もしかしたら本当に現実になるかも…映画で描かれる架空のお仕事をご紹介

映画も音楽も本も好き。

丸山瑞生

映画では、さまざまな仕事が描かれます。実在の仕事はもちろん、架空の仕事も多いですね。未来だからこそ成り立つ仕事や、発想の転換から生まれた仕事。

今回は、そんな「映画で描かれる架空の仕事」にスポットを当てた作品をご紹介します!

her/世界でひとつの彼女(2014)

her

舞台は、近未来のロサンゼルス。主人公・セオドアの仕事は、代筆ライター。相手に代わって想いを手紙につづる仕事です。妻のキャサリンと別れ、傷心だったセオドアは人工知能型OS・サマンサを手に入れます。生身の女性よりも、個性的で、繊細で、セクシーなサマンサに惹かれるセオドア。人工知能と恋に落ちる、少し不思議なラブストーリーです。

監督は、スパイク・ジョーンズ。代表作は『マルコヴィッチの穴』や『かいじゅうたちのいるところ』など。もともとは、ミュージックビデオを多く手がける監督なので、映画も音楽との親和性が高いです。今作の劇中でも写真を残せないふたりのために音楽を残すというシーンがありますが、スパイク・ジョーンズっぽいなと思いました。

主人公・セオドアを演じるのは、ホアキン・フェニックス。妻と別れたばかりの中年で傷心の男なのですが、ユーモラスで幼い男の子っぽさを感じられる場面も。これまでの彼のイメージとは異なる姿です。そして、人工知能型OSのサマンサを演じるのは、スカーレット・ヨハンソン。声だけの出演なので、彼女は映りません。それでも、今作のヒロインは圧倒的にサマンサだと感じさせます。誰しもが「人口知能と恋に落ちるわけがない」と考えますが、観る側がサマンサの存在を感じたときに、そんな冷めた感情は氷解するでしょう。

近未来を舞台に描かれる代筆の仕事

代筆ライター。要するに、ゴーストライターではないのかと思います。ゴーストライターにプラスなイメージは湧きませんが、今作で描かれるセオドアの仕事は世間的にも認められているらしく、非常にユニークな近未来の世界観です。おそらく、携帯端末を持つのが当たり前で(もはや、わたしたちの世界でも同様と言えますが)、コミュニケーションも音声のみで端的なのでしょう。紙媒体の登場が異様に少ないのは納得でしたが、メール(文章)すらも少なかったのは驚きました。

『her』の素晴らしいところは、これらの想像の範疇の近未来を描いている点です。劇中で描かれる生活や都市は「あ、こんな未来なら来るのかも」と感じさせる、オールド・ファッションと先進性を兼ね備えた無二の未来らしさを示しています。もしも、こんな時代が訪れたら、紙に文字を書くという行為は減るのでしょう。今作も正確には手書きの手紙は書いていませんしね。手紙の醍醐味は手書きの味だとも思うので、そこには寂しさを感じました。

ファッションや街並み、人工知能型OSのビジュアルも暖色が多く、全体的に温かみを感じる作風なのですが、人間関係の希薄さは、ふとした瞬間に感じられます。それはコミュニケーションの少なさよりも、多くの登場人物が液晶画面を見ているからでしょう。荒廃した未来は描かれませんが、それが妙にリアルな近未来に思えるのです

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エターナル・サンシャイン(2005)

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バレンタイン間近の季節。平凡な男・ジョエルは、恋人のクレメンタインと喧嘩をしてしまいます。仲直りのためにジョエルはプレゼントを買い、彼女の働く本屋におもむきますが、クレメンタインはジョエルを見知らぬ男のように扱い、別の男と目の前でいちゃつく始末。やがて、ジョエルはクレメンタインが記憶を消す手術を受けたことを知り、自身も同様の手術を受けることを決意。しかし、ジョエルは手術を受けながらも、思い出のなかをさまよい、無意識下で手術に抵抗を始めます。

