日本の韓国ドラマファンにも浸透しつつある言葉「サイダー」。痛快なシーン・セリフをサイダーの清涼感に喩えて表現する、2017年頃から韓国に登場した流行語です。
今回は在韓歴17年の韓国語教育者「ゆうき先生」こと稲川右樹さんと、韓流ナビゲーター田代親世さんを迎えて、『ヴィンチェンツォ』のスカッとするサイダーシーンをピックアップして解説していきます。
『愛の不時着』以降韓流作品にどっぷりなネトフリ編集部員も参加。「サイダー」の代表作である『ヴィンチェンツォ』人気の秘密に迫ります。
稲川右樹(ゆうき先生)
滋賀県出身。現在、帝塚山学院大学准教授。専門は韓国語教育。2001年〜2018年まで韓国・ソウル在住。ソウル大学韓国語教育科博士課程単位満了中退(韓国語教育専攻)。韓国ではソウル大学言語教育院、弘益大学などで日本語教育に従事。近著『高校生からの韓国語入門』(Twitterアカウント:@yuki7979seoul)
田代親世
韓流ナビゲーター。韓流番組・イベントのMCを始め、テレビ・雑誌、webなど幅広い媒体で韓国ドラマを紹介。公式サイト「韓国エンタメナビゲート」や会員制の韓流コミュニティ「韓流ライフナビ」を主宰している。韓ドラ視聴歴は20年以上。
ネトフリ編集部 岡田和美
欧米ドラマに韓ドラ、リアリティーショーまでいろいろ見る雑食。好きなネトフリ韓ドラ作品は『ヴィンチェンツォ』『キングダム』『Mine』など。
ネトフリ編集部 YJ コン
韓国生まれ育ち、日本歴19年のネトフリ編集部メンバー。しばらく韓国の作品を観ていなかったことから最新の文化と長い間距離を置いてしまっていたが、『愛の不時着』と『梨泰院クラス』をはじめとする、韓国ドラマブームの再来をきっかけに韓国の文化にリコネクト中。ネトフリで観れる推しの韓国ドラマは『秘密の森 S1』『ライブ』。
韓国の文化と繋がりが深い「サイダー」の秘密
――早速ですが「サイダー」とはどういう意味の言葉なのか、ゆうき先生に解説をお願いします。
稲川右樹(以下、ゆうき):「サイダー」というのはみなさんご存知の炭酸飲料ですが、スカッとする飲み物ということで「胸のすくようなストーリー展開のドラマ」を指します。
韓国人とサイダーの関わりは面白くて、遠足に行く時のお決まりのセットが「サイダーとキンパ(韓国風海苔巻き)とゆで卵」なんです。昔は今ほど炭酸飲料の種類が多くなかったので、スカッとする飲み物といえばサイダーだったんですね。例えばコーラはおしゃれなワンランク上の飲み物という位置付けだったのですが、サイダーは安価な飲み物だったので親しみがあるんです。
――例えば「サイダー」と真逆の言葉はあるんですか?
ゆうき:「サツマイモ」という意味の「コグマ」だと思いますね。これは朝鮮戦争の食糧難時代とも関連があるのですが、サツマイモは韓国では非常に親しまれている食材です。ずっと食べていると胸がつかえるので「胸がつかえるような苦しい感」の表現に「コグマ」を使うんです。
ちなみに韓国の人はサツマイモをキムチと一緒に食べます。騙されたと思って食べると本当においしいですよ。サツマイモのつまったような感じを洗い流してくれるというか、さっぱりさせてくれるのがキムチなんですよね。
岡田和美(以下、岡田):キムチでさっぱりというのが不思議な印象です。是非チャレンジしてみたいと思います。
ゆうき:キムチの辛さと、サツマイモの甘みが絶妙なんです。日本のキムチだと合わないかもしれないので、ぜひ韓国のキムチでトライして欲しいですね。サツマイモはピザにも乗せますし、サツマイモのケーキもよく食べます。
『ヴィンチェンツォ』に見る、「サイダー」と「コグマ」な遊び
YJ:「コグマ」や「サイダー」はあくまでドラマや映画のシーンを形容詞化する際に使われる言葉だったんですが、『ヴィンチェンツォ』ではエピソード9だけでも「コグマ」ネタが3回も出てくるんですよね。
ゆうき:脚本家が意図的にいたずら心を出してる感じがしますよね。視聴者がイライラするタイミングで先回りして出していくんです。「ここはこういうシーンだから、みなさんもう少し我慢してください」という意図を視聴者にアピールするためでもあるでしょうね。
YJ:ヴィンツェンツォが移転の話をしに行くと、お坊さんが「私たちはここを動きません。クムガ・プラザをずっと守ります」とサツマイモを差し出す。思わず固まってしまうヴィンツェンツォの顔と、その後に続くお坊さんの笑顔がたまらない。どう考えてもみんながイライラするくだりで、コグマをしれっと出す。それを主人公2人が水で流し込む。「視聴者の皆さんも同じ気持ちですよね?」と語りかけてくるよう。
岡田:エピソード9にあんなにサツマイモが出てくるのは、そういう意味だったんですね。不思議に思いながら観ていました。
YJ:韓国のサスペンス系ドラマでは「コグマ、コグマ、コグマ」な出来事が続いた末にようやく「サイダー」という展開が多く、苛立ちながらも見守るのを集団で楽しむネットカルチャーがあります。ですが『ヴィンチェンツォ』はその逆を狙っていて、すごいと思いました。
ゆうき:『ヴィンチェンツォ』は『愛の不時着』のパロディがあったり、韓国の「それが知りたい」という有名なドキュメンタリー番組そっくりな部分があったり、そうした“くすぐり”が沢山入っていますよね。
田代親世(以下、田代):あと『トキメキ☆成均館スキャンダル』でソン・ジュンギさんがやっていた役のパロディもありました。
ゆうき:それは気づかなかった!
