【ネタバレ解説】映画『ナイトメア・アリー』ホルマリン漬けの胎児・エノクの正体とは?エディプス王との関連性は?徹底考察

ポップカルチャー系ライター

竹島ルイ

シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)で、アカデミー作品賞&監督賞を受賞したギレルモ・デル・トロが、ブラッドリー・クーパールーニー・マーラケイト・ブランシェットウィレム・デフォートニ・コレットロン・パールマンら豪華キャストを迎えて撮った最新作、『ナイトメア・アリー』。

という訳で今回は、ショービジネス界の華やかな光と甘美な闇を描いたこのサスペンス・スリラー大作について、たっぷりネタバレ解説していきましょう。

映画『ナイトメア・アリー』(2021)あらすじ

アメリカ各地を巡回するカーニバルの一員となった流れ者のスタン(ブラッドリー・クーパー)。彼はピート(デヴィッド・ストラザーン)から相手の心を読む術を学び、やがて読心術師として頭角を現していく。やがてスタンはさらなる成功を夢見て、モリー(ルーニー・マーラ)を連れてカーニバルを飛び出すが…。

※以下、映画『ナイトメア・アリー』のネタバレを含みます

超自然現象ばかり描いてきた映画作家による、超自然現象への疑念

ナイトメア・アリー』の原作は、ウィリアム・リンゼイ・グレシャムが1946年に発表した同名小説。この作品は好評をもって迎えられ、1947年には『悪魔の往く町』(監督/エドマンド・グールディング、主演/タイロン・パワー)として映画化された。

そしておよそ70年の歳月を経て、ギレルモ・デル・トロがこの映画をリメイクすることになったきっかけは、彼の作品の常連とも言うべき盟友ロン・パールマンからの紹介だった。

「1992年、タイロン・パワーの映画を見る前に、ロン・パールマンからこの本を渡されて、私はこの本が大好きになったんだ。(中略)社会の裏側を描く映画を作る最初のチャンスだと思ったんだよ。超自然的な要素はない。ただただストレートに、本当にダークなストーリーなんだ」
(ギレルモ・デル・トロへのインタビューより抜粋)

『ミミック』(1997)は未知の昆虫が人間を襲うホラー、『ヘルボーイ』(2004)は悪魔が登場するスーパーヒーロー映画、『パンズ・ラビリンス』(2006)はダーク・ファンタジー、『パシフィック・リム』(2013)はロボットと怪獣が激突する特撮映画、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)は人間と半魚人との恋を描いたロマンス。ギレルモ・デル・トロのこれまでのフィルモグラフィーは、超自然的な要素に溢れている。そんな彼にとって、まっすぐに人間の暗黒面に切り込んだフィルム・ノワールを作ることは、新しい挑戦だった。

さらにギレルモ・デル・トロは、ラジオ番組のインタビューのなかで、「霊能力者を名乗る人物が詐欺を働く」という『ナイトメア・アリー』のプロットに心惹かれた理由に、自分の個人的な体験を挙げている。実は『ミミック』の撮影中の1997年に、彼の父親フェデリコがメキシコで誘拐され、身代金を要求されるという事件が起きていた。自宅には、どこからともなく「父親の居場所を知っている」と豪語する自称・霊能力者が現れ、言葉巧みに母親に接近。たちまち心を掴んでしまったという。

「彼らは私が追い出したので、ほんの少ししかいなかった。彼らは、“父を感じることができる、父が母とコミュニケーションをとろうとしている”と言っていたね。最初に引っ掛かったのは、“彼はあなたをとてもとても愛している、あなたに手を差し伸べようとしている、そしてあなたが彼を救えることを知っている”というものだった。彼らは同じフックを使っているんだよ。それが私には明らかだった。母は、一瞬でも希望を抱いていたけどね」
(ギレルモ・デル・トロへのインタビューより抜粋)

市民の味方であるはずの警察も、「1万ドル支払えば、犯人を襲撃した際に全員殺害して、その様子を収めたポラロイド写真を渡してやる!」と裏取引を強要する始末。結局父親は72日後に解放されるが、それは友人のジェームズ・キャメロンが100万ドルの身代金を工面してくれたおかげだった。

ナイトメア・アリー』は、超自然現象ばかり描いてきた映画作家が、超自然現象(霊能力者)への疑念を抱くことになった個人的体験に基づいて作られているのだ。

レオナルド・ディカプリオからブラッドリー・クーパーへ

当初、主人公のスタン役にはレオナルド・ディカプリオが考えられていた。なるほど、弁舌をふるって人の心を操る読心術師役に、彼はうってつけだろう。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002)にせよ、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)にせよ、詐欺師を演じさせたらピカイチのアクターである。