監督は、ミシェル・ゴンドリー。スパイク・ジョーンズと同じく、数々のミュージックビデオを手がけ、ダフト・パンク、ビョーク、ザ・ローリング・ストーンズ、レディオヘッドなど、錚々たる顔ぶれ。ミシェル・ゴンドリーの映像は独創的なアイディアに溢れ、それを人間の手触りを残す、手作り感のある映像で描いています。『僕らのミライへ逆回転』などは、まさにそんな作品ですね。

主人公のジョエルを演じるのは、ジム・キャリー。コメディのイメージが強い彼ですが、今作では非常に地味な男を演じています。平凡な役どころは意外にも思えますが、振り返れば『マスク』でもそういう一面を演じていましたね。普段は冴えないけれど、マスクを付けた途端にキャラクターが一変。彼をコメディ俳優のトップに押し上げた作品です。
超個性的なヒロインは、ケイト・ウィンスレット。本作では髪色もオレンジだったり青だったり、ころころと変わり、性格も見た目も、主人公のジョエルとは正反対。感情的で、記憶を消すのも彼女が先。あまりにも真逆なふたりの物語は意外な結末へと突き進みます。

記憶を消しても、想いは変わらない

今作では<記憶除去手術>という架空の手術を施す医師の仕事が扱われています。
イヤな出来事に直面したとき、誰もが「こんな記憶は消せればいいのに」と考えたことがあるのではないでしょうか。劇中で病院を訪れているひとたちも、失恋はもちろん、死別など、それぞれの消したい思い出を垣間見ることができます
SF的な医療技術にもみえますが、不思議とリアリティも感じられるので、記憶を消せる未来は意外と早く訪れるのではないかと思わさせられます。記憶を消すなんて不可能なことだと思いますが、劇中ではこの施術を一種の脳障害と話しています。それを聞くと、この技術にもさらに現実味を感じられたり。

今作は記憶を消すという突飛な発想から生まれた物語ですが、描かれているのは「好きな相手との恋愛を続けるのはどうすればいいのか」ということ。記憶を消しても引き合うように再び巡り会い、それは運命的にも思えますが、すでに破局の末路を辿ったふたりを思えば、非常に切ない。しかし、クレメンタインが「いまにイヤになるわ」と言い、同じことが繰り返されると憂うと、ジョエルは「いいさ」と答えます。

エンディングの楽曲では「気持ちを変えて 振り返ってごらん 気持ちが違えば 世界も変わるから」と歌われます。気持ちが変われば、見え方も変わる。恋人との衝突や喧嘩。それらの仲直りはこれの繰り返しかなと思います。当たり前だけど、相手のことを思ったり、委ねることで、ふたりの関係をさらに築けるというか。好きな相手だからこその喧嘩と仲直りだと思いますし、根っこでは非常に普遍的なテーマを描いています。

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インセプション(2010)

inception

コブとアーサーは、標的の無意識に忍び込み、標的の夢から情報を引き出す、産業スパイ。ところが、今回の標的、日本人実業家・サイトウは、コブが標的の無意識にある考えを植えつける仕事<インセプション>をこなせるか、試したのだといいます。サイトウの本当の依頼は、競争相手の企業を壊滅に追い込むためにコブの力を借りることでした。コブは自身への見返りのためにこれを受け入れ、任務へと乗り出します。

監督は、クリストファー・ノーラン。代表作は『インターステラー』や『バットマン ビギンズ』からの三部作。本作にも通ずる記憶を扱った作品では『メメント』も有名ですね。最新の技術には興味が薄いらしく、CGの使用は極力避けている。『ダークナイト』では病院を丸ごと爆破。『インターステラー』の撮影ではジェット機で成層圏を撮影。それらが大がかりで無理ならばミニチュアを用いる、実写至上主義な監督。メイキングなどを観ると、意外なシーンが実写の撮影で驚かされます。