田代:『愛の不時着』もそうでしたね。パロディが沢山入っていました。
――韓国のドラマでは、パロディが流行っているのですか?
YJ:韓国内では特別新しい流行りではないと思うんですけど、むしろ海外の韓国ドラマファンに同じ楽しみ方が広がっているようでびっくり。それだけ韓国ドラマのファンが増えているんですね。
田代:気づいた人ほど詳しいということなので、仲間同士で「気づいた?」と言い合ったりする楽しみ方があります。
ゆうき:いい意味で、視聴者同士のマウンティングを促してる部分もあるのかもしれません。
YJ:ドラマ放送直後ネットには二次創作が大量発生しますが、むしろ韓国の放送局や版元はコンテンツを広げてもらうことを期待しているんでしょう。だから、そうした現象に対して寛容なのかもしれません。ひとつひとつは些細な小ネタなんですが、制作側が率先してネタをバラまくのが今どきですよね。
ここがスッキリ。『ヴィンチェンツオ』の「サイダー」シーン
――ゆうき先生おすすめの『ヴィンチェンツォ』における「サイダー」なシーンはどこでしょうか?
ゆうき:ヴィンチェンツォと敵対する、バベル・グループとウサン弁護士事務所側に有利な仕組まれた裁判で、それをヴィンチェンツォたちが余裕綽々でひっくり返していくシーンです。ウサン側に不正を働いている院長がいるんですが、その奥さんが夫の証言を引っくり返す決定的な証拠を持っていて、夫への不満を裁判の場で爆発させるんです。裁判長もウサン側に買収されているのですが建前では中立の立場を取らねばならず、バタバタもがく様子がヴィンチェンツォ側の思うツボ。
ゆうき:ヴィンチェンツォが余裕でとことん追い詰めていく姿が「サイダーだな」と思いました。視聴者としては、ここまでどれだけ緻密に組まれたパズルなのかを知っているので、それを見事にひっくり返すところがスカッとするんですよね。
――続いて、ネトフリ編集部の岡田さんが選ぶ「サイダー」は?
岡田:バベルグループの会長チャン・ハンソクが初めて「実は僕が本当の会長です」と世間に姿を現した日のシーン。華々しいお披露目をして若手のイケメン経営者としてみんなの前に出てきた日に豚の血をぶっかけるという、すごい演出をしたシーンです。
岡田:この前フリで、ヴィンチェンツォがクムガ・プラザの住人とご飯を食べながら「カサノ家には、敵の新ボス就任を祝うパーティーで、自分たちの力を誇示するために、けん制として豚の血をかける伝統があった」と話すシーンがあります。そこでみんな嫌な顔をするなか、チャヨンだけが「見てみたいわ」と言うんです。その流れがあっての、本当にやってしまうんだという(笑)。
なぜこのシーンが好きかというと、全てが完璧だからです。豚の血をかけるという野蛮な行為をしているのにヴィンチェンツォはすごく爽やかで、清らかささえ感じる表情で「ブラボー」と声をあげる。敵対するチャン・ハンソクも、一瞬ふらつくくらい大量の血をかけられているのに、顔をあげたときの表情がめちゃめちゃカッコいい。さらに、これまで兄の傀儡だった弟・ハンソが、ヴィンチェンツォがこれをやった時につい吹き出してしまう。全ての表情が良かったです。
ヴィンチェンツォは工場を爆破したり人を殺したり、ひどいことをするんですが、役者さんの爽やかさと清潔感によって嫌な感じがしない。男女問わずあらゆる人が惹かれていく存在で、結局弟のほうはヴィンチェンツォのことを慕って、最終的に兄貴と呼ぶほどになる。それがこのドラマの稀有なところだと思います。最初見た時は「こんな優男がマフィア?」と思いましたが、すごくバランスが取れた人を選んだんだなと。
ゆうき:血をかけられるチャン・ハンソクを演じているオク・テギョンさんは、アイドルですよね?