だが出演交渉はまとまらず、最終的に主役はブラッドリー・クーパーが務めることに。筆者は、ディカプリオからブラッドリー・クーパーに変更されたことによって、映画の語り口も激変したものと考えている。おそらくディカプリオがスタンを演じていたならば、より野心に溢れたギラギラ系キャラとなり、立身出世物語としての側面が強くなっていたことだろう。

だがブラッドリー・クーパーが演じることによって、スタンはよりミステリスで、アウトロー的なキャラクターとして血肉化される。象徴的なのは、彼はほぼ全てのシーンに出ずっぱりなのにも関わらず、映画が始まって10分間は全く口を利かないこと。彼は言葉を操る達人だが、それは先天的なものではなく、努力によって培った能力であることが示されている。

正直、ディカプリオに寡黙キャラは似合わない。彼はマシンガントークでまくしたてることで、ストーリー展開のBPM(テンポ)を早め、映画全体のテンションを高める。だがブラッドリー・クーパーは、逆にBPMを遅延させ、映画に落ち着きを与える。映画自体のやや緩慢とした鈍重な語り口は、いかにもノワール的な蠱惑的な魅力を放っているが、それはギレルモ・デル・トロの映画作家としての成長と同時に、ブラッドリー・クーパーという役者の存在感によるものが大きい。

映画のラストでは、スタンが自分の運命を受け入れ、「ミスター、私はそのために生まれてきたんです」と語るシーンで、彼は狂気に満ちた笑いを見せる。難度の高いこの芝居を、ブラッドリー・クーパーは一発で演じてみせた。「50回でも60回でも、何度でも撮影するつもりだった。でも彼は1テイクで演じたんだよ」とデル・トロは賛辞を惜しまない。この瞬間、スタンは自らの意思でフリークスとして生きていくことを決意する。

フリークスを描いた映画で最も有名なのは、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932)だろう。シャム双生児、小人、半男半女など、本物の奇形者や障害者をキャスティングした本作は、公開当時大きな衝撃を与えた(筆者も某映画祭でこの作品を劇場で拝見し、ぶったまげた)。『ナイトメア・アリー』が、この『フリークス』から大きなインスパイアを受けていることは間違いない。

フリークス映画でもう一つ特筆すべきは、デヴィッド・リンチ監督の『エレファント・マン』(1980年)だろう。生まれつきの身体の奇形によって、見世物小屋で生きていかざるを得なかった実在の人物・ジョゼフ・メリックの自伝的作品だ。

そして『エレファント・マン』の舞台版でジョゼフ・メリックを演じていたのは、ブラッドリー・クーパーその人。彼は、誰よりもフリークスの哀しみを体現できるアクターだ。運命に導かれるようにしてスタン役を演じることになったのは、いわば必然だったのである。

エディプス王の悲劇と重ね合わせられる、スタンの宿命

筆者がこの映画から強く感じるのは、「人の運命というものはあらかじめ決まっていて、なんぴともそれを変えることはできない」という、宿命論的な主題だ。このテーマが、フィルム・ノワールとしての強度を高めている。映画の序盤でスタンは獣人(ギーク)と遭遇するが、その時点で彼は自分の行く末を見せつけられていたのだ。

象徴的なのは、脱走した獣人を探しているスタンが見世物小屋に入った時、壁に“無数の目”が彫られていること。彼は千里眼を有する者として、一つ目が描かれた目隠しをしているが、近い将来、彼自身が衆人から“見られる者”となる=獣人となることが示唆されている。

おそらく冒頭、スタンが父親を殺して家屋に火をつけた瞬間から、運命の歯車は破滅に向かって走り出していたのだろう。そしてそこには、あからさまな父親への嫉妬と嫌悪……。エディプス・コンプレックスが渦巻いている。

スタンが頑なにアルコールを口にしなかったのは、酒乱の父親に対する反発ゆえ。だが同時に父親の形見である時計を肌身離さず持っていたことから、愛憎入り交じる感情を抱いていたことが推察できる。

この映画で、スタンは3人の“父親”を殺害している。一人は実の父親、一人は読心術師の師匠であるピート(デヴィッド・ストラザーン)、一人は謎の大富豪エズラ(リチャード・ジェンキンス)。そして彼は、ピートの妻ジーナ(トニ・コレット)と一夜を過ごし、おそらくエズラと単なるクライアント以上の関係を持つリリス(ケイト・ブランシェット)とも肉体関係を結ぶ。

ジーナもリリスも、彼にとってかりそめの母だ。母親に性愛感情を抱く男子は、父親を殺害しなければならない。スタンは導かれるようにして父親を葬り、支配する者から支配される者へと転落する。

ナイトメア・アリー』には、ギリシア神話におけるエディプス王の悲劇的運命が、モチーフとして組み込まれている。

ホルマリン漬けの胎児“エノク”の正体とは?