インセプションを試みる産業スパイのコブを演じるのは、レオナルド・ディカプリオ。『インセプション』と同年に公開で、同じく彼が主演の『シャッター アイランド』でも感じられますが、どちらも非常に重層的な演技で、怒りや悩み、苦悶など、感情の入り混じる役どころを見事に演じています。眉間のシワが寄りっぱなしでもかっこいい。もともと、ノーランも人間の心理描写に定評のある監督なので、今作のディカプリオの演技には磨きがかかっています。

クリストファー・ノーランの脳内を描いた作品

『インセプション』で描かれる架空の仕事は、標的の夢から情報を抜き出す産業スパイ
「スパイ」だけですら馴染みがないのに、さらに「夢から情報を抜き出す」という、非常に映画的な仕事ぶりが描かれます。睡眠中は、人間がもっとも油断している時間だと思いますし、頭のなかも無防備でしょう。記憶を扱う『エターナル・サンシャイン』の<記憶除去手術>とも共通するような気がしますね。

『インセプション』は、クリストファー・ノーランのオリジナル作品なので、彼の頭から生み出された物語です。夢に潜り込み、情報を奪ったり、情報を植えつける。夢の階層や、夢の設計など、難しそうで取っつきにくいですが、映像は楽しめるし、序盤では、コブがアリアドネにインセプションの仕組みを教えるので、観る側にはそれが今作のガイドライン的な役割にも捉えられます。

映像的には、現実では起こらない出来事が描かれるのですが、日常に混ざり込む絶妙な違和感は、非常に夢っぽいです。夢特有の現実らしさとでも言いましょうか。今作でも、水がなだれこんだり、カフェが吹き飛んだりなどのシーンがあるので、それらの映像がどこまで実写なのかと考えるのも、ノーランの作品の楽しみ方のひとつですね。

また、夢の設計図や、夢を安定させるための鎮痛剤など、物語にリアリティを持たせる要素を描くのもさすがです。架空の仕事を本物だと思わせる手腕。実写にこだわることからもわかりますが、作品の隅々に説得力を行き渡らせたい監督なのでしょうね。素晴らしいです。