田代:2PMのメンバーです。日本でも大人気で、NHKのハングル講座にも出ていました。
岡田:オク・テギョンさんは悪い顔も似合う、いいキャスティングですよね。ところでここのシーンで、風船ガムをふくらますのは、韓国では何か意味があるんですか?
ゆうき:特に意味はなくて、ただ馬鹿にしているだけですね。別のシーンで「殺すよりも屈辱を与えることのほうが悪党にはダメージが大きい」というセリフがあるように、思わず笑ってしまう馬鹿馬鹿しさがありますよね。
誰もが『ヴィンツェンツォ』にハマる理由
――皆さんはなぜ、こんなにも『ヴィンツェンツォ』に惹かれたのでしょう?
岡田:私は『ゴッドファーザー』や『仁義なき戦い』などの任侠モノが好きでした。『ヴィンツェンツォ』もマフィアと聞いて観始めて、正直最初の1、2話は「コメディかな」と観ていたんですけど、3話に起きた衝撃的な事件からズボッと沼にはまりました。
田代:女性視聴者にとってはヒロインが重要ですけど『ヴィンツェンツォ』はホン・チャヨン自身がサイダーのような性格。彼女の父親が「これからは正義だけでは戦えないから、厳しくて強くてずる賢く戦うべきなんだ。それにぴったりなのが、うちの娘なんだ」と言うシーンがありますけど、まさにその言葉を体現している、新しい時代のヒロインでとても魅力的です。
岡田:私は彼女がいつもパンツスーツを着ているのが好きでした。ヒロインだけど男気があって、仕事の時はパンツスーツ、ヴィンツェツォのお母さんと出かける時や、最後の美術館の時だけはスカートをはいていたり。そうした自分の見せ方がカッコいいなと。
ゆうき:彼女の印象的なシーンは、弁護士事務所の上司にお酒の席で「一人ずつ隠し芸をやれ」と言われて、周りは仕方なくやるけど彼女だけは堂々と「やりたくない」と断る。それでも「やれ」と言われて、結果その上司のモノマネをやるという。誰も逆らえない上司に反旗を翻して小馬鹿にするのも、ひとつのサイダー的シーン。彼女は芯が強くてブレないし、何か言われても必ず言い返すんですよね。絶対に相手に対して物怖じしない、今風のヒロインだなと思いました。
田代:チャヨンだけじゃなく『ヴィンツェンツォ』はすごくキャラが立っているんですよね。「このビルの人たちは、みんな必殺仕事人みたい」というセリフのとおり、一人一人活躍するシーンが出てきて面白い。実はチーム戦のドラマなんですよね。もう爽快、痛快です。『ヴィンチェンツォ』は、スッキリできるシーンが1話1回は必ず入っているので、観やすかったですね。「サイダー」まで待たされる間が長いドラマも多いけれど『ヴィンツェンツォ』は毎回の溜飲の下がり具合が気持ち良くて、鬱憤がたまらないのが嬉しかったです。
ゆうき:ラスボスは最後まで残りますけど、小者が沢山出てきて1話ずつやっつけていくんです。視聴者も少しずつスッキリしながら、一番大きい「コグマ」が残っているから「どうするんだろう?」という期待も高まる。
あと普通は主人公が窮地に陥ったりしますけど、ヴィンチェンツォは基本的にめちゃくちゃ強くて無敵なんですよね。そこまで追い込まれることもないし、余裕でくぐり抜けていくのがカッコいいし見ていて気持ちがいい。
田代:下手に正義感を持ってこないところが見ていてよかったです。このドラマは、脚本家が“巨悪は悪ではないと倒せない”というテーマを貫いた。ヴィンチェンツォは人も殺すし、残酷なやり方もしていく。だからこそマフィアという設定にしていたのだと思いますが、そこにも覚悟が見えた気がします。「ここまでの悪は、正義だけでは倒せない。だからこのやり方しかない」と納得させられました。
転載元:Netflix note