険』は、80年代からディズニー作品にアニメーター/作画監督として関わってきたベテランのグレン・キーンによる初監督作。製作は中国のパール・スタジオで、これまでに『スノーベイビー』や、前進のオリエンタル・ドリームワークスとしては『ヒックとドラゴン2』や『カンフー・パンダ3』を送り出してきた気鋭の企業。

中国の神話上の人物、チャンウー(嫦娥)を題材にしたアドベンチャーで、主人公フェイフェイが自作のロケットで月の女神であるチャンウーに会いに行くというストーリーは、近年、月面探査に並々ならぬ意欲を燃やす中国の姿勢とも重なるタイムリーなものだ(ちなみに月探査計画は「嫦娥計画」と呼ばれ、探査機は「嫦娥」と名付けられている)。

幼い頃に母を亡くしたフェイフェイは父の再婚相手となるゾンとその息子のチンを快く思っていない。フェイフェイは母によく聞かされた、月でただ一人の愛する人を待ち続けるチャンウーの存在をいまも信じていて、チャンウーに会えれば父も思い直すに違いないと考え、月行きを決意する。

家族の在りかたを問い、過去にとらわれず前に進むことを肯定するプロットは普遍的なものだが、これが脚本を手掛けたオードリー・ウェルズの遺作であり、彼女が癌で亡くなる前に自分の夫と娘に捧げたという背景を知ると涙を流さずにはいられなかった。出てくるキャラクターはみな魅力に溢れ、ポップスター然とした佇まいと人間くささが同居するチャンウーの女王像が特にいい。新たな家族を受け入れる側だけでなく、受け入れられる側であるチンの気持ちが描かれるのも現代的だ。そして忘れてはならないのは、精巧かつ躍動感のあるCG描写のすごさ。劇場公開でも余裕で通用するレベルだろう。

受け手側のイマジネーションを喚起するアイディアが詰め込まれた12分間。

愛してるって言っておくね』(短編アニメーション映画賞ノミネート)

『愛してるって言っておくね』は短編アニメ-ション映画賞にノミネート。台詞は一切なし。絵もひじょうにシンプルだが、たった12分のなかに受け手側のイマジネーションを喚起する豊潤なアイディアが詰め込まれている。心のうちを影で見せるアニメならではの表現のすごみたるや。できれば、あらすじに目を通さず見ていただきたいと思う。

ちなみに劇中に流れるのはキング・プリンセスの「1950」。映画『キャロル』の原作としても知られるパトリシア・ハイスミスの小説『The Price Of Salt』を下敷きにしたナンバーで、クィアの恋愛について歌っている。人を思うピュアな気持ちが作品のテーマと見事に合致しているということは付記しておきたい。

文・南波一海
Twitter:@kazuminamba

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