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※2021年7月28日時点のVOD配信情報です。

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    1ミリも理解できなかったので途中でやめた あとでリベンジします
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    3.2
    機械で記憶を消してもそう簡単に生まれ変わらなくて、深く刻まれた感情や記憶であるほど残像としてこびりつき忘れないのだろう 良くも悪くも
  • イエローウォーカー
    4.3
    コメディで知られるジムキャリーがラブストーリーの主役で新鮮 喧嘩をし自分の記憶を消してしまった彼女 悲しみから立ち直るために彼も記憶を消す施術を受けます。 記憶を消す作業中彼女との思い出の中で彼女を消したくないともがく。 リアルな男女のすれ違いをファンタジー設定 をおりまぜみせてくる。恋愛の喜びや最悪な状態まで、思い出は美しすぎるから辛い。
  • lente
    4
    時間を描くということは 1/2 旧約聖書『創世記』に記されているアダムとイブの出会いの場面が大好きで、街中(まちなか)を歩きながらひそやかに行なっている「カップルウォッチング」の際には、彼女と彼(もしくは彼と彼、彼女と彼女)がアダムとイブの示した基準に達しているかどうかを僕は見つめることになります。 聖書的にはアダムが先に誕生しており、1人でいるのは良くないと考えた神がアダムの肋骨からイブを誕生させています。そのようにしてイブをはじめて見たアダムは「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と言って喜びます。面白いものでこの話を妻にすると妻は深く納得するのですが、かつて僕の母親にしたときには女を馬鹿にするなと言われたことがあります。 妻と母の反応の違いはおそらく、それぞれの夫(妻にとっての僕、母にとっての父)がどのように彼女たちに接していたかによるのだろうと思いますし、母についてはウーマンリブが産声をあげた70年代に青春期を送った時代背景もあったかもしれない。 もう13年前になるんだと驚いているのですが、その母が病を得て亡くなったときに僕たち夫婦に遺してくれた一筆書きがあります。そこには「双子のように仲の良いあなたたちが私の希望でした」と記されていました。今振り返ってみれば、父は言うに及ばず母もまたいわゆる毒親と呼ばれる部類の人間だったことが分かります(いっぽう毒親にならない親などどこにもいないという考えももちろん成立します)。ですから一見すると感動的に思えるその内容も、どこか自己愛の発露にすぎないことが透けて見えるいっぽうで、けれどそれでもとお母さん子だった僕は立ち止まってしまう。 つまり妻と息子を愛そうとする試みはすべて、お母さん子だった少年期の思いに対する自己問答のようなところがあります。ですから結婚前の若い女性がもしも相手から大切にされたいと思うのであれば(それが幸せに結びつくかどうかは分かりませんが)正しくマザコンな男性を選ぶことをお勧めします。 正しいマザコンがあるなら間違ったマザコンもあるので注意が必要ですが、正しいマザコンは母親の価値観から離れながら母親を慕ういっぽうで、間違ったマザコンは母親の価値観に飲み込まれながら母親を憎んでいます(それがどれほど慕っているように見えたとしても潜在的な憎しみがある)。このことは心の隅にとどめておいてきっと損はないはずです。 男性にとっての幸不幸は幸不幸に依存しませんが、おそらく女性にとっての幸不幸は幸不幸に強く依存します。1人の男性が不幸のうちに生涯を送ってもなんということもないのですが、1人の女性が不幸のうちに生涯を送ることは1つの世界の喪失を意味する。少なくとも僕にとっての基本的な世界像はそのように成り立っています。 だからカップルウォッチングですれ違う女性に対して、どうかあなたにふさわしい相手でありまようにと僕はいつも願うことになります。 * 喧嘩別れした恋人がお互いの記憶を消去しようとするこの近未来ファンタジーに、どこか既視感を覚えたのはそうした事情によるのだろうと思います。僕にとって宿命的な女性と出会うときには、すでにその女性と出会っていた感覚がいつでもあります。 原題は『Eternal Sunshine of the Spotless Mind』で「真っさらな心に輝く永遠の陽の光」くらいの意味でしょうか。この原題もまた僕の少年期の記憶にまっすぐ結びつきます。少年時代に過ごした真っ白に染まった夏の正午過ぎに、やはり少女時代を過ごしていた誰かの気配があるからです。 そのことを象徴的に表したシーンがあります。 恋人のジョエル(ジム・キャリー)とクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)は、失恋の痛手を忘れようとお互いにお互いの記憶を消そうとするのですが、やはり記憶を失いたくないと思ったジョエルの中にいた2人が、クレメンタインと出会う前の彼の記憶の中に彼女を隠すことを思いつく場面です。そのようにして2人はお互いのことを表層的な記憶のうえでは忘れてしまうのですが、映画の冒頭のシーンに回帰していくように深層的な記憶に残ることになる。 現実世界に生きる僕にも同様の既視感があるのは、もちろん記憶の混濁であることには間違いありません。けれどそのことが意味するのは、僕のなかの過去の記憶が相手の存在を深く受け入れたということだろうと思います。「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」とアダムがイブに向けて言ったのもまた、同様の感覚に基づいているように思えてなりません。日々の生活を送るなかで、僕の記憶に宿る誰かの存在が、時間と共に深く溶け込んでいくような感覚があります。 表層的な記憶から忘れ去られることによって、記憶という名の時間は深層的にその存在を受け入れていく。このことは人についても、様々なものごとについてもあてはまるように思います。 ファンタジーのような出来事はきっと心のなかでは毎日のように起きています。そのことに気づく心は自然に気づくことになりますし、気づかない心はどのようにしても気づくことはない。それはもしかすると愛の力によるものではなく、何かを逸(そ)らすことなく見つめようとする、まなざしの問題なのかもしれない。
  • 広樹
    -
    何年ぶりかの再視聴。忘れたい願望から忘れたくない本心に向き直る瞬間がめちゃくちゃ良いよな。うるうるしちゃう。今思えばなかなか豪華なキャスティングだよね。クレムのファッションが超かわいい。
エターナル・サンシャイン
のレビュー(76348件)