本作は、超自然現象が描かれない初めてのギレルモ・デル・トロ映画であることは先に述べた(そもそも、本人がそう公言している)。

だが、本当にそうなのだろうか?筆者は、映画の端々で象徴的に登場するホルマリン漬けの胎児“エノク”が気になって仕方がなかった。しかもエノクは、エンドクレジットでわざわざ大写しで現れる。なぜデル・トロは、映画のラストにこの胎児を登場させたのだろうか。

エノクという名前は、旧約聖書に記述されている。エノクは天に召し上げられた後、天使メタトロンによって変容させられたことから、“神とともに歩む者”、“神に連れて行かれた者”とも称されている。となれば、エノクは「神に近い力を有する者」と解釈することもできそうだ。しかもエノクの額には大きな傷があり、まるで3番目の“目”のようにこちらを睨みつけている。手塚治虫の「三つ目がとおる」ではないけれど、この目には大きな力が宿されているかのようだ。

クレム(ウィレム・デフォー)の説明によれば、エノクは胎内で暴れまわって、母親を道連れにして死んだという。なぜエノクは暴れまわったのか。それは何者かが、母親の体に暴力を振るっていたからではないか。

そしてこの映画には、「女性に暴力をふるった過去がある」と告白する人物が登場する。大富豪エズラだ。彼が死に追いやったというドリーこそが、実はエノクの母親だったとしたら?そしてエノクが3番目の“目”を使ってスタンを操り、憎き敵のエズラを葬ったのだとしたら?

そう解釈すると、もはや本作は単なるノワールではない。超能力を使って復讐を果たさんとする、スーパー・ナチュラル・ムービーだ。そしてここにも、“父殺し”というエディプス(オイディプス)の神話が反復されている。

エノクの呪いを受けたのは、原作者ウィリアム・リンゼイ・グレシャム自身?

ここで少し、原作者ウィリアム・リンゼイ・グレシャムに話に戻そう。

彼は結核で入院したり、結婚と離婚を繰り返したり、自暴自棄になって自殺を図ったり、不安定な生活を送っていた。やがて詩人のジョイ・デイビッドマン・グレシャムと結婚して2人の子供をもうけるものの、生来のアルコール依存症と暴力癖が周りと自分自身を不幸にしていった。

ナイトメア・アリー』の映画化権を6万ドルで売ったことでグレシャムは経済的に潤うが、それも一時的なもの。次第に生活は困窮し、デイビッドマンも彼の元を去る。そして失意のなか、グレシャムは1962年に睡眠薬の過剰摂取で自ら命を絶った。享年53歳。

彼のポケットからは、「住所なし、電話なし、仕事なし、お金なし。引退済み」と書かれた名刺が見つかったという。結局グレシャムは、『ナイトメア・アリー』以外に目立った著作を残すことはできなかった。

実は、原作者のグレシャムとデル・トロとの間は、ちょっとした因果関係がある。デル・トロの代表作『パンズ・ラビリンス』は、C・S・ルイスのハイファンタジー小説『ナルニア国ものがたり』から多大なる影響を受けているが、そのC・S・ルイスが“唯一の女性”と呼び愛した女性が、グリシャムの元妻だったジョイ・デイビッドマン・グレシャムだったのだ。C・S・ルイスとデイビッドマンとの夫婦生活は、リチャード・アッテンボローが監督を務めた映画『永遠の愛に生きて』(1993)に描かれている。

そして筆者には、「妻に暴力をふるったアル中男が、非業の死を遂げる」というウィリアム・リンゼイ・グレシャムの実人生が、『ナイトメア・アリー』のストーリーと合致していることに、何か予言めいたものを感じてしまう。

エノクの呪いを受けたのは、作者自身だったのかもしれない。

ナイトメア・アリー』作品情報

■監督:ギレルモ・デル・トロ

■脚本:ギレルモ・デル・トロキム・モーガン

■公式HP:https://searchlightpictures.jp/movie/nightmare_alley.html

■公開日:2022年3月25日(金)

(C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.

 

※本記事で紹介する映画は国内最大級の映画レビューサービス「Filmarks(フィルマークス)」のデータに基づきセレクトされたものです。

※2022年4月2日時点での情報です。

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